AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

涙の旅路

 19世紀前半(1830年代)のアメリカ史の闇の一部分、「民主的」な大統領によって「合法的」に実行された強制移住。「涙の(踏み分け)道」とも言われる。(cf. http://don-xuixote.hatenablog.com/entry/20110225/1298569750

"Trail of Tears National Historic Trail" posted by NTIRNPS at https://youtu.be/7LSkfmCj8Jg

 ここに埋め込んでいるドキュメンタリー映画は、冒頭にも表示されているとおり、米国政府の内務省作である。

 さて、こちらこちら(下から3-2段落目)の2つのブログで取り上げられている強制移住は、どのようにして行われたのであろうか。ドキュメンタリー映像はないのだろうか。

P.S.(2015.12.28):上で言及していた先住アメリカ人所有の映画会社による、もっと長いドキュメンタリー映画(チェロキー ネーションおよびチェロキー インディアン東部バンドとの共同制作と表示されている)も埋め込んでおくことにした。Disc 1の後篇を見落としていた。

"Trail of Tears(Native American Documentary Collection) Disc 1" posted at https://youtu.be/EBv0BWDk6I4

"Trail of Tears(Native American Documentary Collection) Disc 1 02" posted at https://youtu.be/1t5EqO16oyA


P.S #2(2015.12.28):今夜は、強制移住に対する賠償について少し書く予定だったのだが、先送りにすることにした。

 1本目の2:00辺りから引用されているトマス ジェファソンの言葉は、まるで、今の日本政府と有識者たちがアイヌ民族に唱えているかのようである。
 そこから少しして語られている、インディアンを人間以下に見なしていたという言葉で、過日、別のところで参照しようと思って引っ張り出していた学生の頃に書いた、トクヴィルに関する未公刊論文の一節を思い出した。少しばかり引用しておきたい。(英文からの翻訳である。注は省略する。)

 「人間は、権力の行使や服従の習慣によってではなく、不法と信じる権力の行使によって、また、簒奪されかつ圧制的であるとみなす支配への服従によって退廃したり、堕落するのである。」

(略)

 トクヴィルが注目するように、必要性が一部のインディアンを白人社会の文明へと駆り立てた時でさえ、白人は、例えば、チェロキー ネーションの場合に見ることができるように、インディアンの完全な同化に備えて、自分たち自身が準備できてはいなかった。(略)
インディアンは、決して平等の条件では白人社会に受け入れられることはできなかったのである。しかしながら、インディアンは、もはやそれまでのインディアンではなかった。理不尽な抑圧が、彼・彼女らを退廃させていたのである。ここにトクヴィルは、インディアンにとっての袋小路を見、そして支配的な人々が、法という手段に訴えてまでも、「下等人種」を圧迫して同化させようと試みる一方で、自らは、彼・彼女らとの同化を避けるというアメリカ民主主義の表裏ある実態を観察している。支配的人々は、自らを他から区別しようと試みる。そして、そのような区別は、徳義に反しないと考えられている。さらに、そのような状況では、平等は、ゲームのルールを知っている支配的人々の間にだけ存在し、これらの異なる「人種」間には存在しなかった。トクヴィルは、他の「人種」に対する白人の態度を次のように簡潔にかつ正確に要約している。
 「・・・ヨーロッパ人の他の人種に対する関係は、人間自身の下等動物に対する関係に等しい。即ち、前者は、後者を、自らのために利用する。そして、服従させることが出来ない時は、彼・彼女らを破壊してしまうのである。」
(略)

Don Xuixote「アメリカの人種関係に関するトクヴィルの見解について」(c. 1981)

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