AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

文科省の「遺骨返還指針」:目的は返還?それとも残る遺骨?

 文部科学省アイヌ民族の遺骨返還のための指針作りに着手するというニュースを非常に興味深く読んだ。http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=4279679

しかし、発掘から半世紀以上たつ遺骨が多いことから、だれのものか特定する情報が少なく、指針ができてもどれだけ返還につながるかは不透明だ。

 この一文は、素直に読めば、記事の執筆者の感想と受け取れるが、末尾にも、次のように同じ内容が繰り替えされていて、これは、文科省の見解とのことである。

しかし、同省によると、遺骨は発掘されてから半世紀以上たっているものが多く、その当時の情報が不足している。このため、遺骨調査でも「個人の特定に結びつくケースは少ない」(文化庁)とみられ、指針ができても返還につながるケースはわずかになる可能性があるという。

 「しかし」、「しかし」と、この短い記事の中で2回も出てくるが、そこに遺骨の返還を最小限に食い止めたい意向が見え隠れする。

 「発掘から半世紀以上たつ遺骨が多い」ということは――しかも、わずかに半世紀!――、「特定する情報が少な[い]」ということの直接的な説明にはなるまい。しかも、どういう指針にするのかもまだまったく議論されていない(はずである)うちに、道新記者も文科省も「どれだけ返還につながるかは不透明だ」と。真摯に返還する気があるのなら、最大限の返還につながる指針を作るべきであろう。

 仮に、たかだか半世紀で遺骨の出所がわからないということが本当なら、これまでの日本の考古学、人類学、医学、等々の分野で発掘に携わってきた学者たちが、いかに杜撰な仕事をしてきたかを示す証拠でもある。そんなことで成り立ってきた「学問」なのか!? あるいは、研究者以外によって無断で掘り出されたり、取り引きや贈与によって保有者が変わったりした遺骨がそれほどまでに多いということなのか?

 文科省の見解では、「個人の特定に結びつくケース」だけの返還を既に念頭においていると思われる。指針の作成にあたっては、その前提から議論の対象とするべきである。
 要するに、現段階では、個人の遺族が特定できる遺骨だけは返しましょう。(返す準備をしているのだから、裁判は待って。)だけど、残りの多くの遺骨は身元不明となりますから、「慰霊と研究」施設に「集約」します。政府としては、それで手続きを踏んで責任を果たしたことにしますということなのだろう。特定可能な個人への返還につながらなかった遺骨を1ヶ所の「慰霊と研究」施設に「集約」することは、これもまたもう一つ別の問題である。
 4月15日の記事、「NAGPRA公聴会と『国立アメリカンインディアン博物館法』」の末尾に国連宣言を引用しておいたが、指針は、文科省のお役人だけで作成するのだろうか。

 ついでなので、参考までに記しておくと、その記事でも言及したNAGPRAの源となった3つの下院議会法案のうちのユダール議員によって提出された法案には、次のような連邦議会所見が盛り込まれていた。

 (1) 連邦政府助成金を受けている州および民間の博物館に加えて、おびただしい数の連邦政府政府諸機関が、先住アメリカ人の遺骨を保有している、
 (2) これらの遺骨には、トライブの起源に関して容易に特定できるものがあり、また他の場合には、トライブの起源は合理的な確かさ(reasonable certainty)でもって推断されうる
 (3) 各トライブは、再埋葬またはトライブの宗教的または文化的慣行と調和した他の処分を目的として、これらの遺骨を取得することに明瞭かつ明解な関心を表明してきた、
 (4) これらの遺骨の敬意に満ちた返還を規定するための効果的な仕組みを作成する必要がある
 以下、省略。

 念のため注記しておくが、これは、1990年の話(法案の最初の提出は、1989年)である。

◎追記:一言忘れていた。「指針」作成は一つの「進展」である・・・と言いたいところだが、「進展」となるかどうかは、その内容をどのようなものにできるか、今後の展開次第であろう。

◎追記2(2012/04/26 1:30 a.m.):
 つぶやき程度の短い感想だから追記にする。

 古い資料を掘り出せば分るのだが、どこかに埋もれてしまっている。確か、1980年代末か1990年頃ではなかったかと思うが、国連の「先住民に関する作業部会」で先住民族の遺骨の取り扱いが話題となったことがある。当時の北海道ウタリ協会は、北大との話し合いで「納骨堂」の設置や一部の遺骨の返還に漕ぎ付けた経緯を報告した。(正確な内容については、要確認。)

 当時の野村義一理事長だったと思うが(別の方だったかもしれない)、その報告後、各国の先住民族代表やダイス議長から「モデルとなるような先進的な取り組みだと評価された」というような主旨のコメントを新聞記事か講演録か、あるいは著作物の中で読んだ記憶がある。(北海道アイヌ協会のウェブサイトを今覗きながら、「主な沿革」の記述には2006年のことまで「遺骨」のことは出てこない。その「先進的」な出来事についても、詳しく記載したらどうかなと思う。http://www.ainu-assn.or.jp/about05.html

 その頃、わが輩は、国際インディアン条約評議会(International Indian Treaty Council)のトニー ゴンザレス氏から、遺骨や文化財の返還に関する法律は州レベルでは存在しており、全国レベルの法律へ向けて働きかけているという話を聞いていた。

 あれから20数年。「先進的」であった取り組みは、そこで止まってしまったかのようである。一方でアメリカでは、ここでも少し書いてきたように、1989年に「国立アメリカインディアン博物館法」ができ、それでは不十分ということで1990年にNAGPRAができ、さらにまた、それでも返還の進み方が鈍いということで2010年に内務省の新規則が追加され・・・という具合に、遺骨と埋葬品に関する課題が継続的に取り組まれてきている。

 北大開示文書研究会が公開している文書の中に、野村氏が北海道大学学長に宛てた1982年6月8日付けの手書きの文書がある。それには明確に、こう記されている。

遺族の判明する霊と一定地域からまとめて集められた霊骨についても遺族である個人か、あるいは地域が希望する場合は、これを返却するの措置をとられたいこと。
http://hmjk.world.coocan.jp/materials/33.pdf


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20120421/1335019718

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