AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

夜明け前は、漆黒の闇

 誰かの有名な詩でだったか、小説でだったか、「夜明け前が一番暗い」ということを読んだ記憶がある。現代の都会では、そういう言葉は実感を伴わないのであろう。

☆『先住民族の10年News』第193号(2013年4月13日)の小さな囲み広告(12ページ)で、東京都写真美術館の写真展「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 北海道・東北編」が紹介されている。5月6日まで開催だそうである<http://syabi.com/contents/exhibition/index-1801.html>。同誌は通常、行事主催者から依頼があったものを掲載しているらしいから、この写真展も、「北海道・東北編」ということで、アイヌ民族など北方諸民族の写真が多数展示されているのではないかと推測する。同じ題名の「図録」も出版されているみたいである。

 上記ウェブサイトを見る限り、非常に興味深い展覧会のようでもあり、写真史の観点からも貴重な資料が含まれているのではないかとも推察する。ただ、先の鶴田知也の『コシャマイン記』の扱いにしてもそうであるが、作品や展示品そのものの価値とは別に、それを今日、どういう視点から評価し、意味を与えるのかという課題も存在していよう。

 この企画案内を見た瞬間、私は、「夜明けまえ」という言葉に注意を引き付けられた。サイトの僅かな情報から考えると、この写真展そのものでは、「内戦を経て西洋的・近代的な文化に変容する日本に、写真技術[が]広く普及・伝承されて」いった時期が「夜明け」であって、「幕末の開国と時を同じくして」日本に写真がもたらされた時期からその「夜明け」までを「夜明けまえ」としているのであろう。しかし、そこにはどうしても、明治維新を「夜明け」ととらえる歴史観が底流にあるように思える。それゆえに、「先住民族」と関連付けられて宣伝されていることに違和感を覚えずにはいられなかった。

 時を経て最近はほとんど耳にしなくなったが、一時期頻繁に続いた北海道各地の市町村の「開基」という言葉が問題となったことがあった。簡略に言えば、現在のそれぞれの市町村が「開いた」時点がその自治体の歴史の始まりとみなされ、それ以前は歴史が存在しないとみなされたからである。あるいは、歴史は存在したとしても、それが「開く」前は「暗黒の時代」とみなされたからである。これと同じことはアメリカ合衆国やオーストラリアなどの「建国」200年祭などにも当てはまり、それぞれの国の先住民族から強い抗議運動が行なわれた。

☆「暗黒の時代」で思い出されるのは、私たちの世代が小中高校で「暗黒大陸」――この言葉は、つい最近もNHKの日曜夕方の報道番組で使われていた――として教えられたアフリカである。

[遅くなったので、この部分は、後日、追記する。]

☆この記事を書き始めた27日夜、「苫小牧民報」の26日付「二風谷アットゥシとイタ伝統工芸に指定」<http://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/61b18828164bd2ed3ecfb3ed3ed5af14>を読んだ。北海道の高橋知事は、報告に訪れたアイヌの関係者にこう語ったそうである。
北海道は歴史が浅く、国からなかなか認めてもらえなかった。今回の指定はアイヌの方々だけでなく、北海道民にとっても誇り。本当にうれしい。」(赤字の強調は追加。)
 この方もやはり、「和人」入植後か明治以降の歴史=北海道の歴史という観念が頭の中にこびりついているのだろう。その前の歴史は、歴史ではないとすれば、何なのだろうか。 

 <注>確かに、「北海道」と呼ばれるようになってからの歴史は短い。そう仰りたかったのだろう。

 

☆追記(2013.04.28, 0:14):

 ジェノグラフィック プロジェクト(GP)<http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20110614>の5つの「物語」を批判した論文で、一昨年12月に明治大学を訪問していたらしいキム トールベア(Kimberly Tallbear)さんが、アフリカについて次のように指摘している。5つの「物語」とは次の通りで、このうちの(1)と(2)に関連する箇所において論じられている。
(1)「私たちは皆、アフリカ人である。」
(2)「遺伝科学は、レイシズム(人種主義)を終わらせることができる。」
(3)「先住民族は、消滅しつつある。」
(4)「私たちは皆、親戚関係にある。」
(5)GPは、先住民族と「協働」している。

 前のブログで書いたものと思って記事を探したのだが、下書きにしたままだった。某連載でも取り上げるつもりでいたのだが・・・。以下、関連部分の抄訳である。[ ]内と太字化は、筆者による追加。

 すべての現生人類の単一の遺伝上の母である「ミトコンドリアのイヴ」説を一般に広めることで、科学者も一般人もが、私たちは皆、アフリカ人であると言うのを普通に耳にする。[「日本人のルーツ」研究では、アフリカ起源については触れられているが、そのタイトルが示すように、人々の関心を巧妙に「日本人」のルーツに惹きつけようと意図されている。]

 背後にあるのは、科学を信奉することでレイシズムが消滅の途上にあるという考えである。これは、遺伝人類学者たちの間によく見られる見解である。遺伝科学がレイシズムを終結させることができるという考えが、「科学的であると同時に、文化的である」さまざまな実践において、研究の問題設定、方法、解釈に影響を及ぼすようになった。ヒトゲノム多様性プロジェクト(HGDP)を組織した人々も、プロジェクトの重要性を論じる際に、同じ物語を語っていた。

 ある意味で、「私たちは皆、アフリカ人である」という陳述は、何も語っていないのである。私たちが今日知るところの「アフリカ」が20万年前に存在していなかったことを考えると、それはナンセンスでもある。他方、「アフリカ」が一部の人間によって一つの大陸に与えられた単なる名称ではないということを考えると、この陳述は、多くのことを語っていることになる。ここでは、2つの古くから存在するアフリカ観が働いているのである。「アフリカ」は、最近の人類史と植民史の外で理解されることはできない。それは、遺伝学者たちによっても同じである。植民地主義的な「アフリカ」の一方の見方は、その差異と本源(primordialism)に焦点を当てるものであり、何世紀もの間、ヨーロッパの思想家たちは、「アフリカ」を「他者」として、時間や歴史のない場所、不条理・飢餓・暴力・死の場所、「闇黒の心臓部」とみなしてきた。もう一つの「他者」像は、その逆で、「完全なる自由、平等、友愛の黄金時代というルソー的な絵」である。どちらにしても、「アフリカ」は、すべての現生人類の祖先が登場したという一つの特定の陸地という観念以上のものを具現しているのである。

 GPは、人類の遺伝的つながりを賞賛しているようで、「つながり(connectedness)」という言葉がプロジェクトのPRにも頻繁に登場する。GPのウェブサイトに掲載された写真は、「私たちは皆、アフリカ人」という観念を描くと同時に、人類の進化の流れの中で、過去を象徴する「アフリカ人」は裸で、進化した白人は衣服を纏って近代性を表象しており、19世紀の人種科学的見方で「つながり」を主張している。
Kim TallBear, "Narratives of Race and Indigeneity in the Genographic Project," Journal of Law, Medicine & Ethics (Fall 2007), p. 414.

 

 「アフリカ」・「暗闇」と言えば、コンラッドの『闇の奥』にも触れざるを得ないだろうが、それについては、こちらにお任せしよう。
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/
 こちらに、おもしろい記事が掲載されている。
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2013/03/post_738f.html

 こちらの論文も興味深い。Cf. http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/jhk/j6-3-4/

 

☆あと1つ述べておかないと、このブログとの関係が薄くなってしまう。
 盗掘されたアイヌの遺骨が「近世以前」のものではないことは、公開されている資料からも既に明らかである<http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20120326/1332694931>が、日本学術会議が「古人骨」として研究対象に認めている基準が、どうも「夜明け」の、前か後かに関係しているようである。つまり、学術会議の人々の意識においても、「暗闇の時代」の人間の骨と「開化された時代」の人間の骨として区別されているようである。<http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20110208/1297099219

 もちろん、普通の墓荒らしは夜明け前の漆黒の闇を選んで活動したのであろうが、「人骨」研究者たちは白昼堂々と墓堀を行なったようでもある。


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2013/04/28/014531

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