AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

ヒト・人が故郷を離れるとき

 5,000年とか1万年単位で「歴史を解明」しようとしている人たちには、一つ前の記事のような強制的な「移住」という歴史的出来事はどのように記述されるのだろうか。五大湖地方にいたある「人類集団」(この用語についてもいつか取り上げねばなるまいが、今は措く)が何らかの理由で2カ月という短い時間で1,000km以上もの距離を移動した形跡がある。その後たどり着いた先で「遺伝子の交流」が行なわれたと見られ、遺伝子に変異が見られる・・・(もちろん、200年足らずの単位ではあり得まいが)。私たちの歴史を知るためには彼らの純粋な祖先が消え去ってしまう前に彼らの遺伝子を採取しておかなければならない・・・。道端で葬られた彼らの遺体・遺骨は、そのための貴重な資料・試料なのである・・・。

旅の果て、「吹きだまり」ニッポン
 ところで、読者は、「吹きだまり」という言葉にどのような印象をお持ちだろうか。

デジタル大辞泉の解説:ふき‐だまり 【吹き×溜まり】

1 雪や落ち葉などが風に吹き寄せられてたまっている場所。
2 行き場のない人たちが、自然と寄り集まる所。「社会の―」


大辞林 第三版の解説:ふきだまり【吹き溜まり】

① 風に吹き寄せられた雪や落ち葉などが集まり溜まっている所。
② 転じて,落ちぶれた人や社会から脱落した人々が行き場もないまま寄り集まる所。 「社会の−」

http://kotobank.jp/word/%E5%90%B9%E3%81%8D%E6%BA%9C%E3%81%BE%E3%82%8A

 人に対して用いられる時には、あまり良い印象の言葉ではない。もちろん、そこでたくましく生きている人々もいるわけだが。

 「日本人の起源」に関心を持っている人たちの間ではこの言葉を好んで使うのかなと、最近思っている。特にそう意識しだしたのは5月頃だっただろうか、『モンゴロイドの道』(『科学朝日』編、朝日新聞社、1995年)で次のような記述に出合ってからである。

続いて九一年一月には、アンデス山脈の延長線上に位置するチリに挑戦した。南アメリカの「吹きだまり」であるし、HTLV-Iによって引き起こされる慢性脊髄症(HAM)の患者の発生率が・・・。(206ページ)

この直前には、不便な遠隔地で、まるで「絶滅危惧種」でも探すかのような「純粋な先住民」を求めての調査の「苦労話」が自慢げに語られている。

田島氏は一九八九年からは、南アメリカの先住民[D. X.注:この場合の「先住民」は、古代人に対する用語とは異なるようである]に焦点を当てて調査を始めた。モンゴロイドの先祖が到達したもっとも遠隔地の民族である[D. X.:ここは「先住民」=「民族」なのだ]。しかし南アメリカには、コロンブス以降に白人や黒人が大量に移住し、先住民と混血を繰り返してきたため、現在では純粋な先住民は少なくなっている。
 そのため調査地は、交通の不便なアンデスの奥地やアマゾンの密林、水不足に悩む砂漠地帯などに限られる。そんなところでしか、もやは純粋な先住民は生活していない。調査に向かう途中でマフィアやゲリラがらみの検問を受けたり、ガタガタ道をジープで四〜五時間も尻がいたくなるほど走って、やっと出会えるのである。(206ページ)

 「吹きだまり」に話を絞りたいが、ついでだからもう少し引用しよう。

・・・HTLV-Iは、ATLだけでなくHAMの原因ウイルスでもある。もちろんATLが多いが、一部の人はHAMを発病する。そしてどちらを発病するかは、何度か登場したHLAの違いに関係していると考えられている。だからキャリアが発見できれば、HTLV-IとHLAの両面から、モンゴロイドの拡散や日本人との関連が語れる可能性があるのである。(207ページ)

 「だから」以降が語ることは、なんと、この調査の目的は彼らの医学的な治療のためなどではないのである。因みに、205ページには「HTLV-Iキャリアの日本国内での分布」という地図が載っているが、北海道だけ、「全域」、「アイヌ民族」、「中央の南西部」と分けられている。「アイヌ民族」を特定して血液採取が行なわれたのではないかと考えられなくもない。
 上の南米調査ではチロエ島へ渡り、そこで「二〇人あまりの人から、ひとり当たり三〇ミリリットルずつ採血して検査した」とのことである。「世界最南端のキャリア」が2人見つかったことで、「アジアに住んでいた先史モンゴロイドの祖先の一部は、東アジアの吹きだまりである日本南米の吹きだまりチリへと大移動したのではないか」という田島が胸に秘めた「壮大な仮説」を紹介している(207ページ)。
 『科学朝日』の編者は、「日本人研究者の『副産物』が、モンゴロイドの拡散ドラマに大きな花を添えたことは確かである」(207ページ)と賞賛しているが、出版年(95年)当時、血液試料の「転用」に関する意識など微塵も見受けられない。
 話を「吹きだまり」に戻す。面白いのは、ニッポンも「東アジアの吹きだまり」ということである。その後、これとそっくりの表現に再び出合った。『モンゴロイドの道』にも寄稿している斉藤成也が『DNAから見た日本人』(筑摩書房、2005年)の第4章で「東ユーラシアの吹きだまり」(78ページ)と表現しているのである。そして、次のように述べている。

日本列島にはさまざまな生物がユーラシア大陸から移動してきて、そこで行きどまりとなってしまった。ここは「吹きだまり」なのである。人間も例外ではない。(78ページ)

 この言葉の含意は、後述する斉藤の「負け犬」論と合わせると、さらに面白くなる。まさに、冒頭の『大辞林』の2つ目の意味、「転じて,落ちぶれた人や社会から脱落した人々が行き場もないまま寄り集まる所」としてニッポンも存在しているようである。

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 Aという行為体(例:人や人の集団)がBからCへと移動するとする。遺伝子レベルでは、BからCへのヒトの移動を叙述/描写できても、それがなぜ起こったのか――そしてその点では、どのように起こったのかも――少なくとも現時点では、説明できていない。その道の専門家も遺伝人類学の限界を次のように述べる。

遺伝人類学が現代人のDNAを分析して解明することができるのは、基本的に、各地の現代人集団の類縁関係や、祖先集団の大まかなサイズなどである。DNAデータの新たな解析法が考案され、最近ではホモ・サピエンス旧人と混血した可能性などにも言及されるようになってはいるが、遺伝人類学から過去の人類の姿形や、行動の詳細を知ることはできない。
海部陽介『人類がたどってきた道――“文化の多様化”の起源を探る』、日本放送出版協会、2005年、55ページ)

 万年単位で叙述される歴史には、ここ500年や1,000年、2,000年でさえの歴史的事象は(従って、遺骨の盗掘なども)叙述の対象外であるし、そもそも端から別次元の話なのである。「アイヌの歴史を解明するための人類学等の調査研究」とか「アイヌの歴史を解明するための研究に寄与」(アイヌ政策関係省庁連絡会議「『民族共生の象徴となる空間』基本構想」、平成24年7月31日、5・7ページ)などというセールス文句に容易に勧誘されて遺骨を研究用に差し出すなどということがないように、その文句自体を慎重に吟味せねばなるまい。

 人類学者たちは「証拠」に基づいて客観的(=科学的)に語ることを標榜する人たちである。しかし、AによるBからCへの移動の「なぜ」は解釈がまとわりつく領域であり、解釈の際にはそれを行なう人が浸かっている文化のフィルターを通して行なわれる意味づけが行なわれる。そこでは言葉が一定の役割を果たす。言葉の選択に非客観的要素が忍び込む。「吹きだまり」もそうであろう。

 科学ジャーナリズムは、一般読者に科学の最先端を分かりやすく解説し、「啓蒙」するという役割を担っている。『科学朝日』もその一翼を担っているが、モンゴロイドの移動の歴史を「グレート・ジャーニー(はるかなる旅)」(9ページ)や「壮大な歴史」(passim)と表現する時、アメリカ的リベラリズムの伝統に強く影響されているジェノグラフィック プロジェクトほどではないとしても、そこには野心と冒険心に満ちた人類の果敢な前向きの挑戦としてヒトの「移住」を捉えているように読める。他の人類学者たちも、アフリカを出た人類が南極を除く地球全域に広がる過程を「壮大な歴史ドラマ」として積極的に評価しているようである。
 これに対して、もっと否定的あるいは消極的な見方が斉藤の「負け犬」説である。彼は、次のように「解釈」している。

住み慣れた場所から新天地に移動する場合、それらの人々は、基本的にはもとの土地でなんらかの問題があった、いわば「負け犬」ではなかろうか。
 アメリカ大陸への移民を考えてみよう。コロンブス以降、多くの人々がヨーロッパから新大陸へ移民したが、その大部分は欧州で食っていけなかったからではなかったのか。メイフラワー号に乗ってきた清教徒も、イギリスではやっていけないと感じて、新天地をアメリカに求めたのである。
 大規模な移住に関しては、基本的には同じ論理が、どのような時代や場所であってもあてはまるだろう。例外的なのは、軍隊などによる組織的な侵略である。しかしこの場合は、勝利した暁には祖国への帰還を前提としており、行ってしまったきりの移民とは異なる。
 このような考察から、アフリカからユーラシアへ移動していった初期の人間たちも、ある意味で、当時の「負け犬」だったのではないかと私は考えている。その原因には、皮膚色があったかもしれない。黒い皮膚は強い直射日光をさえぎる働きがあるので、皮膚色が薄くなると、生存にやや不利になる。(後略)(52ページ)

 これを「吹きだまり」と合わせると、「日本列島人」――斉藤は意識的に使用している――は、「神の国」の「選ばれた民」というより、むしろ行き詰った、どん詰まりの民の集団ということになるのだろうが、アメリカ大陸への移民がそうであれば、列島の中でもさらに北海道への移民や地方から都市への「移民」も「負け犬」集団となるのかと皮肉ってみたくもなる。このような「考察」というにはお粗末すぎる「解釈」は、移民や難民を生み出す社会構造や制度をまったく無視している。つまり「追い出す」側の問題には焦点が当てられないのである。さらには、遺伝子レベルでのヒトの移動史と「行動の詳細」とをごちゃ混ぜにもしている。しかし、彼は「基本的には同じ論理が、どのような時代や場所であってもあてはまる」と言うのだから、ヒト・人の移動の「一般理論」として提示しているのである! そもそも、「負け犬」という用語自体、20世紀末から21世紀初頭の短い期間に日本という狭い場所で流行った流行語にすぎないのではないか?

 因みに、この記事の下書きを始めた翌日、イチロー選手がマリナーズからヤンキースへ移った。(この移籍をどう解釈するかについて記事を書く方が、ブログの人気を高めるとは思うのだが・・・。)そればかりか、消費税増税問題で某政党からの多数議員の離脱と新党結成を見ていて、斉藤の「負け犬」説を思い出してしまった――と、これは冗談のレベルである。

 いずれにしても、積極的解釈と「負け犬」説は、どちらも一面的で単純に過ぎる。だが、「証拠」に基づいて科学的に論じる科学者たちの解釈が、いかに非科学的な、そして価値判断の伴った(=政治的な)色彩を帯びてくるのかを知るのには好例であろう。その点では、海部の次のような陳述は、「バランス」が取れており――これも学者や「有識者」が好む言葉である――かつ正直な表明であろう。難解な科学を持ち出さなくとも、普通の一般教養で理解できるレベルでもある。

 それでは、なぜ祖先たちはアフリカから全世界へと広がったのだろうか。誰しもが考える疑問だが、答えるのは容易ではない。山の向こうに何があるのかというような、純粋な好奇心が原動力という考え方もできれば、元いた土地の人口が増えたり、海水面の上昇で土地が水没したことが移住の引き金になることも考えられよう。そもそも、そうした理由は一つではなく、複数あったかもしれないし、時代と場所によって異なった因子が働いたと考えるのがおそらく自然であろう。いずれにせよ、答えは単なる空想によってではなく、復元された拡散史に照らし合わせて探さなくてはならない。本書では、科学的信頼性の高い議論が困難なこの問題についてあまり立ち入らないことにするが(後略)。(上掲書、100ページ)

一万二〇〇〇年ほど前に南アメリカ大陸の南端へたどりついた集団が、自分たちがアフリカにはじまるホモ・サピエンスの壮大な拡散史の終着点の一つに今達したのだとわかっていたら、彼らはたいへんな興奮を味わうことができたろうが、残念ながら彼らはそれを知らなかった。祖先たちは、行く先に何があるのかはあまり知らずに、何しろ行けるところまで行ったのだ。そしてある時点で、幾世代も前の彼らの祖先たちがもっていた、古い土地の記憶を失っていったことだろう。地球上のすべての陸地がホモ・サピエンスで埋め尽くされていく歴史は壮大なものだが、以上のような意味において、これは現代のいわゆる冒険物語とは少し違うのである。(101ページ)

                  ★☆★☆★☆
注)文中敬称略。言うまでもないが、上記3冊の価値は、本稿で指摘している問題だけで測れるものではない。

続く・・・かも。

◎追記
 夕方、ブックオフで、確かこの本は持っていたなと思いながら、姜尚中森巣博の『ナショナリズムの克服』(集英社、2002年)をパラッと――パラパラまでも行かなかった――開いたところに、こんなことが書いてあった。先ほど、探し出してみた。

森巣 相変わらず、ナショナルな境界でくるんだ日本人論、日本文化論、日本文明論というのが、いわゆる、七〇年代後半のアカデミック・ジャーナリズムの中で流行っていたと思うのです。これは、現在までつづいている。研究者に与えられる文部科学省の科学研究費(いわゆる「カケン」)とも無関係じゃなかったのじゃないかな。私はとても恣意的なものを感じるのですよ。例えば、「日本人の起源の研究」みたいなテーマだと、「カケン」は大盤振舞いをしてたわけでしょ。[D. X.:ホンマでっか?]
 研究者たちはその金で連夜ドンチャン騒ぎをやっていて、東北や九州の畑を堀っくら返していた。
 何やってんだよ、あんたら。「日本人の起源」を調べるのなら、何でアフリカに行ってサバンナを掘っくら返してこなかったんだよ、と私は言いたい。
(121ページ)

 「東北や九州の畑」ならまだしも、北海道まで行ってアイヌの墓を「堀っくら返していた」んだもんな。そしたら今はナント、「サバンナを掘っくら返して」こなくても、DNAが「日本人の起源」はアフリカにあると「証明」しちゃった。それでもなぜか、日本人の多くは「私たちはみなアフリカ人」とは言わずに、今でも「日本人の起源」とか、もう少し「国際的」な人たちは「東アジア人」とか「モンゴロイド」とかの起源を探し求めている。


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20120821/1345559354