AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

開基/開拓に関連して

 昨夜Yahoo Japanのページを開いたら一つ前の投稿でリンクした記事が目についた。校正を延ばし延ばしにしてこんなところで油を売っているところを編集者に見つかったら困るのだが(それでゆっくりも書けないが)、これと根っこのところでつながっている問題に関して、以前、こちらのブログで読んでいたので紹介しておきたい。そこから一部をお借りする。なお、この記事には良いお話が書かれているので、是非、ブログを直接訪問して読まれたし。

さて、先ほど「日本政府(日本人)がいかにアイヌに対し過酷な仕打ちをしたのか…」と書いた。

 この強制移住などの仕打ちは、明治中期以降、昔の話である…が、私は、「日本人は近年においても、意識としては同様ともいえる過酷な仕打ちを続けている。」と考える。

 根拠を示す。

 この「アイヌ居住地訪問の旅」を実施するに当たっては、訪問先市町村などが発刊した「(市町村)百年史」的なものを数巻利用した。それはとても役に立った。感謝している。
 だが、平成6年に深川市が発刊した「新深川市史」の次の記述は問題だ。

 「…植民地選定の調査団一行がこの深川に入ったのは、明治二十年六月のことでした…調査の結果で…「メム」と「イチャン」にアイヌの人たちが居住していることも確認されています。この人たちは、ほどなくしてこの深川のそれぞれの「原野」へ移住してくる新しい人たちへ後事を託す役割を担うことになるのですが…まさに歴史の担い手の交代の時期がやってきたのです。」

 強制移住させられたアイヌに対して、[後事を託す役割を担った]とか、[歴史の担い手の交代の時期]とか、の事実認識となっている文章は、明治時代のものではない。
 発刊した平成6年に書かれたものだ。

 このアイヌに対する侮蔑的な文章の問題は、奥付に記されている執筆者の2名の大学教授が不見識だったということだけではない。

 この文章は、深川市という行政機関、公的機関が自己の歴史書(公的な歴史書)として内容確認したの上で、発刊されたものだ。

 厳密に文章(言葉)を選ぶべき行政(公的)機関において、責任ある複数の人間が確認しているはずである。
 韓国の主張ではないが、誤った歴史認識を有してために、深川市においては誰も問題があると意識しないまま、このような表現で発刊されたということだ。

 【日本人のアイヌに対する意識、認識は、明治時代も、平成6年も、なんら変わっていない。】ということになる。
 *該当部分コピーのPDFファイルを添付する。
  h6hukagawa.pdf

 すぐ上(最後)にあるpdfファイルを是非ご覧戴きたい。もしかしたら、ブログの中からしか繋がらないのかもしれないから、ここにリンクしておく。

 いずれにしても、この問題は、単に言葉狩りにしたり/させられたり、日本ハム球団だけの問題として処理してはなるまい。また続きを書くかもしれないが、もう少しの間、目の前のことに集中しなければならない。


 10月1日開催のアイヌ政策推進会議の議事録も未だに公開されていないという官邸の担当部署の怠けぶり!


P.S.(2015.11.10, 01:15):ファイターズは、ファイトバックしなかった!

 日本ハム球団が「アイヌ民族の皆様に対して配慮に欠けたことはお詫びすべきとの理由から可及的速やかに」問題視されたバナーを取り下げたらしい。
 協会の準公式のようなブログでは大いに歓迎しているけれど、私は、やっぱりそうだったねと、球団声明の後半に興味が湧く。(強調は追加。)

当社はアイヌ文化の保存・伝承および発展に寄与したいとの思いから、2013年に産学官連携のもと実施された「イランカラプテ」キャンペーン栗山英樹監督がイメージ動画に出演し、白老町応援大使の稲葉篤紀選手(当時)らがアイヌ民族博物館を訪問して体験学習を受けたほか、2014年チームスローガンには12球団で初めてアイヌ語を採用してまいりました。今後も歴史認識を深め、敬意をもって発展的な関係構築に努めてまいる所存です。
新千歳空港掲出バナー取り下げについて