AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

強制移住と土地・資源(11)―有識者懇談会『報告書』英語版における「強制移住」

 昨夜、区切りの良い10回で終わっていれば、この(11)に書くことは挿入していなかっただろうが、1日経って、続きを書く前に、アイヌ政策有識者懇談会『報告書』の英語版では「強制移住」の件がどのように海外向けに表記されているのかを読者に示しておくことにした。(もしどこかの大学に先生か誰かが既に日英両語の『報告書』を全体的に比較研究しているようであれば、ご教示戴きたい。)参照する英語版『報告書』は、Advisory Council for Future Ainu Policy, Final Report (July 2009)であるが、翻訳は内閣官房アイヌ総合政策室によるものとなっている。ここで指摘されるようなことへの予防策としてでもあろうが、一応「暫定訳(あるいは仮訳)」(Provisional Translation)と付されていることも記しておく。
 『報告書』の昨夜取り上げた箇所の英語表記を扱う前に、一つだけ、非常に興味深い―少なくとも私にとっては―ことを先に取り上げておこう。『報告書』の11ページにある「② 文明開化とアイヌの文化への打撃」の項目の最終段落には、このように述べられている。

こうしたいわゆる同化政策は基本的にはアイヌの人々の教化政策として行われたが、結果的に、民族独自の文化が決定的な打撃を受けることにつながったといわざるを得ない。(11ページ)

 「教化」については、このブログでも何回か取り上げてきた。(右の検索窓に「教化」と入れてもらえれば過去の記事が挙がってくる。)「教化」とは、「[名](スル)人を教え導き、また、道徳的、思想的な影響を与えて望ましい方向に進ませること」と一般的に理解されているが*1、これがどう英訳されているかは興味深い。例えば、educate、civilize、enlightenのどれを使うかによって、ずい分と受けるイメージが異なるのであるが、「いわゆる」を示す" "もなくcivilizeとしているところが面白い。英語版『報告書』には、このように述べられている。

Although such assimilation policies since the Meiji Period were basically introduced to civilize Ainu people, it must be admitted that the policies inflicted decisive damage on the distinctive Ainu culture. (p. 9)

 さて、(10)で取り上げた『報告書』の箇所であるが、ついでに、(1)で引用しておいた部分も示しておくことにする。

③ 近代的土地所有制度の導入とアイヌの人々
 また、明治政府は、全国的に租税制度を確立するため、北海道においても近代的な土地所有制度を導入する。この中で従来アイヌの人々が狩猟、漁撈、採集を行っていた土地についても、持ち主を明らかにして売払いを進めようとした。当時、アイヌの人々で文字を理解する人はごく少数であり、イオルとして集団的な土地利用はあったものの近代的な意味での個人的な土地所有の観念がなかったため、アイヌの人々で所有権を取得した人はほとんどいなかった。やがて移住者である和人の増加に伴い、アイヌの人々は狩猟、漁撈、採集などのを失っていく。中には、和人の移住に伴う区画割や市街地の形成の際などにアイヌの人々を移住させた例も見られる。(12ページ)

(3) Introduction of the modern land ownership system and Ainu people
The Meiji government introduced the modern land ownership system in Hokkaido in order to establish its land-based tax system all over the country. In this process, the government sought to identify or determine land owners and to sell the land to applicants, even if the land had been historically used by Ainu people for hunting, fishing, and gathering. In those days, few Ainu people were able to understand Japanese characters. In addition, the Ainu had no concept of individual land ownership in a modern sense, although they just used land collectively as ior. Accordingly, most Ainu were not able to obtain land ownership. Over time, as more Wajin immigrants came to Hokkaido, Ainu people lost their territories for hunting, fishing, and gathering. In some cases, the Ainu were even forced to move due to town zoning and urban development. (p. 10)

 太字にしている3ヶ所において、英語版の方がより明瞭である。「場」が"territories"とされているところも面白いが、特に、「移住させた」の部分は、アイヌ人/民族(the Ainu)が主語なって「移住を強いられさえした」(筆者仮訳)と明確に「強制」の意味が出されている。しかし、「イオルとして集団的な土地利用はあった」について、「イオルとして集団的にただ(単に)利用していた」という表現は気にかかるところである。
 「国境の変更による移住」と「勧農政策」の項は、日本語は(10)を参照して戴くことにして、英語版だけを引用する。

(5) Immigration caused by national border changes
After the conclusion of the Treaty for the Exchange of Sakhalin for the Kurile Islands (Treaty of Saint Petersburg) of 1875, Ainu people living both in Karafuto (Sakhalin Island) and on the northern Chishima Islands, such as Shumshu Island, were obliged to immigrate to Hokkaido and Shikotan Islands. Despite welfare measures by the government, including encouragement of agriculture, many Ainu died due to drastic changes in their lifestyle and plagues.
After Japan received the southern half of Sakhalin Island south of the 50th parallel from Russia, in accordance with the Portsmouth Peace Treaty, which ended the Russo-Japanese War in 1905, many of Karafuto Ainu went back to Sakhalin. As the result of the Second World War, however, they had to return to Hokkaido and other regions in Japan. The Chishima Ainu, who had moved to Shikotan Island, faced the same fate. Today, no one is left to carry on their cultural traditions.

 「余儀なくされた」がそのまま訳されており、"were obliged"には強制の意味も含まれ得るが、上の段落の"forced"のように直接的ではない。しかも、何よりも、受動態であることから、それを「余儀なく」させた主体が不明確なままである。同じ表現を避けるというのは英語の一つの特徴であるが、2段落目の「余儀なくされた」は"they had to return"となっていて、アイヌが主語となってはいるが、分かりやすく"had to"の部分を逆翻訳すれば、(「余儀なく」が暗示されていると読み込んだとしても)「アイヌは戻らなければならなかった」となり、日本語同様、「強制」は出されていない。なお、この項の「保護政策」は、"welfare measures"(福祉政策)となっている。

 「勧農政策」の箇所は、次の通りである。

(6) Agriculture promotion policies
In 1871, the Meiji government introduced a measure to provide houses and farming tools to Ainu people who reclaimed land, in order to encourage them to engage in agriculture.
With the decrease in deer hunting and salmon catching yields, Nemuro Prefecture in 1883 and then Sapporo Prefecture in 1885 formed the kyu-dojin kyusai hoho (measures to rescue the “former aborigines”) to promote agricultural pursuits by the Ainu on a large scale. Both prefectural governments dispatched agricultural instructors and provided farming tools, seeds, and food, in order to rescue the Ainu from poverty and pave the way for them to become independent farmers. In that regard, some Ainu people living sparsely in remote areas had to move to larger villages for efficient coaching.
These measures continued until 1890, just after the three prefectural governments in the Hokkaido region (Hakodate, Sapporo, and Nemuro) were abolished and the Hokkaido Government was newly established in 1886. By that time, about half of Ainu households in the areas covered by the measures were engaged in farming. Most of the farmlands, however, went uncultivated once public instruction ended, which implies that, in the end, many Ainu, being hunter-gatherers originally, were not able to stabilize their lives through farming at that time.(pp. 11-12)

 これについても同様であるが、「その際、指導の便宜などの理由から、山間僻地などにまばらに住んでいたアイヌの人々を移住させた例も見られた」に当たる文をできるだけ原文に忠実に逆翻訳すると、「それに関して、遠方の辺鄙な地域にまばらに住んでいる一部の―「数人の」とも訳せるが、非常に曖昧な表現である―アイヌの人々は、効率的な指導のためにより大きな村々に移らねばならなかった」となろう。現在の遺骨の問題ではないが、「より大きな村」に集約された感じであるが、「強制」は出ていない。「指導員を派遣し」たのが単に「アイヌ民族を貧困から救済するため」ということも一面的であるが、これは日本語原文の問題なので、ここでは措くことにする。
 最後に、前回取り上げた「官の指導が廃止された後には」という部分であるが、接続詞としての"once"は、「~した途端、~するや否や」(at the moment when: as soon as)という意味であり、いかに「官の指導」が有効であったかと言いたげである。日本語版の問題でもあるが、「官の指導」がいい加減であった事例には言及していないだけでなく、この叙述は、アイヌの適応力が低いと言っているようなものではないか。

<続く。>

*1:もっと詳しい解説は、こちらへ。

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