AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

『報告 アイヌ政策のあり方と国民的理解』を読む(5)

====================================================================================
 1876年、カスター将軍率いる第7騎兵隊がリトル ビッグホーン川に差し掛かると、兵士たちは胸ポケットから「インディアン定義手帳」を取り出し、「インディアン」の「特性」について復習を始めた。銃撃してよいインディアンと除外せねばならない非インディアンの「特性」の違いをもう一度頭に叩き込んでから、彼らは銃に弾を込め、カスター隊長の攻撃合図を待った。
 だが、いざ戦闘が始まると、兵士たちの頭は混乱し、銃で狙いを定めては手帳を取り出して確認している間に、馬に乗ったまま射殺されたカスター将軍をはじめ、第7騎兵隊は、268名の死者を出して惨敗した。・・・・
 ・・・なんてことはないだろう。フィクションである。侵入者は、殺す時も、土地を奪う時も、そして権利を奪う時も、「定義」なんて必要なかった。「優遇制度」であった北海道旧土人保護法(p. 3)にも、既に書いたように、「旧土人」の定義はしていない。
 手っ取り早く「定義」をしたければ、アイヌの墓を掘り返したり、血液や尿を採取してきた人類学者に尋ねてみればよい。どのような「定義」に基づいて「アイヌ」を選別して、人体組織を採取したのかと。
 むちゃくちゃをした側と、むちゃくちゃをやられた側。たまには、後者が前者を定義するのもよかろう――デロリアがやったように。
====================================================================================
 『報告』に戻る。

(2) 先住民族運動(pp. 8-9)

それらの一連の運動の中にアメリカ先住民族の運動があり、この後、世界中で先住民族の運動が活発化していく。

このように一言でまとめてしまうことには問題ありでもあるが、これについては、また別に書くことにして先へ行こう。

② 失われた土地の回復
 「慣れていなかった」という表現は、言葉選びにかなり神経を使ったのかなという印象である。ところが、「内国として自治権を認めさせること」というのは神経の使い方が足りなかったようである。国際的な場に出て行った先住民族は、これに対する異議申し立てを行っていたのであり、「権利宣言」への自治条項(第4条の"self-government"という文言)の挿入にも当初は、特にアメリカインディアンからの反対があったのである。

 この9ページの脚注12には「マジョリティ」が定義されている。

ここでは入植者が先住民族を凌駕する人数に達した時、マジョリティとなることをいっていている。単に人数が多いだけでなく、自分たちの文化やルールを社会全体のものとしてしまう力をもつ。

ここでも数が主要素であるが、後の文の逆のことを「マイノリティ」(p. 6)にも付け加えるべきだろう。但し、多数者の中の少数支配にも目を向ける必要がある。

 このページは、放送大学テキストの本多氏担当部分よりは「はるかにreadable(読める)」とわが輩はメモを書き込んだ。そしてページをめくると・・・・。

(3) 国際的な先住民族政策

 第二次大戦後すぐに成立した世界人権宣言は人種差別の撤廃を強く訴えていたし・・・・。(p. 10)

過去形ですか!?

107 号条約では、先住民族が次第に暮らしている国の中に統合されていくという見通しで作成されていたが・・・・。(p. 10)

単に「見通し」だけでなく、そこに産業資本主義社会の価値判断と選択があったことは、同条約の改定過程で先住民族の代表たちによって指摘されている。

 ここでもう一度、<参考文献>を見てみよう。[13]を見ると、これが登場してくる部分を誰が担当しているのか、凡その推測ができる。
 文化人類学者は、フィールドワークをしてナンボの世界にいるのだろうから、文献調査はあまり得意ではないというか、面倒なのかもしれない。しかし、このご時世、インターネット上でも容易に確認できるのに、[15]のメールマガジンはいかがなものか。文化人類学者は、"tribal peoples"をまだ「種族民」と訳すことに抵抗はないのだろうか。どうして、169号条約のオリジナルに当たってまとめないのだろう。わが輩や弱小NGOの「一般の国民」ではなく、少なくとも日本では最高レベルの研究環境にいるのだろうに。

先住民族の労働搾取の禁止といった政策から発して

 ILOには、107号と169号に先立って、50(1936年)、64(1939年)、65(1939年)、86(1947年)、104(1955年)の「先住民労働者」に関する各条約がある。このうち、日本政府は、第50号条約のみを1938年に批准している(条約の発効は1939年)。しかし、日本は、同年にILOを脱退し、1951年に復帰して常任理事国になっているが、1953年にこの条約からの脱退を通告している。
 この条約の第2条(b)項には、次のように、同条約における「先住民労働者」を規定している。

For the purposes of this Convention--
(b) the term indigenous workers includes workers belonging to or assimilated to the indigenous populations of the dependent territories of Members of the Organisation and workers belonging to or assimilated to the dependent indigenous populations of the home territories of Members of the Organisation.

http://webfusion.ilo.org/public/applis/appl-byCtry.cfm?lang=EN&CTYCHOICE=0350
http://www.ilo.org/dyn/normlex/en/f?p=NORMLEXPUB:12100:0::NO:12100:P12100_INSTRUMENT_ID:312195:NO
 政府の脱退の理由は、第2次世界大戦で日本はすべての属領を失ったため、属領の先住民だけでなく、日本には「本土の従属した先住住民に属する、もしくはそれに同化した労働者」は存在しないというものだった。本多氏は、アイヌの現状を「植民地的な支配」と述べており、だとすれば、この条約の「先住民労働者」の規定は、「属領」に関しても、「本土」に関しても当てはまりそうである。
 人類学分科会の『報告』は、巧妙に「植民地」という言葉を使用していない。ただ、前にも引用したように、「江戸期・明治期を経てアイヌ民族が日本社会に取り込まれ、土地を収奪されて、支配下におさめられていく過程は・・・植民地化の過程に他なら」ないとみなしている。(p. 14)また、同じページの下方で、「アイヌ民族先住民族として蒙った剥奪や差別の歴史は、北海道という一地方で生じていたことではあるが、それが一地方の決断によってなされてきたわけではない。明治以降、政府の一定の方針とともに国家的事業として北海道の開発が行われてきた経緯がある」とも述べている。ここで初めて、「不利益」ではなく、「剥奪や差別」と明瞭に述べ、それが「国家的事業国家的事業として北海道の開発」によるものであると明言している。(「開発」は「植民地化」の婉曲表現である。)そこで、問いたいのだが、人類学分科会は、「過程は・・・植民地化の過程に他なら」ないないと見ているが、現状をどのように把握しているのだろうか。
 ILO 50号条約は、今はもう批准に開かれたステータスにはない。しかし、169号条約に関して、人類学分科会は、どのような「提言」をもっているのだろう。
Cf. http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20120223/1329927466

 また、本文に戻ろう。実は、このページの特に大きな問題は、第2段落以降にある。

 国際連合では、先住民族の権利に関する世界宣言を起草するとともに先住民族の人権の擁護のための各国政府の政策の検証をする場として、「先住民に関する作業部会」が1982 年(昭和57 年)に設置された。国連1983 年を世界の先住民族の国際年と定め、1985 年(昭和60 年)より10 年間を世界の先住民族の国際の10 年、引き続きその次の10 年も第二回目の世界の先住民族の国際の10 年となり、先住民族の権利擁護のための諸活動を行ってきた。(p. 10)

1983年も1985年も間違いである。単純なミスかもしれない。わが輩もやったことはある。しかし、これは、わが輩のようなものがミニコミ誌に投稿するような文章ではなく、「アカデミック トーテムポール」(V. Deloria)の天辺にいて、日本の「科学者を内外に代表する機関」の『報告』文書である以上、このような単純ミス(ならば、それ)は刊行前に除去されておかねばならない代物であろう。

1985 年(昭和60 年)に取り組みの始まった宣言は・・・・(p. 10)

これは、解釈の問題ではなく、ひとつの事実(a fact)に関するステートメントである。しかし、ここの執筆者は、この「事実」をどこで確認したのであろう。彼らが決して参考文献に挙げてはならない文献からのものではないのだろうか。

 一方で、これは宣言であるので、条約とは異なり各国政府を法的に拘束する力はもたない。

断言しているが、その根拠を示す参考文献は? また、ここにはなぜ「一部議論があるが」と挿入されなかったのだろうか。
 添付資料5に「『アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会』報告書のポイント」がある。2つ目、3つ目のポイントが制限しているものの、1つ目のポイントの方が、上の分科会の叙述よりまだマシだ。

・宣言は法的拘束力はないものの、先住民族に係る政策のあり方の一般的な国際指針としての意義は大きく十分尊重されるべき。
・参照するに当たっては、各々の国の先住民族の歴史や現状を踏まえることが必要。
アイヌ政策の根拠を憲法の関連規定に求め、積極的に展開させる可能性を探ることが重要。(p. 30)

わが輩なんぞに引用されると迷惑かもしれないが、前にも引用しているので手っ取り早いから、こちらを参照しておこう。⇒http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20120223/1329927466


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20130326/1364304434

広告を非表示にする