AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

高橋はるみ知事はアイヌ民族への謝罪を検討中ではないのか?

 この投稿は、2016年4月1日(エイプリル フールの日)に「高橋はるみ知事、アイヌ民族への謝罪を検討中」という題で投稿した記事の本文と追記の一部を「トップページの先頭に表示」する機能を使って冒頭画面に再掲しています。

 現在は購読登録者以外には非公開となっている2015年10月30日の北海道新聞の「知事公約『北海道150年』何やる? 財政難、アイヌ民族軽視批判も」という記事によれば、道は2018年に北海道150年記念事業を予定しているそうで、その検討に着手したとある。その記事によれば、2018年が「開拓使が設置され、蝦夷地(えぞち)から北海道に改称された1869年(明治2年)から150年目に当たる」からということである。私はこれがまた現代の「アイヌ勘定」かと思ったのだが、「150周年」としていないところがミソなのであろう。2019年には知事として在職していないかもしれないのだな。この道新記事は、ここで読むことができる。

 ところで、高橋はるみ知事が、その「北海道150年」を機にアイヌ民族への謝罪を検討中であることがわかった。声明文の草稿を入手したので紹介しておきたい。

 1869年に明治政府は、この北海道の地に開拓使を設置し、8月には蝦夷地を北海道と改称しました。開拓使の使命は、この北海道の地で殖民政策を遂行することでした。私たちは今日、現在北海道として知られている地の150年を記念するために集いました。


 21世紀の行く手に横たわっている課題について、私たちが熟考し、準備しつつある時に、そうすることは適切なことです。しかし、前を見る前に、この道庁は、まず後ろを振り返り、それが行ってきたことについて反省しなければなりません。そうすることで、これがお祝い事どころではないということを理解するようにならなければなりません。むしろそれは、反省と熟考の時、悲しみに満ちた真実が語られる時、悔恨の時です。


 この道庁の業務がさまざまな時代に、それが奉仕することが意図されていたアイヌ民族の社会に深い害を及ぼしてきたという事実を、私たち自身が最初に理解しなければなりません。まさに最初から、北海道の行政は、日本の国家がその野望を、その進路に存在していたアイヌ民族の社会と人々に押し付けた道具でした。そういうことで、この機関の最初の使命は、開拓のためにアイヌ民族の居住地からの退去を執行することでした。脅し、騙し、そして強制力によって、偉大なアイヌ民族の人々と集落は移住させられました。


 国家がより多くの土地を求めて北と東へ、そして国境へと目を向けると、この機関は、アイヌ民族に降りかかったエスノサイドに参加しました。それは、単に競合する生活様式の衝突の不可避の帰結として退けることはできないということが認められなければなりません。この行政機関とその中の善良な人々は、その破壊的結果を防止する使命に失敗しました。それゆえに、アイヌ民族の生活とその偉大なる文化が大打撃を被ってきました。アイヌ社会の経済構造の破壊と行政による対策への依存の意図的な創出の後には、この機関は、すべてのアイヌ的なものの消去に取り掛かりました。


 この機関は、アイヌ語を話すことに対して圧迫し、伝統的な宗教活動の執行を禁じ、伝統的な文化活動を非合法化し、そして、アイヌの人々が自分たちが誰であるかを恥じるようにしました。最悪なことに、開拓使仮学校では、託された子どもたちに対して、感情的、心理的、身体的、そして精神的に同化という圧力が加えられました。研究の名の下に行われたアイヌ民族の遺骨の盗掘や人体組織研究にも手を貸してきました。道庁がようやく相互尊重という雰囲気の中でアイヌの人々の利益擁護者として奉仕しているこの時代においてさえ、これらの不正義の遺産が私たちにとりついています。恥辱、恐怖、そして怒りの心的外傷は、一つの世代から次の世代へと受け継がれ、アイヌ社会を苦しめるアルコール依存や希望の喪失に現れています。今日のアイヌ社会において経験されている弊害の非常に多くは、北海道の行政機関の失敗の結果です。貧困、低学力、低所得、そして高い医療ニーズは、この機関の任務の産物として存在してきました。


 そういうわけで今日、私は、何十年も後に、何世代も後に、アイヌの人々の生活を苦しめ、命を縮めるほどに酷い行為を過去に犯してきた行政機関の長として、皆さんの前に立っています。これらの事は、それを防ごうとした善良な心を持つ多くの善良な職員の努力にもかかわらず起こりました。癒しの開始が可能となるためには、これらの不正義が認められなければなりません。


 私は今日、日本政府に代わってお話をしているのではありません。それは国の選出された政治指導者たちの領域であり、私は、国の政治家たちに代わって話をしているというつもりはありません。しかしながら、私は、この自治体の機関を代表して話をする権限を与えられており、この後に続く言葉は、その全職員の心を反映するものと強く確信しています。


 この機関が過去に行ったことに対して私たちの深い悲しみを表明することから始めましょう。私たちは、これらの誤った行いとその悲劇的な帰結について考える時、私たちの心は張り裂け、そして私たちの深い悲しみは、あなた方のそれと同じように純粋で完全なものです。私たちは、この歴史を変えることができればと必死に願います。しかし、もちろん、私たちにそれはできません。北海道庁を代表して、私は、この行政機関の歴史上の行為に対して、この正式な謝罪をアイヌ民族の人々に行います。


 そして、今日の道庁職員がこれらの不正義を行ったのではない一方で、私たちは、私たちが仕える機関が行ったことを認めます。私たちは、人種主義的で非人道的なこの歴史と継承遺産を受け入れます。そして、それを受け入れることで、私たちは、物事を正すという道義的な責任もまた受け入れます。


 それゆえに、私たちは、この重要な仕事を新たに始め、私たちが奉仕する人々と共同体への新たな誓約、アイヌ民族社会にとっての更新された希望と繁栄という大義への、私たちがあなた方と共有する献身から生じる誓約を行います。決して二度と、嫌悪と暴力がアイヌに対して犯される時に、この機関は、沈黙を貫くことはしません。決して二度と、私たちは、アイヌ民族の能力がその他の民族の能力よりも劣っているという前提から政策が進められることを許しません。決して二度と、私たちは、アイヌの財産の盗みに共謀しません。決して二度と、私たちは、アイヌ民族の目的以外の目的に奉仕する偽りの指導者を任命しません。決して二度と、私たちは、悪印象を与えるアイヌ民族ステレオタイプのイメージが、政治の場を醜くしたり、日本国民をアイヌ民族についての浅くかつ無知な信念へと導くことを許しません。決して二度と、私たちは、あなた方の信仰、あなた方の言語、あなた方の儀式、そしてあなた方の様式の何ものをも攻撃しません。決して二度と、私たちは、あなた方の子どもたちに自分が誰であるかを恥じるようにと教えることもしません。決して二度と。


 私たちはまだ、あなた方の許しを請うことは出来ません。それは、この機関の歴史の重荷がアイヌ社会に非常に重く圧し掛かっている間は不可能です。私たちが実際にお願いすることは、共に、癒しが始まることを可能にすることです。すなわち、あなた方が郷里に戻った時、そしてあなた方が同胞と語る時に、どうかその人々に、死の時代は終わったと伝えて下さい。あなた方の子供たちに、恥辱と恐怖の時代は過ぎ去ったと言って下さい。あなた方の青年たちに、自分たちの怒りを自分たちの同胞への希望と愛で置き換えるように言って下さい。共に、私たちは、幾世代もの涙を拭わねばなりません。共に、私たちは、私たちの壊れた心が修復するのを可能にしなければなりません。共に、私たちは、自信と信頼をもって課題多き世界に向き合うでしょう。共に、私たちの未来の指導者たちが集ってこの機関の歴史を語る時、それはアイヌ民族にとっての喜び、自由、そして進歩の再生を祝う時であると決意しましょう。北海道庁が、将来に向けて、アイヌ民族の繁栄の道具として在ることを願います。

 世界の先住民族の動向に詳しいと自負している人なら、この声明の土台が何であるかはご存知でしょう。謝罪は、実際に2018年の知事の計画に含めるように働きかけるべきであり、また、さらに良い内容で実現することを願うものである。

P.S.:謝罪こそ、「未来志向」の第1歩だ。

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Hamanaka II(1)

 昨年8月14日の北海道新聞「礼文で5世紀のオホーツク文化人骨発見 DNAで起源解明へ」という記事が出た。現在は見出しだけしか無料公開されていない。こういう時に当てにする先住民族関連ニュースで「浜中2遺跡」で検索してみたのだが、この記事は保存されていないみたいである。私の保存ファイルから貼り付ける。(太字による強調は追加。)

 【礼文】北大を中心とした調査チームが、宗谷管内礼文町船泊地区の「浜中2遺跡」でオホーツク文化期(5~12世紀)の前期に当たる5世紀ごろの地層から人骨の頭頂部を発掘した。前期の人骨は国内外含め2例目だが、本格的にDNA解析を行うのは今回が初めてオホーツク海沿岸で独自に広がったオホーツク文化期の中でも前期の出土品は極めて少なく、オホーツク文化を担った人たちの起源や初期の足跡をたどる上で貴重な資料として注目される。

 発掘作業は今月7~19日の予定で実施。人骨は8日に遺跡西側で見つかった。保存状態は良く、顔を南側に向けて埋葬されているとみられる。全身の骨格が埋まっている可能性があり、慎重に掘り進めている。
残り:835文字/全文:1139文字

 地層は5世紀ごろのものとのことであるが、「人骨」は同時期のものなのであろうか。というと、今から1,500-1,600年前のものということか。3学協会のラウンドテーブルでは議論の対象にならない時期の「人骨」扱いなのだろうが、Anzick-1と比べると、とても新しい。1桁違う。誰がDNA解析を行っているのだろう。あの人やあの人なのだろうかーー北海道新聞が名前を出すのを控える分子人類学者たち。結果が出たら、この「人骨」はどう扱われるのだろう。「共生の象徴空間」の「慰霊と研究」施設行きだろうか、それともそこの博物館で展示されるのだろうか。元の場所に再埋葬されるのだろうか。
 1年近くの間、誰もそのような疑問は抱かなかったみたいである——いや、抱いた人もいるかもしれないが、今の日本の「常識」では言い出せなかったのかもしれないし、どこかで語られているのに私が気づいていないだけかもしれない。

<続く>
 

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"Anzick Child"/"Anzick-1"——発見、人類学研究、そして再埋葬

 本稿は、北米先住民族への遺骨返還の動向をしっかりと把握している人類学者や考古学者にとっては何も新しい情報は含んでいないので、ここでお帰り戴いて結構。それ以外の読者は、興味があれば読んで下さい。

 「ケネウィック マン」として知られる約9,000年前の「古人骨」については過去5本の記事で言及しているようで、またここ以外でも情報は出ているので、読者は既にご存知であろう。だが、標題の"Anzick Child"または"Anzick-1"と呼ばれる「古人骨」についてはどうだろう? 私は人類学や考古学の学協会員でもなく、日本の学術誌を読んでいるわけでもないので、日本語で何と表記されているのかさえ知らない。"Anzick"を「アンズィック」、「アンジック」、「アンツィック」などで検索してみたが、検索の上位には挙がって来ないし、標題の言葉を入力しても、日本語文献は挙がって来なかった。そういうわけで、ここでは暫定的に米語読みの通りに「アンズィック チャイルド/アンズィック ワン」としておくが、一番入力しやすい"Anzick-1"を使用することにする*1
 Anzick-1については、専門の論文や研究書では言及されているのだろうと思う。しかし、Anzick-1に関しては、後述するように、「古人骨」としての学術的意義だけでなく、それが再埋葬されたことにも倫理的課題に関する重要な意義が存在している。科学者たちが先住アメリカ人と協働してAnzick-1の再埋葬を行ったのが2014年6月28日であり、北海道ではこの時既にアイヌ遺骨返還訴訟の第一弾が始まっていた。また、安達氏や篠田氏らによる札幌医科大学アイヌ遺骨のDNA分析も、確かこの時期には既に進行中だったのではなかったか。日本の考古学者や人類学者がAnzick-1について「学術的」論文を著して、どこかに発表しているとすれば、この貴重な「学術的資料」の埋葬について評価して論じないわけにはいかないだろう。果たして、「サイレント」な考古学者や人類学者の中に、それを行なうことから「遁走」することを避けた勇気ある研究者がいたのかどうか・・・。

 過去の投稿を検索してみると、「A Double-edged Sword(諸刃の剣)」に最後に言及したのが「アイヌ遺骨の所有権」の記事の中であり、その少し前に労力を使うのがバカバカしくなってそのシリーズを止めたのだった。ここで、「このシリーズで取り上げていたシンポジウムについては、北大の流し台の下のタンクの先生方は良くご存知のはずなので、タンクのサイトにその記録集の翻訳でも載せるという『社会的還元』を行ってもらうと良いだろう」と皮肉っておいたのだが、その後どうなっただろうか。同タンクのサイトの中は、その後未確認のままである。
 「A Double-edged Sword:遺伝人類学と先住民族の権利」は(3)が最後の投稿となっているが、シリーズを続けていれば、Anzick-1の返還・再埋葬を取り上げる予定だった。約2年ぶりにこれを(4)として投稿しようと思ったのだが、少し趣旨を変更して、Anzick-1の発見から再埋葬までの話を書き留めて、「財団」での篠田氏の「基調講演」を機に、彼や彼を取り巻く人々、組織、等々と対比して考えるための材料として提出しておこうと思う。「財団」やその他の機関が設けた場で篠田氏たちがいくら頑張って自分の研究の成果を披露したところで、遺骨のDNA研究に反対しているアイヌとの「歩み寄り」は実現しないだろうということがよく分かるのではないかと思う。篠田氏らの世代のアイヌ人骨研究者は、もう引っ込んだ方が良い。

 1968年5月に、一人の幼児のものとみられる人骨が、125件の文化遺品とともに、アメリカのモンタナ州西部の私有牧場の排水地の建設作業中に見つかった。この男児は生後1歳半(18カ月)で死亡し、約12,600年前に埋葬されたものとわかり、その後、牧場の所有者家族の名に因んで"Anzick Child"または"Anzick-1"と呼ばれることになった。Anzick-1が発見された地は、クローヴィス文化人のものとして知られている唯一の埋葬地であった*2
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Source: here.
 Anzick-1は発見されて以来、専門的考古学者と趣味の考古学者双方の関心の的となった。多くの考古学者が、発掘現場と収集された埋蔵文化遺品の研究に関わってきた。文化遺品は、発見した作業員2人の家族とアンズィック家の間で分けられ、この3家族がそれらを所有している。Anzick-1の骨は、モンタナ大学の考古学者、ディー C. テイラーが1991年に死去するまで大学で保管し、彼の死後、息子で北アリゾナ大学人類学科所属のマーク G. テイラーに移譲された。彼は1999年に遺骨をアンズィック家に返還した。
 1999年にラリー ラーレンをはじめとする3人の考古学者が発掘現場を再調査し、2人の作業員の証言を基に報告を行った。2001年にダグラス アウズリー*3とデイヴィッド ハントが、ラーレンからの話を基に、2人目の6歳~8歳と推定された子ども("Anzick-2")の遺骨(断片)を発見した。

 文化遺品の方は、モンタナ州の「人間の遺骨および埋葬地保護法(Human Skeletal Remains and Burial Site Protection Act)」の適用から除外されていて、モンタナ州歴史協会(Montana Historical Society)で保管され、研究の対象とされている*4。遺骨に関しては、Anzick-1のDNA解析が行われ、その結果に基づいて先住アメリカ人トライブとの協議が行われ、2014年にAnzick-1とAnzick-2のすべての遺骨が一つの儀式の中で再埋葬された。

 既述のように、Anzick-1の発見場所はアンズィック家の所有地の中にある。獣医のメルヴィン アンズィック博士とその妻のヘレンには5人の子どもがいて、1968年の発見時に2歳だったサラ アンズィックは、その考古学上の遺跡とともに成長し、分子生物学者となっていた。長年、アンズィック家は、2人の幼子の遺骨は再埋葬されるべきだと考えていたが、それは遺骨の科学的分析が行われた後にという考えでもあった。遺骨が有する先住アメリカ人の遺伝と健康に関する重要な情報は、最小限度の相対的に破壊的な科学分析を正当化すると信じていた。サラは2人の幼子の遺骨を先住民族の儀式の中で再埋葬するための運動を最も熱心に推進したそうであるが、科学的な分析の後にという考えは彼女も同じだったようで、Anzick-1の遺伝子解析を行ないたいと考えていた。
 Anzick-1が私有地で発見したことから、その遺伝子分析を行う前にトライブと協議することは、法的には要求されていなかった。しかし、「ケネウィック マン」の取り扱いが大きな論争を引き起こしたことで、サラは慎重に対処した。1999年にアンズィック家に幼子たちの遺骨が戻された時、彼女は、彼女の目的と遺骨の長期的取り扱いについてモンタナ州に現在居住している諸トライブの代表者たちと話し合い、助言を求めた。Anzick-1の遺骨の遺伝子解析をする際にその一部を破壊することになる技術を用いるかどうかが話し合われた。コンセンサスを得られなかったため、彼女は一時的に計画を断念した。彼女は結局、Anzick-1の遺骨からDNAを抽出してゲノム配列の決定を試みたが、成功しなかった。その後、彼女は、古人骨研究の第一人者である、コペンハーゲン大学デンマーク自然史博物館のエシュケ ウィラースレフ*5が率いる研究チームに加わり、このチームが2009年にAnzick-1からDNAを抽出して分析することに成功した*6。同チームは、Anzick-2の骨からDNAを取得することには成功しなかった。
 DNA分析の結果、Anzick-1の拡大家族はすべての先住アメリカ人の80%の祖先であると示された。その幼子の遺骨が明らかにしたことは、彼が今日の多くの先住アメリカ人の直接の祖先にあたる集団に属していたということだったが、後述するように、北米の先住アメリカ人よりも中南米の先住アメリカ人に近い関係にあるということだった。

 Anzick-1の再埋葬の話に進む前に、まず、人類史という学術的観点から見たAnzick-1の重要性について少し述べておく方が良いだろう。先住アメリカ人がどこから現在の地に来たのかという人類移動の学説については、Anzick-1の研究は、先住アメリカ人がヨーロッパから来たという「ソリュートレ仮説(Solutrean Hypothesis)」を否定して、「ベーリング地峡(経由)説」を支持するものだった*7。この研究結果は、2年前に「A Double-edged Sword(諸刃の剣):遺伝人類学と先住民族の権利(1)」の中に埋め込んだ「第2回 京都大学稲盛財団合同京都賞シンポジウム [生物科学分野]『人類はどのように世界に広まり文化的・生物学的多様性を形成したのか?』エシュケ ウィラースレフ (Eske Willerslev)」という講演ビデオの中でも語られていた。19:46から2つの説についての話があり、続いて22:00から「ケネウィック マン」の話になる。ウィラースレフは、31:24から、先住民族との交流による理解の深化について述べ、先住民族からの協力への謝辞も述べている。だが、この講演の流れでは主題から外れると考えたのか、Anzick-1の再埋葬については触れられなかったようである。
 いずれにしても、Anzick-1はこのように、学術的には「貴重な資料」であり、ゲノム解析が行われた時点で、Anzick-1のゲノムは配列が解析・決定された先住アメリカ人のゲノムとしては「最古で、最初で、唯一のゲノム」であった。

☆Anzick-1の再埋葬
 Anzick-1の骨が発見された牧場が私有地であったため、その遺骨はNAGPRAの対象外であった。科学者のチームは、幼子が先住民族に「文化的に帰属」してもいないと考えて、DNA解析の前にどこのトライブとも協議しなかったそうである。しかし、遺伝子解析の結果に、サラ アンズィックは「心臓が止まった」と述懐している。その子が遺伝的に現代の先住アメリカ人と縁戚関係にあると確信するに十分なデータを得るや、アンズィック家は、クロウ民族のエプサロケイ(Apsaalooke)の登録成員であり、モンタナ州立大学で先住アメリカ人研究に携わっているシェイン ドイル(Shane Doyle)に協力を得て、2人の幼子の遺骨を最初に発見された場所に再埋葬するために関係トライブの人々に集まってもらった。こうして、サラの家族や科学者のチームは、研究が完了した際に幼子の遺骨に関して何がなされるべきかについて、モンタナ州の9つのトライブと協議を行った。ウィラースレフは、研究に関する決定にトライブの人々に関わってもらうために、2013年にモンタナ州のインディアン保留地を訪問して回った。ドイルとも会い、ドイルは論文の共著者となった。
 Anzick-1に対して行われた研究については、意見が入り混じっていた。しかし、多くのトライブの人々は、破壊的技術による研究が行われた後ではなく、その前に相談されることを望んだ。そして、モンタナ州のトライブの代表たちからの圧倒的な反応は、自分たちの伝統的な儀式に則ってAnzick-1の遺骨が再埋葬されることの重要性を強調するものであった。その結果、2014年6月28日に再埋葬の予定が組まれた。

 モンタナ州には1991年に立法され、2001年に「モンタナ州返還法(Montana Repatriation Act)」とともに修正された「人間の遺骨および埋葬地保護法(Human Skeletal Remains and Burial Site Protection Act)」がある。同法は州の公有地および私有地のすべての特定されていない人骨に適用されるが、訴求効力がなく、1960年代に発見されたAnzickの2児の遺骨は同法の対象とはならなかった。トライブと非トライブの代表者から成る「モンタナ州埋葬保存委員会 (Montana Burial Preservation Board)」は、再埋葬の儀式について知るまでアンズィック チルドレンの遺骨のことを知らなかった。同委員会は、発掘場所、遺骨、そして提案されている再埋葬に関する情報を求め、サラ アンズィックとシェイン ドイルは、2014年の5月と6月に委員会に出席し、同委員会の委員たちに再埋葬の儀式に参列するように要請した。委員たちは、その時までの46年間に幼子たちから得られた科学的知見と再埋葬の計画に圧倒された。2人の報告に対しては複雑な反応が入り混じっていたが、同委員会はモンタナ州法はAnzickの遺骨には当てはまらないと結論し、その過半数が、幼子たちが安らかに眠れるように再埋葬が行われることを許可することに賛成した。
 こうして、古代の2人の幼子たちは、2014年6月28日の霧雨が降る朝、アンズィック家によって用意された小さな木製の棺に収められた遺骨とそれから採られた実験用試料のすべてが、約50人の先住民と非先住民の参列者が見守る先住民族の儀式の中で再び土に還された。 埋葬の儀式の参列者には、の少なくとも7つのトライブの人々と、モンタナ州歴史協会の所長、モンタナ州埋葬保存委員会の数名の先住民・非先住民の委員、ジオジェネティックス(GeoGenetics)センターの代表(ウィラースレフ)、先住アメリカ人研究センターの代表が含まれていた。埋葬式の前には、アンズィック家の弁護士が「招待客のみ」の儀式に関する同意書を作成し、参列するすべてのメディアの代表者たちがそれに署名していた。*8

 Anzick-1の再埋葬に至るウィラースレフのインタビューは必見であろう*9

 前半でAnzick-1の学術的重要性について語った後、特に今日の日本の人骨学者との対比において、02:10辺りからの後半の彼の発言に注目して欲しい。要約すると、歴史的に先住アメリカ人と研究者とは緊張関係にあり、自分も非常にナーヴァスであったが、モンタナ州のトライブの先住アメリカ人はとても丁重に迎えてくれて、この研究に多くの関心を示した。しかし全員が、今やこの幼児が土に還る時だと言った。アメリカ大陸の歴史において恐らく最も重要な人骨であるとも言えるAnzick-1を再埋葬するという事に対して、彼は科学者として心を痛めた。しかし、彼は、もし科学者と先住アメリカ人が同じ道を歩むことを願うのであれば、両方の側に妥協が必要だと理解した。従って、先住アメリカ人がこの問題について強く感じていることを尊重しなければならないのだというのが、再埋葬に至った背景であったと語っている。

 このように、科学者の研究の権利と地元トライブの再埋葬の権利とが法廷で争われたケネウィック マンの場合とは異なり、この事例では遺伝子解析の結果が、科学者に先住諸民族との協議を実行させ、かつ再埋葬に合意させる上で重要な役割を果たした*10。しかし、北米先住諸民族の多くは祖先の遺骨をこのような方法で研究されることを望んでいないため、下の講演ビデオでデボラ ボルニック(Deborah Bolnick)が述べているように、DNAによる鑑定が返還の必須要件とみなされることには大きな問題がある。NAGPRAの文化的帰属に関する規定があることで少なくとも米国ではそうなりそうにはないが、日本の人骨学者たちは、過去の発言から判断する限り、それ(DNA鑑定を必須要件とすること)を狙っているのではないかとさえ考えられる。
 どこまでDNAに返還に際しての決定権を与えるのか、それを考える上でもAnzick-1の事例は、非常に興味深い教訓を与えてくれる。以下、ボルニックの講演の関連部分に基づきながら記す*11
 この幼子(Anzick-1)は1歳半で死亡しているため、彼に直系の子孫はいない。したがって、彼のDNAは現代の諸民族との関係を語ることはできても、直接の祖先-子孫関係を確立するために利用することはできない。さらに、古代の一人の人間の文化的帰属も文化的アイデンティティーも、DNAは語ってはくれない。一人の個人の遺伝子構成とその文化的アイデンティティーとの間に単純かつ明瞭なつながりがないことは、人類の遺伝的多様性に関する多くの研究が示している――ここの映像での安達の発言と比較せよ。
 こうした状況で、怪しい仮定に基づいて、遺伝的類似性を共有された文化の代用として扱うという誘惑にかられるかもしれない。そうしてAnzick-1の文化的帰属を今日の先住民個々人との遺伝的関係から推定するということがあり得る。しかし、Anzick-1の場合、それは相当に奇妙な結果へとつながることになる。
 講演の映像にも登場しているが、下に転載しているRasmussenn他*12の図は、Anzick-1の今日の南北アメリカ大陸のさまざまな先住諸民族との遺伝的関係を示している。赤い色が濃いほど、その集団がAnzick-1との遺伝的類似性が強いことを示している。黄、緑、青は、両者間の遺伝的類似性が薄い(弱い)ことを示している。すなわち、上でも触れたとおり、Anzick-1は今日の中南米の先住諸民族と最も近い関係にあり、遺伝子的に見れば、試料が得られている現代の北米先住民族集団*13との関係は比較的弱いことが分かる。
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 さて、このことは、研究者にとってもかなり驚きの発見であったし、古代DNAデータを収集した後の協議と返還に関してどのようにアプローチするべきかという問題を提起することになった。すなわち、DNA鑑定の結果に基づいて協議と返還にアプローチするとすれば、中南米先住民族集団と再埋葬に関して協議を行うべきなのか。そして、再埋葬に際しては、これらの一つまたは複数の集団の文化的儀礼と埋葬の慣行に従うべきなのか。さらに、特に、遺伝的データが多くの異なる文化的伝統を持つ多数の集団がこの幼子と深い関係にあると示している時に、誰と協議を行うべきなのか。Anzick-1の場合、科学者たちは、これらの課題をすべて回避して、モンタナ州の地元の先住民族集団と協議した。換言すると、科学者たちは、遺伝的関係にではなく、地理的近接度に協議過程を導かせることにしたのである。この事例もまた、遺骨の返還に当たってDNA鑑定は有益な場合があると同時に、「諸刃の剣」となることを物語っている。ボルニックは、返還請求を検討する際にどのようにDNA鑑定を用いるのか、あるいは、そもそもDNA鑑定を用いるのかどうかについて、慎重に考える必要があると指摘している。
"Deborah Bolnick: Inferring Relatedness, Identity, and Cultural Affiliation from Ancient DNA" posted by Intellectual Property Issues in Cultural Heritage on Jan. 12, 2016.

(Anzick-1に関する話に開始位置を設定しています。ようやくこの方法が分かった! これで数字(分秒)で示さなくて良くなったが、「ここまで」と示す方法があるのかないのか分からない。)

References(本文と文末注に挙げている参考文献以外のもの):
①Ewen Callaway, "Ancient genome stirs ethics debate," Nature (12 February 2014).
WikipediaのAnzick-1に関する記事

補遺(2018.06.24, 1:25):
 ボルニックは結論として、Anzick-1の前に取り上げた事例を含めて検討した結果、古代DNAを用いて文化的関係を推測し、返還や土地請求の裏付け材料とすることには、利点と危険性の双方があり得ると論じている。彼女は、講演の最初に提出した3つの問題に対する考えを次のように述べている。
1)古代DNA研究は、祖先-子孫関係、アイデンティティー、共有文化について、私たちに何を語ってくれ、何を語ってくれないのか。
答)古代DNAは古代の個人と現在の個人の遺伝的つながりを確定することは可能であるが、今日存在する遺伝データでは直接的な祖先・子孫関係を正確に確立することはもっと困難であり得る。
 さらに、DNAがある個人のアイデンティティーや文化的帰属を語ってはくれないということを覚えておく必要がある。人類の遺伝的多様性は、人類社会の社会的および文化的集団とぴったり重なりはしないし、ある人の遺伝子構造とそのアイデンティティーとの間にはっきりとしたつながりは存在しない。遺伝的変異は多数の文化的・言語的集団の中に見出され、遺伝的類似性が常に共有されている文化の良き代用であるとは限らない。

2)上述のようなつながりを確立するために遺伝学に依存すると、そして返還や土地請求の裏付けのためにDNAデータを用いると、先住諸民族にとっての意味合いや帰結はどういうものであるか。
答)一部の場合には、DNAが直系子孫やつながりのある諸民族を特定することに役立ち得るし、土地請求や返還要求を支持することになるかもしれない。しかし、DNAには一部の請求を複雑にし得る予期せぬ結果を生み出す可能性がある。それゆえに、先住民族コミュニティ、研究者、政策助言者たちは、これらの文脈における政策決定過程に古代DNAの情報が利用されるべきかどうかについて慎重に考える必要がある。
 もっと広く言えば、法的、政治的、文化的、そして歴史的検討に基づいてこれまでに決定されてきた問題に答えるのに遺伝学を用いることの潜在的帰結を検討する必要もある。ずっと昔に住んでいた人々の文化的アイデンティティーや帰属を推測するのに遺伝情報を用いれば、それは現代の人々の文化的アイデンティティーやトライブの登録資格を決定するために同じ種類の情報を用いるべきであるということを意味するであろうか。私(ボルニック)は、それは極めて問題があるだろうと考える。理由は、DNAは文化や国籍/民族籍の良き代用ではないからである。

3)このような方法で遺伝学を用いることのトレードオフ、特に短期的利点と長期的欠点はあるか。
答)大いに可能性ありだが、人類の遺伝的多様性のパターンの知識と先住民族の知識を用いて、古代DNA研究からの情報を適当な文脈に当てはめて解釈すれば、潜在的危険性を最小化することができるかもしれない。例えば、もし多数の集団がある古代の個人との遺伝的近縁関係を示していながらも、その場所に住んできた歴史をもっている集団が1つの場合、その1つの集団の主張を優先しても良いかもしれない。

<続きは--書くとすれば--新規投稿にする。>

*1:遺骨は2人分発掘されたので、"Children"と表記している論文・メディア記事もある。番号で表記するのは好まないが、こう表記する方が海外の読者の検索に挙がりやすいだろうという考えもある。

*2:クローヴィス人およびその文化については、検索で日本語の記事が多く挙がってくるので、それらを参照して戴きたい。

*3:「A Double-edged Sword:遺伝人類学と先住民族の権利(2)――ケネウィック マン」に登場した、ケネウィック マン研究していたスミソニアン博物館のダグラス アウズリーで、彼は、ケネウィック マンの科学への貢献の可能性を強調するとともに、地域の具体的なトライブとのつながりを否定してケネウィック マンの返還に反対する訴訟を起こした8人の人類学者の一人である。

*4:テキサスA&M大学の人類学科、先住(First)アメリカ人研究センターのMammoth Trumpet, Vol. 30, No. 2 (April, 2015), pp. 11-14 and 20にRuthann Knudson, "We Are All One: Anzick Children Reburied"(「私たちは皆一つ:アンズィック チルドレン再埋葬される」)という"Anzick Children"再埋葬の特集記事が載っているが、その15ページに、Anzick-1の遺骨と一緒に発見された文化遺品との関連(の有無)に関する仮説がいくつか紹介されている。

*5:DNA鑑定によって「ケネウィック マン」が北米先住民族の祖先であると断定した研究グループの一人として、ここに登場。

*6:Anzick-1の3本の歯からDNAを抽出して分析に成功したとどこかで読んだ記憶があるのだが、出典が不明になってしまった!

*7:ベーリング地峡経由説は、多くの先住民族の神話体系によって支持されているわけではない。

*8:先住民族の権利に関する国連宣言の第12条にある"the right to . . . have access in privacy to their religious and cultural sites"の一節に留意されたい。なお、注4のMammoth Trumpetに再埋葬の様子を写した写真が数枚掲載されている。サラが自分の子どもを儀式に参加させているのが印象的である。ここまでは、主に注4に記載している記事に拠る。

*9:ANZICK-1: A 12,600-YEAR-OLD CHILD LEADS NATIVE AMERICANS BACK TO ASIA AND LEADS US ALL TO NEW ETHICAL GROUNDの中のこのページに埋め込まれてる。

*10:先住アイヌ民族の遺骨と分かっていながら、そしてむしろその故に頑固に返還を阻止しようとしている日本人研究者たちとは大きな違いであり、何がその違いを生んでいるのかを十分に検証する必要がある。アイヌ政策推進会議の第10回「民族共生の象徴となる空間作業部会」(2011年1月27日)で篠田が、アメリカのやり方は大間違いだという主旨のことを言っていたことが思い出される――ウィラースレフはデンマークの研究者であるが。「『大間違い』の遺骨返還の展開――アメリカの事例」の冒頭の引用を参照されたい。「科学のため」という口実で遺骨を手放すまいとしている人骨学者が、こっそりと行った研究の「成果」を支配的社会の機関が設定した場所でいくら講演して回っても、問題の解決には至らないであろう。

*11:彼女の講演は、講演録として文書でも入手可能である。

*12:"The genome of a late Pleistocene human from a Clovis burial site in western Montana"

*13:この研究で集められた試料に基いている。アメリカの現在のトライブからの遺伝子配列は保有されていないそうである。

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「北海道アイヌ生活実態調査」に一言

 2017年度「北海道アイヌ生活実態調査」が随所で話題になっているようだ。北海道が調査主体で、環境生活部が担当しているようだ。

調査の方法
 この調査の実施主体は北海道であるが、市町村調査及び地区調査は市町村が行い、世帯調査、アンケート調査は対象市町村から推薦された調査員が行ったものである。(1ページ)

 過去の調査の延長線上で同じやり方で行われているように見えるが、調査の目的から対象、方法の決定段階から実施に至るまでの過程に当事者アイヌの参画はあったのだろうか? こういう調査においてさえ、北海道は、いつになったら先住民族の権利に関する国連宣言の趣旨を取り入れるのだろうか。

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Make 'em available!

 このブログでは、ILO 107/169号条約の改定について幾度となく言及している。今から30年前の6月には、ILO 107号条約の「部分的改定」を行うための"double-discussion procedure"という2年がかりの作業が開始された。早いものだ。
 この改定過程に先立ち、ILO事務局は1986年に、改定に関する報告書を加盟各国政府に送付した。報告書の最後には80項目の質問事項が収められており、各国政府は翌年(87年)9月末までに回答を求められていた。
 北海道ウタリ協会は、この80項目に及ぶ質問事項に対する回答書を作成し、1988年6月初旬に始まった第1回改定委員会で各国政府代表団、労働者団体代表、先住諸民族代表などの参加者に資料として配布するために、野村義一氏らの代表団に託した。1部は20ページ前後の――もっとあったかもしれない――分厚いもので、100部用意されていたかと記憶している*1
 会議の初日に、同行していた通訳が、条約改定作業を担当していた国際労働基準局のリー スウェプストン(Lee Swepston)氏に、それらの資料を"distribute"して良いかと尋ねた。彼は、"No, you can't distribute them."(配布してはいけない)と答えた。通訳が次の言葉を発しようとしていた瞬間、スウェプストン氏は、"But you can make 'em available."と続けて、入口のテーブルに視線を移した。
 一行は、会議の参加者が自由に手に取れるようにテーブルの上に資料を積み上げて置いた。初日の会議が終わった時には、100部すべてがなくなっていた。

 政府の政策推進作業部会に出席している誰か一人でも良いから、第31回作業部会の「議事概要」を入口のテーブルではなく、web上に載せて、関心を持つ人々に"make available"しようと考える人はいないのだろうか。

 予定していた次の稿の投稿が、さらに延びた。

*1:後で資料を探し出す機会があって、誤っていれば訂正することにする。

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早くも仮面を脱いだアイヌ民族文化財団

 「民族共生象徴空間の運営主体として、[昨年]6月27日に内閣府から指定」を受けた公益財団法人のアイヌ民族文化財団が、こともあろうに今週末の6月16日のアイヌ文化フェスティバルで篠田謙一に「DNAが明らかにする日本列島集団の成立史」と題して講演させるようだ。これは、財団指定後の初講演会なのだろうか? 財団も物好きと言うか、「サイレント マジョリティー」のP.S. #2で言及した「集い」には同財団の職員が、旅費・宿泊費付きの出張扱いだったのかどうかは定かではないが、妨害のために派遣されていたというし、早くも仮面の下の面を現したという感じだ。
 この講演会は、これまで北海道アイヌ協会が担って/担わされてきた役割を財団が引き受けたという感じかな。3月下旬の「集い」の経緯を合わせて考えると、この篠田講演会はアイヌ総合政策室が押し付けたということも考えられるし、札幌医大の遺骨研究で形勢不利になってきた篠田が自分から申し出たのかもしれない。両者の(あるいは財団を含む三者の)「利益の一致」(☜常本氏お気に入りの言葉!)かもしれない。どれが真相であるにせよ、「民族強制空間」の「異例と研究」施設でアイヌ遺骨の分子人類学的(DNA解析)遺伝研究をやらせろという狙いが見え見えではないか。
 財団のウェブ ページには、「ご来場の皆様に先着でアイヌ伝統楽器『ムックリ』をプレゼントします」と書いてある。むしろ、「ご来場の皆さま全員に頬の内側の粘膜を採って戴いて、ルーツを知るためのDNA解析をして差し上げます」の方が良くはないか?
 巷では、アイヌに対してDNA型解析を受けてアイデンティティーを証明しろと喚いている連中がいるようだ。いま篠田がすべきことは、文化フェスティバルに介入しにのこのこと出向くことではなく、そういう連中の勘違いを是正して回ることではないのか。

P.S.(rev.)(2018.06.14, 13:50):講演をはずして参加するも良しだが、講演を聴きに行く人は、「(約1/3が別時代のものかもしれない)『エド アイヌ人』遺骨の歯からのmtDNA抽出・実験に基づく安達登・他による論文」「国立科学博物館と山梨大学に対する質問状」、そして「アイヌ遺骨を用いたDNA研究等の実施について」の木村氏の質問書などを読んで予習して行くと良いだろう。

 「日本列島集団成立史」が先住民族としてのアイヌ民族の権利確立に反するより広範なキャンペーンの一環として存在していることは、なかなか理解されないみたいだ。

P.S. #2(2018.06.14, 14:39):次は、Adachi et al.論文に関して、この講演開催によって何らの問題意識も持たず、むしろそれを支援するかのような意思表明をした財団にも「質問状」とか「抗議文」が向けられることになるのかもしれないな。

P.S. #3(2018.06.15, 0:12):北海道新聞の「癌」
 <この投稿の焦点を保つために、このP.S.と下の埋め込み映像は削除した。ここで「一番の癌」を検索すれば出て来る。>

P.S. #4(2018.06.15, 1:07):副読本「修整」問題、落合講演問題、そして篠田「基調講演」。次は何? 「日本型」何とか。表舞台に映らずに、裏で号令をかけているのは誰?Amazing Japanese Precision (posted by Sanitaryum | Clean Humor).

P.S. #5(2018.06.15, 1:18):次の引用は、むしろアイヌの血液の二次利用を論じる際に使いたかったものである。生命科学の成果を社会に還元することについて述べているもので、分子人類学者の人類移動研究に直接言及しているものではないことを断った上で、しかしなお、篠田氏らの行動にも当てはまるだろうと考える。

この作業を自然科学者が行うのは勧められない。職業的自然科学者は、どうしても自分が行っていることが最重要だと思い込み、古典的な科学啓蒙の体質を引きずりがちで、自身が属する研究領域をすばらしいものと描きやすいからである。そもそも彼らは、国から研究費がこなければ一切の研究が進まない利害当事者であり、この意味においても、その発言の中立性が疑われて当然である。
 そしてもし、ナチス体験を、人間の遺伝決定論とその政治的悪用であったと総括するなら、逆に、ゲノムがわれわれにとって何を意味するか、その解釈権を誰がもつかは決定的に重要なはずである。


米本昌平『バイオポリティクス』(中央公論新社、2006年)、248ページ。

 次の一節も今のアイヌ政策「推進」における学者たちにぴったり当てはまるであろう。

 普通の先進国であれば、アカデミズムが官僚機構を監視し、代案を提出したりするものである。しかし日本のアカデミズムは、本能的に政治から遁走してしまう。政治は汚く危険なものであり、これに近づかないことこそが学問の中立性を維持することであると公言し、自らもそう欺いてきた。大学の法学部や社会科学系の教授や研究者は、具体的課題に関与すれば世俗の煩わしさに巻き込まれると予防線をはり、原理論ほど高級で応用は二流、ジャーナリスティックな対象に関わるのは下品で二流の研究者が行う売名行為、と蔑んできた。「構造化されたパターナリズム」という日本の権力観を裏から支えてきた、精神的にひ弱なアカデミズムなのである。(同書、260ページ)

 例として日本の生命倫理学者/学界の惰性的不活動を挙げた後、こう続ける。

 ところが国に向かっては、生命倫理は重要だからと研究費を要請してきた。政策官僚の方も、思いついたように、マスコミ受けする研究予算をつけて業績稼ぎをし、研究者の側は研究費を投げ与えられて、高級そうなシンポジウムを開き、同業者の間でのアリバイ的な業績稼ぎに、当然のことのように国費を消費してきた。困難な状況にある患者・家族を支えようとする研究プログラムなど提案されないまま、講壇生命倫理学だけが流行する、橋や道路といった公共事業と同じような、政策官僚と研究者との癒着の構図である。(同書、261ページ)

 この本の著者、米本氏は、「公的な研究費すら給付されない裏返しとして、どこに遠慮する必要も、媚を売る必要もなく、問題の真の重要性と研究者としての良心に従って、研究成果を自由に発表してよい、現在の[在野の研究者としての]立場」(265ページ)にあることを「あとがき」に記していて、「おー、私と同じだ!」と反応してページをめくると、大きな違いを思い知ることになるのであった。彼には、ただ「良い研究をしてください」という条件だけで自由に研究させてくれる三菱化学という大企業のスポンサーがついていた。(私? 研究費は0、スポンサーは、右下のAmazonのリンクから商品を買ってくれる人だけである。)

 ついでのついでで、もう少し書いておこう。この本で私が最も興味深く読んだ箇所は、このブログでも取り上げたことがある(例えば、ここユネスコの国際宣言の「研究の自由と人間の尊厳」を取り上げている箇所である(特に、81ページの「ヒトゲノムと人権宣言」以降)。88ページ以降で、「ヒトゲノム宣言」に相当する(「事実上そのコピーに近い」)文部科学省の文書への言及がある。そして、この文書が含む問題の例として、次のように述べている。

 たとえば、人間の尊厳と研究の自由という、二つの普遍的価値のどちらを上位に置くかについて明言がない。世界的には迷うことなく人間の尊厳を上位に置く傾向にあり、ヒトゲノム宣言第一〇条は「ヒトゲノムに関するいかなる研究もしくはその応用も、人権、基本的自由、人間の尊厳を優越するものではない」とし、また欧州評議会(略)が成案した「人権と生物医学条約」はその第二条で、「人間の利益および福祉は、社会または科学のみの利益に優越する」としている。(略)今後日本が諸外国との間で研究協力をする場合、さまざまな民族が保有する遺伝的多様性や文化的多様性に対して、国の壁を越えてどのような研究倫理の原則で折り合いをつけるのか、明らかにしていない。(略)
 一国が、ヒトゲノムについての特別文書をまとめたのは、おそらく日本だけなのだが、たいして必然性のない、官僚の業績作りの一つであったとみなされても仕方あるまい。記者クラブを介して散布される情報だけに依拠して、提灯記事しか書かなかったマスコミもこの点、同罪である。(89-90ページ)

 さて、久しぶりに長々と引用したが、その理由は、木村二三夫氏が政府に提出したこの文書にも関係している。同文書は、アイヌ遺骨とその子孫の尊厳と研究の自由との関係に関する政府見解を問うてもいる。「人間の尊厳と研究の自由という、二つの普遍的価値のどちらを上位に置くかについて明言がない」、つまり明確な方針を持っていない政府の内閣官房がどう回答してくるのか非常に興味深いのである。答えようがないから、また何とか胡麻化してくるのか。それとも、真摯に答えようとして、小山参事官が会談で言及していたような省庁間の調整をしているのか。結果が見ものである。

P.S. #6(2018.06.15, 13:58):篠田講演は、「基調講演」と銘打たれている。基調講演とは何か?「講演会や政党の大会などで、会の目的や基本的な方針を明らかにするために発表される話」のことである。(出典=ここ。)
 その後に続く「アイヌ文化公演」と基調(=「 思想・行動・学説・作品などの根底にある基本的な考え・傾向」)を共有するものなのか、それとも文化公演は付録という位置づけか。

P.S. #7(2018.06.16, 14:21):篠田講演が終わる頃か。こちらは今、洗濯を終えて干したところだ!
 文化フェスティバルに人骨学者の生態を観察するために参加された方々は、どのように感じただろうか。昨夜、本物の「古人骨」(と呼んでも良いだろうと思う)1万年以上前の人骨の研究を例に篠田氏らのアプローチの「逆立ち」(勘違い)を論じる投稿を用意しながら、途中でバカバカしくなってきて中断した。
 今日は、対雁の慰霊祭なのだそうだ。

P.S. #8(2018.06.17):誰か、アイヌ遺骨返還訴訟の裁判傍聴記をブログに書いている人はいないかな。これまでの裁判のどれもだけど、被告側(北大、札医大、北海道)が何と主張しているのかが、具体的に見えない。

P.S. #9(2018.06.18, 1:00):DNAで「アイデンティティーを調べる」とか、「アイデンティティーを確固たるものにする」とか言っていると、そのうちこういう事態を招きかねないと、私は危惧している。
newsinteractives.cbc.ca

 この投稿を思い出した。
don-xuixote.hatenablog.com

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図書館で発見されたモゥホーク人の頭蓋骨

 過日、こういうニュースが出ていた。
headlines.yahoo.co.jp
 その日付けと偶然同じ日に、「ニンジンとしての地域・産業振興」を書き、そのP.S. #3にモゥホーク人の先祖の遺骨が小さな図書館の陳列ケースで見つかったことを書いていた。鶴丸高校の発見者の反応も、こんな感じだったのだろうか・・・と、下に画像をコピーしたのだが、有料のようなので取り下げて、新聞記事へのリンクを貼る。(小さいけれど、そこに写真が出ている。記事へ移動すれば、大きな写真と記事そのものが読める。)
www.philly.com

 一つ前の投稿で予定が狂ったので、この記事は別の日に取り上げることにする。(その頃には、もう読まれていて必要ないかな。)

P.S.(2018.06.12, 15:28):某分子人類学者たちは、焼骨される前に「貴重な資料」のDNA分析をさせてもらいに鶴丸高校を訪ねなかったのか!?
 最近、特にここ半年くらいか、アイヌ民族を取り巻く動向の情報が出なくなった感じだ。

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出版された頭蓋骨:大西洋両岸の世界の科学的人種主義

 ケンブリッジ大学科学史・哲学学科の博士課程学生が、19世紀のアメリカとヨーロッパの間で人種主義的思想と画像がどのようにして流布されたのかを、科学的人種主義の歴史において最も重要な機能を果たしたと言われるサミュエル ジョーモートンCrania Americanaの分析を通して考察している。

A PhD student’s research at Cambridge’s Department of History and Philosophy of Science has revealed how racist ideas and images circulated between the United States and Europe in the 19th century.

A mummified corpse. An embalmed head. A neat bullet hole in the side of a skull. These are just some of the 78 disturbing illustrations which make up Samuel George Morton’s Crania Americana, undoubtedly the most important work in the history of scientific racism.

Published in Philadelphia in 1839, Morton divided mankind into five races before linking the character of each race to skull configuration. In a claim typical of the developing racial sciences, Morton wrote of Native Americans that “the structure of his mind appears to be different from that of the white man”.

Within a few years Crania Americana had been read in Britain, France, Germany, Russia and India. James Cowles Prichard, the founding father of British anthropology, described it as “exemplary” whilst Charles Darwin considered Morton an “authority” on the subject of race. Later in the nineteenth century, other European scholars produced imitations with titles including Crania Britannica and Crania Germanica.

 続きと動画➡Skulls in print: scientific racism in the transatlantic world.

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高橋はるみ知事はアイヌ民族への謝罪を検討中ではないのか?

 この投稿は、2016年4月1日(エイプリル フールの日)に「高橋はるみ知事、アイヌ民族への謝罪を検討中」という題で投稿した記事の本文と追記の一部を「トップページの先頭に表示」する機能を使って冒頭画面に再掲しています。

 現在は購読登録者以外には非公開となっている2015年10月30日の北海道新聞の「知事公約『北海道150年』何やる? 財政難、アイヌ民族軽視批判も」という記事によれば、道は2018年に北海道150年記念事業を予定しているそうで、その検討に着手したとある。その記事によれば、2018年が「開拓使が設置され、蝦夷地(えぞち)から北海道に改称された1869年(明治2年)から150年目に当たる」からということである。私はこれがまた現代の「アイヌ勘定」かと思ったのだが、「150周年」としていないところがミソなのであろう。2019年には知事として在職していないかもしれないのだな。この道新記事は、ここで読むことができる。

 ところで、高橋はるみ知事が、その「北海道150年」を機にアイヌ民族への謝罪を検討中であることがわかった。声明文の草稿を入手したので紹介しておきたい。

 1869年に明治政府は、この北海道の地に開拓使を設置し、8月には蝦夷地を北海道と改称しました。開拓使の使命は、この北海道の地で殖民政策を遂行することでした。私たちは今日、現在北海道として知られている地の150年を記念するために集いました。


 21世紀の行く手に横たわっている課題について、私たちが熟考し、準備しつつある時に、そうすることは適切なことです。しかし、前を見る前に、この道庁は、まず後ろを振り返り、それが行ってきたことについて反省しなければなりません。そうすることで、これがお祝い事どころではないということを理解するようにならなければなりません。むしろそれは、反省と熟考の時、悲しみに満ちた真実が語られる時、悔恨の時です。


 この道庁の業務がさまざまな時代に、それが奉仕することが意図されていたアイヌ民族の社会に深い害を及ぼしてきたという事実を、私たち自身が最初に理解しなければなりません。まさに最初から、北海道の行政は、日本の国家がその野望を、その進路に存在していたアイヌ民族の社会と人々に押し付けた道具でした。そういうことで、この機関の最初の使命は、開拓のためにアイヌ民族の居住地からの退去を執行することでした。脅し、騙し、そして強制力によって、偉大なアイヌ民族の人々と集落は移住させられました。


 国家がより多くの土地を求めて北と東へ、そして国境へと目を向けると、この機関は、アイヌ民族に降りかかったエスノサイドに参加しました。それは、単に競合する生活様式の衝突の不可避の帰結として退けることはできないということが認められなければなりません。この行政機関とその中の善良な人々は、その破壊的結果を防止する使命に失敗しました。それゆえに、アイヌ民族の生活とその偉大なる文化が大打撃を被ってきました。アイヌ社会の経済構造の破壊と行政による対策への依存の意図的な創出の後には、この機関は、すべてのアイヌ的なものの消去に取り掛かりました。


 この機関は、アイヌ語を話すことに対して圧迫し、伝統的な宗教活動の執行を禁じ、伝統的な文化活動を非合法化し、そして、アイヌの人々が自分たちが誰であるかを恥じるようにしました。最悪なことに、開拓使仮学校では、託された子どもたちに対して、感情的、心理的、身体的、そして精神的に同化という圧力が加えられました。研究の名の下に行われたアイヌ民族の遺骨の盗掘や人体組織研究にも手を貸してきました。道庁がようやく相互尊重という雰囲気の中でアイヌの人々の利益擁護者として奉仕しているこの時代においてさえ、これらの不正義の遺産が私たちにとりついています。恥辱、恐怖、そして怒りの心的外傷は、一つの世代から次の世代へと受け継がれ、アイヌ社会を苦しめるアルコール依存や希望の喪失に現れています。今日のアイヌ社会において経験されている弊害の非常に多くは、北海道の行政機関の失敗の結果です。貧困、低学力、低所得、そして高い医療ニーズは、この機関の任務の産物として存在してきました。


 そういうわけで今日、私は、何十年も後に、何世代も後に、アイヌの人々の生活を苦しめ、命を縮めるほどに酷い行為を過去に犯してきた行政機関の長として、皆さんの前に立っています。これらの事は、それを防ごうとした善良な心を持つ多くの善良な職員の努力にもかかわらず起こりました。癒しの開始が可能となるためには、これらの不正義が認められなければなりません。


 私は今日、日本政府に代わってお話をしているのではありません。それは国の選出された政治指導者たちの領域であり、私は、国の政治家たちに代わって話をしているというつもりはありません。しかしながら、私は、この自治体の機関を代表して話をする権限を与えられており、この後に続く言葉は、その全職員の心を反映するものと強く確信しています。


 この機関が過去に行ったことに対して私たちの深い悲しみを表明することから始めましょう。私たちは、これらの誤った行いとその悲劇的な帰結について考える時、私たちの心は張り裂け、そして私たちの深い悲しみは、あなた方のそれと同じように純粋で完全なものです。私たちは、この歴史を変えることができればと必死に願います。しかし、もちろん、私たちにそれはできません。北海道庁を代表して、私は、この行政機関の歴史上の行為に対して、この正式な謝罪をアイヌ民族の人々に行います。


 そして、今日の道庁職員がこれらの不正義を行ったのではない一方で、私たちは、私たちが仕える機関が行ったことを認めます。私たちは、人種主義的で非人道的なこの歴史と継承遺産を受け入れます。そして、それを受け入れることで、私たちは、物事を正すという道義的な責任もまた受け入れます。


 それゆえに、私たちは、この重要な仕事を新たに始め、私たちが奉仕する人々と共同体への新たな誓約、アイヌ民族社会にとっての更新された希望と繁栄という大義への、私たちがあなた方と共有する献身から生じる誓約を行います。決して二度と、嫌悪と暴力がアイヌに対して犯される時に、この機関は、沈黙を貫くことはしません。決して二度と、私たちは、アイヌ民族の能力がその他の民族の能力よりも劣っているという前提から政策が進められることを許しません。決して二度と、私たちは、アイヌの財産の盗みに共謀しません。決して二度と、私たちは、アイヌ民族の目的以外の目的に奉仕する偽りの指導者を任命しません。決して二度と、私たちは、悪印象を与えるアイヌ民族ステレオタイプのイメージが、政治の場を醜くしたり、日本国民をアイヌ民族についての浅くかつ無知な信念へと導くことを許しません。決して二度と、私たちは、あなた方の信仰、あなた方の言語、あなた方の儀式、そしてあなた方の様式の何ものをも攻撃しません。決して二度と、私たちは、あなた方の子どもたちに自分が誰であるかを恥じるようにと教えることもしません。決して二度と。


 私たちはまだ、あなた方の許しを請うことは出来ません。それは、この機関の歴史の重荷がアイヌ社会に非常に重く圧し掛かっている間は不可能です。私たちが実際にお願いすることは、共に、癒しが始まることを可能にすることです。すなわち、あなた方が郷里に戻った時、そしてあなた方が同胞と語る時に、どうかその人々に、死の時代は終わったと伝えて下さい。あなた方の子供たちに、恥辱と恐怖の時代は過ぎ去ったと言って下さい。あなた方の青年たちに、自分たちの怒りを自分たちの同胞への希望と愛で置き換えるように言って下さい。共に、私たちは、幾世代もの涙を拭わねばなりません。共に、私たちは、私たちの壊れた心が修復するのを可能にしなければなりません。共に、私たちは、自信と信頼をもって課題多き世界に向き合うでしょう。共に、私たちの未来の指導者たちが集ってこの機関の歴史を語る時、それはアイヌ民族にとっての喜び、自由、そして進歩の再生を祝う時であると決意しましょう。北海道庁が、将来に向けて、アイヌ民族の繁栄の道具として在ることを願います。

 世界の先住民族の動向に詳しいと自負している人なら、この声明の土台が何であるかはご存知でしょう。謝罪は、実際に2018年の知事の計画に含めるように働きかけるべきであり、また、さらに良い内容で実現することを願うものである。

P.S.:謝罪こそ、「未来志向」の第1歩だ。

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「トライブの伝承遺産保護法案」

 まだ成立するかどうか分からないから書かずにいたけれど、アメリカ合衆国議会の現在の第115会期(2017-2018年)で上院に標題に訳した略称の法案(S.1400)(Safeguard Tribal Objects of Patrimony Act of 2017)が提出されている。「先住アメリカ人の有形文化遺産の保護を強化するため」に合衆国刑法を修正する法案である。昨年の提出から約1年かかって今年の5月16日に上院のインディアン問題委員会を無修正で出た段階だから何とも言えないというか、難しいかなと思うのだが、先住アメリカ人の遺骨保護について何が課題(の一つ)となっているのかを垣間見ることはできるだろう。法案の要約ページから紹介すると、NAGPRAに違反して取得された先住アメリカ人の遺骨や文化財の売買、利益のための使用、販売や利益のための運搬に対する量刑の上限を5年から10年の2倍にするための修正である。遺骨や文化財の「自主的返還」を促進するために内務省国務省がしなければならないことも明記されている。

 アイヌ民族の遺骨を「民族強制空間」の施設に移した後は、アイヌの遺骨や文化財の返還に関して何の法的対策も行わないのではないかという気配のアイヌ総合政策室。訴訟を起こさないと「自主的返還」を行なえないように、大学などの機関に圧力をかけているのではないかとも思える日本政府。

P.S.:この記事は、1つ前の「サイレント マジョリティ―」のP.S. #2にも関連している。

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「サイレント マジョリティー」

 木村二三夫氏が今月のいつかは分からないが、FMピパウシの放送で「サイレント アイヌ」に言及する/したようである。
 私が「サイレント〇〇」で思い出すのは、リチャード ニクソン大統領がベトナム戦争終結の計画を国民に提示して、国民の「偉大なるサイレント マジョリティー」に支持を求めた1969年11月3日のいわゆる「サイレント マジョリティー」演説である。
Nixon's "Great Silent Majority"

 こちらの録音の方が音質が良い。
 全演説の映像は、こちら

 もう一つ、題名に"The Silent Majority"という言葉が入った1950年代の共和党選挙対策に関する本を持っていたのだが、手元になくて正確な題名も思い出せないため、Amazonの検索では挙がってこなかった。多くの本が挙がって来たが、この本が特に面白そうだ。南部のいわゆるサンベルト地帯が民主党から共和党の支持基盤へと変わったのは上からの「南部戦略」の結果ではなく、草の根レベルの動員による「郊外戦略」によるものだという新解釈を提示している。

 そして、この『サイレント マジョリティーの子どもたち』という本(今年の11月発刊予定のようであるが)も面白そうである。1968年以後、ニクソン政権下で共和党がいかにして若い世代の有権者にアピールして多数派を形成したかを説明する著作の「内容説明」に書かれている"a forward-thinking...appeal"という言葉が注目される。まさしく「未来志向」のアピールである! 現政権が「未来志向」というレトリックでアイヌの若い世代に的を絞ってアピールしていることと重なりはしないかな。

 ところで、マジョリティーの中から煩いノイジー マイノリティーが街頭に出てきているようでもあるが、ちょっと違った所の「サイレント マジョリティー」に言及しておきたい。

 ここから国会と考古学界の中の「サイレント マジョリティー」批判を書きかけたのだが、上のウィキペディア記事の検索中に、欅坂46の「サイレントマジョリティー」という歌があるのを知って、so shocked! 今夜は、ここで中断することにした。
 こちらに歌詞付き動画あり。歌詞の通りに、みんなが別々の振り付けをすると面白いのにな。
 あー、これでまったく予期していない訪問者が来るのかな。

P.S.(2018.06.07):ここに来る「ノイジー マイノリティー」については大体分かっているが、マジョリティ―(大半)はサイレント。どんな人たちなのやら。
 「未来志向」については、また別の機会に書きたいが、政治家や官僚が「過去志向」なんて言うわけがない。とりわけ政治家がそんなことを言えば、今の地位に留まってはいられまい。「未来志向」であることは、政治イデオロギーの本質的一要素である。問題は、政治家や官僚、そして「サイレント マジョリティ―」が「未来」の中味をどう目論んでいるかだろう。時間的な「未来」そのものは、何もしなくてじっとしていても、やって来る。

P.S. #2(2018.06.08, 1:11):
 さる3月29日に「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」が「アイヌ政策を考えるアイヌ民族国会議員の集い」を開催したところ、現在の野党の4党から16人が出席したそうである。現在の衆議院参議院を合わせての議員定数は707人。国会が「モリ・カケ問題」で忙しいとはいえ、全国会議員の約2.3%! 国会議員の圧倒的マジョリティは、アイヌ政策に無関心でサイレントである。
 ある方からこの日の状況を間接的に教わった。16人の参加議員の発言がいくつか記されていたが、「アイヌ民族の声を聞かずにアイヌ政策がつくられていることに驚きました」という声に驚いた。この16人は、熱心であったり、好意的であったり、共感的であったりの議員であろう。誰の発言だったのかを私は知らないし、もしかしたら、選挙時に私が投票する党の議員さんだったのかもしれない。その他の分野ではとても大事な業績を挙げられている議員さんかもしれないし、あるいは議員としての経歴が浅く、国会決議の2008年には一般市民だったのかもしれない。だが何にせよ、行政を監視することが国会(議員)の大きな役割であるのだから、少なくともこの10年間、アイヌ政策がどのようにして作られ、どこへ向かわされているのか、ちゃんとフォローしておいてもらいたいものである。
 そもそもここでも書いたように、国会(議員)は行政府にアイヌ民族が「先住民族」であることを認めよと求めただけで、あとは頬かむり状態である。7年間にもここで、「行政府に放り投げただけの国会議員」と書いていた。同じ頃、アイヌ政策推進会議の委員の一人が「国会議員の中でアイヌ政策に汗をかく人が少ない。いまの政治状況では、省庁の職員はアイヌ政策の議論から逃げ放題だろう」と言っていた。さらにここで私は、「国会(議員)の怠慢」についてこのように書いた。

★国会(議員)の怠慢

 いろいろなところで、2007年には国連の権利宣言が採択され、それを受けて2008年には国会が「アイヌ民族先住民族とすることを求める決議」を採択したというふうに書かれている――数日前に取り上げた全道庁労連のブログ記事でも。ところが、国会に何かの動きを求めるような主張を読んだ記憶があまりない。

 何年か前、有識者懇談会が報告書を出す前だったと思うが、「国会は、『アイヌ民族先住民族であることを承認する決議』として、自ら宣言するべきであった」と書いたことがある。そして、次のように続けた。

 この決議で言う「政府」とは・・・行政府のことである。国会は「認めること」と「総合的な施策の確立」への取り組みを行政府に求めはしたが、では、国会自体は何をした/するのか。行政府が有識者懇談会を経て、何らかの施策を法案の形で出してきた時にのみ対応するという受身的な姿勢なのか。国会は自ら、国権の最高機関としての責任を放棄しているのではないか。
(中略)
 この「国会決議」の「求める」に現れていることは、この国におけるアイヌ民族政策に、広い意味での政府(三府)のどこが責任を有するのかということがまったく不明のままにされてきたことを示している。(中略)国会議員たちが決議に真剣であれば、国会内に委員会を設けて新たな政策を検討するべきである。

 こちらに続く。

 現状に驚いた議員さんは、アイヌ政策に関してその後何かされたのだろうか。(アイヌ総合政策室が「議事概要」を隠したり、操作している可能性について、追求してくれるとありがたいのだが。)
 繰り返すが、この方たちは、(恐らく)良心的で、熱心で、頭脳明晰で、活動的で、共感的な――他に何があるかな?――議員さんたちである。他の9割以上の議員は、国会の中の「サイレント マジョリティー」である。

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