AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

こんな所でもアイヌ民族は滅ぼされていた!

 「こんな所」とは、一昨日の帰り道に寄った某古本店で買って帰った本の中である。

 今さら「田舎暮し」について読む必要もなかろうと思って一旦棚に戻しかけた本をもう一度パラパラとめくると、「アイヌ民族」という言葉が目に飛び込んできた。そのまま棚に戻そうとしたのだが、もう少し前の方をめくっていくと「柳宗悦」という名前も目に入ってきた。

 著者は、食糧自給率の低下を憂慮する箇所で、次のようにアイヌ民族に言及している。

 食べ物や生活用品の自給が限りなくゼロに近づいた結果、その民族が亡んだ例を、私は知っている。
 何も遠い国の話ではない。私たちと同じくこの日本列島に暮した民族、日本の先住民族といわれるアイヌの人たちである。*1
 蝦夷資料は、アイヌ民族が、領主であった松前藩の宣撫によって次第に和人化し、生活に必要なあらゆる物資を和人商人の持ち込むものに頼るようになっていく様子を如実に伝える。
 主たる食べ物であるサケ漁さえ自由にできなくなり、米、タバコ、酒、着る物、ナベ釜、針一本さえ、交易権のある本州の商人から買う(物々交換)ようになるのだ。
 生きていくための物資を与える与えないの、生殺与奪権を握られた民族の末裔は哀れである。アイヌ人口の統計表は、その激減ぶりを冷酷に物語り、私はしばし息をのむ思いだった。江戸が明治になるころには、もはや純粋アイヌ*2は千人単位でしかいなくなる。

 そして、この例から一気に、「地球上の人口が膨れあがるいま、日本民族の消滅を画策する人間がいないとは誰も保証できないのだ」と話は飛び、「一民族をけおとすぐらい平気でやれる人たち*3が、何処かで日本の食糧自給率にほくそえんでいないともかぎらないのである。」と結ばれている。(林えり子『田舎暮しをしてみれば』、(集英社、1998年、200-201ページ。)

 この記事に関しては、「田舎暮し」にもう少しゆとりができたときに補足したいと考えている。

*1:完全に過去の存在として扱われている!

*2:指摘され尽くされている感はあるが、何をもって「純粋」を測っているのやら。「純粋」な「日本民族」は今何人いるのか。

*3:日本民族」が同じことをしたのだと上で語ったばかりなのに。

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