AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

肌の色、「血の濃さ」と「人種形成」

 肌の色や血の濃淡という生物学的要素と「人種」というものに関する面白い――とわが輩には思える――話題を2つ簡略に記してみようと思う。

 一つは、『裁かれた壁(Separate But Equal)』というTV映画――前に取り上げたことがあると思い込んでいたが、過去の記事にはないようである――の中で、ニューヨークのNAACPの裁判闘争を支援するためにやって来る弁護士のことである。その名も、Black(ブラック)。しかし、彼の外見は、どうみても「白人」である。NAACPの弁護士が、裁判を有利に導くための憲法の歴史解釈を探し出す作業が難航するなかで、彼に尋ねるシーンがある。「ところで、ブラックさん、あなたはどうしてここへ来ようと思ったのですか。他にいくらでも弁護士としての仕事はあるでしょう」というような質問である。そこでブラック弁護士は、ニューヨークにはNAACPというのがあって、そこの事務所の奥には秘密の部屋がある。そこへ入る鍵はNAACPの限られた黒人弁護士しか持っておらず、その秘密の扉の向こうには南部の黒人が夢に見る白人の女性たちがいるのだと、自分の田舎で聞いてきた」と答えて、一同は大笑いする――この映画は何度も見たが、最後に見たのがもう10年近く前になるので、引用部分は、大体こういう話だったというわが輩の記憶として読んでいただければと思う。いずれにしても、このシーンまで、視聴者だけでなく、当時の黒人の弁護士仲間も、彼の肌の色から彼が白人だと思い込んでいたわけである。彼を「黒人」として仲間の弁護士に認めさせたのは、肌の色ではなく、彼が共有する歴史や社会的体験に基づくストーリーだったのである。それは、あの場面で自分に2分の1とか、4分の1とかの「黒人の血」が流れているという話をするよりは、彼らにとってはよっぽど意味をもつものであった。

 因みに、この映画の中でわが輩の記憶に今も強く残り、最も好きな台詞の一つは、NAACPの弁護士たちの下で秘書(タイピスト)として働いていた中年の黒人女性が、早めに仕事を切り上げて帰ろうとする若い秘書に、自分たちは「歴史を作っているのよ」と言った台詞である。亡くなられてしまったが、10年くらい前に一人の若い研究者が、あるシンポジウムで、自分が先住民族の歴史を研究するのは「歴史を変えたいからです」と発言した時、わが輩の中で二人の言葉が重なった。

 『裁かれた壁』をYouTubeで視聴できないかと探してみたが、検索の上位には挙がって来なかった。こちらは、映画の宣伝である:http://www.zimbio.com/watch/e6s4n1xHh1c/Separate+But+Equal/Sidney+Poitier

 こちらのサイトから無料ダウンロードが可能のようでもあるが、わが輩は試していない。ダウンロードは、ご自分の責任で行なわれたし。http://www.filestube.com/s/sidney+poitier+separate+but+equal

 最近、同題名の映画が放映されたようである。分割してアップロードされている。http://www.youtube.com/watch?v=uz-LlP8p1aE(2)以下は、動画の右のコラムから探されたし。

 その他の参考サイト:http://www.loc.gov/exhibits/brown/brown-brown.html

 もう一つの題材は、Rereading Americaという本の第4章に“Racial Formation”という項目で収められているMichael Omi and Howard WinantのRacial Formation in the United States: From the 1960s to the 1980sという本からの抜粋の冒頭に出てくる話である。(正確な出版情報を記そうとして探したのだが、コピーだけで、元の本がわが輩の書棚のあるべき所にない! 後日、見つかった時に訂正するが、同書は教科書として、現在第8版が出ているようである。わが輩の持っている版は1995年よりも前の版であったと思うが、その後の版に上の論文が収められているかどうかは、かなり調べたが、わからない。下に示されている版は、2004年版である。表紙のデザインが似ているので、この版を選んで示すことにした。)

 1982年にS. G. フィップスという女性が、自分の人種的分類を「黒人」から「白人」に変更するように求めて、ルイジアナ州の出生記録局(Bureau of Vital Records)を訴えたが、翌年、敗訴に終わった。彼女は、18世紀の白人農場主と黒人奴隷の子孫であったが、1970年のルイジアナ州法に基づいて、彼女の出生証明書には「黒人」と記載されていた。その州法は、「黒人の血(Negro blood)」を32分の1以上有する者は黒人とみなすと規定していた。

 この裁判は、「人種」の概念、現代社会におけるその意味、そして公共政策における「人種」概念の利用と悪用について、非常に興味深い問題を提起した。州の司法長官補は、連邦政府の出生記録管理要件に従うため、そして遺伝的疾患の予防施策を促進するために何らかの人種分類が必要であったとして、1970年の州法を弁護した。フィップスの弁護士は、出生証明書に基づく人種的範疇の認定は違憲であり、32分の1という基準も不正確であると論じた。原告側の証人として呼ばれたテュレイン大学の元教授は、大半の白人は20分の1の「黒人(Negro)」の祖先をもっているという研究を引用した。

 結局、フィップスは敗訴した。裁判所は、人種のアイデンティティを数量化した州法を支持し、そうすることで、個人を特定の人種的範疇に割り振ることの合法性を確認したのである。

 皮肉なことに、1970年の州法は、新生児の人種を確定する際の、古い差別法であるジム クロウ法のやり方を無効にするために制定されたものであった。人種分類を変更し、州法を違憲と宣言させるというフィップスの敗訴の後、立法府への働きかけが起こり、その州法は廃止されることとなった。

 OmiとWinantは、この後、「人種」とは何かを問い、「人種」の範疇(カテゴリー)は生物学的に決定されるのではなく、社会的に構築されるという論を考察している。

 アイヌ政策推進会議や巷の一部の人々の間では「アイヌの個人認定」の必要性が取り沙汰されているが、その中には、アイヌの「血の濃さ」の厳格化によって認定を行うようにという論も見受けられる。わが輩は、それは大きな問題を内包しており、避けるべきだと考えている。これについては、また機会と時間の許す時に、少しずつ書いていくことになろうかと思われる。

 あー、最後にもう一つ書いておこう。これは誰の言葉だったか度忘れしたが(不正確なことを書くと抗議が来そうなので書かないが)、「私の皮膚を切り裂いてみよ、そこには赤い血が流れている」というのは、皮膚の色による差別に抗する言葉であるが、現代では、こんな言葉が聞こえてきそうである。
「その赤い血をDNA鑑定してみよ。そうすれば、いろいろな範疇と系統の人間が現れる。」

◎追記:
 これを先に見つけていれば、訳すこともなかったかと思うが、Omi and Winantの論文が、こちらで読める。上で挙げた書籍からのコピーではなさそうではあるが、内容的に同じ物のようである。
http://www.rci.rutgers.edu/~jdowd/omi%20and%20winant%20-%20racial%20formations.pdf


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20120122/1327159388

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