AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

萱野茂さんの国会(参議院)内閣委員会での質問(全文)

 次に書こうとしていることで一つ確認しておきたくて検索していたら、標題の記録に出くわした。既に本などでも紹介されているが、資料として全文を掲載しておく。もう約20年も前になる。
 一つ前の記事でノーベル平和賞候補への推薦を話題にしたが、あの頃、萱野茂さんをノーベル平和賞候補に推薦した人たちがいたことを思い出す。ほんの爪の先ほどのお手伝いをさせてもらったら、中心的に動いていた方から自著を1冊送って戴いた。
 ただ、個人的にお会いした機会はあまりなく、両手の指の数ほどもなかったのではと思う。

萱野茂君 きょうはアイヌ新法制定にということでありますけれども、まず最初に、松本英一先生が亡くなられたその後を受けた私として、一番最初に部落解放基本法制定について特段の御配慮をいただき、一日も早くこの法律が制定されることを心からお願いしたいと思います。
 次に、理事会を通して、きょうは北海道からやってきて、せっかくのこの時間でありますのでアイヌ語でという申し入れをしてあります。短い時間でありますのでよろしくお願いしたいと思います。
 その前に、アイヌ民族の国土である北海道のことについて、ちょっと地名の上から申し上げておきたいと思います。
 今から百三十年ほど音に三重県三雲町出身の松浦武四郎という方が北海道へ行っております。前後十回ほど行ってアイヌからいろいろと地名を聞きまして、それを書き残してあるのが八千カ所から九千カ所あるというふうに北見市の秋葉稔さんという方がまとめたものがあります。
 それで、その地名を私の生まれて育った二風谷アイヌの村へ持ってきてみますと、武四郎が書き残したと言われる地名がわずか十四カ所、大正十五年生まれの私が二風谷の地名を調査してみますと七十二カ所ありました。ですから、単純な計算で言っても九千カ所の五倍、四万から五万カ所あるということになります。これは推定の部分もありますけれども、現在北海道で使われている地名の九〇%以上はアイヌ語であるということをまず皆さんに知ってもらいたいと存じます。
 次に、アイヌイタッアニということであります。
 イタップリカ ソモネコロカ シサムモシリモシリソカワ チヌムケニシパ チヌムケ カッケマク ウタペラリワ オカウシケタ クニネネワ アイヌイタッアニ クイタッルゥェ ネワネヤクン ラモッジワノ クヤイライケプ ネルウェクパンナ。
 エエパキタ カニアナッネ アイヌモシリ、シシリムカ ニプタニコタン コアパマカ 萱野茂、 クネルウェネ ウッチケクニプ ラカサッペ クネプネクス テエタクルネノ、 アイヌイタッ クイェエニタンペ ソモネコロカ、タナントアナッネ シサムモシルン ニシパウタラカッケマクタラ アンウシケタ アイヌイタッエネアンペネヒ エネアイェプネヒ チコイコカヌ クキルスイクス アイヌイタッ イタッピリカプ ケゥドカンケワ、 クイェハウェネ ポンノネクス チコイコカヌワ ウンコレヤン。
 テエタアナッネ アイヌモシリ モシリソカタ
 アイヌパテッ アンヒタアナッネ ウウェペケレ コラチシンネ ユクネチキ シペネチキ ネフパクノ オカプネクス ネプアエルスイ ネパコンルスイ ソモキノ アイヌパテッ オカプネアコロカ ネウシケウン シサムネマヌプ ウパシホルッケ エカンナユカラ エクパルウェネ。
 インネシサム エッヒオラーノ ユクアウッヒ
 シペアウッヒ ニアドイェヒ ハットホ チコイカラカヲ オロワノアナッネ アエブカイサム
 アウフイカクニ チクニカイサム アイヌウタラ ケメコッペアナッネ ケメコツパワ オドタヌオドタヌ ライワアラパパ シツヌワオカ アイヌウクラカ アイヌイタッ エイワンケクニシサムオロワ ハットホアンワ アイヌイタッエイワンケ、 エアイカプパプ ネプネクス チイェワピリカプ アイヌイタッ ネアコロカ タネアナッネ ウララシンネ ラヨチシンネ ウコチャンチャンケペコロ クヤイヌアコロカ タネオカ ペウレアイヌウタラ ヤイシンリッ、ヤイモトホェプリウェンパワ イタッネヤッカアイヌプリ ネアヤッカ フナラパワ、ウゥォポキン ウゥォポキン エラムオカイパコロ オカルウェネ。
 ネヒオロタ ニシパウタラ クコラムコロヒエネオカピ アイモシルン アイヌウタラカ コエドレンノ シサムモシリタ オカアイヌカ ェネネヤッホ アイヌネノ アイヌイタッアニ ウコイタッパワ ラッチオカ、アプンノオカクニ
 コサンニヨワ ウンコレヤン ヘルクワンノネアゴロカ アイヌイタックイェ、アイヌイタッ エネアンクニ チコイコカヌヒ ラモッシワノ クヤイライケナー
 アイヌ民族の言葉で
 言葉のあやではありませんが、日本の国土、国土の上から選び抜かれてこられた紳士の皆様、淑女の皆様が肩を接しておられる中で、成り行きに従いアイヌ語でしゃべらせてもらえることに心から感謝を申し上げるものであります。
 私は、アイヌの国、北海道沙流川のほとり、二風谷に生をうけた萱野茂というアイヌです。意気地のない者、至らない者、私なので、昔のアイヌのようにアイヌの言葉を上手には言えないけれども、きょうのこの日は、日本の国の国会議員の諸先生方がおられるところに、アイヌ語というものはどのようなものか、どのような言い方をするものかお聞き願いたいと私は考え、アイヌ語を私はここで言わせていただいたのであります。少しですので、私のアイヌ語にお耳を傾けてくださいますようお願い申し上げる次第です。
 ずっと昔、アイヌ民族の静かな大地、北海道にアイヌ民族だけが暮らしていた時代、アイヌの昔話と全く同じに、シカであってもシャケであってもたくさんいたので、何を食べたいとも何を欲しいとも思うことなく、アイヌ民族だけで暮らしておったのだが、そのところへ和人という違う民族が雪なだれのように移住してきたのであります。大勢の日本人が来てからというもの、シカをとるな、シャケもとるな、木も切るなと一方的に法律なるものを押しつけられ、それからというもの、食べ物もなく薪もなく、アイヌ民族たちは飢え死にする者は飢え死にをして次から次と死んでいったのであります。
 生きていたアイヌたちもアイヌ語を使うことを日本人によって禁じられ、アイヌ語で話をすることができなくなってしまいそうになった。言っていいもの、使っていいもの、アイヌ語であったけれども、今現在は、かすみのように、にじのように消えうせるかと私は思っていたが、今現在の若いアイヌが自分の先祖を、自分の文化を見直す機運が盛り上がってきて、アイヌ語アイヌの風習、それらのことを捜し求めて、次から次ではあるけれども、覚えようと努力しているのであります。
 そこで、私が先生方にお願いしたいということは、北海道にいるアイヌたち、それと一緒に、各地にいるアイヌたちがどのようにしたらアイヌ民族らしくアイヌ語で会話を交わし、静かに豊かに暮らしていけるかを先生方に考えてほしいと私は思い、ごく簡単にであったけれども、アイヌ語という違う言葉がどのようなものかをお聞きいただけたことに、アイヌ民族の一人として心から感謝するものであります。ありがとうございました。
 次に、蝦夷地に対する歴史認識についてということで御質問申し上げたいと存じます。
 アイヌ語を含め申し上げたことは、私の家系が体験したアイヌの歴史、アイヌの気持ちのほんの一部であります。北海道のアイヌは、今このような歴史を踏まえて新たな共生関係をつくるために、旧土人保護法にかわってアイヌのための新しい法律の制定を求めています。政府は、この法律制定の是非を検討するため関係省庁による検討委員会を発足させ、既に六年目を迎えてしいます。そして政府は、この法律制定の前提として、例えば先住民族であるとか先住権についての定義や概念が国内においても国際的にも確立していないとして法制化を渋っています。
 私自身、一人のアイヌの物書きでありアイヌの彫刻師であります。考古学者でも歴史学者でもありませんし、今はやりの形質人類学などはとてもわかりません。また、余り古い話、縄文とか弥生時代の話をしようとしているわけでもありません。日本の社会に近代的な政治体制とか近代的な法律関係ができたころからの話をしたいと思います。
 例えば、政府が今も日ロ両国の最大の課題としている北方領土の問題は、安政元年にさかのぼってのことですから百四十年来のことであります。日本と韓国、朝鮮のことで言いますと、植民地支配の原点であります日韓併合のときから数えても八十四年前からの話であります。ですから、アイヌモシリと日本の関係もそのほどの話であり、政府として責任のない話とは言えないことであると思っています。日本とロシアのこと、日本と朝鮮のことが未解決の問題であるとするなら、アイヌモシリと日本の関係だけを解決済みとするにはいささか手前みその都合のいい話ではないでしょうか。ですから、政府の皆さんと専門的な議論をするつもりはありませんが、私は長い歴史の中で起きてきた事実についてこの機会にお尋ねし、確認したいと思っております。
 これから私が話すことは、私が話すことではなく、平成四年の中学生の社会の教科書に書かれていることであります。それは、江戸幕府の時代、朝鮮も鎖国をしていたが家康の時代に国交が回復した。「琉球王国は、十七世紀の初めから薩摩藩に支配されるようになった。しかし、その後も中国とは独立国として貿易をおこない、中国は、琉球王国を属国あつかいにしていた。また、蝦夷地では、アイヌが独自の社会をつくっていた。」と記述されております。
 すなわら、ここでは日本の社会から見たとき、アイヌが占有していた当時のアイヌモシリ、蝦夷地でありますが、これは朝鮮や琉球大国と同じように独立した国であるとの認識を明らかにしているのであります。文部省が中学校で教えているこのような歴史認識について、政府も同様の御見解と受けとめてよろしいでしょうか。この点についてお伺いしたいのであります。
○説明員(清水潔君) 御指摘の教科書記述についてでございますが、御案内のように教科書の検定制度というのが現在とられておるわけでございますが、これは御案内のように特定の歴史的事象をどのように取り上げて記述するかということは執筆者側に基本的にゆだねつつ、検定においてはあくまで申請図書の記述の欠陥を指摘するということを基本としております。
 したがいまして、文部省といたしましては、検定において国が特定の歴史的事実在確定するというような立場に立つものではございません。
萱野茂君 次の質問に移ります。
 蝦夷地を日本の領土とした時期についてであります。
 さて、和人が移住し、国家的な侵略と支配が及ぶまでのアイヌモシリは、アイヌによる静かで平和な時代が続いていました。教科書では、アイヌアイヌ文化、そしてアイヌモシリの崩壊について次のように述べています。それは非常に簡単な記述でありますが、「松前藩は、幕府から蝦夷地の支配が認められると、アイヌをきびしくとりしまり、交易を独占した。そのため、アイヌの生活領域は、しだいにせばめられていったことあります。また、「十七世紀の中ごろ、シャクシャインを中心にアイヌが蜂起すると、松前藩は、シャクシャインを殺害して鎮圧した。」とあります。
 要するに、日本政府はアイヌが独自の社会をつくっていたアイヌモシリ、北海道に無断で踏み込み、やがてアノヌモシリを勝手に自国の領土に編入するのでありますが、このようなことは他国に対する侵略行為であり、武力による行為は武力侵略なのでありますが、そのような歴史認識でよいのでしょうか。政府の御見解をお尋ねしておきます。
 また、日本が蝦夷地を正式に自国の領土とした日はいつなのか。例えば、寛政十二年の東蝦夷の直轄なのか、安政元年の蝦夷地直轄なのか、それとも明治の時代に至って蝦夷地を北海道と改めたとき、もしくは明治十年の地券発行のときとするのか。そして、このように蝦夷地を日本の領土とするに当たって、そこに先住していたアイヌとは具体的にいかなる協議をし、いかなる約束、いかなる条約を交わしたのか、それとも日本政府は全く先住民族であるアイヌを無視したのか。
 これはわずか百年ほど前の話であり、昔話ではありません。日本の近代史にとってとても重要なことでありますからお尋ねをしておきます。歴史的、法的事実についてお教えをいただきたいのであります。
○説明員(鶴岡公二君) ただいまの委員の御質問はいわゆる北海道本島がいつの時点から我が国固有の領土という地位を獲得したかということかと存じます。
 これが具体的にいつ我が国の領土となったかということについては明らかではございませんけれども、江戸時代の末期から明治時代初めにかけまして、我が国と当時の帝政ロシアとの間で国境の画定が行われた際には、いわゆる北海道本島につきまして両国間で全く問題となっておりません。その当時も北海道本島が我が国の領土であるということを当然の前提として日ロ間での交渉が行われた経緯がございます。
萱野茂君 後ほどその点についてはまだ戻ります。
 次に三番目、外国人ノ土地所有権二関スル法律について。私はこれまで幕藩体制の時代のお話を中心にいたしました。時代をちょっと新しくし、明治年代のお話に移します。
 明治政府は、明治四十三年、外国人に土地所有権を与える方針を出し、明治四十三年四月十三日には外人土地所有法を公布いたしました。この法律の趣きは、当時外国人が日本の国内において土地を所有することについて国際条約と国内法で規制しようとするものでありました。
 この法律では、第二条において、北海道、台湾、樺太については外国人の土地の所有を禁じているのであります。その理由は、いずれも当時なお植民地の性質を有することを理由としているのでありますが、台湾は御承知のとおり中国の領土であり、棒大は明治三十八年の日露戦争の戦利品として南樺太を日本が力ずくで奪った直後であります。すなわち、北海道ももともとアイヌの土地であって、当時既に日本が支配しているものの、その実態はまだ植民地の状態にあるとのことを法律によって明記したものであります。
 このことは明治四十三年三月一日の第二十六回帝国議会において、時の小村外務大臣が、「北海道台湾及樺太ノ如キ、今マダ植民地ノ位地二局ル」と明確にしているのでありますが、このように認識してよろしいでしょうか。この点をお伺いします。
○説明員(鶴岡公二君) ただいま委員御指摘の答弁は、明治四十三年三月一日、外国人ノ土地所有権二関スル法律案を帝国議会において審議されましたときの当時の小村外務大臣の答弁から引用されたものと思います。
 その引用部分でございますけれども、ここで当時小村外務大臣が申し述べましたのは「北海道台湾及樺太ノ如キ、今マダ植民地ノ位地二層ル此ノ如キ未開ノ地二於キマシテハ、土地ヲ」云々と申しておりまして、当時小村外務大臣の念頭にありました植民の地と申す用語というのは、文脈から判断いたしますと、土地を基礎とする植民、すなわち国民の移住により開拓する必要のある土地ということでございまして、今日の国際関係において用いられますところのいわゆる植民地という用語の一般的な意味、すなわち海外の領域に対する本国による政治的、法律的、経済的な支配というような意味合いをもって使用された言葉ではないのではないかというふうに理解をしております。
萱野茂君 次に移ります。
 北海道旧土人保護法の性格についてちょっとお伺いします。次は旧土人保護法についてでありますが、明治政府は明治三十二年に北海道旧土人保護法を制定いたしましたが、この法律は数回の改正を経て今も現行法として残っていることは皆さん御承知のとおりであります。
 そこで、この法律の性格についてでありますが、アイヌの領土であるアイヌモシリを侵略し、自国に編入した日本国が、旧土人という先住民、旧土人と称する異民族を自国民として同化させ、また狩猟民であった旧土人を農耕民として撫育しようとしたものと理解していますが、いかがでしょうか。
 明治二十六年、第五回帝国議会におきます北海道旧土人保護法に対する加藤政之助議員の報告をちょっと読みます。
 本案は、この内地人の人種と異なるところの北海道の土人という一種の種族に向かってとあります。また、人種の異なるところのかの北海道の土人というのは、北海道をも占領しておったるところの一種の種族ともあります。さらに、全道を占領していた彼らの生活の糧に供しておったところの土地は、今や日本内地の人にことごとく奪われてしまって、彼らはそこを立ち去ったありさまになっておると述べられております。
 これは国会の議事録でありますが、それは明らかに旧土人なる人種が日本人とは異なった人種であること、そしてその旧土人は北海道のすべてに先住し、そこを自分たちの領土としていたこと、さらに内地の日本人がその領土に侵略し、略奪したことを述べたものでありますが、私の認識に間違いはないでしょうか。この辺を確認させていただきます。
○説明員(松尾武昌君) 北海道旧土人保護法は明治三十二年に制定されました。
 この法律の目的でございますが、北海道の開拓が進むにつれ生活の道を失い、困窮に瀕していたいわゆるアイヌの人たちに対しまして、土地を無償で下付し農耕を奨励するなど、アイヌの人々の生活の安定を図るのを目的として制定されたものと承知しております。
萱野茂君 旧土人の特定についてちょっと申し上げておきます。
 この法律の対象としている旧土人とはいかなる人であるのか。ここに私の家系を示す戸籍謄本がございます。これは私の家系図でもあります、戸籍謄本と家系図があります。その中で旧土人と書いてあるんです。この戸籍は、明治四年の戸籍法の公布に当たってアイヌモシリに住むアイヌを旧土人として平民の戸籍に編入したものであり、もともとの戸籍法には戸主を示す横に旧土人と記載されていたものでありますが、現在の憲法のもとで、それは人権を無視したものとして一時的に墨で消し、末梢したものであります。私のおじいさんは姓だけは和名をいただきました。貝澤となっておりますが、名前はトッカラムというアイヌ名が記載され、ひいおじいさんはイニセキテと記載されております。
 そこで、旧土人とはだれのことなのか。それはアイヌのことであり、もしかして私のことであるのかどうか。その辺、旧土人という言い方、アイヌという言い方、私にあなたですと言ってもらえればそれで結構なんですが、お伺いします。
○説明員(松尾武昌君) 北海道旧土人とは、和人と言われました人たちが北海適[原文ママ―T. T.]に移住していく以前より北海道に居住されておりました人々及びその子孫、すなわちいわゆるアイヌの人たちを言うものでございます。
萱野茂君 今申し上げましたことの大事なことは、萱野茂を旧土人と、そしてアイヌということを認めてもらえたこと、これが大事なことでありますので、後ほどそれについてはいろんなことで必要になってくるでありましょう。
 次に、オットセイ保護条約についてお伺いしたいと思います。明治四十四年に発効を見たオットセイ保護条約についてお伺いします。
 この条約は、絶滅の危機にあったラッコとオットセイの捕獲の禁止を定めたものでありますが、加盟国は日本、アメリカ、ロシア、カナダの四カ国であります。
 この条約の第四条でありますが、条約加盟国は捕獲禁止を定めた指定海域の沿岸に、この次から読む文は原文のままであります。指定海域の沿岸に生息するインディアン、アイヌアリュートその他の土人については捕獲禁止の対象から除外するとの規定であります。要するに、この条約においてアイヌやインディアン、アリュートなどを条約の取り決めから除外し、これらに従来どおりオットセイの捕獲を認めることとしたのであります。それは、アイヌやインディアンが古くからこの沿岸地域に住む住民であったことのあかしでもあります。そして、これらの民族はオットセイを捕獲することで生活の糧を得ていたことなどを考慮したものであることは当然なのでありますが、そのように理解してよいのでしょうか。その辺をお伺いしておきます。オットセイ保護条約の条文についてはここであります。
○説明員(飯野建郎君) 北太平洋のおっとせいの保存に関する暫定条約は、既に一九八四年の十月に終了しておりますけれども、その第七条において、インディアン、アイヌアリュートまたはエスキモーが火器を用いないでオットセイを海上で猟獲するものについては条約の規定を適用しないという規定がございましたことは委員御指摘のとおりでございます。
 この条約におきましてこうした規定を設けた理由は、インディアン、アイヌアリュート及びエスキモーの生活習慣に特に配慮したことによるというふうに理解しております。
萱野茂君 ということは、今でもアイヌであれば、インディアンであれば、アリュートであれば、オットセイとかそういうものをとってもいいというふうに考えていいでしょうか。
○説明員(飯野建郎君) 我が国はこの北太平洋のおっとせい暫定条約の実施のための国内法として、臘虎♯肭獣猟獲取締法というのがございます。これによりましてラッコまたはオットセイを捕獲する者については許可をとる必要があるということが規定されております。
 したがいまして、このオットセイを猟獲するためには許可を得る必要があるということでございます。
萱野茂君 次に、アイヌ語についてお伺いしておきます。
 冒頭に申し上げました私の言葉、皆さんは私が通訳をしなければどこの言葉がおわかりでなかったでしょう。これは決して日本のある地方の方言ではありません。アイヌ語です。アイヌ語は言語的には日本語とは全く違う言葉であります。アイヌは日本人とは異なる文化、言語のもとで生きてきたことをわかっていただけたかなと思っております。今、アイヌ語を完全に話せる人は本当に少なくなりました。それは長いことアイヌにとってはアイヌ語を使うこと自体が差別にさらされることであったがために、だれもアイヌ語を使わなくなった結果であります。
 私は、民族にとって言葉こそその民族のあかしであり、民族の存在をあらわすものであると思い、十数年前から二風谷アイヌ語教室という私塾を開いてきました。昭和六十二年にはこの私塾に北海道の補助がつき、六十三年からは私の願いがかなってようやく文化庁の補助がつきました。
 アイヌ語は私にとっては命であり、この国会でもアイヌ語を使うことを許していただくこととしたのであります。私がこの委員会で質問をするに当たって、委員会事務局から、先生もしアイヌ語を使うのであれば理事会の了解をとってくださいとの話がありました。なぜですかと聞きましたら、別に国会法で定められているわけではないのですが、国会の慣習として外国語を使用する場合は理事会の了解を得ることとしているとのことでありました。アイヌ語は国会でも外国語となっていることを知ったのであります。これもアイヌモシリが異国であったことの一つの証明であり、国会自体がそのことを証明しているのではないでしょうか。それにもかかわらず、日本をして単一民族国家であるとした総理がおられたということは驚くべきことと言わざるを得ません。
 そこで、文部省にお尋ねします。文部省は、学校教育の中でアイヌ語を言語的にどのように位置づけをしようとしておられるのか、今後位置づけをする気があるのかないのか、その辺をちょっとお伺いしておきたいと思います。
○委員長(岡野裕君) 萱野茂君に委員長からお話をいたします。
 アイヌの言葉で先生がお話しになられたいという御意向は理事会で諮ったところであります。しかし、これを外国語だとは言っておりません。それは、国会審議、委員会審議は皆さんで議論を深めるという意味でありますので、皆さんにわかるような言葉でないと審議が進まない。したがって、短時間でアイヌの言葉はとめて、それの通訳をぜひ加えていただきたいといったことでありますので御理解をいただきます。
萱野茂君 はい、承知しました。
○説明員(清水潔君) 学校教育の中におけるアイヌ語の言語的な位置づけについてのお尋ねでございますが、御案内のように学校教育は学習指導要領に基づいて教育が行われる形になっております。学習指導要領上においてアイヌ語の言語的な位置づけについて明確な規定はございません。
 しかしながら、例えば中学校社会科の地理的分野の教科書におきましては、北海道の地名にはアイヌ語に由来するものが多くあること、あるいはアイヌの人たちがアイヌ語を用いることなどが取り上げられているところでございます。
萱野茂君 次に、先住民族であることの確認についてお伺いします。大変しつこく質問して恐縮でありますが、とても大切なことでありますので、次に先住民族の定義についてお伺いしたいと思います。
 ここまで私は、旧土人保護法、外人土地所有法、オットセイ保護条約など、これまで日本政府が条約や法律の中でアイヌ民族をどのように扱ってきたかについて申し上げてきました。政府の行為としてアイヌモシリを異国として扱ってきたこと、アイヌを異民族として扱ってきたこと、アイヌが先住民であり、日本はアイヌモシリを侵略し、支配してきた事実について十分御理解いただけたものと思います。それにもかかわらず、政府はアイヌ先住民族として認めようとしていません。これまでの国会の政府答弁を要約しますと、少数民族であることは最近になって渋々認めました。しかし、先住民族であるか否かについては、古くから住んでいることは認めるが、先住民族との固有名詞を使うことはちゅうちょせざるを得ないとしてきています。
 官房長官、私は個人的に長官には三十年来、私の貧しい平取町の中の二風谷村の民芸品アツシ織などをすべてお買い上げ願って、長官に向かって言いづらいし、顔を見ただけでもありがたい人がそこに座っているということで言いづらいのでありますが、官房長官、あなたはかねがねアイヌが北海道の先住民であることを政府に求めてきた第一人者でありますが、きょう私が申し上げたことでさらにその確信を深められたものと想います。先住民族として認めてくださるかくださらないか、その辺をお伺いできれば大変ありがたいと思います。
国務大臣五十嵐広三君) ただいまの萱野委員の御意見は、我が国国政史上アイヌ民族出身の国会議員としての、しかもみずからの民族にかかわる初めての御質問でございまして、大変意義深くお伺いをした次第であります。
 ただいまるるお述べになりました御意見は、これまでの歴史においてアイヌの人々が受けた深い悲しみや痛みに満ちたその思いというものを率直に訴えられたものと存じまして重く受けとめさせていただきたい、このように存ずる次第であります。
 御質問の点でございますが、アイヌの方々が北海道に先住していたということは既に学説上の通説でございまして、また先ほどのお話にもございました北海道旧土人保護法の制定自体が北海道に土着する民族としてのアイヌの方々の存在を示しているものであろうというふうに思うところであります。
 しかし、いわゆる先住民族の定義につきましては、先住権との関係もございまして国際的にもまだ明確な定義がございませんで、国連の関係機関でも議論が続けられている難問でありますことは御承知のとおりでございます。政府としては今後アイヌ新法問題論議の中で真剣に検討を進めさせていただきたい、このように思う次第であります。
萱野茂君 このことについては真剣に検討していただきまして、先住民族であるという簡単な言い方ですが、その中にはいろいろとアイヌ民族としての感慨、重いものがありますので、ぜひ本気で検討してくださることをお願いします。
 次に、アイヌ新法の制定に対する政府の決意についてお伺いします。
 アイヌ新法の制定に対する政府の決意をお聞きするわけですが、政府は中国や韓国、朝鮮などかつてのアジア侵略政策についてその誤りを認めて、関係各国に謝罪の意思を表明してきました。来年は戦後五十年であり、政府としてもさまざまな事業を計画しようとしておられるはずであります。また、この戦後五十年を前に被爆者援護法の制定、従軍慰安婦の問題など、未解決の戦後問題を解決すべきとの強い意欲をお持ちのようであります。今、村山内閣が本当に戦後五十年を迎えようとするのであれば、アイヌ民族の尊厳の回復と新たな共生の社会に向けての第一歩としてアイヌ新法の制定を速やかに決断すべきと思います。
 私にとってはこの臨時国会が初めての国会であります。十月七日の本会議では、私たちの会長であります青大先生が代表質問の冒頭でアイヌ新法問題を取り上げてくださいました。村山総理の答弁について新聞各社は私に感想を求めてきましたが、私は、本当によい答弁は私の質問の順番まで待ってくれているのかなと善意に解釈することといたしました。本日の委員会は私がアイヌ問題を本格的に取り上げた最初であります。尊敬する五十嵐官房長官でありますから期待を込めて静かに
このアイヌ新法問題に対しての御返事を伺いたいと思います。
国務大臣五十嵐広三君) 御承知のように、アイヌ新法問題につきましては政府部内で検討委員会を設けましてこれまで検討を続けてきているところでありますが、いわゆる先住民族の定義が明らかになっていないなど結論に至っていないところであります。また、国際的にも現在、国連人権委員会を中心に議論を重ねているところでありますが、これも結論を出す状況にはなっていないようであります。
 しかしながら、政府における検討委員会も六年余りの検討を重ねているところでありまして、また先住民の国際十年が始まる折でもございますから、この際アイヌの方々の思いをしっかり受けとめて、現実的な解決策を見出すべく私といたしましてもできる限りの努力をしたい、このように考えている次第であります。
 また、連立与党におきましてもいよいよ本格的な取り組みがなされているとも聞いておりますので、この議論ともあわせて、この際、人権を重視する村山内閣として真剣な検討を進める決意であります。
萱野茂君 本当はすぐにということを期待したわけでありますが、前向きで検討してくださるということでありますので、北海道のアイヌの期待を背に私はきょう質問したのであります。官房長官、ぜひ本気で一日も早い制定をよろしくお願いしたいと思います。
 次に、北海道総合開発計画とアイヌ問題について、開発庁にお伺いしたいと思います。
 私は、ここまでアイヌの歴史とかアイヌの文化についてお話をしてきたのですが、ここで北海道の開発政策について一言だけ触れておきたいと思います。
 北海道の歴史、文化は道内数万カ所を超えるアイヌ語による地名に触れるまでもなく、アイヌの歴史、アイヌの文化と深くかかわり、その影響を色濃く引き継いでいるのであります。現に今、北海道庁や開発庁が北海道の産業振興の目玉事業として進めている観光について言えば、その観光地のほとんどがアイヌの文化によって成り立っていると言っても過言ではありません。それにもかかわらず、北海道開発庁が立てた開発計画には、私が見る限りこれまでアイヌのアの字も見当たらないのであります。これほどアイヌの歴史を見事に抹殺し、アイヌの尊厳を無視したものはないのではないか、そしてこのことは今の政府のアイヌ民族への姿勢を象徴しているのではないでしょうか。
 北海道開発庁は、昭和二十五年に設置され、二十六年に北海道総合開発第一次五カ年計画を策定以来、これまで五期の計画がつくられてきたわけであります。
 ここで私は開発庁に提案いたしますが、次の開発計画の策定に当たっては、アイヌと和人の歴史、アイヌ文化の存在について正しい認識を示すとともに、今後の北海道の発展に当たっては異なった文化をともに認め合う共生の社会を目指すこと、またアイヌ文化の伝承と発展は北海道の振興にとって欠かせない施策であることを明記すべきと思いますが、開発庁の考え方はいかがでしょうか、お伺いします。
○説明員(田口平治君) 今お話のございました北海道総合開発計画は、北海道総合開発の向かうべき方向と施策の方針を示すもの、こういう位置づけになってございます。
 現行の第五期北海道総合開発計画でございますが、昭和六十三年度からの十カ年を計画期間としておりまして、産業構造の調整あるいは多極分散型国土の形成あるいは国際化への対応など国全体としての課題を受けまして、活発な研究開発の展開あるいは新たな産業立地の推進、食糧等の安定的、効率的な供給、国民の健康の増進や文化、教育等の場の提供など北海道の豊かな国土資源を活用して我が国の長期的な発展へ貢献することを目標とするとともに、あわせまして産業構造の変化に円滑に対応しつつ道内の産業活動の活性化を図り、国の内外との競争に耐え得る力強い北海道を形成することを目標としているものでございます。
 今お話のございましたように、北海道は古くからアイヌの人々との深いかかわりを持っているということでございまして、御質問ないしその提案の御趣旨につきましては、次期計画の策定に当たりまして貴重な御意見として真剣に承らせていただきたいというぐあいに考えております。
萱野茂君 次に、北海道ウタリ協会というアイヌの組織があります。北海道で二百十数市町村あるうちの二百近くの市町村から、アイヌ新法制定について早期に制定すべしという議決をちょうだいしています。それで、北海道ウタリ協会が多くの人に見てもらおうと小さな本を書いてあります。それはとても大事なことを書いてありますので、もらった時間がもう少しありますのでそれを読み上げ、皆さんにお聞き願って私の質問を終えたいと思います。

  民族の尊厳を踏みにじった「北海道旧土人保護法」

   保護法制度の背景

  明治維新以来のアイヌ対策は、その根源とするところは同化、保護主義であり、授産と教化を主軸として施してきたが、一朝にしてこれを洗浄することはできないばかりでなく、著しい拓殖事業の進歩に伴い、経済状態は一大の変化を来し、アイヌ民族の生活上に大きな影響を及ぼした。制度としては一般和人同様に取扱われてきたと言っても、その実態は誠に苦しく同一の線上において活動することは不可能であった。
  アイヌ民族は、古来より自然と一体化した独自の宗教二言語、文化、生活習慣をもち主に狩猟・漁労採取によって生活していた北方民族であり、この自然生活時代より脱皮させ、一般和人と同一線上に競争させようとした、開拓使の対策は、あまりにも理想主義に失した政策であったと言える。
  その一例をあげれば、明治八年に、樺太楠渓より江別町に移住したアイヌ民族は、金銭に対する価値判断を理解しないまま、十銭の銀貨一枚をもって一円の買物をする者があるかと思えば、五円札一枚をもって、三十銭の煙草を買い求め、つり銭もとらずに立去るという実態であった。
  このような中にあって、一撰千金を夢見て来遵してきた和人と、一緒に競争させた場合、その勝敗は火を見るより明らかであった。
  また、開拓使及び三県時代において、割渡した給与予定地や従来の所有地は、不当な物々交換によって転々として人手に渡り、生活の根拠を奪われたばかりでなく、耕作地は、概ね地券発行条例第十六条の官有地に編入されてあったが、その管理のずさんさから一般和人に払い下げられるといった弊害も生じたのである/
  かくして、アイヌ民族は、急激なる世態の変遷に遭遇して、土地を失い、職に窮し、漸次生活に困窮するに至ったのである。保護救済に努めたといえども開拓事業が最優先の時代であったため、アイヌ対策は、誠に不十分といわざるを得なかったのである。
  このような中にあって明治二十年前後より、ようやく日本の人類学的研究は、自然にアイヌに向けられ、一般社会に紹介されるようになったのである。
  見慣れぬ異人種としてのアイヌを見て、好奇心と同情と、相混淆して、やがて教化すべし、保護すべしの気運が高まり、明治三十二年に「北海道旧土人保護法」の誕生となったわけである。

  アイヌ民族の基本的権利を剥奪

 この、「北海道旧土人保護法」の誕生を誰が喜んで迎えたであろうか。
 北海道・樺太・千島列島をアイヌモシリ(アイヌの住む大地)として、固有の言語と文化を持ち、共通の経済生活を営み、独自の歴史を築いてきたアイヌ民族の基本的権利を踏みにじり、一方的に法の下に同化。保護政策を打ち立てた政府の姿勢に反発もできず、「無智蒙昧の人種にして、その知識幼稚」(アイヌに対する表現)なるレッテルのもとに、給与地にしばられて居住の自由、農業以外の職業を選択する自由をせばめられ、教育においては、民族固有の言語もうばわれ、差別と偏見を基調にした「保護・同化」政策によって、民族の尊厳をふみにじられたのである。
  この保護法こそ、日本の近代国家への成立過程においてひきおこされた恥ずべき歴史的所産なのである。

 以上申し上げましたいろいろな理由の中で、ぜひアイヌ新法制定は必要なことでありますので、よろしくお力添えのほどをお願い申し上げまして私の質問の時間を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。


第131回国会 内閣委員会 第7号 平成六年十一月二十四日(木曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/131/1020/13111241020007c.html


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2014/02/07/234751