AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

「人類学における古代DNA:方法、応用、そして倫理」

 アイヌ遺骨のDNA研究に関して、北海道アイヌ協会はどのような決定を出したのだろうか。

 こちらから続く。

 以下は、2002年『自然人類学年鑑』に掲載されたフレデリカ A. ケーストゥルとK. アン ホースバーグ(Frederika A. Kaestle and K. Ann Horsburgh)の「人類学における古代DNA:方法、応用、そして倫理」と題された論文の"Ethics of Ancient DNA Research"(「古代DNA研究の倫理」)の章と「結論」(106-109ページ)の翻訳である。Frederika A. Kaestle and K. Ann Horsburgh, "Ancient DNA in Anthropology: Methods, Applications, and Ethics," Yearbook of Physical Anthropology, Vol. 45 (2002), pp. 92-130.
 自然人類学会の内からの人類学者への問題提起であり、かつ既に12年前の論文である。恐らく日本の人類学者にも同じような問題提起をしている人はいると思うが、アイヌ遺骨の研究を狙っている研究者たちにはあまり関心を持たれていないように思われる。先の札幌医科大学でのイチャルパの際に行なわれた講演では、この論文の前半(aDNA研究の方法と応用)のようなことが語られたのではないかと推測する。
 なお、2人の著者の姓の正確な発音が不明のため、仮の英語読みで表記した。本文中の誤植部分は、その部分の意味を文脈に則して解釈して訳出した。各見出し間の関係を分かりやすくするために番号を付した。

1.古代DNA研究の倫理

責任あるかつ倫理的な決定作成にしばしば必要な多くの情報を理解する必要は、しばしば・・・学問の下位分野の境界が越えられることを要求するかもしれない。まさにその越境の際に、学問分野の民衆の諸範疇が認められると同時に再形成され、そのことによってその学問分野のホリスティックな4分野アプローチに対する必要性を再確認することになる。
                        ――キャントウェル他、2000, p. ix

 古代DNA(aDNA)研究手法の人類学上の課題への適用は、上述のように、大いに有望である。しかしながら、人間のどのような研究についてもそうであるように、研究の試みの倫理的、法的、社会的(ELSI)意味合いを考えることが大切である。死亡した人間の身体遺骸とその物質文化を実際に取り扱うので、人類学的aDNA研究は、自然人類学と考古学の間の常に流動的な境界を跨いでいる。その結果、人類学的aDNA研究という比較的新しい分野の研究者たちが直面している倫理的課題の多くは何十年もの間、骨格人類学者たち、そしてもっと特別に、考古学者たちによって考えられてきた。しかしながら、考古学的・自然人類学的研究の生きている人々と共同体に対する潜在的なELSI意味合いに対する意識の増大は、私たちの研究に対する文化人類学の重要性を強固にしてきた。それゆえに私たちは、これらすべての分野の文献が私たち自身の研究に関係ある洞察を求めて有益に深さを探れそうなことに気づく。

1.1 古代DNAと破壊的分析

 極微の損傷で長い骨からDNAを抽出し、そして、象牙質の抽出の後で複数の歯を元のように接着して戻すことは可能であるけれども、一般的に、aDNA研究手法は破壊的である。従って、人類学的物質の適切な管理に対する私たちの責務を肝に銘じておくことが重要である (Lynott and Wylie, 1995a; Monge and Mann, 2001; Turner, 2001; AAPA, 2002)。これらの資源は代替不能であるから(Lynott and Wylie, 1995a; but see Zimmerman, 1995)、破壊的な分析は、破壊的分析は、結果が重要な論争に情報をもたらすか、あるいは興味深い仮説を試すためのデータを提供するかしそうな場合おいてのみ、そして/またはその破壊が他の研究手段を危険にさらすことがない場合にのみ、行われるべきである。多くの場合において、aDNAは仮説の試験への最も生産的なアプローチではないかもしれない。例えば、一人の非常に古い個人と現生の一集団との間の文化的関係(cultural affiliation)を確立することは、遺伝的証拠を用いてでは非常に困難である。もっとも、「文化的関係」によって何を意味するかによって、恐らく不可能ではないないであろうが(Kaestle and Smith, 2002, and see Applications, above)。

 もう一つの重要な関心事は、問題の標本にDNAが有益な分析のために十分に保存されている見込みである。破壊的分析は、結果を生みそうにない時には行われるべきではない。この見込みを評価する複数の異なるアプローチは、付録で論じてある。加えて、標本の一部は、結果を確認するためであれ、最初の研究の時に利用できなかった新たな分析技術を適用するためであれ、将来に可能な試験のために残しておかれるべきである。

1.2 ヒト被験者

 はるかにもっと複雑な課題、あるいは一組の課題が、その研究によって影響を受けるかもしれない複数の集団と協議する研究者の責任を含む、Watkins et al. (1995)によって意図される意味でのアカウンタビリティの考え方、そして、ヒト被験者を巻き込む研究に中心的であり、すなわち研究は被験者に対する害を避けるように務めるべきであるという恩恵という考え方(NCPHS, 1979; Turner, 2001)を巡って存在している。多くの文献が考古学と自然人類学一般に当てはまる形でこれらの課題を論じている(例えば、Green, 1984; McBryde, 1985; Fluehr-Lobban, 1991; Lynott and Wylie, 1995b; Vitelli, 1996; Greely, 1997; Cunningham, 1998; Foster et al., 1998; Foster and Freeman, 1998; Juengst, 1998; Cantwell et al., 2000)が、それを論じることはこの論文の範囲を超える。しかしながら、aDNA研究に具体的な、あるいは特に関連のあるいくつかの考えておかれるべき重要事項が存在する。

1.2.1 古代DNAと個人の同意

 今日、生きている人間の生物学的研究は、一般的に、連邦政府および研究機関の規則に従って、研究参加者からさまざまなレベルのインフォームド コンセント(情報に基づく同意)を必要とする。しかしながら、死んでいる個人からインフォームド コンセントを取得することは不可能であり、そのような人間に対する人類学的研究は一般的に、(研究が生きている人間の参加も伴っている時を除いて)連邦政府や研究機関のヒト被験者規則の対象とならずにきた。死者の権利に関する哲学的論争には長い歴史があり(例えば、Aristotle, translated by Rackham, 1962; Bellioti, 1979; Partridge, 1981; Marquis, 1985; Callahan, 1987; Grover, 1989; Fisher, 2001; Scarre, 2001)、ほとんどの議論は、(一定の形の身体の不滅を仮定する人々を除いて)死者のプライバシー、そして評判の保護や願望の尊重に対する権利に集中している。
 ホルム(2001)は、これらの課題をaDNA研究に関して生産的に論じた。彼は最初に、私たちが死者の信条がどのようなものであるのかを知らない場合(このことは、最近に死去した個人の場合を除いては一般的に正しいであろう)、死亡した個人の信条に基づいて死者に帰する利益を除外した。問題となっている人々の社会の共通慣行について一定の知識がある場合においてさえ、この知識の解釈は困難である。埋葬の/考古学的データから、例えば血縁関係や性別についての信条のような、他の信条を抽出することの十分に確立された諸困難があるとすれば(例えば、Pader, 1982; Giddens, 1984; Wylie, 1989; Metcalf and Huntington, 1991; Pearson, 1999)、死後の人々の遺骸の適切な取り扱いにおけるその人々の利益に関して、私たちが先史時代の社会の信条(そしてもっと具体的に、そのような社会の個々の成員の信条)を理解できる図々しくも仮定することには問題がある。同様に、個々の人々が何を自分の名誉に対する「中傷」と考えるかを識別することも難しいであろう(Holm, 2001, p. 447)。
 他方、もしその個人が知られていて、彼/彼女の遺骸や名誉に対する適切な取り扱いに関する彼/彼女の信条が彼/彼女の生前に明示されていれば、これは明らかに、aDNA研究に関する決定に大きな影響をもつに違いない。この状況は、極めて稀であると考えられる。
 通常は死者の子孫によって行われる何らかの形の代理人同意が、死者の同意に代わるものとして提案されてきた。しかしながら、代理人同意は、代理人が死者の最善の利益に基づいて決定を下していることを含意している。上で論じたように(そしてHolm, 2001においても)、死者の利益を識別するのは非常に難しい。ホルムはまた、多数の子孫は自分たちの祖先の研究に関して意見が異なる場合もあると指摘する。これはまた、直系子孫を特定することができるということを仮定しているが、それは一般的にはありそうにないことである。
 ますます、死者と「文化的に関係ある」生きている人々が、これらの決定を下すことを求められつつある。そこに仮定されていることは、これらの人々は、死者と共通の文化を共有しているから、死者の遺骸の研究に関して死者が賛成するであろう決定を行う可能性がより強いというものである。死者の文化と「関係している」文化を特定することは、よく見ても、困難である(Haas, 2001; Barker et al., 2000; Killion, 2001; Kemp et al., 2002)。事実、何が文化的関係の証拠を構成するのかということ自体が大きな意見の違いのある場なのである(Kaestle and Smith, 2002)。これらの困難に直面して、「文化」をますます一般的な言葉で定義する運動が存在してきた(National Parks Service, 2000)。この提案に暗黙にあるのは、どの先住アメリカ人集団も特定不能の文化的に関係ある一集団に対する代理を務めることができるということである。文化的関係によって意味されることの範囲を拡大することは、現生集団の決定が死者の信念を反映しなくなり(Meighan, 1984; Renfrew and Bahn, 1996; Tsosie, 1997; Goldstein and Kintigh, 2000; Mitchell and Brunson-Hadley, 2001)、異なる現生集団が当該遺骸の処分に関して考えを異にすようになる可能性を増すだけである(古代の遺骸の取り扱いに関するいくつかの競合する/異なる先住アメリカ人と先住オーストラリア人の見解については、Tsosie, 1997; Cantwell, 2000; Bary, 2001aを参照のこと)。加えて、多くの先住民族集団の場合、構成員が承認された文化集団に属していないことがある(例えば、非登録の先住アメリカ人の場合で、彼/彼女たちは合衆国の先住アメリカ人子孫の個人の過半数を構成している; Thornton, 1997)。
 なお、これらの課題を論じるほとんどは、私たちのものを含めて、先住民族共同体との協議に集中している(Weijer et al., 1999)。しかしながら、多くの人類学研究は、非先住民族共同体に注目しており、この傾向は増加しつつある(Comitas, 2000; Silverman, 2000)。Weijer et al. (1999, p. 279)は、「先住民集団のために編み出された保護措置を他のそれほど結合力のない共同体、特に、正当な政治的権威のない共同体に適用することの」諸問題を指摘している。これらの問題には、その共同体の輪郭の明示、(そもそも、もし存在するのなら)これらの集団の正当な政治的機関または指導者の特定、そして、ニーズと優先事項に関する共同体全体にわたるコンセンサスの特定が含まれる。
 上に挙げた理由によって、ほとんどの場合において私たちは、文化的に関係する集団が、もし仮にそれらが特定され得るとしても、死者の利益を保護することになるという議論が支持できるとは信じない。類似の論理を用いて、Holm (2001, p. 447)は、このタイプの研究はほとんどの場合、「死者の子孫たちや死者の今日の文化的に関係のある文化的共同体の同意を求めることなしに」行われ得ると結論した。私たちは、この結論に違和感があり、問題はそれほど簡単ではないと感じる。

1.2.2 古代DNAと現生共同体

 現生の集団は、死者の利益とは独立して、死者に対して行われるaDNA研究に利害関心を有している。aDNA研究の結果は、現生集団が存在している社会的、政治的、法的状況に影響を及ぼすかもしれないし、その集団の祖先および起源についての信仰を否定したり、損なったりすることになるかもしれない。
 現生の諸民族に関する研究の場合と同じように、aDNA研究の結果は、たとえ集団の構成員が研究に参加しなかった場合でも、その人々に対する意味合いをもつことがある。西洋社会に今日広く流布している(Nelkin and Lindee, 1995に意図された意味での)遺伝本質主義があるとすれば、遺伝的証拠には将来、社会的、政治的、法的な場において重要な重みを持つようになる可能性がある。ほんのいくつかの例を挙げれば、この点を理解してもらうのに役立つであろう。
 aDNA研究は現生の個人および集団と古代の個人および集団との間の生物学的つながり(祖先と子孫の関係)の証拠を提供する可能性をもっているため、このタイプの証拠は、土地請求権(あるいは他の先住の諸権利)を承認している国々(例えば、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア)において、そのような諸権利を推し進めたり、あるいは却下するために用いられ得る。例えば、ウェスタン モヒガン トライブは、公式な州と連邦政府の承認を獲得するためのモヒガン人祖先の直系子孫であるという主張を支持するために遺伝子解析を受けたことがあり(Lehrman, 2001; Tallbear, 2000)、そしてこの主張は、伝統的なトライブの土地に埋葬されている死者からの遺伝的証拠によって支持することも可能である。事実、いくつかのトライブ集団が、このタイプの研究の可能性を探るためにaDNAの専門家と接触したことがある。
 aDNA研究のELSIの意味合いのもう一つの例は、極めて古代の先住アメリカ人たち返還決定(あるいは文化的関係の確認)に関係する。先住アメリカ人墳墓保護[・返還]法(NAGPRA)は、「遺伝学的証拠は、文化的関係を決定する際に適切であることもある一種の生物学的証拠である」と述べていて(Department of the Interior, 2000)、文化的関係に対して一般的な生物学的証拠と個別的な分子遺伝学的証拠の両方を受け入れている(43 CFR 10.14 (c)(2)(i)–(iii))。それぞれワシントン州ネヴァダ州で出土したパレオインディアンであるケネウィック人とスピリット ケイヴ人双方のNAGPRAにおける地位を決定する際に、双方の遺骨の古代DNA研究が検討された(詳細は、以下を参照せよ。Dansie, 1997; Jantz and Owsley, 1997; Preston, 1997; Kaestle et al., 1999; Barker et al., 2000; Kaestle, 2000; Merriwether and Cabana, 2000; Smith et al., 2000b; Thomas, 2000; Tuross and Kolman, 2000; Chatters, 2001; Dewar, 2001; Kaestle and Smith, 2001a)。これらの例はaDNAが特定の文化的関係を支持しなかった状況のものであるけれども、このことが常に当てはまるわけではないということは注記されるべきであり、そしてaDNA結果は、古代の遺骸の返還請求を支持するために先住民族集団によって用いられることもあり得るし、また混合したり、不適切に特定された遺骨を適切な返還のために分類する手助けをするために用いられ得る(Cantwell, 2000)。
 現生集団が部外者/専門家の介入なしには自分たち自身の歴史が分からないとか知り得ないと含意することは、現生諸民族に対して深く苦悩させかつ不快にさせることであり得るし(Andrews and Nelkin, 1998; Garza and Powell, 2001)、彼/彼女たちの宗教的自由に対する侵害であると解釈されてきた(White Deer, 1997; Pyburn, 1999; Deloria, 2000; Mihesuah, 2000; Grimes, 2001; Haas, 2001)。非先住諸民族による古代遺骸の支配もまた、自己決定と植民地主義に関する論争の焦点となった(Pyburn, 1999; Cantwell, 2000; Frichner, 2000; Meskell, 2000; Riding In, 2000; Cash Cash, 2001; Zimmerman, 2001)。*1かくして、倫理的に健全で、科学的基盤をもつ歴史調査を推し進めるためには、認識される潜在的な危険と多くの異なる利害関係者の明示的な承認について十分に知っておくことが必要である。これらの課題は、aDNAの研究に限られてはおらず、もっと一般的に古代の諸民族/人民とその文化の研究に当てはまる(Zimmerman, 1989; Echo-Hawk, 1992; Mihesuah, 2000; Grimes, 2001)。それゆえに、それらの課題は、この論文の範囲を越えているが、aDNA研究を遂行する人々にとって重要な検討事項であるべきである。
 私たちは、現生集団が人類学におけるaDNA研究技術の使用に利益を有するということを確立してきた。しかし、この利益は、科学者の利益を圧倒するのだろうか。私たちは、人類学者として、これらの課題に倫理的にどのように対処するべきであろうか。アメリカ人類学協会(AAA)の倫理規定は、私たちが研究する人々に対する私たちの責務が私たち自身の目的に取って代わる可能性を論じる際に、「ねばならない」ではなく、「できる」という語を用いていて、倫理的責務として、この同じ箇所に、考古学的な、化石の、そして歴史的な諸記録の長期的保存を含めていることが注意されるべきである(AAA, 1998)。Silverman (2000, p. 214)が特筆したように、同規定は、「公衆に、学問分野に、学生に、後援者に、そして自己の政府と主催諸政府に対する責任もまた列挙していた。これらの諸責任は必ず衝突すること、そして、倫理的選択を行うことはその個人次第であるということは、人類学の職務の必然的条件であった」(Silverman (2000)は1971年のAAA規定について述べているが、これらの責任は、現在の規定にも含まれている)。かくして、すべての関係当事者の権利を釣り合わせることは、複雑な過程のままである。

1.3 将来への提案

 これらの状況にいかにして倫理的に対処するかに関するほとんどの提案は、現生集団との任意での協議または協働を必要としてきた(例えば、AAA, 1998; WAC, 1991; Pyburn, 1999; Killion, 2001; Loring, 2001; Spector, 2001)。残念ながら、先住民族集団との植民地的相互作用の歴史は、救いがたいとしか描きようがない。非先住民人類学者は、これらの集団と信頼関係を生み出す際に乗り越えるべき大きな障害があり、かつ植民地主義諸国との共犯という私たち自身の歴史記録によって明瞭に動きを妨げられている(例えば、Bruce, 2000; Killion, 2001)。古代DNA研究は、ヒト遺伝学者たちとの過去の相互作用に対する負の認識によって特に妨げられている(例えば、Tierney, 2000; AAA, 2002)。加えて、科学者が自分たち自身を非客観的な利害関係者として認識しない時、その過程はもっと困難にされる。私たちは、以下で、この空間を切り抜けようとしている人類学者たちにとって役立つかもしれない協議/協働/協力へのいくつかのアプローチを論じる。

 「コンタクト パースペクティヴ(contact perspective)」(Bray, 2001b)は、人類学者と他の利害関係者との相互作用の有益な概念化を可能にする。それは、生物的および文化的な遺物の意味だけでなく、その相互作用の意味を、生来の、あるいは本質化されたものというより、出現しつつあって、なおかつ参加者たち次第であると考えることを可能にする。このアプローチは、文化横断的コミュニケーションを強調し、しばしば言語的および文化的双方の翻訳を伴っている(Jacknis, 2000; Bray, 2001b)。ブレイ(Bray, 2001b)は、この試みはまた、「具体化された客観性(embodied objectivity)」(Haraway, 1991)という考えによって促進されるかもしれない。それは、個々の考え方の重要性を承認して、完全な客観性を不可能な状態として認めるが、状況的知識(situated knowledge)を求めて努力する。具体化された客観性がすべての人類学研究において明示的にされるべきであるというのが、私たちの信念である。
 人類学者はガルザとパウエルが「誓約的考古学(covenantal archaeology)」(Garza and Powell (2001))と呼び、ローリングが「コミュニティ考古学」(Loring (2001))と呼び、スペクターが簡単に「パートナーシップ」(Spector (2001))と呼ぶものにおいて先住諸民族とともに(あるいは、のために)仕事をするということもまた提案されてきた。これらにおいては、先住諸民族の目標が、問題と研究課題を定義して、これらの研究のための優先事項を確立する(Garza and Powell, 2001; Loring, 2001; Watkins, 2001; Zimmerman, 2001)。ピバーン(Pyburn (1999))は、人類学の努力の内側からの先住民族の視点の包含は女性の包含によって達成されたのと似たような仕方で私たちの分野を向上させそうであるとの自説を述べた。彼女が指摘したように、女性はかつて私たちの専門職の不適切な構成員とみなされていたが、しかし私たちは、包含の結果、長足の前進を遂げてきた(Farnham, 1987; Haraway, 1989, 1991; del Valle, 1993; Lloyd, 1995; Conkey and Gero, 1997; Arnold and Wicker, 2001; Pyburn, 2002も参照せよ)。
 人類学研究の、あるいは人類学におけるaDNA研究でさえの、倫理ということになると、単一の基準はあり得ない。aDNA研究は一般的に機関審査委員会の領域外にあるため、私たちは、私たちの分野の時には矛盾している倫理基準を出来る限り最善に固守することと、私たち自身、人類学の内と外の私たちの同僚、そして他の関心を有する当事者(利害関係者)たちの間での真剣な事例ごとの検討と議論の双方によって、自らを律しなければならない。私たちは、上で挙げた諸点が、個々の実験室内においてと分野全体にとっての双方で、これらの議論のための出発点を提供することを期待している。諸課題は複雑であるが、このことはそれらの課題を無視する口実とされるべきではない。
 人類学研究におけるaDNAの利用が主に自己審査され、異なる諸国のさまざまな法律によって導かれる続けているので、私たちは、研究者が特定のaDNA研究計画に取りかかる前に、以下の質問に研究者たちが取り組むことを提案する。
1)その研究方法の適用は、人類学の問題を扱っているか。
2)その結果を達成するために用いることのできる非破壊的方法は存在するか。
3)遺骸/遺骨あるいは他の資料の諸条件は、aDNAが存在している可能性の方がそうでない場合よりも高いと示唆しているか。
4)当該の遺骸/遺骨の破壊を異なる利害関係者は、どのように見るであろうか。
5)現生の集団にとって、もしあるとすれば、可能な研究結果のELSI上の含意はどのようなものか。
6)異なる利害関係者からのインフォームド コンセントを定義しかつ受け取るために、道理に合った試みは行われたか。

2. 結論

 人類学内部でも、そしてもっと離れて生物科学と古生物科学においても、aDNA研究の出発は多難であった。突拍子もない主張がなされ、そして撤回された。研究報告が出版され、それらの方法に対して徹底的に批評され、そして次には、それらの結果が汚染の産物であると暴露された(Pa¨a¨bo and Wilson, 1991; Young et al., 1995; Zischler et al., 1995; Wang et al., 1997; Yousten and Rippere, 1997)。そのような出来事によって、どのaDNA研究も本物の、信頼できる、そして再現可能な結果を生むことができるという可能性に対する懐疑が一般に広がることとなった。それにもかかわらず、もっと注意深い分析と、可能性と必要な予防策のもっと冷静な議論とでもって、aDNAはこれまで以上にまともになりつつある。そのようにきちんとなることで、その分野にとってさらなる課題が生じる。aDNAの内在性の性質を実証することには、もやはニュース価値はない。そして、DNAが特定の有機物の遺骸の中で生存してきたことを単に証明するためだけに破壊を伴う分析を行うことは、もやは正当と認められない。古代DNA研究は今や、具体的な研究課題に答え、そして具体的な仮説を試験するために行われなければならない。さらに、私たちは今や、私たちが苦労して得た社会的地位を守る努力をしなければならない。私たちは、新しく刺激的な結果を適切に検証する前に慌ててそれらを出版する誘惑に抗するべきである。私たちの結果の撤回は、より広範な学界における私たちの地位を危うくすることになり、そして私たちの社会的地位には、私たちの研究結果を効果的に広める私たちの能力と、私たちの研究を促進するための資金へのアクセスの双方が結び付いているのである。
 私たちは、この論文の実質的な部分を死んだ生物のDNAを分析することに伴う倫理的関心事の議論に向けてきた。私たちがこれを行うのは、私たちの分野の中での適切な行動に関する具体的な規則を提議することが私たちにできないにもかかわらず、そのような考慮すべき事がらが私たちの研究の進路に影響を及ぼす点で重要であると信じるからである。倫理的な決定を非常に難しくしているのは、まさにこの、私たちや他の誰かに提議される明確な規則がないことである。しかしながら、私たちの研究によって提起された倫理的課題の複雑な性質は、私たちがそのような課題についてより少なくではなく、もっとよく考えることを要求している。
 全般的に、この論文の調子は、地味で、慎重で、aDNA研究の細かい点に高い関心をもっている。科学的厳格さに対する関心を悲観主義と混同しないように、次のことを注記しておきましょう。私たちがそれをそのように注意して取り扱うのは、まさに、人類学の分野で既に行われてきた研究の多くについて私たちが非常に熱心であり、また人類学内部におけるaDNA研究の潜在的可能性についてはるかのもっと熱心であるからなのである。伝統的人類学の関心事からの情報に明示的に基づきかつ指示されたaDNA分析技法の適用は、その分野に十分な影響を及ぼし始めているにすぎないのである。

*1: 返還が望ましく、そして科学的研究は拒絶されているという前提もまた、これが常にそうであるとは限らないとすれば、問題があり、共同体に望まれていない再埋葬という結果になることもある(Cantwell, 2000に諸事例)。

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