AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

アイヌの「認定」について

 今日はのんびり英語の授業でもと考えていたのだが、それは後で余力があったらということにしよう。

 昨晩、「ヴェロニカちゃん事件」についての米最高裁判決に触れたが、26日にAFPBB Newsが短い記事を出していたようで、今日、こちらに転載されていた。⇒http://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/085d2d5bad1b783297aee9cdb1d950a0

 ちなみに、昨晩載せることは思い止まったのだが、この件に関する全米各メディアの反応の一覧(一部)を載せておく。<転載にあたり、省略した。>

 インディアン諸国でこの問題になぜ極めて大きな関心が注がれてきたのかということの理由に、この事件がインディアン トライブや諸国の主権や自決権(cf. 直前のオバマ大統領令)に関わっているからである。生物学的な「血の割合」を取り上げて、ヴェロニカちゃんを「1%のチェロキー」と呼ぶ人種主義的な臭いのするメディアもあるが、誰が自国の市民であるかを決めるのはチェロキー ネーションの主権に関わるからであり、この判決が他のインディアン諸国・トライブに対して持つ意味が極めて大きいからである。

 上記の「先住民族関連ニュース」にもう一つ、共産党の紙議員が政府に質問主意書を提出したという『赤旗』の記事が掲載されている(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-06-27/2013062705_02_1.html)。主意書そのものを未入手のため、暫定的な意見としておくが、これにもアイヌ民族の権利という観点からは憂慮すべき問題、もっと議論されるべき問題が含まれている。
 記事には「民族の認定」となっているが、アイヌ政策推進作業部会で語られているのは政府の施策の対象とする個人アイヌの認定であって、それを誰が行なうかという問題である。遺骨返還請求訴訟の重要争点の一つである、コタンを集団の内在的な権利を有する主体として承認するか否かという問題とは根本的に異なる。先住民族の権利を行使する実態/実体がないと主張していた常本部会長が率いる作業部会が、個人の認定を北海道アイヌ協会に委ねるという方針を示しているが、それでは「透明性、客観性」の観点からダメだというわけである。
 「透明性」が求められる背景にはもっともな理由がある。一連の「不正事件」に見られる組織内の腐敗や縁故主義の蔓延などであろう。しかし、なぜそのような事態に至ったのかという構造的諸要因の検証は不十分なままであるし、また、先住民族の権利という観点から政策を作成・実施するという話になった段階でそれまでじっと温存してきた「弾」を一気に放ってきたという背後の政治勢力の検証も不十分なままである。そして何よりも、今後に回復が求められるアイヌ民族の権利の観点から見た場合に、誰がアイヌであるのか/ないのかを「政府の下に直接設置」される機関が決めるということの意味合いを深く考えるべきであろう。(もしアイヌの皆さんが、「そんな先住民族の権利なんかいらない」と仰るのであれば、私はもう何も言わないし、このブログも閉鎖しよう。)
 近年取り沙汰されている北海道アイヌ協会内の不正や腐敗を擁護するつもりはないが、例えば、今日、震災復興予算から中部電力に100億円もの巨額資金が流用されていたというニュースを見れば分かるように、この国の政治も行政も経済界も腐敗の事例には事欠かない。だからと言って、これから政府の施策を何でも外国や他の国際機関に決めてもらいましょうということにはなるまい――それもまんざら悪くないと言う人もいるかもしれないが。
 要するに、個人アイヌとして認定する/しない、どうやってそれを行なうかなどは、本来、アイヌ自身が「チャランケ」し合って決めることだろう。それが機能していないから、このような提案が出てきて堂々巡りになるということもある。奨学金などの必要な施策を早く実現したいという紙議員の温情からの質問であろうと、当面は受け取っておくことにして、今後の推移を見ることにする。

 P.S. どうせ質問主意書を提出されるのなら、私としては、遺骨の慰霊のあり方や「集約施設」における「科学的」研究の是非について、ご本人の見解も交えながら政府の意図を質していただきたかった。近々、次の主意書を期待する。


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2013/06/28/224023

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