AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

何ひとつ変わりそうにない日本考古学協会の態度

 日本考古学協会の遺骨に関する見解は、「議事概要」の9-10ページに簡単に述べられている。同協会のどの地位にある誰が「意見聴取」に応じているのか分からない。一読しての感想は、日本考古学協会は何も変わろうとしていないというものであった。

 また、アイヌ遺骨そのものを用いた学術研究は、一義的には自然人類学分野が実施しているが、考古学分野においても、副葬品等の民族遺産を含め、儀礼、葬制、生活、文化などの関連する研究を実施してきた。従って、今後の調査研究にあたっては、日本考古学協会が制定している研究倫理規定を遵守し、アイヌ民族の尊厳と要望に誠実に対応しながら実施していく所存である。

 昨年8月9日に行われた北海道アイヌ協会主催の「2014年国際先住民の日記念事業」で、パネリストの一人の加藤博文氏(北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授)は、次のように述べている。

なぜ考古学会は人類学会と線引きをして骨と副葬品を分けてしまったのかということを考え直さなくてはいけないと思うんですね。そういう意味ではこの問題は、「骨の問題は人類学者に責任があって考古学者には責任がない」という問題ではありません。掘っているのは私たち考古学者です。
http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-c835.html

 考古学協会の見解は、このように続いている。

 次に、各自治体、行政機関などで収蔵されているアイヌ遺骨、あるいは副葬品等の保管ないしは管理体制について、これは、現状で必ずしもその全てが望ましい水準にあるとは言えない。従って、十分な保管設備と人的措置を含む管理体制などを有し、同時にアイヌ民族の理解を得られ、尊厳ある慰霊が今後とも可能な施設が象徴空間に建設されるのであれば、当該施設において、遺族等の返還のめどが立たないアイヌ遺骨及び副葬品等を集中管理することは必要と考えている。
 次に、今後の問題について、今後、開発行為などによってアイヌ遺骨などの発見がなされた場合には、関係諸機関等との十分な協議を図るものとし、やむを得ない事由により発掘調査を行う場合には、文化財保護法の規定と、各種の道教委通知に則って遂行されるべきと考えている。また、遺族等への返還の目途が立たないアイヌ遺骨などに関しては、引き続き象徴空間で慰霊と保管、管理を行うことは妥当であろうと考えている。

 
 なぜ、この時期に日本考古学協会がのこのことこのような意見を述べに呼ばれた/出てきているのだろうか。
 昨年10月に「伊達で日本考古学協会初の大会」が行われた際、私は、2014年10月13日に限定公開ブログにA氏に関して「どんな話をしたのやら(考古学考)」というタイトルの記事を投稿しておいた(http://ainupolicy.hateblo.jp/entry/2014/10/13/220553)。そこに引用しておいた古い本からの一節をここに再度引用しておく。考古学と先住民族については、また別に、最低1本は書く時間を作ろうと考えている。

伊達で日本考古学協会初の大会、貝塚など研究成果披露
室蘭民報(2014年10月12日)

 日本考古学協会2014年度伊達大会(同実行委員会主催)が11日、伊達市松ヶ枝町のだて歴史の杜カルチャーセンターを会場に2日間の日程で始まり、道内外から集まった会員や市民らが特別講演会と研究発表分科会に聴き入った。
 同協会は埋蔵文化財行政などに強い影響力を持つ、考古学界では最も権威ある団体。伊達で大会を開催するのは初めて。初日は会員、考古学者ら約150人のほか、一般公開で訪れた愛好家ら約130人が参加した。初めに高倉洋彰会長、大島直行実行委員長、菊谷秀吉伊達市長が開会あいさつを述べた。
 特別講演会では、会員で考古学者の竹田輝雄氏が「考古学者・峰山巌論 貝塚調査とその学際的研究」、北海道アイヌ協会副理事長の阿部ユポ氏が「先住民族としてのアイヌ 北海道アイヌ協会の活動と国内外の動向」と題し、それぞれ専門的な観点で解説した。
 この後、大ホールとハーパーホールの両会場で研究発表分科会を実施。参加者は「貝塚研究の新視点 縄文~近代の貝塚と集落」「墓とモニュメント 環状列石・盛土遺構・周堤墓」をテーマに理解を深めた。
 最終日の12日は前日に続いて研究発表分科会が行われ、二つのテーマに合わせて19項目の研究成果が披露される。開催時間は午前9時半~午後3時半。入場無料。
(山本浩)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/10/12/20141012m_06.html

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(略)研究の世界はさておいて、かつて白人系住民のあいだで支配的だった遺跡の年代と起源に関する解釈はどうなのか。それはただ学問的な装いをまとっていただけではなかったか。科学的で、客観的な学問研究の成果とされたものがこれまでいかに無力であったか。(略)むしろここで強調しておきたいことは、グレート・ジンバブエという文化遺産を残した人たちの後裔がそれについて議論することから排除されていた時代がようやくここで終焉し、グレート・ジンバブエとそれをとりまく多くの遺跡、この地方にある多くの文化遺産にたいして、かれらが調査研究し、発言できる時代がこれからはじまることだ。
 ここではじまる新しい段階の考古学研究、それが科学的なものでありうるか。たしかに、それは科学的な検証に耐えるものでなければならないであろう。しかし、逆にみて、現実におこなわれてきたし、いまもおこなわれている、科学的と称する調査研究のなかには、いったいどのようなものがあるのだろうか。そして、文化遺産を残した人たちの後裔を排除したところで、その種の科学的な調査研究がおこなわれている場合、それをかれらはどうみているのだろうか。その一つの例をアメリカ大陸にみることができる。
 アメリカ考古学研究者はその考古学研究をどのようなものとみているのか。その代表的な入門書『アメリカ考古学の方法と理論』の著者、G・R・ウィリーとP・フィリプスはそのなかでいう。「考古学は歴史でなくて科学であり、科学としての人類学の補助学なのだ。・・・・・・人類学のとりあつかう世界は、一回生起的なできごとと反復生起的なできごとが複雑に混合している。人類学としての考古学は、時間と空間との関係において一回生起的にみえるできごとを扱い、文化類型の時間的空間的関連を研究するが、じつは反復生起的なできごとのほうがより重要なのであって、究極的には、文化面における人間活動を類型化し、時間と空間とを超越した規則性を発見することを目標としているのだ」。この方向を追求していくと、類型あるいはモデルを設定し、そのモデルとさまざまの一回生起的なできごととの偏差を測定すること、それが研究の中心におかれるようになる。(略)そこでは、時間の推移とともに、類型やモデルが交代することは認めても、それらの過去のできごととその大地に現実に生きている人々の生活とのつながりを軽視する姿勢となってあらわれることにもなる。
 アメリカの考古学のもつこの特性について、カナダのB・G・トリガーは、「原住民は、本質的に進歩しないもので、文明的な生活様式を取り入れる能力をもたないもの、とみなされていた。だから、最初から(アメリカの)考古学者は、いくら研究しても、先史時代における変化や発展の事実はほとんどみつからない、とおもいこんでいた。過去と現実とは質的に違ったものとはみなされず、特定の地域における考古学の事実を解釈するために局部的な民族学の知識を使うことに力が注がれた」と指摘している。それは今なおアメリカ考古学の改変しがたい体質となっている。このあたりに、歴史学としての考古学を否定し、人類学としての考古学をとる立場の特徴を鮮明にうかがうことができる。
 このなかから、過去は、人間活動の類型の累積したものであり、人間活動に関する実験室である、とする思想が生まれ、簡単に受け入れられる。実験室だから、どのような操作をすれば、どのような結果がでるのか、当然その種の議論が可能になり、できうるかぎり、それを計測化し、数字として表現することも当然となる。むしろ、そうすることこそ、科学的な考古学にふさわしい。たとえば、適切な一〇パーセントの標本を抽出すること、すなわち、特定の地域のなかから一〇パーセントの遺跡を適切に選択する、あるいは、遺跡のなかの適切な場所を一〇パーセント選んで発掘すれば、その地域や遺跡のなかに包含されている情報の八五パーセントが回収できるとしたアメリカ考古学の立場が生ずる。そして、それは研究の段階にとどまらない。そこから、破壊される遺跡のなかで、事前に発掘調査すべき考古資料の量は最低一〇パーセント、とするような現実の決定がくだされたことがある。切り捨てられる九〇パーセントの遺跡の情報はどうなのか。そこで回収できる情報は、普遍化しうる類型に関する情報であっても、一回生起的な、特殊ともいいうるようなことがらの歴史情報の回収は前提となっていないのである。普遍と特殊の総合的な解明によってこそ、歴史の研究ではないか。しかし、そのようなことについて思いをめぐらすのは、科学としての考古学にふさわしくないのだろう。(略)
 アメリカの考古学研究者は、考古学の母体を人類学に求める。この大地に生きたアメリカ・インディアンの後裔のひとり、V・デロリア二世はこの人類学に対してつぎのように反応する。
 「毎夏、学校が終わると、インディアンの土地に本当に移住民が流れこんでくる。・・・・・・東部の岩や裂け目からかれらは出現し、・・・・・・居留地に群がる。・・・・・・かれらは人類学研究者である。・・・・・・人類学研究者はインディアン居留地へ「観察」しにやってくる。冬のあいだにこの観察が書物にまとめられる。・・・・・・この書物の概要が論文を装って学術雑誌にあらわれる。・・・・・・つぎに、概要は二つの目的のために圧縮される。圧縮したものは、あるいは、前夏の調査を妥当なものであったことの証明として政府機関におくられ、あるいは、次の夏の西部遠征の財政援助を得んがために財団に送付される。・・・・・・しかし、だれもこの概要を読む時間がない。・・・・・・秘書が・・・・・・それを最善のスローガンに短縮する。・・・・・・このスローガンは、人類学研究者が遠征を計画している初春にひらかれる研究会のテーマになる。・・・・・・このスローガンは、はからずも次の夏に居留地で相まみえる人類学研究者の対抗グループ間の戦いの雄叫びとなる。毎夏、新しい戦いの雄叫びがあがり、・・・・・・どの学派が最も長く耐えうるか、それをテストする人類学の戦いが進む。戦場は、不幸にもインディアンの人々の生活なのだ。・・・・・・人類学研究者の基本的なテーゼは、人間は観察の対象であり、だから、人間は、実地に演習したり、資料操作する対象であり、予想される絶滅のことを知るための選ばれた対象なのである。したがって、人類学研究者は、だれもが遊ぶことのできる沢山あるチェスのこまのようにインディアンの人々をあつかっても正当だとされている」。こうなると、「人類学研究者が「真の」インディアンとする生物」は、現実に生活しているインディアンにとっては「自分たちに関係ある」とは思えないものになってしまう。この抽象化されたインディアンと称するものを基盤において、抽象的な理論が生みだされる。そして、インディアン問題解決のための方策を立案し、実行するときには、この理論が出発点になる。・・・・・・当然、「それは現実の状況の変革にはつながらない」。むしろ、「極端に抽象化したために、人類学研究者は、意識はしていないのだが、(現実問題の解決をめざす)インディアンの若者を問題を解決すべき(現実の)世界から見せかけだけの抽象の世界へ導いていってしまう」。むしろ、現実問題の解決にとって、それは否定的に働く、と断ずる。アメリカ大陸の大地で生き、さまざまの文化遺産をのこしたアメリカ・インディアンの後裔、V・デロリア二世は、今おこなわれている科学と称する人類学、考古学を否定する。


 異民族の支配下にある人たちが新しい考古学を求める。しかし、ときには、それだけにとどまらない。専制国家を転覆し、欧米列強と日本の圧力をはねのけて、新しい進路を模索して進みだした中国で、魯迅は、考古学とよばれる学問がその社会に対して否定的な影響をあたえる恐れをよみとった。『阿Q正伝』完結の三年のち、一九二五年にかれはいっている。「外国の考古学者たちが続々としてやってくる。・・・・・・中国の学者たちも口癖のように「古物保存! 古物保存! 古物保存! 古物保存!・・・・・・」と叫んでいる。だが、革新のできない人種には、また古物保存もできはしない。・・・・・・しかし、われわれの古物は保存するのがむずかしい。それは土地がまず危険で不完全だからだ。土地を他国にやってしまえば、「国宝」がどんなに多かろうが、実は陳列するところがないのだと私は思う。・・・・・・いま、外国の考古学者たちは続々としてやってくる。彼らは生きるのに余力がある。だから古を考える、ただし考古はまだよいが、古物保存とぐる(下線部は傍点)になったら、もっと怕ろしいのだ。若干の外人は、中国をいつまでも一個の大骨董として、彼らの賞翫に供しようと希望している。これは憎むべきことだが、しかし不思議ではない、なぜなら彼らは結局、外人であるからだ。・・・・・・だが、どうあったところで、革新しなければ、生存すらむずかしい、まして古物保存をや。現状が鉄証で、古物保存家の千万言の書物よりはもっと有力だ。・・・・・・古物保存家は恐らく古い書物を読んだことがあろうが、「林回が千金の玉を捨てて、赤子を負うて走る」のは決して禽獣の行為とはいえないはずだ。それならば、赤子を捨てて千金の玉を抱くものは何であるか」。
 国外からやってくる考古学研究者、外国勢力は、「中国をいつまでも一個の大骨董として、彼らの賞翫に供しようと希望している」として、「革新しなければ、生存すらむずかしい」中国において、そのような考古学はいま必要なのか、魯迅は強い疑問を投げかけた。


田中 琢「考古学とナショナリズム」『岩波講座 日本考古学 7 現代と考古学』(岩波書店、1991年)、144-149ページ。

「意見聴取」の「質疑応答」(pp. 10-12)での北海道アイヌ協会からの出席者の発言についてのコメントを読む。

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