AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

強制移住と土地・資源(12)―有識者懇談会の政策提言(加筆修正版)

 有り難いことに、このブログを自分たちの勉強会に利用してくれている人たちがいる。今夜もあるそうで、何とか結論と「おまけ」まで間に合わせたいと思っていたのであるが、さまざまな事情でできなかった。(12)としては未完であるが、昨晩入力したところまでを投稿しておく。今回の残りは間に合わないだろうが、今夜にでも仕上げる。


強制移住と土地・資源(12)―有識者懇談会の政策提言

 今回は、前々回に見た歴史解釈と叙述に基いて有識者懇談会が提示した政策を見ておきたい。

 「権利宣言」の採択時に、日本政府代表は次のように発言した。手っ取り早く、ウィキペディアの項目より借用した。(正確に引用されているものと願う。今まで同様、引用文中の下線や太字化は、筆者による追加。)

日本代表団の賛成演説:
TAKAHIRO SHINYO ( Japan) said that his delegation had voted in favour of the Declaration. The revised version of article 46 correctly clarified that the right of self-determination did not give indigenous peoples the right to be separate and independent from their countries of residence, and that that right should not be invoked for the purpose of impairing the sovereignty of a State, its national and political unity, or territorial integrity. The Japanese Government shared the understanding on the right and welcomed the revision.
Japan believed that the rights contained in the Declaration should not harm the human rights of others. It was also aware that, regarding property rights, the contents of the rights of ownership or others relating to land and territory were firmly stipulated in the civil law and other laws of each State. Therefore, Japan thought that the rights relating to land and territory in the Declaration, as well as the way those rights were exercised, were limited by due reason, in light of harmonization with the protection of the third party interests and other public interests.

内容的には、率直に言って、WGIPでの「権利宣言」の起草時にトンチンカンなことを発言していたのと大差ない。しかも、宣言採択の現場で発言しているのに、なぜ過去形で述べているのか分からない。以前はそう思っていたけれど、今は悔い改めました
と言っているのであろうか(笑)。もちろん、実際はさに非ず。第1回のアイヌ政策有識者懇談会で配布された内閣官房作成の「資料4:『先住民族の権利に関する国際連合宣言』の概要」に、「宣言採択に際しての我が国政府の投票態度、考え方の説明」があり、その(2)に次のように記されている。

 我が国は、宣言にいう自決権については、宣言が明らかにしているように、「先住民族」に対して、居住している国から分離・独立する権利を付与するものではないこと、宣言にいう集団的権利については、宣言に記述された権利は個人が享有するものであり、各個人がその有する権利を同じ権利を持つ他の個人と共に行使することができるとの趣旨であると考えること、宣言に記述された権利は、他者の権利を害するものであってはならず、財産権については、各国の国内法制による合理的な制約が課されるものであると考えていること等を説明した。(p. 4)

 自決権および集団的権利に関する陳述については、ここではグッと抑えて、先に進む。例えば、文化享有権に関する集団と個人の関係については、先日紹介した『人権と部落問題』(2016年2月号)の中の丸山博氏の論考を参照されると良いだろう。
 上の引用で下線を引いた部分は、「権利宣言」の「土地」権が政府に課している課題にまったく取り組む意思がないことを物語っている。そして、「日本型先住民族政策」を進めようというのであれば、「権利宣言」に反対した諸国の理由などわざわざ資料に載せる必要もないであろうに――それをするくらいなら、既に指摘した第25条と第27条を「土地」権の項目になぜ入れなかったのか――有識者懇談会に念押しのためか、「宣言に反対した各国が表明した主な理由」を挙げ、そこに次のように記している。

・第26条の土地の権利に関する規定(土地の範囲が不明確で、幅広い解釈が可能であることや現時点で第三者が合法的に所有している土地への権利を認めることが求められる懸念がある。)、第19条及び第32条先住民族の事前同意を求める規定(国内の法令や資源管理において拒否権を有することにつながる。)、第28条の賠償の規定を国内法上実施することが困難であることに対する懸念。(p. 5)

 最初から真剣に「参照」して、取り組む気のなかった強制移住と「土地」の課題について、有識者懇談会『報告書』が「配慮」を除いては素通りしていることは既に指摘してきたが、ここで『報告書』の政策提言についてまとめて見ておくことにしよう。(手書きであれば全文引用などしないが―そういう方法で字数を増やして原稿料を稼ぐ作家やジャーナリストもいるらしい―ブログの容易さゆえ、より分かりやすくするために、引用文を長くする。)
 『報告書』の第3部(あるいは第3章)「今後のアイヌ政策のあり方」において、「今後のアイヌ政策の基本的考え方」として、「土地」に関して次のように述べる。

我が国が近代国家を形成する過程で、アイヌの人々は、その意に関わらず支配を受け、国による土地政策や同化政策などの結果、自然とのつながりが分断されて生活の糧を得る場を狭められ貧窮していくとともに、独自の文化の伝承が困難となり、その伝統と文化に深刻な打撃を受けた。(24ページ)

 そして、「ここでいう文化」を次のように規定する。

言語、音楽、舞踊、工芸等に加えて土地利用の形態などを含む民族固有の生活様式の総体という意味で捉えるべきであって、文化の独自性という場合には、そのような広い視点が必要であると考えられる。(同上。)

 この部分、特に「自然とのつながり[の]分断」および「民族固有の生活様式の総体」という文化観は、有識者懇談会の第2回会合で加藤理事長がヒアリングで述べた、この一節と関係し、それを簡略化しながらも反映している部分である。

自らの日々の生活を営むため、子孫を育むため、自然との調和がとれた社会を維持し、発展させるための可能性や自らの世界観、価値観の基盤となるさまざまな「人」と「土地・資源」との繋がり、「神々」との繋がりが分断されました。(前掲。)

 上の「文化」への言及は、さらに、「権利宣言」第25条を想起させる言葉で、「アイヌの人々は、古くから生活の糧を得、儀式の場ともなってきた土地との間に深い精神文化的な結びつきを有して[いる]」(28ページ)と補足されている。しかし、この文の後半は、それゆえに「土地」に関する第28条の「救済」策を提案するでもなく、また「土地」に対する権利の承認を提案するでもなく、「土地・資源の利活用については、一定の政策的配慮が必要であろう」(28ページ)という、何とも、奥歯に物が挟まったような表現で結ばれている*1。ここまで進んで来て、前方の障害物を見て急にハンドルを切ったという感じである。本シリーズの(6)で引用した「政策立案に当たっての基本的な観点と姿勢」における「障壁」の発言が思い出される。「土地」権は、「長期」の課題としてさえ含まれていないであろう*2

 こうした「政策の基本的な考え方」に基いて、次項において「具体的政策」が提案される。

今後のアイヌ政策は、現行のアイヌ政策に関する現状と課題を明らかにした上で、これまでのアイヌ文化振興施策等に加えて、以下に記述する①国民の理解の促進(教育、啓発)、広義の文化に係る政策の推進(民族共生の象徴となる空間の整備、研究の推進、アイヌ語をはじめとするアイヌ文化の振興、土地・資源の利活用の促進、産業振興、生活向上関連施策)を重点として展開すべきであり、③国としてこれらを実行するために必要な推進体制等を整備すべきである。(30ページ)

 ①の「国民の理解の促進」については、このブログで何度も批判してきたように、イランカラプテ キャンペーンを中心として、アイヌ政策のトリビア化の最たるものが進められている。そこでは、「広義の文化享受と自らの民族の生命を託してきた、いわゆる『土地と資源』」に対するアイヌ民族先住民族としての権利を政府がキャンペーンでPRするなどは、幻想か夢物語として、現実の視野にはまったく入っていない。
 「広義の文化に係る政策」の項目では、次のように、上で24ページから引用した「基本的考え方」を繰り返している。それだけ重要な事柄であるという認識が窺える。

近代化政策の結果として打撃を被った先住民族としてのアイヌの人々の文化の復興の対象は、言語、音楽、 舞踊、工芸等に加えて土地利用の形態等をも含む民族固有の生活様式の総体と考えるべきである。(33ページ)

 ここで提言されている6項目(上の②参照)のうちの1つが「土地・資源の利活用の促進」であり、そこで再び、上掲の「土地との間[の]深い精神文化的な結びつき」に言及している。(同じ言葉を繰り返さずとも、「権利宣言」第25条から引用するなどの芸はなかったものか。)長くなるが、重要な箇所なので、そのまま引用する。

 アイヌの人々は、土地との間に深い精神文化的な結びつきを有しており、現代を生きるアイヌの人々の意見や生活基盤の実態などを踏まえ、今日的な土地・資源の利活用によりアイヌ文化の総合的な伝承活動等を可能にするよう配慮していくことが、先住民族としてのアイヌ文化の振興や伝承にとってきわめて重要となる。
 現在、アイヌの伝統的生活空間(イオル)の再生事業(注)が北海道内の2地域で行われており、国公有地等において文化伝承に必要な自然素材育成、体験交流等が行われている。また、一部の河川においては、アイヌの伝統的な儀式等の目的で内水面のサケを採捕することを特別に許可する等の配慮が払われている。
 一方で、アイヌの人々からは、土地・資源の利活用が十分にできないため、文化伝承に必要な自然素材が採取できないなど、アイヌ文化の継承や発展にとって支障となっている側面があるのではないかとの指摘もある。
 アイヌ文化の継承等に必要な土地・資源の利活用については、伝承活動等を行おうとするアイヌの人々の具体的な意見に耳を傾けるとともに、公共的な必要性・合理性について国民の理解を得ながら進めていくことが重要である。
 これらの課題等も踏まえ、近年、自然との共生の重要性が増す中、自然とのかかわりの中で育まれてきたアイヌ文化を一層振興していく観点からも、地元関係者の理解や協力を得つつ、アイヌ文化の継承等に必要な樹木等の自然素材を円滑に利活用できる条件整備を更に進めていくことが重要であると考えられる。
 具体的には、アイヌの伝統的生活空間(イオル)の再生事業について、アイヌの人々や関係者の意見等を踏まえつつ実施地域の拡充等を行うこと、また、同事業の実施地域等において、アイヌの人々、行政等の関係者が国公有地や海面・内水面での自然素材の利活用等に関して必要な調整を行う場を設置することにより、今日的な土地・資源の利活用によるアイヌ文化の伝承等を段階的に実現していくことが必要である。(36-37ページ)

 この6段落を読んで、まず感じることは、「現代を生きるアイヌの人々の意見や生活基盤の実態などを踏まえ」、「公共的な必要性・合理性について国民の理解を得ながら」、「地元関係者の理解や協力を得つつ」、「アイヌの人々や関係者の意見等を踏まえつつ」といった、一見もっともらしいが、しかし裏の真意はここで提言されていることさえ水で薄めるような、弱体化のための修飾の文言が挿入されていることである。「有識者懇談会の官僚や法律を専門とする「有識者」たちが挿入したのであろう。
 その上、それらの挿入句を省いても、アイヌ民族は、あくまでも国家管理の下での「利活用」に「配慮」、すなわち、心を配ってもらい、気を使ってもらうだけである*3。本連載では取り上げなかったが、ILO 169号条約と「権利宣言」のもう一つの重要な「統制」(control)の権利も最初に「参照」された(すなわち、チラッと目を向けられた)だけで、真剣に考慮された跡がない。このことは、いま「民族共生の象徴空間」の管理をめぐって起こっていることと同じである。
 さらに、「土地・資源の利活用」にしても、「権利宣言」の「伝統的な」に対置させるかのように、それ自体、限定的でかつ意味が曖昧な「今日的な」という修飾語を付している。「土地」との「深い精神文化的な結びつき」とか「民族固有の生活様式の総体」(すなわち、加藤理事長が語った「山、川、海すべての大地や海洋にある動植物との密接な関わり合いの中、広義の文化享受と自らの民族の生命を託してきた、いわゆる「土地と資源」)を強調していながら、「自然素材」という、物作りとしての文化の材料だけのようにさえ響く、少なくとも私には耳慣れない、「今日的な」用語で「利活用」の対象が述べられてもいる。

<続く。>

:やはりここでは長くなっても原文引用をしておく方が良いと、今日認識した。ひとつには、この連載をウェブ上でではなく、印字されて配布されたもので読んでいる人たちにとっては、原文にリンクを張っているだけでは分かり難いということがあるということ。また、これまで政府のアイヌ政策関連会議の資料を読んできていない人にとっては、こういう機会にできるだけ原文を読んで戴くのが良いだろう。

P.S.:(7)のリンクに不備があったので修正しました。

*1:アイヌ政策推進会議は、このような部分を詰めて行く作業をするべきであるにも拘らず、2020年までに「世界先住民族祭」(筆者の仮称)のような話をしている。

*2:(6+)を参照せよ。

*3:「配慮」とは、「心をくばること。他人や他の事のために気をつかうこと。」と定義される。

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