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AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

「遺骨・DNA研究と先住民族――人類学研究と人体組織試料」

 "Against the Wind"を始めた時に立てた方針の一つが崩れかけている。気持ちの上でいつまで続けられるか分からないが、北海道アイヌ協会の理事長(だと推測する)が血液採取について政策推進作業部会で語っていたので、それに呼応して、『先住民族の10年News』に掲載されていたロシナンテ――サンチョ パンサの役は既に別の方に振り分けたから――による関連論稿を一つ二つ掲載していこう。以下は、第187号(2012年9月)に掲載されていた「遺骨・DNA研究と先住民族④――人類学研究と人体組織試料」である。(出典の全情報が必要な方は、直接『News』誌を参照して戴きたい。)

III. 人類学研究と人体組織試料
 人類の起源と移動史の研究に骨や血液などの人体組織を用いるのは、ジェノグラフィック プロジェクト(GP)が最初というわけではない。ハヴァスーパイ事件(前号の連載③)では、医学研究用に集められた血液と遺伝子情報が人類移動史研究に流用されたことが重大な争点となった。これまで見てきた事例では、研究の対象者から得るべきインフォームド コンセントの質や取得方法の問題に加え、同意されていない研究への試料の転用の問題があった。
 こうした問題意識から、現在アイヌ政策推進会議で話題に上っている「アイヌ人骨」の研究だけでなく、血液を主とするアイヌの人体組織を試料として用いてきた研究にはどのようなものがあり、それはどのように実施されてきたのだろうかという疑問が浮かび上がってくる。アイヌ政策推進会議では、「アイヌの歴史を解明するための人類学等の調査研究」に「寄与」する(アイヌ政策関係省庁連絡会議「『民族共生の象徴となる空間』基本構想」、平成24年7月31日、5および7ページ)という謳い文句の下で、アイヌの遺骨の研究容認への下準備が着々と整えられつつある。骨を材料とする研究にはどのようなものがあるのか、またそれは他の人体組織試料を用いる研究とどう関連しているのか、粗方ではあるが、歴史的に概観してみたい。


1. 骨の研究
 ナショナリズムの時代を反映して、「日本人の起源」という問題関心は、明治時代から100年以上にわたって持続している。そのような関心に基づく研究の中心は、人骨の形態を比較するものであった。
 18世紀から19世紀にかけてヨーロッパでは人の頭蓋骨を一定の基準に基づいて類型的に分類し、さらにその分類範疇に優劣の序列をつける「骨相学」が流行した。その後、人類学という分野が成立してからも、人骨、特に頭蓋骨への研究者の関心は変わらず、頭蓋の長さや幅を計測して頭示指数を求め、その比較によって長頭、中頭、短頭に分類したりして、集団間の類縁/系統関係を推定する「学問」が主流であった。なかでも、ドイツのヨハン J. ブルーメンバッハが人の骨の形態学的特徴から人類を「三大人種」に分類し(1951年にユネスコはその使用の放棄を提唱)、命名したことと、この時代からの人類学研究が人種的偏見に基づき、差別を生産した歴史はよく知られている。アイヌ民族の墓地からの遺骨略奪も、そのような「学問」の歴史の流れの中にある。ブルーメンバッハによって創始されたという形質人類学の分野は、「人種分類や人種形成といった問題に、さらには化石人類の系統関係を追求(ママ)することに、その歴史の大半を費やしてきた」(片山:15-16)。
 こうした形質人類学の傾向は1970 年代まで続いていたが、今日、人類学者自身によって「頭示指数は、もはや人類の系統関係を論じるにはふさわしくない」と、その非科学性が明らかにされているだけでなく、人骨の形態・形質的な比較に伴う「主観的判断」や「解釈の任意性」などの問題点や困難を「見て見ぬふりをして研究を進めてきたのが、骨や生体の形を比較してきた従来の研究なのである」と厳しく批判されている( 斉藤:136、141-142; 長谷川:129-130)。
 しかし、こうした最近の人類学者による形質人類学者への批判によって、人骨の研究そのものが放棄されたわけではない。いわば、形質人類学者がこよなく骨を愛し、撫で回すようにその外観を観察していたのが、近年の新たな分析技術の開発によって骨の内部を詳細に観察する研究へと転換してきただけである。その代表的な技法が、骨から遺伝子を抽出して解析する方法である。特に1990 年代には「さながら『ミトコンドリア考古学』の観がある」(河野:170)と言われるほどに、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究が盛んになった。現代人のmtDNA の解析には血液や頬の内側の粘膜などが用いられているが、「古代DNA」の分析には主に骨からDNA 抽出が試みられる。この際、貴重な化石や骨の一部が砕かれることとなる。
 mtDNA の他にも、例えば、骨に含有されるストロンチウム量の解析によって古代人の食生活、特に肉食率を推定する研究がある。1950年代以降、ストロンチウムが生物の組織に蓄積されてゆく過程の原理が明らかになっていたが、それに基づく研究を1979 年にアメリカのM. ショーニンジャー(人類学)が発表して以来脚光を浴びることとなった。アイソトープ食性分析法と呼ばれるこの方法は「わが国の古人骨に対しても試みられて」おり、その中には「近世アイヌ」の骨も含まれている(『科学朝日』:164、167)。1990年代半ばの解説であるが、その分析法は、次のように行われていた。

 古人骨中のC13 とN15 の量を知るためには、まず人骨を完全燃焼させてガスにしたうえで、ガスに含まれるC13 とN15 の量を質量分析計で測定する。ただこの方法では、貴重な古人骨が煙になってしまうので、分析にあたっては、自然人類学者があまり利用しない肋骨を使ったり、分析に使う量も保存状態がよければ五グラム程度にとどめている。分析技術の進歩で、現在ではこれくらいあれば十分なのである。(『科学朝日』:168)

「五グラム程度」としても、骨は消失するのである。
 注意しておきたいのは、大学などに現在保管されている人骨に関して既に見たように(本誌第173号)、考古学者や人類学者による「古人骨」の定義は恣意的で非常に曖昧であることと、遺伝人類学者が「過去に存在した生物から取り出されたDNA を、試料の古さにかかわらず『古代DNA』と呼」んでいることである(斉藤:120)。大学等に保持されているアイヌ民族の遺骨から得られるDNA はすべて、人類学者の定義によれば、「古代DNA」になってしまう。1983 年に始められた「古代DNA」研究は、「人間の場合、大部分は遺跡から出土する骨や歯が用いられる」とされているが(斉藤:122)、「大部分」以外の骨や、アイヌ墓地ですら「遺跡」とカムフラージュされて盗掘された遺骨があることにも注意しておく必要がある。


2. 血液の研究
 人類学や解剖学の分野の研究者による骨の形態研究が続けられる一方で、血液が歴史を「記憶」していると考えられるようになり(『科学朝日』:199)、血液型、血球酵素型、血清型の遺伝子頻度を分析して人類の系統関係や日本人の起源を明らかにしようとする研究が盛んになった。1930 年代にも法医学者の古畑種基らによる「日本列島におけるABO式血液型の遺伝子頻度の『地理的勾配』」の研究が行われたそうであるが、1950年代に入って分子遺伝学が発展することで血液からの遺伝子データが多く発表されることとなった(斉藤:90)。この頃(1950 年代初め)、後述するように、オーストラリアやイギリスの調査団と北海道大学の児玉作左衛門たちの研究者が共同で、日高地方のアイヌから血液採取を行って研究論文を発表してもいる。
 血液を採取・分析して人間集団の遺伝系統や日本人の起源を探る研究は、その性質上、主として医学研究者によって行われてきた。ABO式をはじめとして、1950 年代までは、Rh 式、MN式、P 式などさまざまな種類の血液型が用いられて多種の遺伝子座の対立遺伝子頻度が多くの人間集団において調べられている。また、1960年代にはでんぷんゲル電気泳動法の普及によって、血球酵素型や血清型の遺伝子頻度データを用いる研究が盛んになった。(斉藤:40-41、94;海部:54-55)
 1970年代には、生物科学技術の急発展によってDNA の直接分析が可能となった。1980年代にはDNAの塩基配列を比較する分子系統進化学が全盛となり、日本では1983年に初めて、宝来聰がmtDNAを用いて日本人の遺伝的起源を解明しようとする研究に着手している(宝来:49-50)。そのような流れの中で1987年にR. キャンとA. ウィルソンが、世界各地の147人から集めたmtDNA の比較分析を通じて、 現代人の共通祖先を約20 万年前のアフリカに特定する論文を発表して以降、1990 年代にかけて大きな論争を経ながら、今日ではY染色体上のDNA分析も含めて、「分子系統学の黄金時代」(長谷川:121)と呼ばれるような時代に至っている。
 1970~80年代に起こった分析技術の進展と多様化という重要な変化は、考古学者や人類学者、特に形質人類学者に、証拠に基づく、より「科学的」な研究への意識変革を迫り、「かつては骨董品屋的な性格が強いところが少なくなかった」形質人類学(片山:15)の時代は、「生物進化の基本は遺伝子の変化であり、人類集団間の違いも、遺伝子を用いて考えるべきである」(斉藤:64-65)という特に分子人類学者の間の考え方が主流をなす時代へと変化している。


3. 医学研究者と人類学者の「近縁関係」 
 血液試料を用いる研究のいくつかには、一つの興味深い特徴的共通性が見られる。それは、元々は専門的医学研究を行っていた医学研究者が、ハヴァスーパイ事件でも見られたように、医学研究に留まらずに、人間集団の系統関係の研究へと、言うなれば、転向していることである。例えば、当時、愛知県がんセンターで癌の疫学研究が本業であった田島和雄は、1988年以来南米で先住民のHTLV-I(成人T細胞白血病=ATLや慢性脊髄症=HAMの原因ウイルス)を調べていたが、HTLV-IとHLA(ヒト白血球抗原)の両面からモンゴロイドの拡散や日本人との関連を探るようになった(『科学朝日』:199-200、206-207)。ATLの原因ウイルスを発見した日沼頼夫も「(ウイルス)研究が意外な方向へ進んでしま」い、「人類学、そして日本人はどこから来たか、というところまでも、いつのまにか来てしまった」と述べている(『科学朝日』:202)。1984年に山形大学医学部で骨に沈着するたんぱく質であるAHSG5 型の遺伝子を発見した梅津和夫たちは、翌年に鳥取大学医学部の湯浅勲と「共同研究を始めたとたんに、様相が一変し」て、湯浅が「血液センターの協力を得て、沖縄本島の人の血液を調べた」り、「台湾の先住民族である高山族(高砂族)や朝鮮人を含む多数のモンゴロイド集団を調べた」。その結果、彼らは、「独自の集団」としての「琉球人」の存在を推理した(『科学朝日』:210)。さらには、人が酒に強いか弱いかはアルデヒド脱水素酵素が関係していることを明らかにした原田勝二たちの研究グループは、この酵素の遺伝子変異型が「モンゴロイド系人種」にしか見られないことなどから、その「変異遺伝子を標識(マーカー)として、モンゴロイドのルーツや拡散を探ることを試み」た(『科学朝日』:212-213)。
 こうした「転向」あるいは「逸脱」の傾向は、ヒトゲノム研究プロジェクトの中心的研究者たちにも見られた。彼らは、「分子生物学者や医学者であり……必ずしも進化に興味をもっているわけではな」かった( 長谷川:122)。そもそも、カヴァリ=スフォルツァは、若い頃にバクテリアの遺伝学研究で国際的な業績を上げていたのだが、第二次大戦後に集団遺伝学の草分けの一人であったケンブリッジ大学のロナルド A. フィッシャーの下へ留学してから、「人類進化の研究に方向転換」していた(斉藤:72)。
 このような「本業」からはずれた分野へと方向転換した研究者たち自身がそう考えていたかどうかは分からないが、1950年と51年に日高地方のアイヌから血液採取を行った、当時の血液遺伝学の先端研究を行っていたオーストラリア、メルボルンコモンウェルス血清研究所(Commonwealth Serum Laboratories=CSL)のシモンズとグレイドンが、血液による人間集団の遺伝学的研究を「科学的な趣味」と表現していたことも興味深く想起される(Boardman)。


4. アイヌからの血液採取
 こうした1世紀以上に及ぶ人類学の研究史において、アイヌ民族は、遺骨だけでなく血液という人体組織をも研究の試料として狙われ、搾取されてきた。これまでの一連の研究でアイヌ民族の血液がどのように採取され、それがどのように利用され、その研究成果がどのようにアイヌ民族に還元されてきたのかなど、過去の研究の実態で歴史的に解明・検証されなければならない課題があまりにも多いように思われる。わずかな断片的な資料から考察するだけでも、数多くの未解決の疑問が導き出される。残りの紙幅で、最近公開された一つの例を見ておこう。
 「北大開示文書研究会」のウェブサイト(http://hmjk.world.coocan.jp/index.html)に公開されている「小川隆吉さんの請求による北海道大学開示文書の一覧」の中に、1980年代初期にアイヌの海馬沢博氏と北海道大学との間でやり取りされた文書が含まれている。その中には、北大教授であった児玉作左衛門が「学術研究と稱し」て「アイヌ民族の血液採集を全道的に実施した事実」が言及されている。海馬沢氏が「血液の採集はアメリカの大学の依託によるものと確認しているのでその研究の結果・アイヌ民族人骨の研究結果を一切余すところなく公開すること」を求めた(No. 10:1980年11月27日付)のに対し、北大医学部の田中事務長は、「実際に血液採取を行ったのは、オーストラリア メルボルン コモンウエルス血清研究所の研究者で、北大は協力したにすぎ」ず、「血液採取もこの1回限りである」と回答している(No. 7:1981年2月24日付)。他の文書も含め、公開されている北大からの回答を見る限り、当時から今日にかけても、北大当局にはアイヌからの血液採取に伴う問題認識が存在していなかったのではないかと思われる。三浦祐晶医学部長の書簡にも血液に関する言及はないが、児玉が「道内各地において当時の関係官庁及び各地の関係者と協議の上」で調査を実施していたことが記されている(No. 19:1982年2月3日付)。
 CSL は、1916年にオーストラリア政府機関として創設された研究所であるが、1990年に民間に移管され、今日、「世界最大級の血漿採集ネットワークを有する専門子会社」を有するグローバルな製薬企業となっている。血液による遺伝人類学的研究が盛んになりつつあった1950年代初め、CSLのシモンズやグレイドンらと児玉作左衛門は、1950年11月7日~19日と1951年11月に日高地方で2回のフィールド調査を行い、多数のアイヌから血液と唾液を採取している。1回目の調査では1~437の番号が付けられた血液試料が3 シリーズに分けて採取され、2回目には失われた第2シリーズの代替として155人分の血液が採取された。すべての試料が、分析のためにCSLに輸送されている。シモンズは1940年に血液の保存料を発見し、それによって研究者たちは、血液を研究室に持ち帰って分析できるようになった。彼は、当時の「大規模かつ迅速な国際的血液調査を可能にした」人物でもあった。採血が行われた町村を示す地図も載せているシモンズらと児玉の論文には、この「調査の主目的」は「アイヌ人の新しい遺伝的データをその集団が実体として消える前に記録に残すということであ[り]」、それが「達成された」と記されている(R. T. Simmons et al.:52-54, 77;Boardman)。


参考文献:
海部陽介『人類がたどってきた道――“文化の多様化”の起源を探る』(日本放送出版協会、2005年)
・『科学朝日』編『モンゴロイドの道』(朝日新聞社、1995年)
・片山一道『古人骨は語る――骨考古学ことはじめ』(京都市同朋舎出版、1990年)
・河野重行『ミトコンドリアの謎』(講談社、1999年)
・斉藤成也『DNAから見た日本人』(筑摩書房、2005年)
・長谷川政美『DNAに刻まれたヒトの歴史』(岩波書店、1991年)
・宝来聰『DNA人類進化学』(岩波書店、1997年)
・Boardman, Holt.“It's In The Blood,”Western Mail, 11 December 1952, p. 5.
The Courier-Mail.“They're Tracing the Racial Story of Man in Blood,”September 22, 1952, p. 2.
・Simmons, R. T. et al.,“A Collaborative Genetical Survey in Ainu: Hidaka, Island of Hokkaido,”American Journal of Physical Anthropology, Volume 11, Issue 1 (March 1953).

Cf. 2012-07-17 日豪研究者によるアイヌの血液・唾液採取――海馬澤さんの疑問に一部答える.

 もうずい分と長いことお会いしていないある方が、北海道アイヌ協会が集約される遺骨の分子人類学研究を許容するという決定を行った(or 行うように圧力をかけられた?)2014年秋の理事会の審議中、アイヌ遺骨の医学的研究はノーベル賞級の研究成果が出る可能性があるという話を吹き込まれたらしきことを述べていたようである。

P.S.:『先住民族の10年News』第188号(2012年10月)の続きの部分である。

III.4. アイヌからの血液採取(続き)
 1950年代初期のCSLのシモンズや北海道大学の児玉らによるアイヌの血液・唾液採取調査の後、1964年にはイギリスのケンブリッジ調査隊(Cambridge Expedition to Northern Japan)が日高地方を訪れ、187人から血液(血清)を採取している。児玉らの研究をはじめ、この頃の人類学的なアイヌの研究はアイヌの身体的特徴としての「毛深さ」をことさらに強調したり、「人種的に得体の知れないアイヌの血清サンプルを試験する」ことが関心の的であった(Steinberg:459)。1960年代末になっても、児玉を中心とする北海道大学東京大学などの「アイヌ研究の専門家たち」による研究計画への協力と助言、さらには北海道庁職員の支援を得た海外の研究者によって、この種の研究が行われていた(Harvey and Brothwell)。
 その他にも、ここに詳細を記すことはできないが、アイヌの先祖がわずかなお金で血液を採取されたとか、大学から血液採取の依頼があったという話がある。また、研究論文にもアイヌの血液を用いたものがあるが、一つひとつを取り上げる余裕はないし、ここではその必要もなかろう。限られた紙幅で、今日の問題との関連で重要と思われる、そして研究者自身が公開報告している事例をいくつか見ていくことにする。

P.S. #2(2016.05.08):この後、News誌の第188号~第190号までと第207号に掲載された論考を掲載しようと思っていたのだけれど、ここのところの訪問者とNews誌の元読者はほとんど重なっているのではないかと思うので、無駄な労力は使わないことにした。