AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

雨の日に1989年の3人を想う

 台風4号が温帯低気圧になる前の日の午後、6月の雨の音を聴きながら、私はある3人の人の顔と姿を思い浮かべていた。3人とも、遺骨返還訴訟の原告の一人、小川隆吉さんが知っている人たちでもある。時期的なものもあるだろうが、3人とも、1989年のILO 107号条約改定/169号条約採択と関係している(http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20100627/1289493758)。

 一人目は、北海道ウタリ協会の理事長だった野村義一さんである。下の写真は、ジュネーヴILO本部の巨大な建物である。89年に私は、野村さんとその中に居合わせていた。会期中の週末、この建物の右端の何階だったか忘れたが、上の方の階の1室が先住民族の代表たちの「戦略会議」のために開放されていた。電灯がついていたのかどうか、暗い雰囲気の記憶しかない。もしかしたら、会議の雰囲気を反映してのイメージが残っているのかもしれない。7月/8月の国連の会議ほどの参加者はいなかった。
 週末のため、建物の中のレストランも開いてなく、市街地から離れた場所にあるため周辺にもレストランはない。昼食時になると、誰かが街で仕入れてきたサンドウィッチ(20cmほどの細いフランスパンにそれぞれハム、チーズ、サラミ、レタスとトマトなどを挟んだもの)とコーラなどの飲み物を数フラン(サンドウィッチが2フランで、飲み物が1フランだったと思う)で買って食べる。数が限られているから、サンドウィッチは、運が良くて2本までだった。その場で最高齢の野村さん――75歳前後だったかな――とて例外ではなく、丈夫な歯でサンドウィッチをかじる野村さんの姿が瞼に焼き付いている。そんな環境でも、土日にもかかわらず、野村さんは、アイヌ民族の「顔」として熱心に会議に出続けていた。
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 二人目は、当時まだ20代だったと思うが、ICCから送り出されて来ていたアラスカ先住民女性のD. S.さんである。(一応、フルネームの記載は差し控える。)1987年に北海道ウタリ協会が初めてUNWGIPに参加した時、とても好意的に迎え入れてくれた方である。それが小川さんにも好印象を強く残したようであった。
 自決権に制限が付けられる形で終わった改定会議の最終日の夕刻、先住民族用の小部屋に残った、徒労の表情の仲間たちの前で、彼女は、目に涙を浮かべて悔しさとその後に対する不安を語った。
 その悔しさをバネに――と、ありふれた物語では書くのだろうが――彼女は、その後、東部の名門大学で学位を修め、地元の大学で教鞭を執るようになり、先のPFIIでも活発に活動していた。彼女は、文字通り、人生を先住民族の権利を承認させ、実行させる闘いにかけてきたと言ってもよかろう。
 ちなみに、彼女に毎年付き添っていた弁護士は、物静かで、とても誠実な人だった。また、非常に頭脳明晰な人でもあった。

 三人目は、久保田洋さんである(http://www.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%B5%D7%CA%DD%C5%C4%CD%CE)。北海道ウタリ協会の小川さん(たち)は、国連の人権担当職員であった久保田さんが帰国した際に国連のことを聞くために東京まで会いに行ったそうで、久保田さんが忙しいスケジュールを割いて会ってくれたことへの感謝の気持ちを小川さんから何度か伺ったことがある。「10年は続けるように」とアドバイスを受けたそうである。
 野村さんたちが帰られた後、私は数日間、一人で残った。最終日だったか、久保田さんとWIPOの11階(だったかな?)にあるレストランで昼食を共にしながら、今後のことを話す機会があった。この時、ウタリ協会のことも話題に上ったが、それは忘れたことにしておこう。
 久保田さんは、例年なら夏休みにご家族と一緒に日本に帰っていた。その年もその予定だったらしいが、急遽、国連ナミビア独立支援グループの一員としてナミビアヘ行くことに予定を変更したと言っていた。私が理由を尋ねると、彼は、人権センター職員としてそれまでにもナミビアの人々の支援に特に力を入れてきていて、その新しい国の誕生を見届けることは自分のライフワークだと話してくれた。
 「また来年も会いましょう」ということでお別れし、私は帰国した。それから1週間経つか経たない日の朝、新聞の地方版に掲載されている彼の死亡記事を目にして、私は自分の目を疑い、呆然とした。
 あれからもう24年目であるが、惜しい人を亡くしたものだ。今ごろ「スピリットの国」で、野村さんと久保田さんは語り合っているのだろうか。今の北海道アイヌ協会について、どんなことを語り合っているだろうか。


P.S. (2013.6.23, 13:50): 24年前ということは今年と同じ暦だから、私は、この週末に帰国したのだった。書く時間がなかったから昨夜になってようやく投稿できたのだが、何か不思議なものを感じざるを得ない。さらに先ほど、遠く離れた地で小川隆吉さんも久保田さんのことを想っていたという報が届いた。


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2013/06/23/021313

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