AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

日本人類学会を代表して、再度、個人的意見を申し上げます・・・だね。

 第19回(アイヌ)政策推進作業部会の「議事概要」に「(2)研究等に関する日本人類学会及び日本考古学協会からの意見聴取」という項目があるが、「意見聴取」というより「意見発表」の機会のようである。妙なことに、この見出しの箇所だけでなく、冒頭の出席者の中には名前が出ていない。日本人類学会の方は、「篠田委員」が兼ねていると明々白々だが。

①日本人類学会より意見聴取
○ 私たち日本の自然人類学研究者は、これまで、人類の起源や集団の成立、とりわけ日本列島の人々の起源について、主として遺骨を用いた研究を行ってきた。その中には、本州や琉球列島の集団などとともに、アイヌ民族の方々の遺骨を用いたものが多数存在する。
 そうした研究の中には、現在の基準から見ると、人道的な配慮が不十分なまま進められた例がある。[当時の基準(刑法)でもと認識することが重要である。]現代に生きる私たち人類学の研究者は、このことを戒めとし、研究対象となる人々に対する配慮をより一層優先する、厳格にして人道的な研究態度を改めて認識する必要をかみしめている。
 私自身の経験をお話しさせていただくと、2005年から10年間にわたってこの問題に関わっており、その間、たびたび道内外の各地でアイヌ遺骨を用いた研究の必要性と成果について説明させていただいている。
 それらの場で、研究者に向けられる不信の眼差しや、これまでの研究のあり方について、強い反感をお持ちになる方の存在を目にすることもあり、長年にわたってこの問題に真摯に向かい合うことをしなかったことの重大さを省みて、この問題に対してどのように対処していくべきなのだろうかということを深く考えるようになった。
 このような機会をいただいたので、ここでは過去の反省を踏まえて、今後のアイヌ遺骨の集約と研究の進め方について、研究者の立場から意見を申し上げる次第である。
 現在の状況が長い歴史に基づいていることを鑑みれば、数百年後の遠い将来[50年、100年が口癖かと思っていたら、とうとう数百年になった!]にも評価される選択肢をとることが肝要であると思う。アイヌ政策推進作業部会では、アイヌ遺骨の返還と集約に関する基本的な考え方が示されている。私たちは、将来にわたって研究可能な形で遺骨が継承されていくことが、民族ならびに民族の歴史の研究にとって極めて重要であると認識している。
 私自身、2009年2月に首相官邸で開催された第5回アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会で、それまでのアイヌ遺骨を用いた研究の概要について御説明させていただいた。それ以降は、アイヌ政策に対して、アイヌ政策推進作業部会の一員として参加し、遺骨の集約と今後の方針についての議論を重ねる中で、将来のあるべき姿に対して、自然人類学の研究者としての立場から発言させていただいている。
 その議論を進める中で、遺骨を慰霊施設に集約するとともに、祭祀承継者へ返還されない遺骨については、将来の研究にも対応することが可能な形で保管することが提唱されたと理解している。
 私自身、関係各位によるこのような長期間にわたる真摯な議論の中で、今後の方針について決定がなされたことは、過去から将来にわたるアイヌ政策を語る中で大変に意義のあることであったと考えている。
 さて、現在、進行している計画においては、慰霊施設、博物館等の文化施設、さらには文化伝承を担う場などの複合体として機能する象徴空間の整備が予定されている。日本人類学会としては、そうした中に、これまでアイヌの人々の遺骨を用いて行われた自然人類学的研究の成果、すなわち、アイヌの起源が縄文時代人まで遡ることを含んだアイヌ独自の人類史、また、周辺集団との関係などに関する重要な発見が展示及び解説されることを希望する[ならば、上で述べている「戒め」のためにも、「成果」以上に自然人類学者が行った行為を明確に「展示および解説」することを希望する。]
 また、今後は、そうした研究調査がアイヌの人々を中心として進められることが重要であると思われる。
 そうして初めて、民族の尊厳を守る慰霊と共に、民族の歴史に関する正しい認識と理解を将来にわたり探求し、民族の先住性をより一層明確にし[「権利宣言」における争点と認識が違う]、民族文化の新たな発展に寄与することが可能になると考えている。
 近い将来に象徴空間に求められることが予想される社会的発信、情報整理、保存及び調査研究に関する事象を鑑みれば、遺骨とそれに伴う副葬品についても、そうした事象に対応した保存継承を図ることが重要[引用の枠外に記すが、遺骨と帰趨をともにするとの発言と矛盾していないか。というより、その発言自体が骨抜きにされている、裏があるという証しだ。]であると考える。
 最後に、これも個人的な意見[学会を代表して見解を述べているのかと思っていた!]になるが、一言つけ加えさせていただきたい。
 これまでのアイヌ遺骨の取り扱いの歴史を振り返れば、自然人類学の研究者として、過去に向かい合ってでき得る限り努力をすべきであると思う。その中で、帰属が不明の遺体、個体としてのまとまりを欠いてしまったものなどを、本来の状態に戻していく努力は、御遺骨の尊厳を保つためにも欠かせない作業になる。それができるのは自然人類学の研究者のみであり、そのために努力することが私たちの過去に対する一つの責任のとり方であると考えている[でも、返さない。]
 ただ、それは、一朝一夕にできるものでもなく、長い時間をかけて取り組まなければならない作業であり、象徴空間の慰霊施設の完成までに完了するものでもないと考える。まして、これまでのように大学に留め置けば、将来にわたって作業が完了しないことは明白である[文部科学省補助金を停止すると言えば、どうかな。もっとも、政府にそこまでする政治的意志はないだろうが。]。また、拙速に事を進めて、可能である作業を疎かにすることになれば、将来にわたる禍根を残すことにもなる。今後の遺骨の集約とその後の取り扱いに際して、私たちにはそのような作業ができる環境を整備していただければと思う。


「議事概要」pp. 8-9.(青字にした部分の後ろの[ ]の中は、私のコメント。

※遺骨と副葬品の帰趨について。

当作業部会でも副葬品は基本的に遺骨と帰趨を共にすると考えているので、そのような副葬品は博物館の展示対象にはならないというのが基本的な考え方である。
文化財に認定されている副葬品もあると思うが、これも展示の対象とはならないのか。
全ての副葬品について、遺骨と帰趨を共にするものと考えている。(p. 4)

 多少なりとも期待して読んだ分、バカバカしさが募った。時間の無駄であった。


「邪悪な人間は、つねに、自分たちの動機をうそで覆うものである。」(M. スコット・ペック『平気でうそをつく人たち』、草思社、1996年、143ページ。)
 いやいや、篠田氏は善良なお方だと思っている。たまたま、今夕読んだところで出ていたもので、引用しておきたくなっただけである。

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