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AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

3つの言葉(「演歌」/「先住民族」/"trained incapacity")

 4月23日(日)の夕方6時からのNHK FMの番組で、「演歌」がいつから日本の歌謡史に登場したのか、「演歌」とは何か、などのテーマで、(声から判断すると)若そうな女性の解説があっていて、用事をしながらであったが、非常に興味深く聴いた。

 2004年12月発刊の『文化人類学研究』第5巻に、同年1月10日に早稲田大学文化人類学会年次大会で、「文化人類学者2人のほかに、国際人権論や日本憲法研究の権威(強調追加、以下同じ)も招いて開かれた」(p. 1)というシンポジウムの報告が特集されている。「先住民族」をテーマにしながら、編集者が(本人の報告や発言されたものを除いて)頑なに「先住民」を貫いているところを除いては――いや、これもここまで頑固にやれば尊敬に値するのかもしれない――なかなか興味深い読み物である*1
 この特集の65ページで笠原氏(2人の文化人類学者のうちの1人)が「アイヌの人たち自身が先住民なり、先住民族ということばを使い始めたのはいつ頃からか、確認ができますか」と質問している*2。同氏曰く、「僕はね、もう30年人類学をやっていますけれど、一番先住民族を研究してきたはずのこの分野でも、私が始めた頃*3はね、先住民、先住民族ということばを使っていなかった。どこから出てきたんだろう?」(p. 65)*4
 これに対し、招かれた「権威」の一人、常本氏が「ウタリ協会に問い合わせなければ、正式なところは解らないでしょうね」と前置きしながら、「パブリックな場で先住民族として扱えということを組織的に主張した」と同氏が見るウタリ問題懇話会に言及したりした後で、最後に「詳しくは存じません」と述べている。
 もう一人の文化人類学者、スチュアート(別の所では本多)氏は、「僕も調べようと思ったんですけれども、僕が使い出したのは80年代の半ば頃です」と仰っている。「自分で考えたわけじゃなく、すでにあったんですよ」とも。そして、「僕が最初に使ったときにはね、ほとんど誰にも通じなかった」と言い、笠原氏が同意している。(pp. 65-66)
 「へー、そうなんだ」と思った(!)。私が最初に使ったのは、たしか1985年末に書き上げて1986年に出た短文の中でだった。「誰にも通じ」てなかったのだ! まあ、別に人類学者に向けて書いたものではなかったから、どうでもよいけれど。
 そして、もう一人の「権威」、上村氏が、「『開拓史』など古い行政文書の中には、先住民ということばが入っています」と説明すると、スチュアート氏が「先住民はある。先住民族は?」と尋ねる*5と、上村氏が「行政文書の中に古い形では入って」いたが、その後「アイヌ系日本人」に取って代わられたのだと言い、"indigenous peoples"という言葉を持ち出して、これを「日本でどう訳すかという議論に、僕の周辺*6では1985年くらいから取り組んでいました。いわゆる『原住民族』と訳すのか、他に良い訳があるのかという中で、『先住民族』という訳を使おうと選択した思い出」を語っている(p. 66)。ここでも、「へー、そうなんだ」と思う。
 そこでまた常本氏が、「公の文書で先住民ということばがいつ出たかというお話」にこだわって、1984年のウタリ協会の「アイヌ新法案」を持ち出し、「先住民」が使われていると述べた上で、「先住性は事実として捉えていた」と解説。途中は省くが、「事実先行の議論というのは当時あったけれども、それを支える法的な理屈までは、法学者自身も何も知らなかった訳ですから、当然のことながらアイヌ民族の方々も、その事実は捉え、その必要性というものに対する認識は持ちながらも、先住民族とは何を意味するのかという議論までは、当時はなかった」(pp. 66-67)と、(先住民族にとってはどうでもいい話になって、)結局、結論のないまま(NHK FMの「演歌」解説の方が明快で分かりやすかった!)、「権威」たちの話は「先住権」へと移る。(「権威」たちも答えを出せていないから、大学生の卒論のテーマくらいにはなるのではないかな。)

 以上を書きながら、最初は取り上げる予定ではなかったある論文を思い出した。昨年の夏に始めて――秋から始めたと思っていた――途中で止まった「A Double-edged Sword(諸刃の剣)」のシリーズを続けることに虚しさを感じ、その後、「久しぶりに流し台の下のタンクの中を覗き込んだらバカバカしくなって」と書いた頃かその少し前くらいに見つけた、北大アイヌ・先住民研究センターの若き考古学者――その頃はこの程度のことしか知らなかった――の論文である。その「註」には、このように書かれている。

1) スチュワート*7(2009,18)が指摘するように、特定の集団を「先住民族」、世界の諸集団全般を「先住民」と訳語を区別する場合もあるが、本稿では両方とも「先住民族」と記す。ただし、すでに定訳がある条約などの名称については、その表記に基づく。

岡田真弓「遺跡・遺産が伝える先住民族の歴史と文化」

 しかし、なぜそうするのかの説明はそこにはない。

P.S.
 1992~93年には「国際先住民年」に便乗して多くの本が出たが、その中の1冊――某国立大に勤務する「権威」ある文化人類学者が編集した本で、出版社から寄贈で送られてきた本だったことは覚えているが、今すぐにそれのどこでだったかを確認することはできない――の冒頭に、「国際先住民年」の制定や先住民族の権利に関する国連宣言の起草に文化人類学者が貢献したと自らの職業集団を称賛するかのように書かれていた。「へー、そうだったの?」と驚いた。上の笠原氏が述べるような状況の中で、少なくとも日本国内に関する限り*8、どこの誰たちなのだろう、出会ったこともないなと、当時考えた。

 これも予定の進路から逸れるけれど、沖縄では「先住民族」が差別表現にされつつあるというか、そういう「デマゴギー」として取り上げても良さそうな論調が出てきているようだ。
 1週間ほど前、松島氏のこの投稿を見て検索すると、琉球新報への西石垣氏による2本(上下)の投稿がツイッターで取り上げられているのを見つけた。ツイッターに登録していないからだろうか、残念なことに、表示される記事が出たり消えたりするのである。しかも、記事の端が切れていた。琉球の闘いをどう進めるべきかということについて松島氏らとの論争に口を挟むつもりはないが、しかし、こと「先住民族」とその権利に関して一般的に述べられていることには無視できないことが含まれていた。
 そこで、ここに何か書こうと思って沖縄在住の親しい人に西石垣氏の投稿を送ってもらった。ナント!上のツイッターで見た投稿は、去年のものだった。4月17日と18日に上下で掲載されている投稿には「松島氏、上村氏に問う」と名指しされている――ハハ、お呼びじゃなかったよって。どうりで松島氏が上村氏とともに「再反論」と書いていたわけだ。琉球新報では昨年4月、11月、そして今年の2月と「論争」が続いているようだ。
 それにしても「『先住民族論』のわな」とは酷いタイトルだな。「アイヌ民族はいない」と言っていた/いる人たちと通じそうな感じがする。今は私人(?)の元札幌市議が利用したものと同じかどうかは分からないが、西石垣氏も平凡社の百科事典を引き合いに出している――もっとも、今回は上村氏執筆という記事をだが。まあ、上村氏が狩猟が好きで罠を仕掛けたとは思わないが、そこの反論(再反論?)は彼にお任せしておこう。
 もう一度、それにしてもだが、「『先住民族』呼ばわりは、相手集団をit化=モノ化しているからなのである」とか、「『先住民族』という言葉自体が差別用語であり、レッテル貼りと化している」とか、まあただの訳語を問題にしているのであれば、ウチナーグチでもヤマトグチでも良いからご自分で"Indigenous Peoples"にあたる非差別用語を使って論じられるとよいだろう。
 それにしてもだ――3回目!!――「『先住民族』が発生するためには優生学イデオロギーが不可欠」という同氏が、「もともとウチナーンチュは生物学的・・・に日本人集団に属する」とは大変興味深いご発言であるが、あとは松島・上村両氏の「再反論」に委ねて、ここでの話を進めることにする。

 再び、チョット一息。⇒キャンディーズのわな(コレ、メチャ面白い! 新発見である。1時間41分35秒の全編、異なるヴァージョンの「わな」。好きな人もいるもんだね。)フー、まだまだ本題に達していない!

P.S. #3:今夜ここには書ききれないが、振り返ると、2004年という年は公私ともに重要な年であった。その一つ、昨年8月7日にここ――至る所にカエルスタンプが!――に投稿して、noteにリンクしてあった文書が出されたのも2004年である。(noteで100円で購読できるようにしておいたが、買う人が誰もいないからここに捨てることにした――もっとも、買ってくれそうな人には前もって無料配布したのであるが。)
 実は、これは昨年10月に某ミニコミ誌に「資料」として載せようと考えていたのであるが、事前に翻訳に目を通してもらった一人が、解説を書くようにと言ってきた。そんな余裕がないから翻訳だけにしたのにと思いながら、個人的な経験も含めて解説を書いていけば、少なくとも1984年まで遡らなければならず、そこにはどうしても書きたくない/書けないこともあり、その後遅々として進んでいない。だから、今日ここに翻訳だけを提供する。

 国連で活動している日本のNGOとその関係の研究者が既にどこかの学術誌に翻訳を発表しているかもしれないが、私も含めて、その情報を入手していない人のために、先住民族の権利に関する国連宣言が採択される前の2004年1月に、ニューヨークの国連本部で開催されたワークショップに国連先住民族の課題に関する常設フォーラム(PFII)事務局が提出した「先住民族の概念」と題された4ページの文書(UN Doc. PFII/2004/WS.1/3)を以下に翻訳して紹介することにする。


世界教会協議会で1996年7月27日土曜日に先住民族準備会議に出席する私たち先住民族は、先住民族を定義する課題に関してコンセンサスに到達し、人権小委員会決議1995/32を満場一致で支持した。私たちは、各国政府が先住民族を定義するいかなる試みも無条件で拒絶する。私たちはさらに、「先住の(indigenous)」の概念に関して、マルティネス コーボゥ報告書を支持する。また、私たちは、先住民族の概念に関する議長兼報告者のエリカ ダイス氏の作業文書における彼女の結論と勧告を認める。」


資料:「先住民族(indigenous peoples)」の定義に関する国連見解(暫定訳)

1.国際連合における先住民族問題(indigenous issues)の30年間の歴史とこの問題に関するILOでのもっと長い歴史において、相当な思考と討論が「先住民族(indigenous peoples)」の定義の問題に捧げられてきたが、いかなるそのような定義もいかなる国連体系の機関によってもこれまでに採択されたことはない。先住民族(the indigenous)の概念の最も多く引き合いに出される叙述の一つは、差別防止および少数者保護に関する小委員会の特別報告者、ホセ R. マルティネス コーボゥによって彼の有名な「先住民に対する差別の問題に関する研究」(注1)の中で提示された。その主題に関する重要な討議が、1982年以来、先住民に関する作業部会によって先住民族の権利に関する宣言草案(注2)の準備の文脈の中で行われてきた。「先住およびトライブの民族/人民」という概念の1つの理解が、国際労働機関によって採択された、1989年の独立国における先住およびトライブの民族/人民に関する169号条約の第1条に収められている。

「先住民に対する差別の問題に関する研究」

2.含まれる課題の長期の検討の後、上述の研究を作成した特別報告者は、「先住の共同体、民族/人民および国(“indigenous communities, peoples and nations”)」の作業定義を提示した。その際に彼は、この努力に対する知的枠組みを提供するためにいくつかの基本的な考えを表明した。それには、先住諸民族そのものが何および誰が先住(indigenous)であるかを定義する権利が含まれていた。その作業定義は、次のように書かれている。
 「先住の共同体、民族/人民および国とは、その領域に発達した侵略前および植民前の社会との歴史的連続性を有しながら、それらの領域またはその一部で現在優勢である社会の他のセクターから自らを異なると考える共同体、民族/人民および国である。それらは、現在、社会の非支配的セクターを形成していて、その祖先の領域および民族的アイデンティティを、民族/人民としての継続的存在の基盤として、自分たち自身の文化的様式、社会的制度・慣習および法体系に従って、保存し、発展させ、そして未来の世代に伝えることを固く決意している。」
 「この歴史的連続性は、現在に至る長期間、次の要素の一つ以上の存続から成り得る。
a)祖先の土地あるいは少なくともその一部の占有、
b)これらの土地の原占有者との共通祖先、
c)一般的あるいは具体的な表明(例えば、宗教、トライブ体制の下での生活、先住の共同体の成員、服装、生活手段 、生活様式、など)における文化、
d)言語(唯一の言語として、母語として、家または家族の中での習慣的なコミュニケーション手段として、あるいは主たる、好まれた、習慣的な、一般的または標準の言語として、これらのどれとして用いられていても)、
e)その国のある部分または世界のある地域での居住、
f)他の適切な要素。
 「個人の基準では、先住民はこれらの先住民集団(訳者注1)に先住としての自己認定によって属し(集団意識)、その成員の一人としてこれらの集団に承認および受容される(集団による受容)人である。
 「このことは、これらの共同体に、外からの干渉なしに、そこに誰が属するのかを決定する主権の権利および権限を保存する。」(注3)

先住民に関する作業部会

3.作業部会での長年の討論の間に、先住民族組織からのオブザーバーたちは、共通の立場を進展させ、国家によって採択されることになる先住民族の公式の定義という考えを拒絶した(注4)。同様に、各国政府代表団は、先住民族の普遍的な定義を精巧に練り上げることは望ましくもないし必要でもないという見解を表明した。最終的に、1997年に、その第15会期において、作業部会は、世界的なレベルでの先住民族の定義はその時点で可能ではなく、先住民族の権利に関する宣言草案の採択には確かに必要ないと結論した(注5)。宣言草案の第8条は、次の通り述べている。
 「先住民族は、自己を先住であると名乗り、それとして認められる権利を含めて、その異なるアイデンティティおよび特徴を維持しかつ発展させる集団および個人の権利を有する。」(注6)

国際労働機関169号条約

4.ILO 169号条約の第1条は、定義というより適用範囲の言明を収めており、同条約が次に適用されることを示している。
 「a)その社会的、文化的および経済的な条件が国内社会の他のセクションから彼・彼女たちを区別していて、その地位が全体的にまたは部分的に独自の慣習または伝統によって、あるいは特別な法律または規則によって統制されている、独立国内のトライブの民族/人民、
 「b)その国、あるいはその国が属する地理的な地域に、征服または植民地化または現在の国境の画定の時点で居住していた住民/集団からの血統を理由に先住であるとみなされていて、かつその法的な地位にかかわらず自分たち自身の社会的、経済的、文化的および政治的な制度・慣習を保持している、独立国の民族/人民。」
5.第1条はまた、先住またはトライブのという自己認定がこの条約の条項が適用される集団を決定するための1つの基本的な基準とみなされると示している。
6.「先住民族」と「トライブの民族/人民」の2つの用語がILOによって用いられている理由は、彼・彼女たちが住む国において文字通りの意味で「先住」ではないが、それでも同じような状況で暮らすトライブの民族/人民がいるからである――一例としては、中央アメリカにおけるアフリカ系のトライブ民族/人民、あるいは、彼・彼女たちが居住する地域に他の人口集団よりも長く居住してきていないかもしれないサンやマサイのようなアフリカのトライブ民族/人民である。それでもなお、これらの民族/人民の多くは、国際連合で進行中の議論に該当するように自分たちのことを「先住」であると称する。実際的な目的のために、当該民族/人民が先住(民族)の議題の下で自らを確認する際、「先住の」と「トライブの」という用語が国連体系において同意語として用いられる。

結論

7.国際連合体系の中で国際法を進展させる60年間の歴史において、さまざまな用語が正式に定義されてきておらず、最も鮮明な例は「民族/人民(peoples)」および「少数者集団(minorities)」の概念である。しかし、国際連合は、民族/人民の自己決定の権利を承認し(注7)、国民的または民族的・宗教的・言語的少数者に属する人々の権利に関する宣言(Declaration on the Rights of Persons Belonging to National or Ethnic, Religious and Linguistic Minorities)を採択してきた(注8)。「民族/人民」や「少数者集団」の正式な定義の欠如が、それらの領域における国連の成功や失敗にとっても、またこれらの実在者に対して承認されている権利の推進、保護、あるいは監視にとっても、これまで決定的であったことはない。
8.同様に、「先住民族」の概念の場合において、今日の有力な見解は、同語のいかなる公式な普遍的定義も必要ないというものである。実際的な目的のために、一般に受容されている同語の理解は、上で言及したマルティネス コーボゥの研究において提供されたものである。(注9)

注1.UN Doc. E/CN.4/Sub.2/1986/7 and Add. 1-4. Addendum 4(第4付録)に収録の同研究の結論と勧告は、国際連合販売出版物(U.N. Sales No. E.86.XIV.3)としても入手可能である。同研究は、1972年に発進され、1986年に完成された。かくしてそれは、37の学術論文に基づき、その種のものとして最も大部の研究となった。
注2.宣言草案はUN Doc. E/CN.4/Sub.2/1994/2/Add.1に収録されており、現在、人権委員会の作業部会によって検討中である。
[訳者注1.ここではindigenous populationsであるが、この用語は後にindigenous peoplesと変更されているので、「先住民族」と理解してよい。]
注3.Supra 1, paragraphs 379-382.
注4.先住民族の代表たちの見解の一例が、1996年の作業部会の報告書に、次のように掲載されている(UN Doc. E/CN.4/Sub.2/1996/21)。
世界教会協議会(World Council of Churches)で1996年7月27日土曜日に先住民族準備会議に出席する私たち先住民族は、先住民族を定義する課題に関してコンセンサスに到達し、人権小委員会決議1995/32を満場一致で支持した。私たちは、各国政府が先住民族を定義するいかなる試みも無条件で拒絶する。私たちはさらに、「先住の(indigenous)」の概念に関して、マルティネス コーボゥ報告書(E/CN.4/Sub.2/1986/Add.4)を支持する。また、私たちは、先住民族の概念に関する議長兼報告者のエリカ ダイス氏の作業文書における彼女の結論と勧告(E/CN.4/Sub.2/AC.4/1996/2)を認める。」
注5.UN Doc. E/CN.4/Sub.2/1997/14, para.129. UN Doc. E/CN.4/Sub.2/1996/21, paras. 153-154も参照せよ。
注6.Supra 2.
注7.民族/人民の自己決定の権利は、双方とも1966年に総会で採択され、国家の圧倒的多数によって批准されている経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約と市民的および政治的権利に関する国際規約の共通第1条において承認されている。
注8.1992年に総会によって採択された。
注9.アジアとアフリカの一部の地域において、それらの集団の一部は自らを「先住」と確認してきたにもかかわらず、「民族的集団(ethnic groups)」あるいは「民族的少数者(ethnic minorities)」という用語が政府によって用いられている。

 一言だけ付け加えておく。私が強調したいことは、「結論」の太字にした部分である。

 ようやく本題の「訓練された無能」に入れるところに辿り着いたが、笑っちゃうな、ヘトヘトである。こんなに長くなると編集しにくいので、新規投稿にして、また後日。

*1:実のところ、この4名全員の論文と特集末尾の4名による「特集討論」の全文は、ごく最近になって入手したのである

*2:入手したpdfが切り貼りしたり画像コピーできない形式のものなので、入力は極力短くする。

*3:つまり、今から約43年前。

*4:この後の話の流れは明らかに「先住民族」を中心に進んでいるにもかかわらず、この部分の見出しも「『先住民』ということば」となっている。

*5:ほら、主たるテーマは「先住民族」でしょうが。

*6:東京近辺だろうか?

*7:本多氏は、"w"のない「スチュアート」が正しいのでは?

*8:お一人、今は「文化人類学者」とは名乗っていない方が思い浮かぶが、この方は直接に国連の過程で活動されてはいなかった。

ふざけたアイヌ総合政策室

 25日、新規の通知が掲載された。何度も言うように、開催日は表示されるが、投稿日は表示されない。

平成29年04月21日 第31回政策推進作業部会が開催されました。(議事次第

 とうとう3回分の「議事概要」が未決状態なのだろう。遺骨返還に関する政府の方針転換に北海道アイヌ協会から異論が出たり、作業部会長やその下の「検討部会」の座長の一人に「辞めろ」という声が出たりして、「和」を演出してきた会議が割れた様子を表に出せないのだろうか。

Highly Recommended!(w/ P.S. X 4)

You know why I recommend this, don't you?

Relaxing Music: Peaceful Music, Instrumental Music "Nature's Landscapes" by Tim Janis.


P.S.「アメリカの無法帝国:ブッシュとオバマの憲法犯罪」(ハーヴァード ロー スクールでの講演、2012年)
 ここに埋め込むには「調和」が「課題」となるから思い止まった。

P.S. #2オバマ前大統領講演、シカゴ大学、2017年4月24日

P.S. #3:実は、法学教育がどういう「訓練された無能」を生み出すのかというネイダー氏の書かれた言葉を映像で探していて、もう1本別の映像をキープし、多分その中で語っているのではないかと思ったのであるが、この講演会のタイトルの方により強い興味を持つのではないかと思う某読者がチラついてしまった。その結果、脇道へ逸れて2つ上の講演を聴いてしまったのである。この講演の真ん中あたりでも類似したことを論じているが、それとは別である。本題については、またいつか別の日で時間が取れる時にということにする――その頃には「議事概要」も公開されて、そちらにエネルギーを取られることになるのかもしれない。「議事概要」は、今日(25日、14:54)もまだ未公開である。

P.S. #4:ハーヴァード ロー スクールの卒業生であるラルフ ネイダー氏が卒業式に招かれて式辞を述べた時、彼は法学教育を鉛筆を削ることにたとえて言った。法学教育は「君たちを狭くすることで鋭くする」のだと。

"Awake, A Dream From Standing Rock"

 スタンディング ロックからの映画:"Awake, A Dream From Standing Rock"(By Oscar Nominees Josh Fox and James Spione and Native filmmaker Myron Dewey)


Source: here.

調和が課題?(w/ P.S. X 2)

 先ほどこのブログ記事を読んだ。その中の道新記事に一言だけ。

アイヌ遺骨研究の是非は」社会的利益と民族の思い、調和課題 倫理検討委設置へ7月準備委/北海道新聞04/22 05:00


 北海道アイヌ協会と日本人類学会、日本考古学協会は21日、アイヌ民族の遺骨研究の適否を判断する「研究倫理検討委員会(仮称)」設置に向け、7月にも準備委員会を発足させる方針を明らかにした。遺骨研究を巡っては、研究者や関係者の間でも是非が分かれており、研究の社会的利益とアイヌ民族の思いをいかに調和させるかが今後の課題となる。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/science/science/1-0392144.html

 奪い去った遺骨を研究材料にし続けることに「調和」が必要なのか? なぜそれが「課題」となるのか。言葉の誤魔化しである。道新は、社説か何かできちんと「解説」するべきだろう。

P.S.(22:00):昨日未明にこんなことを書いて、短時間で引っ込めていた。

北にとどまるか
南へ行くか
それとも
地の底へ潜り込むか

 さて、北海道アイヌ協会のサイトには、こう書いている。

 北海道アイヌ協会日本考古学協会、日本人類学会、三者によるラウンドテーブルでとりまとめた標記報告書(案)へのパブリックコメント平成28年12月19日~平成29年 1月18日の日程で募集しましたところ、当協会宛に計43件の貴重なご意見が寄せられました。ご協力、誠にありがとうございました。

 これらのご意見等につきましては、今後の報告書作成に係る協議等に反映させていただきます。
 また、最終報告書取りまとめ次第、当協会HPでその結果を公開する予定です。

 この1月19日の記事が最後で最新の「新着情報」である。上の道新記事は、あの落合氏が予定されていた講演を取りやめてまで出席した(そうな)21日の政策推進作業部会で出た話を受けて書かれているようである。パブリックコメントのまとめも含めた「報告書」が政策推進作業部会に提出されたのであろう。しかし、現時点でもまだ、21日に「政策推進作業部会が開催されました」といういつもの事後報告すらないばかりか、2月と3月の「議事概要」さえ出ていない。時間が経てば経つほど、出てくる官僚の作文の信憑性が薄れるというものである。また、北海道アイヌ協会は、「取りまとめ次第」と書いておきながら、まだ「結果を公開」していない。「次第」とは、どういう意味でしょうか?
 「調和させる」ことが課題という「研究の社会的利益」が何か、「アイヌ民族の思い」とは何かを道新は詳しく報じる責任を負ったようであるし、そういう記事が出て来るのを期待しておこう。

P.S. #2(04.23, 0:24):親切な読者が記事の全文を送って下さった。有料記事のようであるが、非営利の「国民の教育」目的で利用させていただく。
 上に引用したのは、冒頭の1段落である。以下、第2段落以降を引用し、これまでのように、青字でコメントを書くことにする。下線や太字化は追加。

 三者は、同日開かれた政府のアイヌ政策推進会議作業部会で、遺骨研究のあり方をまとめた報告書を提示。過去に研究目的で遺骨を墓から収集した問題は研究者に反省を求め、遺骨をアイヌ民族側に返還することが研究に優先される基本方針を示した。その上で、遺骨などから得られる情報で「アイヌの時代性や地域性、独自性を明らかにすることができる」と研究の社会的利益を指摘した。<⇒これだけでは不十分である。「遺骨など」の「など」とは何か。それらからどのような目的の研究が意図されているのか。記者は、それがどのような「社会的利益」となるのか、アイヌ民族にはどのような「利益」になるのか、そしてまたそれから生じるリスクは何なのかを明示する必要がある。
 研究対象外とすべき遺骨として《1》アイヌ民族側の同意を得られない《2》100年以内に埋葬された《3》収集の経緯が明確でない―ものなどを挙げた。今後、研究が認められる可能性があるのは、江戸時代以前に埋葬され、 埋蔵文化財 として公的に認定された遺骨に限定される見通しだ。<⇒「100年以内」とすることの問題をはじめ、ここの段落に関することはこれまでにも書いたから、ここでは繰り返さない。
 札幌医大では、道路工事などに伴う発掘調査の際に出土した遺骨が道や市町村から寄託され、国立科学博物館(東京)の研究者らが既に2010年から、アイヌ民族の起源を調べる研究に活用している。<⇒「道路工事などに伴う発掘調査の際に出土した遺骨」が「道や市町村」の所有物になるという仕組みのおかしさ、そしてその研究許可を北海道アイヌ協会が与えるというおかしさ(次段落)。そのような発掘調査から出土した遺骨の中には非アイヌの遺骨が含まれている可能性が0とは断定できないのではないかという問題もあろう。
 この際、遺骨からの DNA サンプル採取については、北海道アイヌ協会に事前に説明し同意を得た。研究倫理検討委員会は、この同意手続きを参考にする可能性がある。ただ、発掘された地域のアイヌ民族からは「知らされていない。先祖の遺骨は土にかえってこそ安らかに眠ることができる」との反発もある。<北海道アイヌ協会と「学協会」は、事前説明と同意の内容を明らかにする必要がある。そうしなければ、2010年という時期から考えても、これは大問題となるだろう。場合によっては・・・[抑制]。
 報告書は、検討委の構成員を「アイヌ関係者」という表現にとどめた。研究者からは「道アイヌ協会だけではなく、地域の意向をより丁寧にくむ必要がある」と委員の人選への配慮を求める声が上がっている。⇒この書き方には、一番に遺骨の研究を推進したいのは北海道アイヌ協会(の「幹部」)ではないかと勘ぐらされる。だが、実態は「共謀」ではないのだろうか。

 何よりも、「慰霊」が虚しく完全に消えてしまったかのようである。

強制移住と謝罪――インディアナ州とカンザス州の話題(w/ a new P.S.)

 一つ前の投稿に追記してタイトルを変え、2つに分けた。

 遺骨返還との関連でも謝罪(の欠如)が課題として上がっているみたいであるが、今日は主として強制移住に関してである。このブログ内でも検索して戴ければ過去の記事が挙がってくるが、アイヌの強制移住については、ここここ、そしてここなどで言及されている。

 昨年の4月1日に「高橋はるみ知事、アイヌ民族への謝罪を検討中」というエイプリルフールの記事を投稿したが、民族共生象徴空間PR合唱動画で歌っている姿からは、アイヌ民族への謝罪の考えなどまったくなさそうに見える。(この謝罪文草案のもととなる実際の謝罪の説明をしないままになっていることは自覚している。その後、某所に出す予定で書いていた原稿に入れているのだが、それをまだ書き上げていないためにここに出さないでいる。個人的には、お二方に種明かしは済ませている。)

 さて、本題に入る。Kokomo Heraldというアメリカのインディアナ州のローカル紙の電子版の意見欄に現地時間の4月15日付で掲載されている"Indiana Indian Day to apologize to Native American Indians"(先住アメリカン インディアンに謝罪するためのインディアナ州のインディアンの日)と題された投稿から少し辿ってみたことを紹介しておきたい。

 投稿によれば、投稿のタイトルでもある「インディアンの日」の集会が来週末の22日の午後に同州ロチェスター市で予定されている。謝罪は特に、銃で脅されながらインディアナから強制的に移動させられた2つのトライブに向けられる。1つは1838年9月に「死の踏み分け道(Trail of Death)」を辿らされたポタワトミ人、もう1つは1846年10月のマイアミ人である。2つのトライブの成員がこの集会に出席して、その物語を語ることになっている。

 ポタワトミ人の場合は、ロチェスター市のメインストリートを銃で脅されながら行進させられた。途中の水路で飲んだ水が原因で腸チフスに罹り、42人が死亡した。

 この投稿主でフルトン郡の歴史研究員であるシャーリー ウィラード(Shirley Willard)さんは、州が命じた強制退去(移住)に対する公式謝罪を行うようにホルコゥム州知事に要請したとのことである。カンザス州と連邦議会はそれぞれ、2013年*1と2010年に先住アメリカ人に対する謝罪を行っている。

 連邦議会による謝罪は、以前このブログに載せておいたが、上述の原稿に取り入れているので暫定的に下書きに戻している。読んで記憶または印刷している人もいるであろう。そこで、カンザス州の謝罪を取り上げて少し書いておこうと思う。

P.S.(04.17, 1:20):
 「カンザス」と言えば、別のカンザス(CANZUS)を思い浮かべる人も少しはいるかもしれない。国連人権委員会先住民族の権利に関する国連宣言草案作業部会で宣言を阻止しようとしていた主要国(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ)の頭文字を取って揶揄した呼称である。ここで取り上げるのは、それではなく米国中西部のカンザス州の知事による同州の先住諸民族への謝罪である。その様子は、プレイリー バンド ポタワトミ ネイション(PBPN)の公式サイトの"Governor Brownback Issues Apology to Native Peoples at 150 Kansas Commemoration"(ブラウンバック知事、カンザス150年記念式典で先住民族に謝罪)という2011年11月16日の記事に紹介されている。(この記事の日付けから、上記の2013年は2011年の誤りであろうと脚注に記しておいた。)

 現在のカンザス州は、南北戦争中の1861年1月29日にアメリカ合衆国(Union)に加入した。州名は、先住民族のコー(Kaw)ネイション(またはカンザ(Kanza or Kansa)に由来する。州都のトピカ(Topeka)は、「ジャガイモを栽培するのに良い場所」というコー語から来ているそうである*2。また、3年ほど前の記事で、このように書いたことがある。

 アメリカ インディアンでアメリカ大統領になった人物はまだいないが、副大統領になった人がいることはあまり知られていない。カンザス州のコー トライブの成員だったチャールズ カーティス第31代副大統領である。その時の大統領は、ハーバート フーバーである。

 さて、そのカンザス州の知事に2011年に就任したサム(=サミュエル)ブラウンバック氏が、トピカのカンザス歴史協会(Kansas Historical Society)で行われた記念式典で行なった演説の中で、同州の5つの先住民族の代表を前に、同州の先住諸民族への公式謝罪となる「宣言」を読み上げた。さらに同知事は、5つのトライブに1頭ずつバイソンを贈呈した*3
 以下に、PBPNのサイトの記事の中に引用されている「宣言」の最後の段落を引用しておく(強調は追加)。

NOW, THEREFORE, I, Sam Brownback, GOVERNOR OF THE STATE OF KANSAS, do hereby proclaim and recognize the special legal and political relationship Indian tribes have with the State of Kansas and the solemn covenant with the land we share, and commends and honors Native Peoples for the thousands of years that they have stewarded and protected the land of Kansas, and expresses regret for former wrongs and apologizes on behalf of the people of Kansas to all Native Peoples for the many instances of violence, maltreatment, deception and neglect inflicted on Native Peoples, and resolves to move forward with the recognized tribes in a positive and constructive relationship that will help us fairly and effectively resolve differences to achieve our mutual goals and harmoniously steward and protect this land we call Kansas.

 面白いのは、ブラウンバック知事は共和党員であり、2016年の世論調査で全米で最も不人気な知事にランクされたり、トランプ大統領によってローマに本部のある国連の食糧農業機関に米国大使として任命される候補にも挙がっている*4

 ブラウンバック氏は、州知事になる前は連邦議会上院の議員であった。彼は、2004年以来、上院議会で全米の先住民族に対するアメリカ政府の謝罪を実現させようとして、コロラド州選出のベン ナイトホース キャンベル(元)上院議員とともに謝罪法案(決議案)を提出していた*5

 上の「宣言」訳と「死の踏み分け道」の150周年行事について書くことが残っているが、また時間の取れる時に続けるかもしれない。

P.S.(04.18, 23:59):上の「宣言」――なんと、1文である!――の訳である。「死の踏み分け道」の150周年行事については省く。

さて、従いまして、私、サム ブラウンバック、カンザス州知事は、ここに確かに宣言し、インディアン トライブがカンザス州と有している特別な法的および政治的な関係と私たちが共有する土地との厳粛な誓約を承認し、先住諸民族がカンザスの土地の執事役を務めてそれを守ってきた何千年もに対して、先住諸民族を称賛し敬意を表し、かつての悪事に対して悔恨の意を表明し、カンザス州民を代表して先住諸民族に与えられた暴力、虐待、欺瞞、そして怠慢の多くの事実に対してすべての先住諸民族に謝罪し、私たちが公平にかつ効果的に違いを解決して私たちのお互いの目標を達成し、私たちがカンザスと呼ぶこの地を調和的に世話をして守ることの助けとなる積極的かつ建設的な関係で、承認されたトライブとともに前進することを決意します。

*1:後述のように、2011年ではないか。

*2:Cf. Kaw people

*3:まだ243回しか視聴されていないが、そのバイソンの映像である:Bison for Kansas 150 Tribal Event

*4:Cf. Sam Brownback

*5:2009年には国防歳出法案の一部としてオバマ大統領によって署名されて立法化された。また、ブラウンバック上院議員が2010年5月に首都のワシントンD.C.でも謝罪したことは、2010年11月24日の「オバマ大統領、謝って下さい」で言及したことがある。