AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

日豪研究者によるアイヌの血液・唾液採取――海馬澤さんの疑問に一部答える

 わが輩は、海馬澤博氏を直接には知らない。北大開示文書研究会が公開している文書によって初めて、その名を知った。

 彼が北大の学長宛に問い合わせたアイヌの血液採取から生まれた研究は、R. T. Simmons, J. J. Graydon, N. M. Semple, S. Kodama, “A Collaborative Genetical Survey in Ainu: Hidaka, Island of Hokkaido(アイヌにおける遺伝的共同調査:北海道島日高),” American Journal of Physical Anthropology, Volume 11, Issue 1 (March 1953), pages 47–82 であろう。論文の初めの方のアイヌの形質的特徴に関する解説部分は、ここで訳出するのが憚られるほどに、実にひどい差別的な叙述がある。http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.1330110115/abstract
 この論文の発表は1953年であるが、1952年秋にオーストラリアの地方紙3紙(the Western-Mail, the Courier-Mail, and the Advertiser)が、同じ内容の記事を段落の順序を多少入れ替えるだけで、やや興奮した筆致でSimmonsとGraydonの研究を紹介している。論文によれば、血液と唾液が日高地方で採取された。最初のフィールド調査は1950年11月7日から19日に行われ、3つのシリーズに分けて採取されたサンプルには1から437の番号がつけられている。第2回遠征調査は行うことができなかったが、1951年11月には、失われた最初のシリーズIIの代替サンプル(155人分)が採取されている。これらのサンプルは、メルボルンの研究所に運ばれて、そこで分析されている。(このサンプルの分類は「アイヌ」と「アイヌ-日本人」が使われているが、「アイヌ」には児玉が「純血」とみなした個人が分類されているなどと、メチャクチャな「方法論」である。)

 メルボルンの研究所に持ち帰られた血液と唾液は、どのように処分されたのであろうか。1950年代が決して古すぎる過去ではないことは、HeLa細胞のことを思い出していただくとよい。(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20120705/1341500061

 論文執筆者のSimmonsはメルボルンコモンウェルス血清研究所(CSL)コンサルタントカリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)の研究員、GraydonはCSLのコンサルタント、Sempleには記載がなく、そして児玉は北大の解剖学・人類学教授となっているが、その下に、全員がCSLと北海道大学の研究者であることが記されている。そして、2005年にオンライン出版された版の「著者情報」にも、全員がCSLと北大所属であることが記されている。なお、CSLのコンサルタント/研究員というのは、公務員である。

 UCLAは、Simmonsの研究に関心を持ち、彼らの研究に大きな資金提供をするとともに、当時としては唯一という外部の研究者に研究員の肩書を与えている。こうした背景から海馬澤さんは、「アメリカの大学の依託によるもの」と考え、記していたのであろう。

 昨夜書いたように、「北大は協力したにすぎない」とするには「共同研究」という大学と児玉の関与は大きすぎるのではないか。また、「血液採取もこの1回限り」というのも正確ではないことが、彼らの論文自体が証明している。


◎追記1(2012/07/18, 1:05):
 一つ前の記事に書いた「アメリカの大学と研究者が関係している」という指摘について、分っている範囲で少し補足しておかねばなるまい。

 上に挙げたオーストラリアの3紙の記事によれば、血清学者のロイ T. シモンズは1940年に血液の保存料を発見し、それによって研究者たちは血液採取現場での分析に縛られることなく、研究室に持ち帰って血液の分析を行えるようになった。彼が、当時の「大規模かつ迅速な国際的血液調査を可能にした」のであった。シモンズもグレイドンもオーストラリアではほとんど無名であったが、世界の遺伝学者や人類学者の間では良く知られており、尊敬もされていた。

 そういう理由で、ほとんど無名のオーストラリアの公務員であるシモンズに対してニューヨークのヴェナー=グレン研究財団やカリフォルニア大学から振り出される千ドルの小切手でさえ、メルボルンの銀行は現金にしているのである。「そのお金で私がビューイックやスチュードベーカーの車を買えるわけではありません。資金は研究のためです。」とシモンズは述べている。

 さらに、同じ理由で、シモンズは、カリフォルニア大学の研究員に任命されている。これは、同大学がそれまでに任命した唯一の外部の研究員であった。また、UCLAの「世界で最も偉大な人類学者の一人」であるJ. B. バードセル教授がCSLに2年間、オーストラリアのアボリジニの研究のために滞在しているのも、そのためであった。

 シモンズとグレイドンの研究に刺激されたバードセルこそが、彼らを共同研究でアメリカの研究者に加わることを強く勧めたのであった。

 この記事を送ったアメリカ人法学者からは、「非常に興味深いが、不穏でもある」という返事が返ってきた。

◎追記2(2012/07/18, 22:24):さらに、1964年にはイギリスのケンブリッジ調査隊が日高地方を訪れ、187人から血液(血清)サンプルが採取されている。


◎追記3(2012/07/19, 2:00):

 上記オーストラリアの新聞記事は、1950年代初期の科学者や同国のメディアがアイヌと日本人をどのように見ていたかを垣間見させてくれるようで面白い部分がある。その部分を抜粋して訳出する。

●自然人類学者は、北海道という日本の北方の島の原始的な毛深いアイヌ人(Hairy Ainus)にはコーカソイドすなわち白人の構成要素がある。アイヌ人や白人だけに説明される珍しい血液型遺伝子の発見は、この理論を支持するのに役立つ。
●一部の日本人は、進歩の遅い彼らのアイヌの従兄弟[親類縁者]とのいかなる関係も慌てて否認する。客観的な遺伝学研究は、今日の日本人と今日のアイヌは非常に「密接な関係にある」ことを示している。

 驚くことに、記事中に2ヶ所、“Hairy Ainus”と、“Hairy”がまるで固有名詞の一部のごとく大文字で表記されている。“Ainus”と複数形にされているのも特徴的である。
(こちらを参照されたし⇒http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20110529。この記事には挙げなかったが、科学者たちは、こうした取り組みにも無頓着だったのだろう。⇒成田得平『近代化の中のアイヌ差別の構造』、明石書店、1985年)
新版↓

 1980年代終盤、当時の中曽根総理大臣によるいわゆる「単一民族国家」発言をめぐって、アイヌ民族に対する差別の実例が語られる中で、交通事故に遭った子どもにアイヌからの輸血を親が拒否したという話を読んだ記憶がある。シモンズの研究は、このような偏見を正すことに資するものでもあった。

●有色人ドナーからの輸血は白人の患者にとってありとあらゆる将来の問題を引き起こすことになるかもしれないという、あの古くからの恐怖は根拠がない。体内の血液細胞の命は、およそ120日である。輸血された血液が未来の世代に遺伝するという確率はない。
 「マスター人種」というヒトラーの叫びをそのまま真似ようとするいかなる将来のデマゴーグも、パークヴィルの実験室に建てられた偏見のない科学的証拠の壁にぶつかって壊れるだろう。

 知人のアメリカ人が「不穏(disturbing)」と言ったのは、上記のアメリカの関与だけでなく、こういう部分だろう。
「探検家たち――時には合衆国海軍の科学者たち――は、土着民の臆病な肉体に一刺しして、血液サンプルをビンに満たす。彼らは、そのサンプルをガロン入りの真空フラスコに氷詰めにする。」シモンズの発見した保存料で、サンプルからは12ヵ月後まで信頼のおける実験が可能となっていた。
「アメリカが現地調査の一部を提供しており、その費用や航空貨物料金用にここに資金を送っているが、それでも費用の最大の受け持ちはコモンウェルスの保健省によって行われている。」
「今年、合衆国海軍の調査船、フィッドビー(Whidbey)は、マーシャル諸島の健康調査で、700人分の血液サンプルをメルボルンに送った。」

 白衣を着たシモンズとグレイドンにとって、「この仕事は一つの趣味である。しかし、それは、愛の重労働である。」シモンズは、次のように語っている。「今日私たちは、これから25年ないし50年間用いられることになる絵を構築しつつあります。私たちは素早い仕事をせねばなりません。なぜなら、一部の人種集団が実体として消えつつあるからです。」そして、彼は結論をこう述べていた。「私たちは、主に科学的な趣味として、13年間の仕事をしてきましたが、人類学者たちが問うてきた多くの疑問に私たちが答えを出せるかどうか、あるいは私たちの一連の研究が失敗であると証明されるかどうかを知ることができるまでに少なくともあと12年間あります。」

Western Mail, 11 December 1952.

 関連論文から、もう少し付け加えておく。
 まず、児玉を含むシモンズらの研究論文の77ページには、次のような記載がある。

これまでに利用可能であったものよりは広範なデータに基づいてはいるが、上記の論述そのものは完全にはほど遠く、他者には違って解釈され得ると認識されている。調査の主目的は達成された。すなわち、アイヌ人の新しい遺伝的データをその集団が実体として消える前に記録に残すということである。

 同じページに続けて、「謝辞」が記されている。そこに、既に新聞記事から書いたことがさらに詳しく明記されている。すなわち、現地調査の資金は人類学研究のためのヴェナー=グレン財団からの研究助成であること、UCLAの研究委員会からも財政的援助を受けたこと、CSLでの実験費はオーストラリア政府の保健省が賄ったこと、調査研究の最初の手はずはUCLAのバードセル教授によってなされたことなどである。さらに、この調整にはホノルルの太平洋科学委員会のクーリッジ博士、在日本の連合国公衆衛生部門の前最高司令官のサムズ准将も関わっていた。メルボルンのゲイ少佐、英国占領軍や在日本の公衆衛生・福祉部門の職員も手助けしている。北海道庁保健部(課)長の西野博士、北海道民間問題チームの前医療官のフット博士などの名前が挙げられている。

 アイヌの毛深さをことさら強調する児玉らの研究を参照文献として挙げながら、上述のケンブリッジ調査隊に関して、スタインバーグは論文の冒頭で、「北海道からの人種的に得体の知れない(enigmatic)アイヌの血清サンプルを試験する機会が提供された時、私たちは即座に受け入れた」と書いている。これには、著名なArthur Mourantが関わっていた。
Arthur G. Steinberg, "Gm and Inv Studies of a Hokkaido Population: Evidence for a Gm2[上付きの2] Allele in the Ainu," American Journal of Human Genetics, Vol. 18, No. 5 (September, 1966), p. 459.

 これに対して、大英博物館のハーヴェイとブロスウェルが、1964年のケンブリッジ調査隊のデータを分析して、方法論上の問題や「毛深さ」に対する社会的態度を論じた後、「アイヌは他の日本人よりも体毛は多いが、いくつかの他の集団と比較して――例えば、アメリカの「白人」――彼らが例外的に毛深いとみなすことはできない」と結論している。

 1960年代後半になってもこの種の研究が行われていたわけだが、この1964年のケンブリッジ調査隊(Cambridge Expedition to Northern Japan)にもヴェナー=グレン財団からの研究助成を始め、複数の団体が助成している。ハーヴェイは、「優生学協会」(Eugenics Society)からも助成を受けていた。

 さらに、S. Kodama(児玉作佐衛門)とGeorge Kodama(児玉譲二)、その他の北海道大学の「アイヌ研究の専門家たち」、東京大学のShiro KondoとT. Umehara、国際基督教大学のW. H. Hewellに対しても、アイヌ研究計画への協力と助言への謝辞を述べている。北海道庁職員の支援に対する謝辞も忘れられていない!
R. G. Harvey and D. R. Brothwell, "Biosocial Aspects of Ainu Hirsuteness," Journal of Biosocial Science, Vol. 1(1969), Issue 2, pp. 109-124.
http://journals.cambridge.org/action/displayAbstract;jsessionid=89DDA31ED3EE44184B8F46FDCBC76657.tomcat1?fromPage=online&aid=1360128

 最後に、1988年に出版された書籍で、シモンズが1976年の著書で次のように結論したと引用されているのが面白い。

私たちの35年間の血液遺伝学研究は、残念なことに、『オーストラリア人の生物学的起源』に関して、少なくとも私たちに明らかなものとして、何の手がかりも提供することができませんでした。
William Howell Edwards, An Introduction to Aboriginal Societies, 2nd ed. (Cengage Learning Australia, 2004), p. 2.

転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20120717/1342459258

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