AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

川で鮭を獲れば「密漁」、墓から遺骨を掘り起こせば「名誉」

 1つ前の記事で言及した萱野茂氏が著した本に、良く知られている『アイヌの碑』がある。それから引用したかったのだが、今、手元にない。あるにはあるのだが、どの箱の中に埋もれ込んでいるのか見つからない。それで、「トッカラム」という萱野氏のお祖父さんの名前を覚えていたから、ネット上のどこかで拾えないかと思って検索したら、先の参議院内閣委員会での質疑応答の記録が挙がってきたというわけである。(内閣委員会記録で「トッカラム」と出てくる1行上に「末梢」とあるのは「抹消」の誤植であろう。)

 『アイヌの碑』の始めの方だったと記憶しているが、萱野氏のお父さんの話があった。アイヌが昔から主食として獲っていたサケを「密漁」したとの容疑で巡査に連れて行かれるところを当時の萱野少年の目で描いている場面である。お父さんの片眼は見えなかったが、その眼から涙が流れていたことを憶えているというような内容だった。[ご指摘を受けて、この段落および次段落以後の関連言及箇所は修正しました。]

 「川でサケを獲れば密漁、山で薪を集めれば盗伐」と言われた時代をこれまで多くのアイヌが語ってきている。個人的にも、何度も聞いたことがある。現在の北海道アイヌ協会理事長の加藤忠氏も、このように少年時代を振り返って話している。

ある時、山で薪を拾っていたら「討伐[ママ]だぞ」と馬に乗っている人に追われた記憶があります。また、鮭を獲れば密漁と言われました。そういった環境で育ちました。
http://www.frpac.or.jp/about/files/kai2005.pdf

 現在、川でどんな風にして鮭の捕獲が行われているのか、こちらで垣間見ることができる。⇒http://fine.ap.teacup.com/makiri/145.html
http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=17478

 なぜ、萱野さんのお父さんは、警察に連れて行かれなければならなかったのか。「法律に違反したから」という答えが返ってくるだろう。関連法は、どのような過程で制定されたのか。その時のアイヌの法的地位は? アイヌ政策に関する有識者懇談会の『報告書』は、このように述べている。いや、これに関することは、この程度にしか述べていないと言うべきか。

 ・・・日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、「異文化びと」であったアイヌの人々は、戸籍法の制定に伴いその意に関わらず「平民」に編入されたが、開拓使の通達により区別が必要な場合は「旧土人」とすることとされた。(10ページ、強調は追加。)

当時の「旧土人」には、集団として法制定過程に参加する権利など、とうてい認められていなかった。さらに、『報告書』は、次のように述べている。

④ 伝統的生業(狩猟、漁撈)の制限

 北海道の開拓が進むにつれ、乱獲による資源の枯渇などが見え始めたため、狩猟、漁撈が全道的に規制されることとなる。アイヌの人々の伝統的生業であった鹿猟についても、禁猟の解除、狩猟税の免除、猟銃の貸与などのアイヌの人々に対する優遇措置は取られたものの、規制の範囲などは徐々に拡大されていき、鮭の捕獲とともに明治後半までに北海道全域において禁止されることとなった。
 このように、生業を行う土地の減少や生業そのものが規制された結果、アイヌの文化の拠りどころであった自然とのつながりが分断され、生活様式を含む広い意味での文化が深刻な打撃を受けるとともに、アイヌの人々の暮らしは貧窮していった。(13-14ページ、強調は追加。)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai10/siryou1.pdf

 鮭の捕獲の規制とアイヌ民族文化との関係については、「二風谷ダム裁判」の判決文の方がもう少し詳しく述べている。

・・・先住民族として、自然重視の価値観の下に、自然と深く関わり、狩猟、採集、漁撈を中心とした生活を営んできたアイヌ民族から伝統的な漁法や狩猟法を奪い、衣食生活の基盤をなす鮭の捕獲を禁止し、罰則をもって種々の生活習慣を禁ずるなどして、民族独自の食生活や習俗を奪うとともに北海道旧土人保護法に基づいて給付地を下付して、民族の本質的な生き方ではない農耕生活を送ることを余儀なくさせるなどして、民族性を衰退させながら、多数構成員による支配が、これに対する反省もなく、安易に自己の民族への誇りと帰属意識を有するアイヌ民族から民族固有の文化が深く関わった先住地域における土地を含む自然を奪うことになるのである。
http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20100918/1284746218

 他方、明治時代に日本政府が制定し、現在も効力をもっている刑法の下では、墳墓荒らしはれっきとした犯罪とされている(http://don-xuixote.hatenablog.com/entry/20110512/1305135974)。それにも拘らず、医学者や人類学者などの和人の研究者たちがアイヌの遺骨を「捕獲」しても警察に連れて行かれはしなかった――事情を聴かれた事例はあるようだが。それどころか、「捕獲」した「獲物」を棚に陳列して天皇に見せながら話をするという「栄誉」を受け、学者としての名誉も政府や社会から与えられている。

 歴史に「もし」は許されないが、もしこの時代にアイヌと和人の力関係が違っていて、アイヌが自分たちの生活領域に刑事管轄権を行使できていたとしたなら、恐らく和人の研究者たちはしょっ引かれて、コタンの司法権限の下で裁かれることになっていたであろう。そもそも、研究者たちは、アイヌ墳墓に近寄らなかったかもしれない。そのようなコタンの権限は、アイヌ遺骨返還請求訴訟で争点の一つになっている。今日はそのことが主テーマではないので、それについては、こちらで10ページ以下を参照されたい。⇒http://hmjk.world.coocan.jp/trial/jyunbisyomen/jyunbisyomen003_20130826.pdf

 私が疑問に思ったのは、萱野氏のお父さんのように、サケを獲ったり、あるいは木材の「盗伐」ということで犯罪者扱いされて留置されたり、罰金を支払わされたりしたアイヌはどのくらいの数にのぼるのだろうということである。聞くところによれば、萱野さんのお父さんの時代まで遡らずとも、そのような扱いを受けたアイヌは現在も――実際のところ、私の知る人の中にも――いるそうである。もしかしたら、これに関係する問題を既に研究している研究者がいて、私が知らないだけかもしれない。あるいは、地元で民衆史を掘り起こしている市民団体があると聞いているので、そこがこれに関する資料や情報をお持ちかもしれない。アイヌ民族の人権擁護を掲げている法務省は、数字を持っているだろうか。北海道アイヌ協会の本部なら、数字で実態を把握しているかもしれない。

 そして、私のもう一つの疑問は、そのような扱いを受けた人たちの名誉は回復されたのだろうかということである。知る限りの答えは、ノーである。もし身内にそのような「犯罪者」を持っている人たちは、名誉回復に関してどのように考えているのだろうか。

 しきりに「民族共生」を謳う政府のアイヌ政策に関する会議のどこかで、そのような人々の名誉を回復することについて、何か話題になったことがあるのだろうか。これまでの「議事概要」はほぼ全部を読んでいるつもりだが、出合った記憶がない。

 カナダでは今、「真実と和解の委員会」の調査と報告書によって歴史を深く再検証している。先日、全道庁労連が「アイヌ民族がたどってきた歴史にしっかりと目を向けよう」と訴えていた(http://don-xuixote.hatenablog.com/entry/2014/01/24/004814)。国の政府がやらないのであれば、地方政府の北海道がイニシアティヴを取っても良かろう。「犯歴」の抹消と名誉回復を道知事が提案して、道議会が決議する。そして、国も同様に行う。道は、何でも政府の動き待ちにせずに、地方から率先して行っても良いではないか。

 また、突拍子もないことを書いていると言われそうだ。

<続く>

P.S.(2014.02.10):
 上の記事の続きは、こちら。⇒http://d.hatena.ne.jp/Don_Xuixote/20140210/1392011057


転載元:http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2014/02/09/002927