AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

アイヌ民族の遺骨=宗教的意味を有する「遺骨」

(直前記事より続く)

 アイヌ政策に関する有識者懇談会や推進会議では、「人骨」という無味乾燥したというか、いかにも資料的響きを与える言葉が使用されている。菅首相が訪れたのが硫黄島での「人骨」収集作業であって、発言も「人骨」と表現していたら、遺族の心にはどう響いていたであろうか。(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20101215/1292341078

 さて、人類学・民族学研究連絡委員会は、次のようにも述べている。

・・・古人骨は我々自身の祖先の遺骨である。その意味では、現在に生きる我々こそ、将来に発展するであろう新しい研究方法や分析技術の対象となる古人骨を丁寧に保管し後世に伝えるべき責務を負っていることを自覚しなければならない。(p. 328)

 この3つ目の意義は、宗教的な意味を有する、一般に我々が「遺骨」と呼ぶ時に込める個人や家族・親族との大切な精神的あるいは霊的なつながりを含む価値に言及しているのだろうと理解する。わが輩がここで「遺骨」という言葉を用いてきたのも、この問題には常に、この側面があるからである。直前記事で紹介した先住民族遺産に関するダイス指針でも、「遺骨」の意味合いが込められていることがわかる。

 しかし、ここでもまた、「文化財」としての古人骨についてと同じ問いを発しなければならない。すなわち、「我々自身」とは誰か。アイヌ政策有識者懇談会報告が取り上げている遺骨とは、明らかに、アイヌ民族の「祖先の遺骨」である。その意味では―と、連絡委員会の言葉を借りれば―「新しい研究方法や分析技術の対象」とするか否かも含めて、いかにして「後世に伝える」かを決定する権威・権限はアイヌ民族に属するものである。仮に、アイヌ自身が遺骨を研究の対象とすることに同意するにしても、アイヌ民族自身がそれを行える態勢が整うまで、研究に対するモラトリアムを要求する権利が先住民族の権利としてある。実際にアメリカでは、そのような要求を行った先住民族集団も存在する。

 遺骨に対する先住民族の権利は、集団の権利でもあり、また個人の権利でもある。前に紹介した(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20101018/1287332392)シッティング・ブルの子孫のアーニー・ラポイントさんのように、自らの祖先の骨をDNA鑑定に提供するアイヌの子孫が出てくるかもしれないし、そういうことは一切拒否して返還・再埋葬を求める子孫もいるであろう。また、帰属する子孫やコタンがどうしても特定できない遺骨もあるかもしれない。しかし、いずれにしても言えることは、現在の「共生の象徴」的施設の建設計画がそのような多様な願望の可能性や状況を無視ないし排除する形で進んでいるということではなかろうか。

 それにしても、連絡委員会の報告を読みながら浮かび上がる疑問は、過去・現在のアイヌ「人骨」研究の専門家たちは、ここで挙げられている生物資料、文化財宗教的対象としての意味をもつ「祖先の遺骨」としての価値や意義をバラバラにではなく、全体統括的に理解し、対応してきたのであろうかということである。アイヌ民族の遺骨に関してそのように理解しているのであれば、「現在および将来の研究に役立てられなければならない」という前提そのものから問い直さなければならないのではないだろうか。

続く。

転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20110209/1297178836

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