AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

寄宿学校で亡くなったインディアン生徒の遺骸(遺骨)を郷里へ

 久しぶりに、先住民族の遺骨返還に関する動きの一つを取り上げることにする。
 直前の記事では省いたが、そこで参照したカナダの「王立諮問委員会」の報告書には、カナダ先住民族の子どもたちの親元からの「転住」も主要な歴史的問題の一つとして取り上げられている。
 アメリカでは、平原インディアンに対する軍事作戦でも名を上げた陸軍大尉のヘンリー プラットが、「インディアンを殺し・・・その人を救え」という同化政策を推進する目的で1879年にペンシルヴァニア州に設立したカーライル インディアン職業訓練学校が良く知られているが、この度、ロゥズバッド スー トライブが、19世紀に同校で寄宿生活を送っている際に死亡した少なくとも10人の10歳から18歳のラコタ人の子どもたちの遺骸(遺骨)をトライブに連れ戻す方法について情報収集を始めたとのことである。
 しかし、そこには多くの課題が横たわっている。トライブの歴史保存担当者のラッセル イーグル ベアさん――いい名前ですね――によれば、子どもたちとの関係(つながり)の証明、家族による同意と委任の証明、家族全員が代表され、かつ事の運び方に関する同意を示す宣誓供述書または裁判所命令、トライブまたはインディアン国の同意が必要となる。さらには、連邦政府の責任免除も。(カーライル校は、合衆国最初の連邦政府資金によって設立された。)
 ここまでは、今この国で起こっていることと共通しているようである。だが、一つ違うのは、130年間、同校の墓地に埋葬されているラコタの生徒の遺骸(遺骨)を郷里に戻そうとする動きが、昨年、同校を訪れた現在のラコタの生徒たちから起こったということである。訪問を終えて帰る前に、生徒たちは、墓地を訪れた。それは、彼・彼女たちにとって「非常に感情的」になる場であったようである。彼・彼女たちは、祈りの言葉を唱え、祈りの歌を歌った。そして、一人ひとり、お墓の一つひとつにキャンディを供えてきた。
 ロゥズバッド スー トライブは、カーライル校で亡くなった子どもたちがいるノーザン アラパホやオグララ スーなど、他のインディアン諸国と協働している。イーグル ベアさんによれば、カーライル校があった場所は現在の米軍基地内にあるため、遺骸(遺骨)の郷里帰還の最終的な決断は、現在のカーライル米軍陸軍戦争大学校(U.S. Army War College)の司令官が下すものとなる。遺骸(遺骨)と副葬品の返還を定めた国内法規(NAGPRA)は、活動中の軍事基地には適用されない。
 ロゥズバッド スー トライブは、サウス ダコタ議員団に支援を要請した。また、オバマ大統領にも支援を求める予定だそうである。イーグル ベアさんは、米軍と同様に、死者の究極的な安息のために遺骸(遺骨)を郷里に連れて帰る伝統がラコタにもあり、カーライルの生徒たちの遺骸(遺骨)を連れて帰ることができることで、その家族たち、そしてトライブ全体が癒えることにつながると語っている。

参照記事:Rosebud Sioux Tribe Pursues Carlisle Repatriation by Jim Kent, SDPB Radio, World Cafe (FEB 8, 2016).

Cf. 開拓使仮学校附属北海道土人教育所

 以前、伊達市噴火湾研究所を訪れたS大学のアイヌ学生のことを思い出して確認しようとしたら、こちらに張っていたリンク先が2本ともアクセス不能になっているが、後者は、こちらに引っ越ししたようである。

 こちらでは、学生たちは「遺跡」から出土した「人骨」の研究がいかに大切かというレクチャーを受けたのかもしれない。http://www.funkawan.net/old/n11.html
 他にも、伊達市噴火湾文化研究所を偶然にも訪れた方がいる。 http://pub.ne.jp/ORORON/?entry_id=4535586