AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

放送大学の「人類学」教科書

 日本語で「顎が落ちる」というと、「食物の味の非常によいことのたとえ」であり、「ほっぺたが落ちる」とも言う(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/3199/m0u/)。だが、英語で「顎が落ちる(jaw-dropping)」というと、開いた口が塞がらないほどの大きな驚きを意味する:"Causing great surprise or astonishment"(http://ejje.weblio.jp/content/jaw-dropping)。さらに、「顎をはずす」のは、大笑いすることのたとえである。

 近頃、わが輩は、これに「顎が落ち」た。

 内閣官房に設置されている「アイヌ総合政策室」が――次の文には主語がないが、これだと思われる――「国土交通省文部科学省など関係省庁との連携・調整を行ない、アイヌ政策推進に当たることになっているので、およそ500年に及ぶ植民地的な支配からアイヌ民族はいよいよ脱却できるかもしれない。」(本多俊和・大村敬一『グローバリゼーションの人類学――争いと和解の諸相』、放送大学教育振興会、2011年、114ページ=本多俊和「第7章 民族と権利」。強調は、わが輩による。)
 ナイーヴな、あまりにナイーヴな! どこかの誰かフツーの人がブログにでも書いているのなら特に取り上げることもなかろうが、放送大学の人類学の教科書となると無視もできまい。副読本が子どもの教育に与える影響という点で重要であれば、こちらは大人に対する社会教育という点で重要である。現在、放送大学で人類学を受講している学生および番組を視聴している非受講生を合わせるとどれくらいの数になるのか、少し調べてみたが、まだ把握できていない。しかし、これも「国民の理解」推進の一環であることは確かである。

 どういう思考回路で上のような結論に至っているのか、そしてそれが内包する問題は何か。そのうちここかどこかできちんと批判することになるだろう。
 それにしても、"sloppy"な仕事である。まるで、推敲も校正もしなかったのだろうか、自らが監修したようだが編集者はいなかったのかと思わせられる箇所が、あまりにも多すぎる。これを教科書として買わされる学生が可哀想だ。

 顎が落ちるほどのご馳走ではないが、酢コンブは、噛めば噛むほど味が出る。しかし、本多氏の3章は――他の章は、1つを除いて未入手――、読めば読むほど「顎が落ちる」。


関連記事:
http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20120223
http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20110224


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20130128/1359305342

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