AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

紋別からの遺骨返還請求

 昼間に書く時間が取れなかったが、1つ前のエントリーの朝日新聞記事と一緒に、1日付の北海道新聞の記事「アイヌ協紋別支部長 遺骨返還へ追加提訴」という記事も送って戴いた。31日の裁判で、既に係争中の遺骨返還訴訟との「併合審理」が決まったとのことである。

 返還請求の対象は、1941年9月5日に「第三者」が北大に「寄託」したという紋別市内で出土した4体の遺骨である。この「第三者」がどのようにして遺骨を取得したのかは分からないが、裁判でも主張されている通り、「第三者」に遺骨の所有権はないはずである。前に書いた、こちらの記事のことを思い出した。

 原告の畠山さんは、訴訟当日に配布された『アイヌ遺骨返還訴訟ニューズレター』No. 06(http://hmjk.world.coocan.jp/newsletter/kokanu_ene006.pdf)によれば、「全道での和人によるアイヌ墓地の開発行為の結果出てくる遺骨の引受先となって」いるそうである。開発行為によって出土する遺骨の扱いについては、こちらの事件を思い出した。

 後で時間と余力が残っていれば、もう1件、別の事例を載せるかもしれない。

P.S.
 先日、北海道新聞(2014.01.26)に「アイヌ民族『給与地』未買収のまま橋建設」という記事が載っていた(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/517434.html)。ここには遺骨や文化財の出土はなかったようであるが、これを読んで、私は、こちらの事件を思い出していた。2009年には詳しい経緯を記録した本も出版されている。

 ワシントン州のポート アンジェルスという港町にクララム語で「内港」という意味の、音の通りの日本語表記にちょっと自信がないが、チェフィートソン(Tse-whit-zen)と呼ばれる、ロゥワー エルワ クララム(以下、LEK)の村がある。ここは、歴史的にはLEKトライブの村の一つで、同州で発掘されているヨーロッパ人との接触以前の村の遺跡としては最大のものである。確認されている最も古い定住は、今からおよそ2,700年前の紀元前750年に遡る。LEKトライブは、上でURLを記した記事以外にも過去に登場したことがある。http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20100917/1284658034 http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20130125/1359043293

 この村にグレーヴィング ドック(注)を建造する計画であったが、2003年8月にLEKトライブの墓地が建造計画の敷地内に存在することがわかった。2004年3月、ワシントン州とLEKトライブは協議の末、遺骨と遺品を発掘・保管してから工事を再開することで両者が合意し、調印した。この移動と工事が2004年4月に始まった。100人以上の興奮に満ちた考古学者と苦悩するトライブの人々が、建設作業員と並んで作業をしていたが、さらに多数の遺骨と文化遺品が埋もれていることがわかり、ついに、トライブの人々の「もうたくさんだ」という言葉で、同年の12月21日、ワシントン州交通省は、ドックに関係するすべての建設作業を中止することを決定し、建造工事によって既に出土した遺骨と文化遺品の保存を確保するために必要な措置を取ることにした。考古学者による発掘によって、2005年までに337体の全身遺骨と1万件以上の文化遺品が発掘された。

 LEKトライブの評議会議長(女性)のフランシス チャールズさんは、2004年に、既に7,000万ドルの公金が注ぎ込まれていた建造計画を中止して、新たな場所を探すように求めた。同州は、前例がなく、全米で反響を呼ぶこととなった中止の決定を下した。「未来を建設するためには過去を知らねばならない」と、チャールズさんはトライブの長老たちの言葉を語っている。

 州の機関や建設会社などを相手にした訴訟の和解が、2007年にサーストン郡高等裁判所の判事によって承認された。これによって、LEKトライブは、発掘された遺骨を再埋葬することに専念できるようになった。トライブは、遺骨を手作りのヒマラヤスギの箱に納めて秘密の場所で保管していた。文化遺品の大半は、同村に建設される文化センターでの展示を待ちながら、ワシントン大学のバーク博物館で保管されていた。

 ワシントン州は、途中で放棄されることとなった計画に少なくとも8,700万ドル、敷地の原状回復に300万ドルを費やした。

 合意の内容には、次のような項目が含まれていた。
◎ドックの建造地からコンクリートや鋼板を除去する。
◎遺跡の村に遺骨を再埋葬してきれいな土で覆い、敷地は自然の状態に戻るようにして、歴史保存墓地に指定する。
◎敷地内の、遺骨も文化遺品もないと考えられる場所に文化センター(または博物館)を建造する。建造費として、トライブが250万ドル受け取る。センターの所有権はトライブのものとなる。(再埋葬のための法的および考古学的コンサルティング料として、トライブは既に340万ドルを支払われていた。)
◎ポート アンジェルス市と港湾当局は、経済開発費としてそれぞれ750万ドルずつ、そして市は考古学者を一人雇うのに48万ドルを受け取る。

 ドライ ドックのことを英語で"graving dock"とか"graving yard"というのも示唆的というか、皮肉に聞こえるが、それにしても彼我の差は大きすぎる。

注:「ドライ ドック」・「グレーヴィング ドック」⇒http://en.wikipedia.org/wiki/Graving_dock#Graving

参照記事、他:
http://en.wikipedia.org/wiki/Tse-whit-zen
http://www.elwha.org/tsewhitzen.html
Jim Casey, "Lower Elwha settle lawsuits over graving yard and Tse-whit-zen village," Peninsula Daily News, October 06, 2007. http://www.peninsuladailynews.com/article/20071007/NEWS/710070304

Breaking Ground: The Lower Elwha Klallam Tribe and the Unearthing of Tse-whit-zen Village (Capell Family Book)


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2014/02/01/233706