AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

『報告 アイヌ政策のあり方と国民的理解』を読む(3)

1 はじめに

 アイヌの人々のかかえている問題について、我が国の対応はこれまで決して十分であったとはいえない。そこには国民的理解が進んでいない、という背景があるが、一方で行政が取り上げないことが、さらに国民の理解を進めない要因ともなっている。(p. 1)

 赤字部分が「要旨」にはなかったので、ここで注記しておく。しかし、ここにも政治家は免除されている。(今の政治家を見ると、ある意味で、その方が安全、無難であるかもしれない。)

 近年になって、在日の人々の歴史や蒙っている不利益について多くが語られるようになり、国内に決して少なくない外国人研修生や日系ブラジル人、農村の外国人花嫁の存在が可視的なものとなってきて、単一民族国家の神話は崩れてきている。(p. 1)

 「在日の人々」というのも曖昧な言い方ではないかな。やはり、「〜の人々」には、言及対象をぼかす作用があるみたいだ。

 「単一民族国家」というのは、「国民」の構成要素としての「人々」が見るか見えないかだけの問題であろうか。「神話」とは何だろう。崩れてきているだろうか。(もっと「少数」でも、注目されている「人々」はいくらでもいそうだが。)

また、アイヌ文化に文字が存在しなかったこと、狩猟採集民であったこと、などから、「遅れた」存在であるとみなされてきたということがある。われわれが研究する人類学の分野では、それぞれの文化を遅れているとか進んでいるとかいう指標で眺めるのではなく、それぞれの文化を多元的な尺度で眺めるべきであると考えられているが、それは必ずしも世間一般に受け入れられている思考法ではない。(p. 1)

一方でアイヌであることが世間一般にはマイナス・イメージと結びつけられているために・・・・。(p. 1)

 このシリーズの(2)で指摘したことと同じだ。誰たちが、そういうイメージを広めたのだろう。

アイヌの人々の不利益を解消するためには、是非とも国民的理解が必要である。この報告書は、一層の国民的理解を求めるために、政府の政策努力を少しでも推進する一助となることをめざし、その方策を考察するものである。(p. 1)

 ここまで明確に政治的発言をする学術分科会というのも驚きを越えて、賞賛に値するのかもしれない。人類学会とは、そういう性質の学会なのだろう。
 それでいて、この『報告』さえもが、あまりに静かに出されたのではないか? どうしてもっと大々的に宣伝しないのだろう。アイヌ民族だけでなく、人類学者に対する「国民的理解」も向上させる絶好の機会なのに。そうすれば、両者が潤うだろう。

2 歴史的経緯
 「(1)江戸時代まで」および「(2)明治以後」(pp. 2-4)は、「概ね[有識者]懇談会『報告書』の記述を中心にまとめた」ということなので、『報告書』批判は他所で書いていることでもあるし、また内容も面白くもないので、以下だけにして飛ばす。

明治政府となってアイヌの人々は強制労働から解放されたが、入植する和人たちと競争をせねばならず、経済的に大きな打撃を受けた。明治政府は地租改正により全国的に近代的な資本主義的土地所有制度を導入し、北海道にもこれを適用した。アイヌの人々は狩猟採集民として、集団的な土地利用を行っていたものの、個人が土地を排他的に所有し、処分も可能であるという近代的な土地所有の観念になじんではおらず、地券を獲得する人はほとんどなく、和人に所有権をとられて移住をやむなくされる人もいた。(p. 3)

 以下のように要約できる。江戸時代には、和人の支配下におさめられつつあったものの、まだ多くの土地はアイヌの人々のものであったが、明治時代の幕開けとともに、多くの和人が移住してきて、彼らのことばや生活様式押しつけるようになりアイヌの人々はその固有の文化や生活様式までも継続が難しくなった。(pp. 3-4)

 この「要約」の元の『報告書』の要約は、同じページの3段目に次のように述べている。

文化面においては、アイヌ民族独特の慣習は「陋習」とみなされ、禁止されたり制限されたりした。死者の家を焼くなどの宗教儀礼、成人女性の入墨、男子の耳環も禁止された。アイヌ語が禁じられたわけではないが、日本語が奨励され、明治後半に設けられた「旧土人学校」(アイヌ学校とも呼ばれた)では、教育はすべて日本語で行われた。教化の一貫として行われたこれらの政策は、結果としてアイヌの人々の同化を招き、民族の文化存続には大きな打撃となった。

 また、こちらも比較参照されたい。

 また、アイヌ語については法律によって禁止されたのではないが、文字も含めて日本語を学ぶことが推奨された。・・・・米国の先住民同化政策を模倣した同化政策は、基本的にはアイヌ教化政策として行われたが、結果的に、民族独自の文化が決定的な打撃を受けることにつながった。(本多俊和、放送大学テキスト、214-215ページ)

 奨励≒推奨≠押しつけ。
 「教化」はプラスのニュアンスで受け取られているのか。ゆえに、良くない結果は、「結果として」生じたにすぎないのだろう。スティーヴ ラッセル氏が、アメリカの最高裁は「保護者と被後見人」の関係に関して「何が『最善』かということの基底にある価値判断を問うことをめったにしない」と批判していたが、「教化」に関する価値判断をやり直す必要があるのではないか。
 ついでに、3月22日に記事には訳さなかったが、ラッセル氏は、もう1つ重要なことを述べている。

私の人々[=チェロキー人]は、白い人々が現われた時には農民であった。しかし、彼らは、私たちが文明化する必要があるということの別の理由を見つけ出した。・・・・土地の共有と女性に政治における役割を与えているということが、チェロキー人が後見の必要があるという初期の証拠として提唱された。

http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20130322/1363963969

 3つ前の引用から続く:

和人たちは北海道に移住してきて農業を始めたのであるが、アイヌの人々の狩猟や漁撈という暮らしが農業とはそぐわず、次第にアイヌの人々自身も農業を選択すべく追い込まれていくのである。しかし、アイヌの人々は農業になかなか慣れることができなかった。
 季節移動生活を基本とする狩猟採集民や遊牧民が、近代化の中で中央政府に定住化を強制されるケースは、人類学の研究において数多く記録があるが、すぐには成功しないのが常である。定住化に成功しても、それらの元狩猟採集民や元遊牧民は、社会の周辺部に位置づけられることが多い。(p. 4)

 「和人たち」を一枚岩的に描いているが、移民個々のレベルと産業化が進行する中の産業資本と産業構造などの分析のレベルが混同されているのではないか。
 「そぐわず」? この文もそれだけだと理解しづらく、の部分に何かが抜けているだろう。有識者懇談会『報告書』の概要を「まとめ」ておいて、さらにもう一度わざわざ要約する必要はないのではないか。本文に戻って確認すると、「優遇制度を作った」とされる「北海道旧土人保護法」が出てくる。

 明治政府となってアイヌの人々は強制労働から解放されたが、入植する和人たちと競争をせねばならず、経済的に大きな打撃を受けた。明治政府は地租改正により全国的に近代的な資本主義的土地所有制度を導入し、北海道にもこれを適用したアイヌの人々は狩猟採集民として、集団的な土地利用を行っていたものの、個人が土地を排他的に所有し、処分も可能であるという近代的な土地所有の観念になじんではおらず、地券を獲得する人はほとんどなく、和人に所有権をとられて移住をやむなくされる人もいた。(p. 3)

 北海道に適用された土地に関する法制度は、本州に適用されたものと同じであったか。では、何をもって「人類学者がしばしば海外での調査研究において出会う植民地化の過程」と見なしているのだろうか。「植民地化」には法制度は含まれていないのか。

江戸期・明治期を経てアイヌ民族が日本社会に取り込まれ、土地を収奪されて、支配下におさめられていく過程は、人類学者がしばしば海外での調査研究において出会う植民地化の過程に他ならず、本州以南の日本は移民国家ではないが、北海道においてそうした移民国家と同じ体験をしたと考えてよい。そのような学界での認識が政治や行政においても認められ、国民の間でも一般的な認識に広がることをわれわれは切に願う。(p. 14)

 上の「和人たちは北海道に移住してきて・・・・」の引用部分に関しては、学生の頃に読んだアメリカインディアン政策史の論文で、ずっとわが輩の後頭部あたりにひっかかっていて、いまだに気にかかっている論文の議論がある。いつかどこかに呼ばれて話をする際のネタとして取っておきたいから、タダでここに書くのはやめて、先へ行く。

 季節移動生活を基本とする狩猟採集民や遊牧民が、近代化の中で中央政府に定住化を強制されるケースは、人類学の研究において数多く記録があるが、すぐには成功しないのが常である。定住化に成功しても、それらの元狩猟採集民や元遊牧民は、社会の周辺部に位置づけられることが多い。

 この認識は、いつ頃得られたのであろうか。旧土人保護法制定の時には間に合わなかったかもしれないが、その廃止論が俎上に上がって、今の政権党の有力議員たちが廃止に反対していた頃、人類学者たちは、今のように前面に出て発言していたのかな?せっかくの「優遇制度」でもあったし、「すぐには成功しない」でも、やがて成功するであろうからと、風向きを見ていたのだろうか。

 「飛ばす」と言いながら、結局、かなりの部分を引用してしまった。

<続く>

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 正確な時期は『シサム通信』のバックナンバーを引っ張り出して確認しないといけないが、まだ北海道旧土人保護法があった頃、すなわち1997年より前のことだったと思う。何年間、何通出したかも記憶していないが、相当長い間、相当多くの数に及んでいたとぼんやり記憶している。ゆえに、かなりの金額にもなっただろうとも思う。山陰に住まわれていたと思うが、ある方が毎日、毎日、総理大臣宛てに嘆願を1通のハガキに書いて送っておられた。
 今日、首相官邸アイヌ政策推進会議のサイトには、意見/要望を提出するリンクがある。回答はしないようである。まあ、1日に100通とか来ても大変だから、仕方あるまい。だが、インプットがブラックボックスの中でどう取り扱われて、アウトプットに何らかの形で反映されるのかどうかは分からない。多分、都合の良いものがあれば利用され、大半は無視されて、「一般の国民」からの意見には開放されていましたという手続き的な言い訳にされるということもあるだろう。
 だが、思った。もしこのブログを訪れる読者が、毎日1通の意見/要望を首相官邸に1年間送り続けたら・・・。ハガキ代がかかるわけでもないし、ポストまで投函しに行く必要もない、等々。
 決して、「押しつけ」はしない。「推奨」もしない。あくまでも、「奨励」としておこう。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/opinion.html


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20130324/1364136124

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