AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

『弱き者の生き方』から

 しばらく前にブックオフの105円の本が並んだ棚で、わが輩の手を引き寄せる本があった。五木寛之・大塚初童『弱き者の生き方』(徳間書店、2009年)である。対談者の名前、本のタイトル、カバーの装丁、そして何よりも、五木氏の最近の活動から、宗教家との対談集かと思っていた。積読状態になっていたが、このほど読了した。

 全体の内容の紹介はこのブログの趣旨とは異なるのでしないが、同書の中で2カ所、遺骨問題と関係する興味深い部分があったので、紹介しておきたい。大塚初童氏が、宗教家ではなく、「日本考古学界の至宝」であり、「古墳研究の第一人者」(p. 4)であると知って、何となく因縁めいたものを感じてしまった。

 一つ目の話題:

五木 それと同時に、日本の三十六年間の支配という形式的なことではなく、日本人がどれほど批判されたり恨まれたりしても仕方がないと感じるのは、明治以来、とくに戦争のはじまる前に、日本側が公式に土地測量というのをやったことですね。
 税金をかけるために公地などを正確に計測する、という名目で土地測量をやったのですが、じつは古墳の発掘もやっていたんです。帝大の教授や文部省もひっくるめて、ピョンヤンのあたりでは工兵隊が入ってダイナマイトを使った発掘も行ったと言われています。
 古墳というのは、要するにお墓なんですよ。朝鮮民族のお墓に対する思いの深さというのは、われわれが考えているよりはるかに深く重いものです。その祖先墳墓の地に侵入していって、そのあといろいろなものを掘り出し、持って帰ってくる。墳墓の入り口をこわすために、工兵隊を使って爆破する。あるいは盗掘したものを博物館に収納する。そのことだけでもやはり、どんなに長く恨まれても仕方がないと思いますね。

大塚 たしかに、軍隊を使って盗掘なんかもやったという事実もあるんですよ。

五木 戦争というのはそういうものかもしれませんけど。伊藤博文などは典型的ですが、当時の役人たちが李朝の名品などを持ち帰っては、権力者たちにそれを進呈したり、それが財界に流れたりしたようです。
 そのときの文化財が、戦後日本のあちこちの博物館に存在していた。そのことを、私は『深夜美術館』という小説に書いたんです。ところが、その小説が発表された翌月からあちこちの記念館の庭から、全部消えましたね。石灯籠とかいろんなものが。

大塚 はあー。

五木 いちおう、日韓協定によって植民地時代の賠償は清算されたことになっていますが、それでも、これはどうなんだと言われると、問題になるものが山のようにあるんでしょう。
 でも、大英博物館のように、世界中の植民地から持ってきたものを堂々と陳列してあるのを見ますと、これはいったいどういう精神構造をしているのかと思いますね。そう考えると、隠すぶんだけまだましかもしれません。

大塚 たしかに日本の考古学も戦前、戦中と、朝鮮総督府の植民地支配下でいろいろと問題になることもありましたしね。
(pp. 103-104)

 今頃、大学や博物館で、アイヌ「人骨標本」が隠されていなければよいが・・・などと考えてしまいそうだ。「隠すぶんだけまだまし」とも言い難い。「まし」という観点から言えば、「民族共生の象徴空間」に遺骨の研究施設を欲しがる利益集団よりも、慰霊施設を推進する利益集団の方が「まし」か。いや、やはりそうは言えないな。

 話は続く。

五木 (略)考古学というものが、学問の世界でアカデミックなことを突き詰めていくのはもちろんですが、それと同時に、一つの話題として世の中に与える影響も非常に大きい。高松塚古墳の壁画の剥落など、何かあるたびに新聞をはじめとしたマスメディアが大騒ぎするわけです。それは日本人の心なり、現状の日本人の精神性に大きく作用する働きをもっているからではないでしょうか。(p. 105)

 同様に、お墓や遺骨というのは、アイヌ民族アイデンティティにとって極めて重要なものと言える。アイヌ政策に関する有識者懇談会報告書で、今後のアイヌ政策の「基本的な理念」として、次の3項目が掲げられている。

1.アイヌアイデンティティの尊重
2.多様な文化と民族の共生の尊重
3.国が主体となった政策の全国的実施

 政策の基本に据えると提言している有識者たちは、この課題(遺骨とアイデンティティ)に正面から取り組まずに先送りするのだろうか。

 もう一つ、関連する部分:

大塚 私どもは、古墳などのお墓を研究の対象にしてるものですから、どういう人がその墓に葬られているか、掘って学術の調査をするときは、必ず慰霊祭をします。
五木 それは神式ですか?

大塚 ふつうの神式なんです。ところが、場所によって神社がないときは、お坊さんでいいとなる。チーン、チーン、と(笑)。

五木 ほほう、融通無碍ですねえ。

大塚 それでねぇ、墓に向かって、これから学術上の目的であなたのお墓を掘るけど、どうか怒らないでくれと。発掘に参加する先生や学生さんの「手のまがい、足のまがい」がないように、と祝詞をあげて、海の幸、山の幸を捧げて神酒をいただくんです。いわゆる直会の儀をとり行うわけですね。
 朝の九時から儀式が行われて、九時半過ぎにはみんなもう冷や酒をあおっています。まぁ、朝から飲めるということもあるんですけど、学生なんかは、「先生、直会はまだですか」なんて言うくらいですから。

五木 昔は神仏一体でしたから。しかし、それこそが日本人の宗教的感受性かもしれません。そこで、「そんな非科学的な宗教的儀式には参加できません。私は科学として考古学をやってるんですから」って言って背を向ける人はいない。
大塚 そりゃあ、いないですよ。

五木 いないということは、何かがあるんですよ。そして頭を下げるのは、心のなかで。

大塚 そうです。

五木 この発掘をだれが許すのかという思いのなかに、日本人にはやはり目に見えないものをもっているんでしょうね。それが日本人は宗教的魂をもっている証拠だと思うのです。それをいまの人の多くは、ない、というふうに、一生懸命暗示をかけている。

大塚 千葉県の茂原のほうに遺跡があるので、つい最近見てくれっていうので見に行ったんですけど、担当者に、
「最近は遺跡を発掘する前に直会の儀式なんてやるの」
 って聞いたら、「いやあ、いまはやらないですよ」って言うんです。

五木 洋才の雰囲気だけがどんどん強くなってくる、それは精神の退廃だと思いますね。
(pp. 233-35)

  誤解を招くかもしれないが、敢えて言えば、慰霊祭を行わないのは、「日本的」考古学から「西洋的」考古学、より科学志向の強い考古学への移り変わりを反映しているということなのだろうか。アイヌ民族の遺骨であれ、それ以外の人間の遺骨であれ、「科学という宗教」を信仰する人々による「生物資料」としての扱いがますます強くなってきているということなのでもあろう。

 戦争中に撃沈された船から逃れる際に、自分の脚にしがみついてきた仲間を燃え盛る船底に蹴落として生き延びた自分を「人殺し」と呼び、その苦悩を背負いながら、「どんなときでも、人のため、とにかく人のためって思って」がむしゃらに生きてきたという大塚氏(pp. 49 and 260)は、良心的な考古学者であろうと思うが、慰霊の儀式というのも、詰まるところは、自己の心の安寧のためである―宗教に対する一つの見方にしかすぎないと言われるかもしれないが。お墓の中の霊から「掘らないでくれ」という声が発せられたとしても、応えられまい。(もちろんこれも、人間が死んだら魂は宇宙へ還るのであって、墓や土中の骨は単なるモノにしか過ぎないと考える人には通じないだろう。)

 やらないより「まし」と言われるかもしれないが、神式とも仏式とも信仰が異なるという人々の魂は、癒されまい。誰の信仰に基づいて慰霊の儀式を行うかも大事なことだろう。「アイヌ民族の遺骨=文化財―しかし、誰の?」で見たように、「古人骨」研究者や考古学者は、根本的なところで、単一民族国民国家観を受け継いでいるのではないだろうか。

 それに、やはり、生きている子孫がいれば、生きている人間とも対等な関係で十分に話をしなければなるまい。


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20110221/1298271616

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