AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

強制移住と土地・資源(5)――人権としての「土地」(と文化遺産)

 風車との戦いの続きである。

 北海道アイヌ協会の加藤理事長が盗掘されたアイヌの遺骨の「民族強制の象徴空間」への集約をめぐって「人権問題」と言及していることは、このブログで何度も批判的に取り上げてきた。今回は、「権利宣言」の「土地」権条項の第28条以外の条項を論じる前に、「人権としての土地(と文化遺産)」について、国際規準の歴史的な流れを国際労働機関(ILO)と国連の活動から少し振り返って見ておくことにする。(以下は某誌に掲載準備中の翻訳論文の一部を大急ぎで改編しながら利用しているため、個人的な使用以外の無断転載はご遠慮願いたい。

 ILOは1950年代に、モンスーンアジアと中南米における先住民族の森林の大規模破壊、強制移住、都市化の波に対応しながら、先住民族とその土地の保護に関与するようになった。ILOは、先住民族の安全な土地保有権がないことが都市と農園の労働者として先住民族の搾取が増加していることの根本原因であると確認して、土地権が先住民族の経済的平等と完全な「統合」を確実にすることを目標とする計画に含まれるべきであると結論した。5年間の研究と交渉の後に採択された1957年の先住およびトライブの住民(集団)に関する条約(ILO Convention on Indigenous and Tribal Populations, 1957)(第107号)の第11条は、「当該住民(集団)が伝統的に占有する土地に対するこれらの住民(集団)の成員の、集団または個人の、所有権を認めるものとする」と定めていた。先住民族が常用している「土地」からの「先住民族の強制移住は、国の安全保障、国の経済発展、あるいは公衆衛生の理由を除いて、禁止され」た(第12条)。さらに、慣習的な土地保有権は、先住民族の独自の社会経済的な発展を邪魔しなければ、尊重されるべきであった(第13条)。
 しかし、先住民族の土地からの追い立ては止まず、1960年代と1970年代に加速した。同時に、先住諸民族は、統合ではなく自己決定に焦点を絞って、国際的なレベルで組織化を始め、自らの利益と見解の主張を開始した。ILOは、1957年の条約を改定するための新交渉ラウンドを招集して対応した。大幅な先住民族のインプットを反映して、先住およびトライブの民族・人民に関するILO第169号条約(1989年)は、従前の条約の土地条項を4つの主な点で強化した。
  ・生物資源と水系の表面を含むために、「土地」の定義に「全体の環境」を明示的に含んでいること(第13条2項);
  ・先住民族によって排他的に占有されてはいないが、先住民族がその自給自足と伝統的活動のためのアクセスを伝統的に行ってきた土地に保護の対象を広げていること(第14条1項);
  ・具体的に明記された状況下で先住民族の同意なしにその領域からの強制立退きを許容していた1957年の条約における条項を削除したこと(第16条);
  ・開発が先住民族の生活、信仰、制度・慣習および精神的な福利と、先住民族が占有または他の方法で使用する土地に影響を及ぼす場合、開発の過程に対して独自の優先事項を決定する権利を先住民族が有すると定めていること(第7条1項)。
1989年の169号条約は、総合して考えると、先住民族が自らの土地に独自の価値観、法律、そして儀式に従って留まる権利を有することを認めている。
 ILO 169号条約は、先住民族の「土地」との関係には「当該民族の文化と精神的価値にとっての特別な重要性」が存在することを承認した(第13条)。本シリーズの(1)に引用した加藤理事長の「アイヌ民族が古くから居住し、山、川、海すべての大地や海洋にある動植物との密接な関わり合いの中、広義の文化享受と自らの民族の生命を託してきた、いわゆる「土地と資源」」というのは、まさしくそれを指しているのであろう。先住民族の「土地」との「明確な精神的および物質的関係」は、「権利宣言」でもまた強調されている(第25条)。しかし、アイヌ政策有識者懇談会の第1回会合で配布された内閣官房作成の資料の「3 宣言に盛り込まれている先住民族の権利等の例」には、なぜか第25条は挙げられていない。「権利宣言」起草に指導的な役割を果たしたエリカ-イレーヌ ダイスWGIP議長が述べたように、「この特別な関係は、単に土地の物理的側面とだけではなく、同じ領域で人間と共存する動植物のそれぞれの種との直接的で個人的な親類関係として認識されている。生物学的、動物学的、そして植物学的な知識は、ただ単に、種の名前や生息地および利用を学ぶ問題だけではなく、各々の種との古からの社会的かつ儀式的な諸関係を慎重に維持して更新する問題である」。

 ILOが107号条約の改定を検討し始めていたのと同時に、国連人権委員会と差別防止および少数者保護に関する小委員会が、10年にわたる先住民に対する差別問題の研究(Study of the Problem of Discrimination against Indigenous Populations)の報告書に反応していた。この研究報告書は、「先住民族の精神的生活と母なる大地との間の全関係」の国際的承認を求めた先住民族の網羅的な研究である。抽出産業が先住民族の文化が埋め込まれている土地を破壊することを許されている時に、「人は先住民族の文化に対する尊重について真に話すことはできない」とも、その研究報告書は述べていた。同研究報告書は、先住民族の自決権を全般的に是認して、先住民族の保護のための包括的な人権文書を起草することを勧告した。WGIPが1993年に、先住民族の権利に関する国連宣言草案を完成させ、小委員会を通じて人権委員会に提出した。常任理事5カ国のうち4カ国を含めて、ほとんどの国家にとって急進的過ぎるとみなされた宣言草案は、さらなる検討のために委員会レベルの国家から成る作業部会に迂回させられ、そこで停滞した後に、最終的に2007年に「権利宣言」が総会によって採択された。

 「権利宣言」成立までの暫定的措置として、先住民族の諸団体は、WGIP議長のダイスに先住民族の「文化的および知的な財産の保護」に関する別のプロジェクトを委嘱することを、1991年に小委員会と人権委員会に納得させた。ダイスは、「遺産(heritage)」の概念の下に文化的および知的な財産を統合する方がより適切であると結論して、「遺産」を土地の生産物および芸術的表象だけでなく、「風景の自然の特徴」を含めて、「一つの民族の明確に異なるアイデンティティに帰属して、もしその民族が望めば、他の諸民族・人民と分かち合うための彼・彼女たちのものであるすべて」と定義した。「遺産のすべての要素は、単一で、相互に関係していて、かつ統一された全体として管理されかつ保護されるべきである」。土地権に関する後続の報告書で、ダイスは、先住民族社会の文化的、精神的、かつ科学的な側面は、そこからその社会が発展してきた土地から意味を持って分けることはできないという点を繰り返した。
 ダイスによれば、先住民族の遺産は自らの土地との先住民族の関係の譲渡不能の側面として尊重されなければならず、先住民族の土地は、「その土地を通って旅をし、そしてその土地で儀式を執り行いながらの生涯の個人的な体験を通して・・・各々の先住民族の遺産が伝統的に教えられてきた教室」である。「儀式と伝統的な芸術作品は、土地との人間の関係を更新する手段として、領域に対する『権利証書』とさえ見なされていて、その結果、それらは決して、その意味を完全に失わずに地理的に切り離されて他所で用いられることはできない」。

 土地、文化財、そして知的財産の統一と相互依存は、先住民族の諸組織によって繰り返し強調されてきた。1992年の環境と開発に関する国連会議(UNCED)へのアフリカ、アジア、南北アメリカからの29の団体によって採択された熱帯雨林の先住-トライブ民族・人民の憲章(The Charter of the Indigenous-Tribal Peoples of the Tropical Forests)は、「人間と領域の統一」に言及して、先住民族の領域における「全体の生存体系」の現地の管理運営と統制が「生物多様性保全の最善の保証」であるだけでなく、文化的および知的な財産権の保護にとって不可欠でもあると論じている。UNCEDの直前にブラジルで先住諸民族の1992年の世界会議によって採択されたカリ-オカ宣言(The Kari-Oca Declaration)は、「伝統は、土地、領域、あるいは科学から分離されることはできない」と明瞭に宣言した(第96条)。1993年のマタートゥア宣言(Mataatua Declaration)で、マオリの指導者たちによってニュージーランドで開催された先住民族の文化的および知的な財産権に関する国際会議(International Conference on Cultural and Intellectual Property Rights of Indigenous Peoples)も、同じ結論に達した。

<続く・・・かな?>