AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

『報告 アイヌ政策のあり方と国民的理解』を読む(6=終)

5 「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書とアイヌ政策推進会議

この章では、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書の考え方と提言のサマリーを紹介する。(p. 11)

改めて必要かと思うが、想定している読者は「一般の国民」なのだろうか。

当分科会は報告書の基本理念を支持するが、個別に提案されている政策実現についてはさらなる検討が必要であると考える。懇談会自体も多くの提案を行っているが個別の政策に必ずしも踏み込んだ議論を展開するには至っていない。

これから始めてもよかろう。

 11-13ページは有識者懇談会報告書の考え方の要約なので飛ばす――指摘したいことはいくつかあるが。

6 新たな政策展開に向けて

 以下は、人類学分科会での認識に基づく考え方と提案である。アイヌ政策のあり方に関わる有識者懇談会『報告書』の流れに沿うものであるが、現在のアイヌ政策推進会議で当面の課題に掲げられていないものも含まれる。(p. 14)

 ここからが本論といえども、既に「要旨」を読んできた者にとって、特に期待すべきものはないだろう。「アイヌ政策のあり方に関わる[←正確に!]有識者懇談会『報告書』の流れに沿うものである」と再びまとめている。「(1) 先住民族という認識とアイデンティティの尊重」の節は、有識者懇談会報告書よりも官僚の睨みが少ない分だけ自由に書いているという印象を受ける。

・・・今後の検証が必要である。アイデンティティの課題については、オーストラリアやカナダ、ニュージーランドなど他国の経験に学ぶところが大きいはずである。(p. 14)

ということで、文部科学省科研費配分額がアップということになるのかな。なぜ、その3カ国なのだろう。有識者懇談会の「主な検討事項」には「諸外国における先住民族政策等を整理」というのもあったのだが、きちんとした仕事がなされなかったということなのだろう。(2010/10/26と10/27の本ブログ記事でその件に言及したことがある。)

 そして、先住民族文化としての認識とアイデンティティの尊重を受けて、アイヌ文化の振興や象徴空間の構想が進められる必要がある。(p. 14)

結局のところ、結論ありきなのだ。現状路線の「アイヌ文化の振興や象徴空間の構想」には何の問題もないということのようだ。

(2) 国が主体となった政策の全国的実施
 「剥奪や差別の歴史」と「開発」という文言については本シリーズ(5)で触れたので割愛する。

アイヌ民族の居住地は全国に広がっている。(p. 14)

Cf.「現在は北海道、そして関東と関西に住んでいる。」(放送大学テキストでの本多氏:p. 211)

国が主体となり政策を全国的に展開していく必要性がある。(pp. 14-15)

これの前の3行の論理からこのことが導かれているが、これは「権利宣言」に照らし合わせて考えた場合、慎重でなければならないことも含まれている。国が政策展開して、その辿り着くところの国家とアイヌ民族の関係は、どのように描かれているのだろうか。

 「(3) アイヌ文化研究の促進と展示」の2段落は、博物館関係者も含めて、我田引水だなという感じ。アイヌ研究者が潤えばアイヌも潤うのだろう。また逆に、アイヌが潤えばアイヌ研究者も潤うのでもあろう。(社会学者と被調査者の関係で同じようなことを2つ前で紹介したM. Nicolausも指摘していた。)だが、アイヌ民族全体が潤うかというと、それはまた別だろう。それに、これだけアイヌ研究が盛んになれば、アイヌであることも大変だろうなと考えてしまう。

日本文化の展示を行うところには、アイヌ文化の展示もその一部として行うことが標準形態となることが望ましい(なぜなら、公式に先住民族文化であると認められたアイヌ文化も広義の日本の一部であるからである)。(p. 15)

常に「一部」であり、副次的なのである。「広義の日本」とは? アイヌを除外した「狭義の日本」も存在するということなのだな。これって、「多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され」(国会決議の文言)ということと、何か似てない?

これまで行われてきた人類学・文化人類学社会学、文学、歴史学言語学、法律学、音楽学等の分野でのアイヌ研究もさらに振興される必要があり、またその他の分野でもアイヌ研究への視角をもつべきである。(p. 15)

                    ↓↓↓
「伝統文化だけでなく、これまで行われてきた人類学・文化人類学社会学、文学、歴史学言語学、法律学、音楽学等の分野にアイヌの学生が進出して、それらすべての分野が先住民族としてのアイヌの視点から変革される必要があり、またその他の分野でも同様にアイヌの視角から変革されるべきである。」

アイヌ民族について教える際に、世界の先住民族全体についての理解の中で行うことが必要である。(p. 15)

「世界の」? なぜ? 「日本型」なんでしょうに。

前項目と併せ文部科学省の果たす役割は重要である。(p. 15)

遺骨問題についても「文部科学省の果す役割は重要である」にもかかわらず、何も提案せず、文科省任せ。

「多様に異なる文化を相互に理解するためには、自文化中心主義を克服しつつ文化的伝統を継承しうる柔軟な思考とともに、相互の異なるニーズを理解しあった上で負担を分かち合う姿勢が不可欠である。」(p. 16)

これは、もっと対等な関係にある異文化間関係についての提言ではないのだろうか。「剥奪や差別の歴史」の中のこれだけの非対称な関係において?

そのような多様性に対する寛容さの基盤は、残念ながら我が国ではまだ十分育っていない。

そう、(4)で指摘したように、<参考文献>を見ても、「多様性に対する寛容さ」は「まだ十分育っていない」ですね。「共に考えていく」が、大体において、まとめの慣用句のようだ。

 結局、読む気が起こらないと言った人が正しかったかもしれない。「要旨」の2ページか最後の3ページだけで十分だったのではないか。当時の内閣官房長官宛ての日本民族学会会長名による「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会報告書についての見解」のような、1ページの簡潔な文書で済んだのではないか、という感じだ。読者には、ムダに付き合わせて申し訳ない。


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/20130327/1364316535

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