AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

「終結・転住政策は、破壊的政策であった」

 まるで、(1)の最後を引き継ぐ感じで、本多氏のインタビュー記事も載ったことのある(http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20130130/1359473927Indian Country Today MN紙に3月21日、1950年代の終結政策と転住政策がインディアンにとって破壊的であったという非常にタイムリーなコラム記事が載った。2つ3つ、言葉の用法に問題を感じはするが、半分くらいを訳して紹介しておく。

1950年代初期・・・・ある年齢の人々は、もし都市へ転住する意志があれば現金を提供されて仕事を約束された。・・・・今と同様、当時も大半が教育を受けていなかったインディアンたちは、都市の労働者階級の一部となるはずであった。労働者階級の白人たちは、戦後の需要、復員兵援護法、強力な労働組合のおかげで繁栄していた。


・・・・トライブ市民が都市で同化した生活を送るようになると、連邦政府は、トライブ政府との関係保持を終らせるというのが計画であった。


・・・・トライブが合意するかどうかが違いを生むということはなかった。なぜなら、最高裁が長い間、インディアン諸国との関係を保護者と被後見人の関係と定義していたからである。この関係の良い部分は、保護者はその被後見人の最善の利益において行動する法的責任があることである。その悪しき部分は、裁判所は何が「最善」かということの基底にある価値判断を問うことをめったにしないことである。


インディアン保留地は、白人とインディアンにとって同じ意味をもってはこなかった。私たちは、私たちの土地の大半を植民者に譲渡した後に私たち自身のために「保留した」土地と考える傾向にある。白人たちは、保留地を伝統主義者たちを原始的な慣習が消え去るのを待つ間置いておく場所と考える傾向がある。一種のより親切で、より思いやりのある収容所である。


終結・転住政策は、人種の坩堝を掻き混ぜる政府の試みであった。その中にはあまりに長い間、あまりに多くの固まりができていたからである。田舎の伝統をもった田舎の民族を田舎の地に置けば、その土地が彼らのニーズに不十分であると彼らはもっと貧しくなりかねないけれども、彼らは、大都市の誘惑に思い焦がれることはない。


寄宿学校運動は、識字率を向上した。しかし、子どもたちはしばしば故郷に帰り、そしてインディアン人口は依然として分散しなかった。


終結・転住政策は終結されたトライブにとって破壊的な政策であり、転住させられた個々人は(拡大)家族の愛情の中での田舎の貧困と軽蔑して扱われる人種としての都市の貧困の違いを学んだ。


・・・・

Steve Russell, "Elders Are Our Strength"
http://indiancountrytodaymedianetwork.com/opinion/elders-are-our-strength-148273


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20130322/1363963969

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