AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

強制移住と土地・資源(10)―アイヌ政策有識者懇談会と「強制移住」

 今回のシリーズでは、「強制移住」との関係で国際規準であるILO 169号条約と「権利宣言」を見てきた。それには、4つの「個人的な」理由があった。
(1)翻訳中の論文に解説が必要であり、改めてILO国連でもめた「土地」権条項の文言を再確認する必要があった。
(2)アイヌ政策に関するブログを書いている以上、終える前にいつか、先住民族の自決権の基盤である「土地」権について書いておかねばならないだろうと、前から考えていた。
(3)そこへ、シリーズの(1)で紹介したブログの「強制移住」に関する投稿記事を読んで、「権利宣言」がこの課題を「土地」権との関係でどう扱っているかというテーマが出てきた。
(4)さらにそこへ、「権利宣言」をもう一度基本から学びたいからという理由(口実?)で講師のお誘いを受けた。これはお断りせざるを得なかったが、ここにこうして書けば、何らかの学習材料にはなるだろうと考えた。

 ここからは、アイヌ政策有識者懇談会で「強制移住」がどのように扱われたのかを見てみたい。

アイヌ政策有識者懇談会と「強制移住」

 有識者懇談会の『報告書』には、和人の北海道への「移住」は何度も言及されているが、アイヌの強制移住については2度しか言及がない。しかも、「強制移住」とは表現されておらず、「移住を余儀なくされた」と言い換えている。
 シリーズ1回目で引用した通り、北海道ウタリ協会(現在、北海道アイヌ協会)の加藤理事長のヒアリング資料とその会合の「議事概要」には「強制移住」と表現されている。当事者団体として、「多くの強制移住」に関する資料を保持していることと思われる。

あまり知られていませんが、道内市町村史にも記載されているように、小樽、旭川、釧路、網走など、入植者の都合により、北海道内においても居住に適した土地から別の不適な土地へと、多くの強制的な移住が行われました。

 また、有識者懇談会の第4回会合は歴史に関するヒアリングに充てられ、山内昌之氏および佐々木利和氏の2人の「有識者」が報告を行っているが、佐々木氏は「アイヌの強制移住に関して」という項目を立てて、「強制移住」と明言している*1。しかし、そこでは、「いろいろありますが」としながらも、比較的良く知られている「樺太と千島の強制移住」についてのみ「一言申し上げておかなければいけない」として取り上げている。連載第1回で参照した事例や、その他の「多くの」、「いろいろ」の事例には言及がない。
 これらの2件のインプットは、有識者懇談会『報告書』において、次のように取り上げられている。下線は筆者による追加で、ブログの機能により、本文中のルビは削除している。

⑤ 国境の変更による移住
 明治8(1875)年の樺太千島交換条約の締結後、樺太に住んでいた樺太アイヌ及び占守島など北千島に住んでいた千島アイヌの人々は、北海道本島や色丹島移住を余儀なくされた。そして、農業の奨励を主とする保護政策が行われたが、急激な生活の変化や疫病の流行などで多くの人が亡くなった。
 その後、樺太アイヌの人々は、日露戦争後のポーツマス条約で 北緯50度以南の樺太がロシアから日本に割譲された結果、多くが樺太に戻ったが、第二次世界大戦後は北海道を始め日本国内各地に再び移住することを余儀なくされた。また、色丹島に移住していた千島アイヌの人々も、第二次世界大戦後は同様に移住することを余儀なくされ、今日では千島アイヌの文化伝承者は皆無となってしまった。

⑥ 勧農政策
 明治政府は、明治4(1871)年から土地を開墾するアイヌの人々には家屋及び農具等を与えることとし、農業を奨励した。
 その後、鹿や鮭などの捕獲量が減少すると、明治16(1883)年に根室県が、明治18(1885)年に札幌県が相次いで「旧土人救済方法」を定めて大規模な勧農政策を展開した。両県は、アイヌの人々の生活の困難を救済し将来独立自営の途を歩ませるために指導員を派遣し、農具や種子、食料を給付して農業を教えた。その際、指導の便宜などの理由から、山間僻地などにまばらに住んでいたアイヌの人々を移住させた例も見られた
(『報告書』、14ページ)

 『報告書』では、強制移住についてこの2件の言及しかない。しかし、「強制移住」という言葉は、削除され、「移住を余儀なくされた」ことになっている。さらに、佐々木氏は、千島アイヌが「1,000キロも離れた土地で100%自分たちの意と違う生業[「農業あるいは牧畜」]に就かされた」と指摘しているのであるが、『報告書』は、樺太アイヌと千島アイヌを一まとめにして、「農業の奨励を主とする保護政策が行われた」ことにしている。

要約だけでも良かったが、雑誌などのような紙幅の制約がないので、以下に、佐々木氏報告を「議事概要」から引用しておく。理由は分からないが、当日配布されたレジュメには、「強制移住」の部分だけ、「六 アイヌの強制移住に関して ○樺太千島交換条約(明治8年)」という見出しだけしかなく、「むすび」となっている。

 強制移住に関してはいろいろありますが、やはり一言申し上げておかなければいけないのは、樺太と千島の強制移住ですが、明治八年に樺太千島交換条約が結ばれて、北千島、幌筵島とか占守島にいたアイヌが1,000キロも西南に離れた色丹島に移される。それから、樺太に住んでいたアイヌが、まず宗谷に移住させられて、さらに何百キロか離れた江別に移される、というような強制移住がありました。
 ただ、樺太アイヌの場合は、日露戦争の後、一旦故郷に帰ることができました。しかし千島アイヌは、千島列島そのものは日本領土であるにもかかわらず、幌筵とか占守は海峡を挟んですぐカムチャツカ半島なものですから、ロシアに対して利敵な行動をするのではないかということで、幾ら嘆願しても帰郷を認めなかった。しかも、海獣漁―海に出てアザラシとかラッコとかを捕っていたアイヌ色丹島では何を生業にしたかというと、農業あるいは牧畜なのです。つまり1,000キロも離れた土地で100%自分たちの意と違う生業に就かされた。その結果どうなったかといいますと、千島アイヌの文化を伝承している人は恐らく今一人も存在しない。90人ほどの人を北千島から連れてきただけですけれども、そのわずか90人ぐらいのアイヌとその文化を明治政府は守ることができなかったという現実があります。このとき、色丹島にいました北千島のアイヌに対しては、鳥居龍蔵という人類学者がいろいろ調査をし、資料を持ってきています。その資料の大部分が東京大学から国立民族学博物館に移管されていて、千島アイヌの生活を伝える世界で唯一の資料となっている。しかし残念ながら千島アイヌの文化を語るひとはは現在存在していないという悲しい現状があります。

 一方、『報告書』の「勧農政策」の見出しの下では、「指導の便宜などの理由から、山間僻地などにまばらに住んでいたアイヌの人々を移住させた例も見られた」としているが、直前の「農具や種子、食料を給付」が不十分であった事実が隠されているが、それはここでは措くとして、「小樽、旭川、釧路、網走など、入植者の都合により、北海道内においても居住に適した土地から別の不適な土地へと、多くの強制的な移住が行われました」という加藤氏の報告とは解釈に大きな開きがある。しかも、この段落の後には、次の段落が続いているのであるが、ここでも、あたかも「官の指導」がなければアイヌはやっていけなかったと、「官の指導」を正当化しているのである。

 この勧農政策は、明治19(1886)年に県が廃止され北海道庁が置かれると、明治23(1890)年には廃止されたが、政策の実施地域においては、戸数にして約半数が農業に従事するようになっていた。しかし、官の指導が廃止された後には大半の農地が荒廃してしまい、もともと狩猟採集民族であるアイヌの人々の多くは農業を生業とする生活を行うまでには至らなかった。

 パソコンの不調によって今夜はここで中断するが、ここまでは、有識者懇談会に「強制移住」に関してどのようなインプットが行われたのかということと、アウトプットである『報告書』の中で「強制移住」の歴史の取り扱いを見た。有識者懇談会の第5回からは、自然人類学による「歴史」の報告とアイヌ語の状況に関する報告が行われており、オーソドックスな歴史叙述に関して新たに議題とされたことはなかったと思われる。(今回の執筆に当たって、全会合の「議事概要」を再確認していないので、100%の断言は差し控えておく。)すなわち、北海道アイヌ協会の加藤氏と佐々木氏の2名の「有識者」のインプットが、なぜ、どのようにして『報告書』のような記述となったのか、つまり懇談会の「ブラックボックス」の中で、公開されていない部分で、どのような「綱引き」が行われたのか、これは将来の歴史研究の課題であろう。もう一つ述べておくべきことは、便宜上、インプット⇒ブラックボックス⇒アウトプットというシステム分析的な見方を提示したけれども、この「強制移住」の問題に限らず、『報告書』全体がそのような「手続き」のモデルで作成されたものではなく、最初にアウトプットが構想されていて、一応の「民主的手続き」を踏んでいるかのように一般社会に見せるためのインプット⇒ブラックボックス⇒アウトプットという「過程」として有識者懇談会が存在したと論じることができよう。しかし、この点も課題として将来の歴史研究に委ねるしかない。

<最初の投稿で不具合が生じなければ、終われていたのだが。続く。>