AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

リンカーン、「古代DNA」研究、そして遺骨返還

  『朝日新聞』に「(文化の扉 歴史編)人種差別主義者だった? リンカーン」という記事が載っていた(2013年5月13日)。リンカーンについては2年前に取り上げたことがあるが(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20110403/1301813402)、何で今頃?と思ったら、現在公開中のスピルバーグ監督の作品「リンカーン」の宣伝も兼ねてのことのようだった。(http://digital.asahi.com/articles/TKY201305120288.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201305120288

  女優のアンジェリーナ ジョリーさんが遺伝子検査の結果を受けて、乳癌予防のために乳房の切除と再生手術を行なったことが話題になっていて、遺伝子検査がますます盛んになりそうでもある。

 ところで、リンカーン大統領の身体組織の「古代DNA(Ancient DNA)」研究が提案されていることはご存知だろうか。リンカーン大統領の身体組織は、ワシントン D.C.にある国立保健・医学博物館に保管されており、これまでに何人かの研究者が、その遺伝子研究を提案してきている。アメリカ自然人類学会の機関誌に11年ほど前に掲載された「古代DNA」研究の方法と倫理に関する論文にそのいくつかが言及されているので紹介しておく。その道の研究者は既にご存知だろうし、素人には必要ないだろうから、出典は省く。

 アメリカ大統領の健康状態が恐らく世界史を変えたという有名な事例にはF. D. ロゥズヴェルト大統領の病気と死亡があるが、リンカーン大統領は、暗殺されていなくても、あまり長生きはしなかっただろうという、歴史に「もし」を導入したい「科学者」の提案がある。

 リンカーン大統領にはフィブリリン遺伝子の異常によって起こるマルファン症候群の症状のいくつか(例:非常に高い身長や非常に長い腕、大きな手)が見られたそうで、彼の曾々祖父の子孫がその疾病の診断を受けているそうでもある。そこで、彼が暗殺されていなくても、マルファン症候群を罹患している患者の共通的な死因である大動脈破裂によって、リンカーンも比較的若い年齢で死亡したのではないかと指摘されている。「古代DNA」研究者たちは、それを確認したいというわけである。

 さらに、リンカーン大統領は「うつ病(melancholia)」にも苦しんでいたと指摘されている。うつ病にも遺伝的要因があるとされてはいたが、(この論文発表の時点では)どの遺伝子による発病かは科学的に解明されていなかった。しかし、それは「うつ病」を引き起こす確率を高める遺伝子が将来にわたって発見されないということを意味するわけではなく、そこで「古代DNA」研究者たちは、リンカーンの「うつ病」についても彼のDNAを研究することによって解明できると提案しているのである。

 しかし、この論文が発表されている段階で――そして(詳しく調べてはいないが)恐らく今も――それらの研究は、認可されていない。

 死去した特定の人物の疾患、特に精神的疾患を研究することは、その人物の評判に対する影響とその子孫の評判の双方の点において、大きな倫理的問題があると指摘されてもいる。この論文も、「古代DNA」研究の倫理的問題を他の方面からも含めて、考察している。

 まぁ、政治家は、多かれ少なかれ「メランコリー」なのだろうとも思う。さて、連想ゲームではないが、「リンカーン」と言えば、ネブラスカ州の州都リンカーン市は、彼に因んでそれまでのランカスター村から改名された都市である。ネブラスカ領(準州)の首都はオマハであったが、暗殺された大統領の名に因んで改名したリンカーンに遷都する際には、オマハの利害関係者が南北戦争の南部に同情的であった人々の感情に訴えて遷都を妨害しようとしたとのことである。

 このリンカーン市にネブラスカ大学リンカーン校がある。5月8日の記事(http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2013/05/08/003201)で紹介した遺骨の返還が、現地時間の17日に行なわれる。その直前の様子をLincoln Journal Star紙が15日の記事で報じていた。

 チャーメイン シャワナ(Charmaine Shawana)さんをはじめとする小さな代表団が、州立ネブラスカ大学博物館に長年にわたって保管されてきた先祖の遺骨を迎えるために、15-16日、早朝から12時間近く車を運転してリンカーン市を訪れた。2人の先祖の遺骨がミシガン州のトライブの墓地から持ち出されてから1世紀以上になる。

 1990年に制定されたNAGPRAによる返還であるが、今日返還に積極的な連邦機関や連邦助成金を受ける大学も、常にそうであったわけではない。

 ネブラスカ大学の東キャンパスには、トライブのリーダーたちの3年近くに及ぶ大学に対する説得の努力を証言する記念石碑が建立されている。遺骨の多くは既に火葬に付され、東キャンパスに撒き散らされていたそうで、大学当局が近くに記念碑を建てることを決定したとのこと。

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(Source: Lincoln Journal file photo)

 博物館の事務長(director)プリシラ グルーさんは、ミシガン州の7つのトライブの連合組織と2008年以来、博物館にあった遺骨と27個の埋葬品の返還に向けて協働してきた。彼女によれば、同大学は、1998年以来、1,849人の遺骨をトライブに返還したそうである。

  この度の返還の起源は、マーティン L. イートンという男がミシガン州ミッドランドの近くにある墓から2人の先住民の遺骨を持ち出した1883年に遡る。同じ年に彼は、別の先住民たちの墓から27個の埋葬品を奪った。ネブラスカ州立博物館は、それらの遺骨と遺品を1894年に収得した。

 フェアベリー(Fairbury)地元紙の1894年2月17日の死亡記事によれば、イートンは地元の医者でジェファーソン郡の検死官を務めたことのある元市長でもあり、またネブラスカ州兵連隊の副官でもあった。彼は、同年2月12日に肺炎で36才で死亡している。[Fair(公平な)bury(埋葬する)という地名が何とも皮肉である。]

 19世紀終盤は、サギノー チッパワ人にとって特に厳しい時代であった。彼らは、狩猟地の喪失と連邦政府による強制的同化による文化・言語の破壊に適応しようと苦闘している時代であった。

 遺骨の帰還に合わせて、トライブでは先祖のための饗宴を催して、返還される祖先のためにトライブが特別に指定した墓地に遺骨を再埋葬する。シャワナさんは、「遺骨の安息が二度と妨げられないことを願っている。」

Kevin Abourezk, "NU museum to return two Native skeletons," Lincoln Journal Star, May 15, 2013.  http://journalstar.com/news/local/education/nu-museum-to-return-two-native-skeletons/article_f15bb919-a553-587b-bbb5-c3c6ca37b054.html


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2013/05/18/171023