AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

「アイヌの人たち」のDNA解析用血液サンプルは、どのように集められたのだろうか。

 「科学」との距離をどう取るか。北米インディアンの間では、「科学」を「西洋的」、「白人的」なものとして全拒否する人々がいる。一方で、土着人民自身の間にも「科学」は存在しており、それに対する尊重、市民権を獲得しようと考える人々もいる。同じようなことは、「法」に関しても言える。リーロイ・リトル・ベアーの話(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20110522/1305998971)は、その後者の立場を表現している。こういう話は、幕末から明治にかけての日本人の「西洋」への対応とも通じるところがある。そして今では、「西洋的」、「白人的」という形容が単純には当てはまらなくなっている。

 リーロイの話を聴きながら思い出していた本がある。大橋力(編)『ピグミーの脳、西洋人の脳』(朝日新聞社、1992年)である。実は、この本も、『弱き者の生き方』(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20110221/1298271616)より少し前に、同書と同様に、「読んでくれ」とわが輩の手を引き寄せたので105円で購入したものである。大橋氏とさまざまな科学者をはじめとする「客人」たちとの対話は非常に興味深く読んだのだが、今日は、その内容の紹介ではない。大橋氏の近代以降の科学技術思想と現代科学文明を批判する非常に示唆に富む発言のいくつかを記しておきたいとも思ったのだが、長くなりそうなので、ここではやめておくことにした。

 さて、ここで取り上げたい、この本からのわが輩にとっての「掘り出し物」というか、「収穫」というのは、分子生物学者の尾本惠市氏との対話の中にあった。彼のような分野の研究者からは、わが輩のような者が普段めったに聞けない話である。同書の40-41ページ、フィリピンのことを話している箇所から引用する。

尾本 イフガオとかオゴロットとかですね。これに原住民のネグリトと大別して三つの種族がいる。
 この中で一番明るいのがネグリトです。私の感じでは都市が一番物騒で、焼き畑農耕民は頑に心を開かない人たちです。例えば私どもが採血調査をするのに大変な苦労をする。現地の衛生省の許可を得て一日診療団をつくる。衛生省のお医者さんと看護婦さんを連れていって医療診断と炊き出しをやるから、山から下りてこいよと事前にふれておくんです。
 すると、医者にかかったことがない人が多いから、もの珍しがって下りてくるわけですが、焼き畑農耕民はとても心を許さない。
大橋 警戒心が強いんですね。
尾本 それに来ないですね。血を採られるのは、魂を抜かれるのと同じだと考えるんですね。
大橋 いわゆる呪術的発想。
尾本 ところが、ネグリトたちは炊き出し目当てもあるんですが、おもしろがってやってくる。考えてみると、狩猟採集民は、森の中でけがしたりしてしょっちゅう血を見てますね。
大橋 自分の血も見るし、獣の血も見る。
尾本 血というものに特別の呪術感がないから、意外に簡単に血が採れるんです。
(以下、省略)

 「医療診断」と称して血液を採取する方法は、植木哲也『学問の暴力』第2章「明治と大正の発掘旅行」、第3章「昭和の学術調査」に描かれている、この国の人類学者たちがアイヌ民族の遺骨の盗掘や関連調査を行った際のやり方となんと似ていることか!この問題も、今日は素通りする。

 大橋(編)の本の出版年の1992年は、コロンブス西インド諸島への漂着から500年ということで、結果的には1993年になったが、世界の先住民族たちが、その「国際年」の指定を求めた年であった。この頃から、科学テクノロジーの先進国では、「遺伝子ハンター(gene hunters)」と呼ばれる研究者たちが、世界各地で住民の血液を採取しながら、遺伝子研究の分野で競っていた。科学や医学の進歩という名の下で、特に離れた地に長年住み続けている先住民族の血液が求められていた。先住民族の権利を議論する国際会議のサイドイヴェントとして、欧米の研究者たちがペルーやコロンビアなどの先住民族から、その血液がどこでどのように利用されるのかをきちんと説明せずに血液を採取している様子を追ったドキュメンタリー映画("Gene Hunters")が上映されたことがあるが、その後、「ヒトゲノム多様性プロジェクト(HGDP)」は、先住民族の権利との関係で問題が指摘されてきた。さらに問題は、南北アメリカ大陸だけではなく、アジア・太平洋にも広がっていた。("Gene Hunters"のサイトを探してみたが、見つけることができなかった。)

 次の引用は、同プロジェクトに対する1990年代前半の先住民族の反応を象徴している。1993年のウィーンでの世界人権会議と持続可能な開発に関する委員会の第1回会合で、奇しくも、フィリピンのコルディリエラ民族同盟(CPA)のヴィクトリア タウリ−コープスさん(後に国連先住民族問題常設フォーラムの議長となる)が声明の中で述べたものである。

500年の間エスノサイドとジェノサイドの犠牲とされた後、そのことが私たちが危険に晒されている理由なのですが、その代案が私たちのDNAを収集し貯蔵するということです。これは、まさに私たちの祖先の遺骸や遺骨が収集されて博物館や科学機関に貯蔵されてきたやり方のもっと精巧な改版です。(中略)5年間に2,000万ドルを使って私たちを冷たい実験室に集めて貯蔵するかわりに、どうして彼らは私たちが危険に晒されている諸原因に取り組まないのでしょうか。このお金が代わりに私たちに基本的な社会サービスを提供し、先住民族としての私たちの権利を促進するために使われる意志があるならば、私たちの生物多様性は保護されるでしょう。
Darrell Addison Posey and Graham Dutfield, Beyond Intellectual Property: Toward Traditional Resource Rights for Indigenous Peoples and Local Communities (Ottawa, Ontario: International Development Research Centre, 1996), p. 172.

(HGDPの問題点や当時の先住民族の反応、F.ホフマン・ラ・ロシュ社、国立衛生研究所、アエタ民族の事例、なぜ隔離された地域の先住民族が科学者の興味の対象となるか、等々について、pp. 161-174のAppendix 1を参照されたい。なお、同書は、「Googleブックス」の検索から無料で読むことができる。また、タウリ−コープスさんは、その後、この問題の調査にも専念しており、例えば、こちらで、DNAの収集方法も含めて、ヒトゲノム多様性プロジェクトに対する彼女の批判的見解を読むことができる:上村英明(監修)、藤岡美恵子・中野憲志(編)『グローバル時代の先住民族』(京都市法律文化社、2004年)所収の第4章「バイオテクノロジーと先住民族」。)

 HGDPの問題とそれに対する先住民族の懸念は、台湾にも広がっていた(http://www.taipeitimes.com/News/local/archives/2000/08/29/50974)。←この記事に、"Gene Hunters"を見た台湾原住民のコメントが出ている!

 さて、"Gene Hunters"を視聴した時もそうであったが、その後、アイヌ民族が集団としてDNA解析のための血液サンプル採取の対象となったという話は聞いたことがなかった。しかし、アイヌ民族の遺骨研究との関連でこのたび読んだ、アイヌ政策推進会議の部会メンバーでもある篠田謙一氏の著書に次のような記述がある。
 「日本人のミトコンドリアDNAに関しては、一九八〇年代から当時国立遺伝学研究所にいた宝来聡(ママ)さんによって精力的に研究が進められました」ということで、「宝来さんが八〇年代に収集された血液サンプルから解析された」DNAの配列データがDNAデータバンクに登録されており、誰でも利用できるそうである。その中に「五〇名程度」の「アイヌの人たち」のものもデータとして登録されているそうで、「どうも同じ地域で集められたサンプルのようなのでアイヌの人たちを代表するデータとして用いることを躊躇させられる」ということで、篠田氏は同書で言及している研究では利用しなかったそうであるが、強調部分が示すように、篠田氏自身もその採取地については詳しくなさそうな書き方をしている。(篠田謙一『日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造』、日本放送出版協会、2007年、99ページおよび142ページ。)

 採取地が明確でなさそうなのも遺骨問題と共通する問題がありそうである。元の血液サンプルは自らを「アイヌ」とみなす人々から集められたのであろうか。方法論上の問題がなきにしもあらずのようにも思えるのだが、わが輩が今もっとも知りたいのは、この「五〇名程度」の「アイヌの人たち」からどのようにして血液サンプルが集められたのだろうかということである。

 50人程度のインフォームド・コンセントに基づく協力は不可能ではないだろうが、血液の採取とDNA解析後に誰にでも利用され得ることをも含めて、また、将来、商業的に利用される可能性の有無や将来の研究中止の要請とDNA資料の返還などについても、きちんとした情報が提供された上で「アイヌの人たち」の同意が得られたのかどうか、大変気になるところでもある。「礼拝所及び墳墓に関する罪(w/ 追記1・2)」(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20110512/1305135974)で引用している部分で、篠田氏は「過去における人骨の収集方法には今の基準で考えて適切ではないものもありました」と述べているが、現代の血液サンプルの「収集方法」が「適切」であったことを願いたい。

 血液サンプルの無断採取と解析の事例は、この国では、アイヌ民族に限らず起こっている。

遺伝子の無断採取・解析に関する国内事例:
1)http://www.mizushima.info/hiroshi/Sites/www.asahi.com/0328/news/national28001.html
2)http://www.hayashida21.com/case.html

ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針:
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/ethics/wadai1.html

相澤伸依「遺伝子解析に際する同意の問題 厚生省の指針の検討」:
http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/newsletter/n02a2.html

 篠田氏らの人類学者は、「新人」と称される人間がどこから来たのかを探っているわけだが、こちらは、「どこへ行こうとしているのか」を考えながら、問題が関連していて面白い。
那須麻千子「先端医療が投げかける問題〜人間はどこへ行こうとしているのか」
http://www006.upp.so-net.ne.jp/Bacchus/natural/iryou.htm


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20110527/1306425256