AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

ヤキ戦士の遺骨:国際交渉によるもう一つの先住民族の遺骨返還事例

 「イェール大学、マチュピチュの遺骨と副葬品をペルーに返還」に見られるような交渉による文化遺産の返還事例は珍しいものだが、このようなアメリカの大学や博物館から遺骨・遺品の本国への返還は今後増えていくだろうと予測される。ペルーへの遺骨・遺物の返還は、アメリカに関してここ2年間に起こった大きな国際的返還の2例目である。

 2009年11月、1902年の虐殺で殺害され、ニューヨークのアメリカ自然史博物館に100年以上にわたって保管されていた12人のヤキ戦士の遺骸が、メキシコ北部のソノラの郷里に帰還を果たした。そして、新たな国際研究センターの保管室に納められるインカの祖先の遺骨と遺物とは違って、12人のヤキ戦士の遺骸は、子孫たちによる厳粛な宗教儀式の中で、伝統的な方法で埋葬された。この時のアメリカ、メキシコ、ヤキの各政府の間の合意が、ペルーの事例の先例となった。

 12人のヤキ戦士は、20世紀初頭のメキシコ政府による最後の先住民族虐殺作戦の中でメキシコ連邦軍によって虐殺された約150人(124人という数字もある)の大人と子どもたちの一部であった。この時、戦士たちの体の一部、すなわち頭骨や四肢だけがニューヨークに船で送られた。

 虐殺から3週間後、アレス・ハーリシュカ(Ales Hrdlicka)という、現在のスミソニアン自然史博物館となる国立博物館の最初のキュレーターであり、『アメリカ自然人類学ジャーナル』の創刊者である人物が、米国務省とメキシコ政府からの許可証を携えてやって来て、マチェーテ(長刀のなた)で戦士たちの首と手を切断して、それらをニューヨーク市へ船で運んだ。戦士たちの遺骨は、その後107年間、ハーリシュカが持ち帰った血糊のついた遺物とともに、ニューヨークの博物館の保管庫に納められていた。そのような遺物の中には、幼児を背負うための先住民族の木製の枠(cradleboard)、毛布、弓矢、ソンブレロがあった。

"American Indian Yaqui warriors laid to rest"
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/northamerica/usa/6591717/American-Indian-Yaqui-warriors-laid-to-rest.html
"Mexico Indian Remains Returned From N.Y. Museum for Burial" (November 17, 2009) AP
http://www.foxnews.com/world/2009/11/17/mexico-indian-remains-returned-ny-museum-burial/
注:他の海外のブログなどでは、ペルーの事例のニュースの中で言及されたこともあり、2011年4月に遺骨の埋葬が行われたように書かれている情報が連鎖反応を起こしているようだが、この件は、2009年の出来事である。

Ales Hrdlicka:
http://en.wikipedia.org/wiki/Ale%C5%A1_Hrdli%C4%8Dka


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20110523/1306083336