AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

遺骨返還への新たな攻撃への反論――裁判への予行演習

 前に取り上げたことのある米国内務省先住民族遺骨返還に関する規則(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20120118/1326828480)を廃止または改正せよとScientific American誌(以下、SA誌)4月号で同誌の編集者が科学者たちの主張を代弁する3月27日付けの論説、"Who Owns the Past?--The federal government should fix or drop new regulations that throttle scientific study of America's heritage"を掲載している(http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=who-owns-the-past)。

 SA誌が問題視して取り上げているのは、カリフォルニア大学がクーマヤイ ネーションに返還のための法手続きを開始したラ ホヤ(La Jolla)遺骨である。この遺骨に関する物理的な証拠は遺骨が現代のどのインディアン トライブのものでもないということを示しているため、2010年5月の新たな連邦規則がこの事実に目を瞑っており、「事実より信仰に特権を付与している」と批判している。大元の1990年のNAGPRAは、先祖の遺骨返還を求める先住アメリカ人の権利と「私たちの集団的な過去について学ぶ社会全体の権利」との調和を求めたものであったとして、近年では科学者と先住民族の代表がお互いの利益のために協働してきており、大体において、NAGPRAは成功を収めつつあったと評価している。

 しかしながら、2010年の新規則は、NAGPRAのこのバランスを崩し、トライブと科学者との間だけでなく、対立する主張をもつトライブ同士の間にも敵対を促進するものだとして、同規則を撤廃するか、少なくとも、特定されない遺骨の分類を明確にするように改正するべきであると唱えている。「新世界の植民地化」の先駆者たちの遺骨は、「すべてのアメリカ人、そして実際、至る所のすべての諸民族/人民の共有財産である」と結んでいる。

 同論説はまた、多くの先住アメリカ人たちは、研究そのものに反対するものではなく、遺骨を壊してしまう分析法に反対しているのであり、そのような懸念に敬意を表する形で開発されたという遺骨の高精度レプリカによる研究を行なうマサチューセッツ大学の人類学者を紹介している。その技術によって、遺骨そのものは無傷のままに残して返還を可能にする一方で、未来の研究者のために恒久的な記録を残すというものである。[但し、これは形質的な研究であって、DNAの抽出による研究とは別物であろう――D. X.]

 日本的に(?)慎ましくあるいは陰険に、今は比較的おとなしくしている日本の自然・形質・遺伝人類学者たちも、遺骨返還の声が高まってくるにつれ、声高にこういう議論を展開してくるだろう。その意味では、この記事では2010年の規則がターゲットとなってはいるが、アメリカでは既に、延々と20年以上にわたって続けられている論争であり、この国におけるこれからの「対決」に備えての練習問題として参考になるであろう。

 因みに、科学者や科学雑誌は“Who Owns the Past?”というような問題設定が好きと見えて――やはり、「財産権」が存立基盤の国である――、1995年のScience誌(268号)にはV. Morellの“Who Owns the Past?”という論稿が掲載されていた――こちらはDNA標本に関するもののようであり、偶々最近見つけたのであるが、未入手である。

 さて、この記事を投稿するのは、上のSA誌の論説を紹介するためではない。この、いわば科学者コミュニティの主張に対して、ICTMN紙でデュエイン シャンペイン(Duane Champaign)氏が反論しており、それを紹介したいがために書き始めたのだが――それだけにすれば良かったのだが――、少々疲れてきたので、一旦、中断する。

◎追記(2012/04/13, 1:25 a.m.):

 シャンペイン氏は、「事実より信仰に特権を付与している」という部分の"they"が"the Indians"を指す語と捉えて、新規則への反対論が「西洋の神学的言葉」で述べられているとして、次の段落で次のような批判をしているが、ここの"they"は"The new federal regulations"を指すと取るべきであり、カッとした彼の読み違いと思われる。しかしそれでも、彼の反論が損傷されているわけではないので、そのまま紹介する。(一応、編集者には間接的に伝えてもらった。)

 シャンペイン氏の反論(一部抜粋):

 SA誌のそのような言明は、先祖に対する、そして土地の精霊的な(spiritual)管理責任を維持するという要求に対する、先住民族の関係の形態と強さに関する理解がほとんどないことを示している。どう見てもSA誌は、現実、意味、生命に対する先住民族文化による解釈を理解するための努力をあまり行なってはいない。その代わり、同誌は、人の祖先と神聖な埋葬品が持つ価値と意味の科学的、専門的、非精霊的な理解を軽信している。編集者にとって、アメリカインディアンの見方・考え方は無意味なのである。彼らは、人の歴史と知識を守らないという理由で、無責任でさえある。

 科学的・土着的双方の価値観に取り組むことを目標とする返還に関してのもっと多文化的で、政府対政府の交渉のための時が来た。もし研究者たちが先住民族社会と敬意を込めた方法で協働すれば、はるかにもっと大きな恩恵が可能となるであろう。しかし、NAGPRAを通じて形成された利益の古い「バランス」についての話は、お願いだから、もう十分である。バランスは、先住民族の声と利益を再び排除するであろうNAGPRAの規則によって可能とされているのではない。そのことをSA誌は考えてみた方が良いだろう。
Duane Champagne, "A New Attack on Repatriation," Indian Country Today (April 9, 2012).
http://indiancountrytodaymedianetwork.com/2012/04/09/a-new-attack-on-repatriation-107181

もちろん、この短い記事での反論では十分とは言えないだろうが、一つ面白いのは、アメリカでは既に、科学者コミュニティを弁護する雑誌がNAGPRAによる「バランス」を擁護しているということである。


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20120412/1334160836