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AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

研究者と新聞社の「共犯関係」

 結局、4日の未明に東村氏の論文を読んでしまった。理論的な議論に関するコメントではないが、このブログの内容との関連で大変おもしろいと思った箇所が数カ所あったので、抜き出してみる。論文を紹介している記事の直下に「追記」として入れたかったが、当初の予定より少し長くなったので、別仕立てにする。長い引用箇所は青字で示し、引用の末尾の(数字)は、同論文のページである。
 

①児玉作左衛門は、「名声も高く,1948年北海道新聞文化賞,1960年紫綬褒章,1965年北海道文化賞などを受賞している.」(3)

 先日言及した家永三郎氏のエッセイ集に「文化賞」に関するおもしろい指摘があった。「北海道文化賞」も北海道という公的な政治機関が授与しているという点で、共通の課題があるであろう。殊に、今、「文化政策」を推進するために褒賞が"reward"(報酬、言い換えれば、ニンジン)として用いられていることを鑑みれば、なおさら味わってみる必要のある言葉である。

 「ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏が、文化勲章を「辞退」した」ことに関して――「辞退」より「拒否」が適切ではないかとも指摘している――論じている章(pp. 150-151)である。引用する。

 そもそも文化勲章という制度自体が問題であろう。勲章制度全般についても問題があるが、特に文化勲章には疑問が多い。
 「国家は人間の内面的価値に中立であり、個人の内面に干渉し価値判断を下すことをしない」という杉本判決の基本原理は、最高裁学テ判決にうけつがれ、「人間の内面的価値に関する文化的な営み」への「国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」という判旨として示されている。「文学」は「人間の内面的価値に関する文化的な営み」であるから、国家が「価値判断を下す」べき領域ではないのである。
 文化勲章は「文化的な営み」への「価値判断」なしに誰に授与するかを決定できないのであるから、民間人が授賞を行なうならばともかく、国家が授賞することは「国家の権能」(杉本判決)の範囲外にわたるといわなければならないであろう。

 勲章の話が出ると、いつもあるアメリカ人の大学教授を思い出す。保守で共和党支持者であった日本政治専攻の彼は、日本政府が東部のエスタブリッシュメントの一部であるアイビーリーグの大学の日本研究者に勲章を授与することの政治的意味合いを厳しく批判していた。そこには同意したものの、もし彼が授賞対象者に選ばれたら、持ち前の明るさで、喜んで受賞したのではないかと今でも思うのである。考え方は違っていたけれど、どうしても憎めない人であった。最近、他の同年代の教授たちがみんな亡くなったことを知った。元気にされているかな。

 

②「『毎日新聞』北海道版1950.11.9「アイヌ族の学術調査開始/ バ教授(米国)の依頼で北大医学部」」(4)

 この頃は、「アイヌ族」になっていたんだな。その後、「アイヌ系」にされて・・・。

 ここで取り上げたのは、「バ教授」が出ているからである。(それにしても、この省略法!)記事の本文を持たないが、この「バ教授」とは、「UCLAの『世界で最も偉大な人類学者の一人』であるJ. B. バードセル教授」のことなのだろう。1950年の最初のフィールド調査だ!<http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20120717/1342459258>『毎日新聞』が報じていたわけだ。

 

③ 二つ目のエピソードは次のようなものである.「ところがようやく昭和九年になってはじめて,アイヌの骨格を多数発掘する機会が与えられた.それは八雲町のユウラップ浜の酋長椎久年蔵氏の牧場であるが,ときどき骨格が出るというので発掘を依頼されたのである」.ただしこの件では当初は児玉らの研究に無理解だった警察から取り調べを受け,弁 明に努めた結果ようやく理解されるに至る.その後は「刑事課はアイヌの骨格の発掘に積極的な援助をしてくれるようになり」,「各地での発掘は急に増加し,また円滑に行われるようになった」そうである.(5)

 道警察もグルだったわけだ。刑事課の態度変更の理由は何だったのだろう。

 ここの牧場からの発掘ということを読んで、フロリダでの事件と上院議員の活動を思い出した⇒<http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20120415/1334423083>。

 

『読売新聞』北海道版1964.7.23「アイヌの血液調査もめそう」で,ケンブリッジ大学の学生たちがアイヌの血液採取を希望しているものの,北大や行政機関は調査協力に消極的というもの.児玉は「学生たちには血液調査は非常にむずかしいと話しておいた.アイヌたちを一か所に集めるようなことはせず,一人一人に面接してほんとうの協力者を得るよう につとめなさい.それがうまく行かなければ他の民俗学的研究に重点をおきなさい,とすすめた」という談話を寄せている.(6)

 日高地方のアイヌ住民187人から血液(血清)サンプルを採取した1964年のケンブリッジ調査隊のことだろう。この研究者たちは、成果としての論文で「S. Kodama(児玉作佐衛門)とGeorge Kodama(児玉譲二)、その他の北海道大学の『アイヌ研究の専門家たち』、東京大学のShiro KondoとT. Umehara、国際基督教大学のW. H. Heellに対しても、アイヌ研究計画への協力と助言への謝辞を述べている」のだが、実際には「もめ」ていたのか?

 

北大児玉博士の研究 藤井氏,欧州で紹介」,『北海タイムス』1959.1.1「アイヌの人類学研究へ/ 内臓など軟部解明/ 札幌医大渡辺教授 世界で初のこころみ」(6)

渡辺が「アイヌ民族をとりあげたのは,すでに日本人と同化しつつあるのでいま研究しなければ永久にチヤンスがないこと」が理由だそうである.「内臓など軟部」をどのようにして収集したのかは説明されていない.(15) 

 

 『北海道新聞』1959.7.31「完全な骨格でる/ 八雲でアイヌ墓地を発掘」は,札幌医大解剖学教室の三橋教授や埴原助教授,函館市立博物館の武内館長らの発掘の模様を写真入りで報じたものである.「身許が確認されているアイヌの骨格は非常に少なく,とくに今回のように身許の確認された三代のアイヌ骨格が発掘されたのははじめてのことで,骨格遺伝学のうえからも貴重な資料とされている」という.

 『北海道新聞』1961.5.30「完全な姿で発掘/ 百年前のアイヌの人骨」は,「いままで名寄地方でアイヌ人の完全な人骨はあらわれたことがなく人類学的にも貴重な資料になると郷土史研究会の人たちは大喜び」したとこれも骨格の写真入りで報じている.(7;強調は追加。)

  北海道新聞』1963.8.7「完全なアイヌの人骨/ 阿寒町遺跡 三百年前の一体発掘」も,釧路市立郷土博物館の学芸員らの発掘を人骨写真とともに紹介している.「道東地方で完全なアイヌ人骨が発掘されたのはこれまで網走市だけだったので,アイヌの埋葬様式,墓制の研究に貴重な資料として注目されている」.(7)

 釧路市立郷土博物館の学芸員らの発掘も。今、骨はどこ? やはり、博物館も対象として調査せねばなるまい、文部科学省のお役人さん。

 

児玉はその代表格ではあるものの,児玉のみのことではなく,他の研究者も新聞社も共犯関係である.(7)

 ここ、大事なところですね。「共犯」というからには・・・?

 

東村氏の論文は一つ前の記事に記してあるが、私の言葉と混同されないように、念のため、彼の労作であることをもう一度記しておく。
東村岳史「アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの―過去の「露頭」の発見と発掘―」『国際開発研究フォーラム』43(2013. 3)<http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/bpub/research/public/forum/43/01.pdf


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2013/05/06/132748