AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

13件の新たな開示文書を読んで

 何もかもがオリンピックに絡めて語られるようになった昨今、それに倣えば、台風18号も一足先にお祝いと下見を兼ねて東京訪問というところだろうか。(P.S. 人口密集地帯を直撃のようで、進路とその周辺の皆様は、十分に注意して下さい。)
 
 台風15号と17号の影響で9月第1週は、最高気温が一気に10度近く下がったが、今週の頭からまた30度以上の日々が戻ってきた。もう35度以上には戻るまいと思っていたが、このような極端な変化は、老いつつある体にはきつい。そんな折、9月10日の夕方、西日に向かって走る車の中で、東京オリンピックの開催期間が7月24日から8月9日になったというニュースを聴いた。わが耳を疑ってしまったが、間違いなかった。パラリンピックは8月25日から9月6日までだそうである。
 誰が決めたのだろうね。多分、競技をする人たちではないだろうと思う。7年後の夏が冷夏ならまだ良いかもしれないが、今年のような猛暑日が続く夏だったら、マラソンを始めとして、他の野外で行う競技の選手たちは大変だ。最高のパフォーマンスを見せることができるだろうか。
 「スポーツの秋」という言葉がある。これからメディアでも度々見聞きするだろう。今は変わってしまったが、10月10日は「体育の日」だった。東京オリンピックの開会式の日を記念して、2年後の1966年から祝日となっていた。小学校の頃、先生に、なぜ10月10日になったのかと質問したことを覚えている。先生は、その日が過去の統計から最も雨が降り難い日だからと教えてくれた。以来、私はずっと長い間、それを信じ込んでいた。(実際には、10月14日が「特異日」なのだそうだ。⇒http://p.tl/miBe
 いずれにしても、日本の気候ではわざわざ最も暑い時期を選んで開催することはないのではないかと思うのだが、まあどうでもいいと言えば、どうでもいい。猛暑日の連続に観客は室内競技会場に殺到、どの会場も冷房をガンガン入れて、電気需要はピークの連続。わざわざ暑い所に出かけて見ることはないと、家でテレビ観戦を決めた国民の大多数は、やはりクーラーをきかせての観戦。オリンピックのために原発再稼動なんて言い出す人間も出てくるのではないか。
 
 さて、今週10日深夜に眠気眼で北大医学部教授会の議事録を読んだ。「議事録」と「議事概要」の違いについてはいつか書いたことがあるが――いつだったか探したが、ちょっと見つからない――、この「議事録」というのは、「審議」も「報告」もごちゃ混ぜで、政府のアイヌ政策関係会議の「議事概要」よりもひどい。

 開示された文書の中には、いくつか興味深い記述があった。

★「返還」から「保存」へ
 文書1-1(1982/09/09)と1-2(1983/04/21)では北海道ウタリ協会理事長(当時の野村さん)からの「返還と慰霊祭の実施等」の問題であったのが、1-3以降では「アイヌ人体骨の保存」の問題と変容している。これでは、関心を向けていない教授会メンバーは、深く考えまい。

☆北大の基本見解:遺骨とは「非常に貴重な学術研究資料」
 北大医学部の「人体骨」に対する見解は、この時から今日まで変わっていないようである。
「本学部としてはアイヌ人体骨は非常に貴重な学術研究資料であり、今後も保管を希望する旨を述べ、慰霊祭の問題も含めて具体的に交渉を進めることとなっている」(文書1-1)

★「国有財産」
 2-1(1983/04/21)は、1-2と対のメモであるが、11枚目~18枚目に「アイヌ人体骨標本について」という項目がある。今回の13件の開示文書の中では、私にはこれが最も興味深く、また重要であるようにも思われた。冒頭の黒塗り部分は、海馬澤氏であろう。「人体骨は大学として貴重な研究資料であるため」、同氏とは「折り合いが付かなかった」が、北海道ウタリ協会理事長の要請に対して、医学部は「遺族等[←「等」に注目]が希望するのであれば返却することもやむを得ないとの結論となり、今後は返却する方向で折衝する」という方針を出していたようである。その後、ウタリ協会が「アイヌ式(イチャルパ)で供養するため人体骨を1ヶ所に集めた納骨堂のような施設を大学側で設置してほしい」と求め、毎年1回のイチャルパに対する費用の大学による負担も求めたとなっている。
 施設設置に関して、医学部は、「社会的、道義的にマスコミ等が介入し、強いては国会論争の問題にも発展しかねないものと危惧」し、「誠意をもって対処すべきであろう」と結論している。この後、施設建設に関するいくつかの選択肢を検討して、現在の「納骨堂」になった経緯が記されている。
 費用負担については「不可能であるとしても」、「双方で協議して行く必要」を認めている。
 上記2点の間に「施設」に対する「管理運営の方法」に関する項目がある。ウタリ協会の管理主張に対して、「国有財産である以上、大学側で管理する以外にはない」と結論している。
 結局のところ、今般の北海道アイヌ協会による「慰霊施設」の要求の起源は、ここに遡るようである。しかし、北海道ウタリ協会が1983年に介入して行った経緯にまだよく分からない部分がある。
 医学部は、「施設」を「国有財産」としているが、その中にある遺骨に対しても同様の認識であったのだろう。北海道大学はその後、国立大学法人に変わったわけだが、この移行に際して、「国有財産」としての遺骨に対する権利も自動的に移行したことになるのだろうか。どういう手続きを経て? これは、私は門外漢でわからない。同じく、単なる素朴な疑問であるが、遺骨が医学部の言うように「人体骨標本」という「学術研究資料」であるならば、移行に際して「物質移転合意書」(MTA)は交わされたのであろうか、必要なかったのであろうか。
 
☆反対意見
 「ウタリ協会側の民族問題研究会から反対の意見が出された」(1-3:1983/05/12)ということであるが、今回の開示文書からは、その具体的な内容は分からない。協会には資料があるのだろう。

★「1回目だけは」
 昔、♪一度だけなら、許してあげる~♪という野村将希の歌があったけれど(http://youtu.be/cK1BHQbLH64)、1-4(1983/05/26)では、「1回目だけはウタリ協会側の意見も尊重しなければならないと思うことから、医学部全体の問題として、解剖学関係講座を中心に本学部教官有志に対して寄付依頼の方策等を講ぜざるを得ない状況にある」との説明。1-6(1983/12/08)では、供養祭の費用に「約120万円位を予定」していて、「道の中川副知事資金援助を要請してきたところ」で、「第1回目の費用については協力してもらえることになった」と、ここでもとにかく1回目のみの対応である。また、「供養祭を本学と道の費用で実施することになる」と言っており、「政教分離」の理由は、後からつけたものではないのか?

☆「政教分離」?
 一連の文書ではイチャルパの費用に頭を痛めているが、1-5(1983/09/08)では、「アイヌ人体骨標本の保存問題」という議題の次に、「本年度解剖体追悼法要について」があり、これを「東本願寺幌別院において執り行うので多数参列されるよう要請」している。同じ研究のための「死体」であっても、どことなく同じ重さの尊重が感じられない。この「宗教」行事にはどこから予算が出ているのだろう――1-7(1984/09/13)に「無宗教により執り行う」とのことではあるが。
 1-8(1985/09/12)でも、「解剖体慰霊式」の次に、「第2回アイヌ人骨イチャルパ」が登場。同じく、「アイヌ納骨堂(医学部標本保存庫)において社団法人北海道ウタリ協会の主催により行われたこと」が報告され、1-9(1986/09/11)では、「解剖体慰霊式」の次が「第3回アイヌ人骨イチャルパについて」、そして次に「動物慰霊式が開催」という報告の並びである。
 この頃の費用の出所には何も言及がない。「頭の痛い問題」(次項参照)は解決されて、イチャルパの実施が軌道に乗ったかのようである。下の1990年までの議事録でも同様である。
 1-10(1987/09/10)でも、「解剖体慰霊式」に続いて「動物慰霊式」。「動物実験施設に1億3千5百万円の予算がついたので空調設備の更新のための工事」。それに続いて、「第4回アイヌ人骨イチャルパ」終了の報告である。1-11(1990/09/13)では、「解剖体慰霊式」案内の前に、「アイヌ・イチャルパ」の実施が簡単に報告されている。

★「頭の痛い問題」
 「医学部標本保存庫」という建物の侮蔑的な呼称は既に知られていることではあるが、1-7(1984/09/13)で、「第1回アイヌ人骨イチャルパ(供養祭)が、8月11日(土)・・・アイヌ納骨堂(医学部標本保存庫)内で、社団法人北海道ウタリ協会の主催により無事、終了した」と報告されている。2-2は同日の教授会メモであるが、学部長が「この問題につきましては、決してこれで全て終ったということではなく、今後第2回目以降のイチャルパの問題について話し合いを続けていかなければならず頭の痛い問題です」と告白している(手書き挿入部分省略)。

旭川・釧路地区への返還
 1-8の議題は「アイヌ人骨イチャルパ及び一部地域への返還について」となっており、「かねてから返還要望のあった旭川地区の5体分及び釧路地区の7体分にかかる人骨」が、「それぞれ8月7日及び8月30日に現地に移送し返還」されたことが報告されている。

 以上、太字の強調は追加。

◎追記(2013.09.15, 23:10):

 また「オリンピック」や「台風」、「夏バテ」といったキーワードが入ったからかどうか知らないが、現時点で過去最高のアクセス数を記録している。

 13件の教授会文書は、1982年から90年という非常に興味深い期間のものである。1980年には日本政府が国連の規約人権委員会に対して初回報告を提出し、第27条の「少数民族は日本に存在しない」と主張していた(U.N. Doc. CCPR/C/10/Add.1, 14 Nov. 1980)。また、第1回イチャルパが開催された1984年には、北海道ウタリ協会は「アイヌ新法(案)」を総会で採択している。その他、中曽根首相の「単一民族国家」発言、1987年の「先住民に関する国連作業部会」への出席などの重要出来事があるが、遺骨関係に絞ると、1990年にはここの読者には既に周知の通り、アメリカでNAGPRAが制定されている。
 NAGPRAは、1990年に突如として出現したわけではない。それに先立つ1980年代に、さまざまな州で遺骨や埋葬品、文化遺品などの返還に関する法律が制定されている。「再埋葬/返還」に関する法律を制定している州は今日までに38を数えるが、他の州では考古学的・歴史的保存に関する法律や墳墓保護の法律などを適用している。

 1980年代のアメリカにおける遺骨・副葬品の返還を求める先住民族の法制化要求の運動や成立した法律に関する具体的な動向が日本国内に伝わっていなかった――と、私が知る限り、思われるのだが――のが残念というか、今から振り返れば、北大構内に納骨堂を造ること以外の要求の選択肢があったのではないかと考える。もちろん、歴史に「もし」は許されないのだが。
 今回1980年代のアイヌの遺骨返還をめぐる資料を読んで、今般の「慰霊施設」をめぐる状況がまさに"Deja vu"であるという印象を改めて強くした。利害関係者の数が増え、予算その他の物事の規模は拡大したが、問題の構造は大きく変わってはいないように見える。
 1980年代と今日で何が大きく変わったのかと言えば、新たな国際規範とそれを軸に先住民族を取り巻く国際的環境の変化であろう。(にもかかわらず・・・。)

 ところで、政府、「有識者」、そして「協議」に参加している北海道アイヌ協会などのアイヌの「代表者」たちは、これからの各種開発工事や「遺跡」の考古学調査によって発掘される「人骨」や文化遺品をすべて、「文化財保護法」の下で「象徴空間」の慰霊施設や博物館に「国有財産」として献上する考えなのだろうか。これに関する具体的な言及がほとんど出ていないということは、暗黙裡の前提が存在するみたいである。「民族共生」を謳うのであれば、「文化財保護法」をも「民族共生」のための法に変えなくても良いのか。有識者懇談会報告における政策の法制化の提言の射程には、この課題は入っているのだろうか。(この問題は、11日の第5回「アイヌ政策推進会議」で配布された資料の「アイヌ遺骨の返還・集約に係る基本的考え方について(概要)」に、次のように「今後の検討課題」として挙げられている。「今後発掘されるアイヌ遺骨の取扱い(象徴空間への集約、文化財保護法等に基づく手続等)」。)

 長くなったので、この件に関係する、遺骨や文化遺品の返還・再埋葬に関するカリフォルニア法を紹介して終わることにする。(これは、「遺跡」発掘に関する別エントリーに添えて出す予定だったものである。)

 1990年代初めにアメリカの連邦と州の埋葬品に関する法律を最も幅広く集めて論じたH. Maracus Price IIIによれば、カリフォルニア州法が最も「広範囲に及んでいて厳しい」埋葬法を有しているということであった。この法律は、公共財・私有財双方に適用する。
 墓地の外で人骨が発見された場合、郡の検死官が知らせを受け、検死官は、人骨が先住アメリカ人由来のものであれば、州機関である「先住アメリカ人遺産委員会(Native American Heritage Commission=NAHC)」に通知する。NAHCが当てはまりそうな生存中の子孫を見つけることができなかったり、あるいはもし子孫たちがどうするかの勧告をNAHCに行えなければ、その人骨は土地所有者によって再埋葬されなければならない。この法律に違反すれば、禁固刑による処罰対象となる重罪となる。さらに、1984年1月1日以降に墳墓から取られた先住アメリカ人の文化遺品や人骨を保持していることは、ほとんどの状況の下で違法となる。

 この法律の制定には抵抗もあったが、自主的返還も行われた。1989年6月、カリフォルニア州スタンフォード大学はオーローン-コスタノアン(Ohlone-Costanoan)トライブ(http://www.ohlonecostanoanesselennation.org/)に、「科学的分析」の後でだったが、550体の人骨を返還し、さらにキャンパスに存在していると知られている50の考古学遺跡を保護するという決議を採択している。

参考:
Kathleen S. Fine-Dare, Grave Injustice: The American Indian Repatriation Movement and NAGPRA (Lincoln and London: University of Nebraska Press, 2002), pp. 97-114に、1980年代の主な州制定法と主だった返還事例の年表などがある。年表から一部抜粋しようと思っていたが、あまり必要とされそうにないから、無駄な労力は省くことにする。上のカリフォルニア州法に関する叙述は、このpp. 98-99からのものである。常々思うのだが、この本のタイトルは本当にうまく付けたものである。"grave"の「墓」と「重大な」という2つの意味をかけていて、「重大な/墳墓の不正義」という具合になる。

 カリフォルニア州法⇒http://www.nahc.ca.gov/has.html
 アメリカ各州の「インディアン埋葬法」(Indian Burial Laws)⇒http://www.arrowheads.com/component/content/category/34-indian-burial-laws

 カリフォルニアの返還関連法を紹介する記事:James May, "New California repatriation law includes enforcement teeth, Indian Country, October 31, 2001.⇒http://indiancountrytodaymedianetwork.com/ictarchives/2001/10/31/new-california-repatriation-law-includes-enforcement-teeth-87160(記事中に2ヶ所?と表示されるのは――である。)

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