AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

「遺骨・DNA研究と先住民族――アイヌの血液試料とDNAデータ」

 『先住民族の10年News』誌の読者と重なっているということに対して、「さあ、どうでしょう」という反応が来たのだが、もちろん、定期的な訪問者という意味で書いていた。実のところ、2つ前の記事で取り上げた「議事概要」の最初と最後の2人の「幹部」の発言を読んで、既に萎えてきていた書き続ける力がすっかり萎えてしまってもいるのである。「歴史の全体像を」云々の話はどうなったのやら。「全体像」の中に血液採取を位置づけることはしなくて良いのかな?
 取り敢えず、1つ前の記事の続きは下書きに作成してあったので、投稿することにした。

「遺骨・DNA研究と先住民族⑤――アイヌの血液試料とDNAデータ」先住民族の10年News』第188号(2012年10月)より。

5. アイヌの血液試料とDNA データ
 日本人のmtDNAによる遺伝人類学研究の入門書に必ずと言って良いほど登場するのが、宝来聰である。宝来が1980年代に収集した血液試料から得られたDNA 配列データがDNAデータバンクに登録されており、誰でも利用できるとのことである。アイヌ政策推進会議メンバーの篠田謙一によれば、この中に51人の「アイヌの人たち」の情報もデータとして登録されている。宝来が用いた血液試料が「どうも同じ地域で集められたサンプルのようなので、アイヌの人たちを代表するデータとして用いることを躊躇させられる」ということで、篠田は自身の研究にそのデータを利用しなかったそうである(篠田:99、142)。彼は、宝来が自分の研究に用いた血液試料の提供者から二次利用に対する同意を得ていないからというのではなく、ただ単に、データの質の点から利用を「躊躇」したに過ぎないことを告白している。
 血液試料がどこの地域の誰たちから採取されたものか明確に断定できないような書き方をしているが、篠田がそれを本当に知らないのか、プライバシー保護の観点から血液提供者の特定を避けるための配慮なのか、あるいはまた、杜撰な考古学者が発掘した人骨のデータをきちんと記録してなかったというのと同レベルの話なのか、実際のところは分からない。そもそも、取得された遺伝子情報のプライバシーは、提供者が特定されないように、匿名化などを通じて保管されなければならないが、篠田の書き方から推測すれば、そのような保護策が取られていても、同一の狭い地域からの血液試料はその提供者のプライバシーが守られない可能性があるために、すなわち、今日の研究倫理規定に抵触しかねない問題を孕んでいそうなために利用しなかったのではないのだろうか。そしてもっと明確で深刻な問題がその血液試料の由来にあると考えていたからではなかったのだろうか。そう考えていなかったとすれば、それもまた、問題である。「同じ地域」から集められた血液試料は、実は宝来自身によって採取されたものではなく、宝来が二次利用、すなわち転用したものである。このことは、宝来自身が明かしている。
 静岡県三島市や沖縄の産院からもらって回った胎盤からmtDNA の抽出・分析を行っていた宝来も、1986年に試験管で短時間にDNAを増殖することができるポリメラーゼ連鎖反応法(PCR 法)が開発されたため、血液からDNAを抽出して分析するようになった。彼は、東アジア人の近縁関係を調べるために「日本以外のアジアの各地で最低五〇人の血液試料を集めること」を目標にしていたが、実際には台湾や韓国でそれぞれ66人と64人の血液試料を採取し、分析した。この時、彼は、「北海道アイヌの試料は、国際日本文化研究センターの尾本惠市教授が以前集められたものを分与していただき、五一人を分析した」と記している。さらに、過去に胎盤から「分離精製」していた三島市の62 人分と沖縄の50 人分のデータも利用して研究を行った。(宝来:95-96)。(注1)
 宝来は、1979年に東大理学部の人類学教室助手に着任し、尾本の研究室に所属していた(斉藤:115)。筆者は、尾本がいつ、どこで、どのようにしてアイヌから血液を採取したのかは正確には把握していない。しかし、同業者の篠田がそれを知らないとは思えない。
 1980~90年代にかけて、これらの研究者の間では被験者の血液試料やそれから取得した遺伝子情報を被験者に無断で譲渡することに違和感も抵抗感もなかったように思われる。宝来自身、自分が「発表した日本人のデータの中の五人」の試料を独断で――と思えるが――アメリカの研究者に送りもしている(宝来:37)。宝来は、1980年代半ばの研究でも、自身が東京で集めたDNA試料の他に、「アメリカの研究グループの協力で、アパッチインディアン、メキシコのマヤ族、ブラジルのインディオというように、北米、中米、南米と異なる地域から七人のアメリカ先住民のDNAをもらい」、さらに、共同研究者の田島和雄や園田俊郎(当時、鹿児島大学医学部)らが南米のチリとコロンビアの先住民から採取した65人分の血液のDNAデータを加えて、「アメリカ先住民」――と一括りで呼んでいる――72人の分析を行い、系統樹を作成している。このようにして128人の塩基配列を得た結果、宝来は、「やっと自前のデータを中心にした大規模な分析が可能になった」と記している(宝来:27、30、85;『科学朝日』:4)。遺伝子情報の独断的な譲渡が「常識」化していたからこそ、宝来は、このように無警戒に語っているのであろう。
 宝来はその後、世界中の人のmtDNA を調べ、彼によるアフリカ人のmtDNAの全配列決定が「現代人における集団ゲノム学の発端となった」そうである。さらに、「人類学研究では骨の試料が多数あるので、骨からDNAを抽出できれば、研究に大きな発展が期待できる」ということで「古代DNA」の研究を始めた宝来は、1990年に縄文時代の人の頭骨からmtDNAを抽出して塩基配列を決定したのに加え、「北海道の近世アイヌの六個体」の「検体の塩基配列」も決定した。(斉藤:116;『科学朝日』:146)
 その後、篠田謙一も縄文人の骨で「古代DNA」の研究を開始した。安達登もまた、北海道礼文島縄文時代人骨の研究を行っている(斉藤:122)。現在山梨大学の安達は、北海道で開かれた2010年の日本人類学会で「江戸時代のアイヌ民族の人骨32体」の分析結果を発表し、「分析数も対象地域の広がりの点でも結論を出すには不十分」という常套の理由から、「アイヌの人たちの承諾を受けて、今後も研究させていただければ、傾向が推し量れると思う」と、アイヌ政策推進会議における遺骨の扱いの課題との関連で訴えている。(北海道新聞、2010年10月16日夕刊)(注2および注3)
 こうした人々を中心とする「人骨」・DNA研究者が、「古人骨研究体制の整備」を求める形質人類学者や考古学者とともに利益集団を形成し、その代弁者として篠田謙一がアイヌ政策推進会議に参加しているのであろう。


6.「吸血団」が血液採取に臨む姿勢
 ところで、尾本をはじめ、人類学者たちは、どのような姿勢で先住民から血液採取を行ってきたのであろうか。彼ら自身の話を聞いてみよう。尾本は、フィリピンのネグリトの研究でもよく知られている。1990 年代初期の対談で、彼は次のように語っている。

尾本 イフガオとかオゴロットとかですね。これに原住民のネグリトと大別して三つの種族がいる。
 この中で一番明るいのがネグリトです。私の感じでは都市が一番物騒で、焼き畑農耕民は頑に心を開かない人たちです。例えば私どもが採血調査をするのに大変な苦労をする。現地の衛生省の許可を得て一日診療団をつくる。衛生省のお医者さんと看護婦さんを連れていって医療診断と炊き出しをやるから、山から下りてこいよと事前にふれておくんです。
 すると、医者にかかったことがない人が多いから、もの珍しがって下りてくるわけですが、焼き畑農耕民はとても心を許さない。
大橋 警戒心が強いんですね。
尾本 それに来ないですね。血を採られるのは、魂を抜かれるのと同じだと考えるんですね。
大橋 いわゆる呪術的発想。
尾本 ところが、ネグリトたちは炊き出し目当てもあるんですが、おもしろがってやってくる。考えてみると、狩猟採集民は、森の中でけがしたりしてしょっちゅう血を見てますね。
大橋 自分の血も見るし、獣の血も見る。
尾本 血というものに特別の呪術感がないから、意外に簡単に血が採れるんです。
(大橋:40-41。強調は、筆者による。)

 「炊き出し」で呼び出すことも問題であるが、「医療診断」と称して血液を採取する方法は、児玉をはじめ、この国の医学・人類学研究者たちがアイヌ民族の身体調査を行った際のやり方と酷似している(植木:第2 章、第3 章)。現地の官憲からの許可は得たらしいが、当事者集団の共同体組織および個人からの同意を得たようには対談からは窺えない。GPの調査団に反対したケロ共同体の異議が思い出されよう(第185号の連載②、13ページ)。
 もう1例を挙げておこう。南米で先住民から血液採取を行った田島和雄のインタビュー記事から抜粋する。

田島 [鹿児島での国際会議で] コロンビアのパジェ大学教授のウラディミール・サニノビッチという神経内科医と知り合いまして、彼が現地の採血活動にとてもよく協力してくれた。
(略)
――やはり調査方法は数多く採血して回るということですね。
田島 ええ。僕たちは「国際吸血団」と言っているんですよ(笑)。僕はその団長。ですから血を採るのは速いですよ(笑)。
――調査と言っても、秘境に分け入るわけですから、相当な苦労があったと思いますが。
田島 そうです。苦労しないとこのウイルスには出会わない。道路事情が悪くジープでガタガタ道を数時間も行かなければ到達できないようなところとか、アンデス高地をロバと歩いて行くようなところ。辺鄙な場所に行かないとこのウイルスは出てきません。
(略)
――簡単に採血させてもらえるのですか?
田島 もちろん拒否する人もたくさんいますが、比較的スムーズに活動できていると思います。おそらく僕たちが白人だったらこんなにうまくはいかないのでは、と思います。
 彼らは、アメリカ、あるいはヨーロッパ人に対して征服された恨みといいますかコンプレックスがありますから。もともと南米大陸に住んでいた彼らにとっては、「スペイン人が南米大陸を発見した」なんていう西洋中心の考え方ほど人を食った話はないでしょうからね。その点、僕たちは肌の色も彼らと近いですし、少なからず仲間意識を持ってくれるのでしょう。
(「逆転の日本史」編集部:171-173。強調は、筆者による。)

「仲間意識」につけ込んでとは言わないまでも、共同体と個人による採血や血液試料の後の研究での利用に対する同意が適切に得られていたのかどうかは不明であり、どちらかと言うと、疑わしい。
 宝来が東大に赴任した年に尾本の人類学教室の学生であった斉藤成也は、後に、国立遺伝学研究所に移っていた宝来と「台湾原住民の調査」を行っている(斉藤:85)。斉藤は、その時の様子を次のように述懐している。

一九九〇年と一九九一年に、宝来聰さんを代表者として、私や石田貴文さん(東京大学)らは、これら高砂族全九集団の遺伝学的研究を行なった。太平洋沿岸中央部に位置する台東という町を調査基地としたところ、この町の病院の孫副院長の強力な支援を得ることができ、二回の調査で九集団すべてを調べることができた。(斉藤:117)

現地の有力な医療関係者の協力によって血液試料などを採取する方法は、やはり過去に人類学者が北海道でアイヌに対して取った方法と類似している。この台湾での調査の詳細も知りたいものである。(注4)


(注1)このことを語る最後の段落で宝来は「三島の日本人を『本土日本人』、沖縄の人々を『琉球人』、北海道アイヌの人々を『アイヌ』と呼ぶが、いずれも法律的には日本国籍を有するれっきとした日本人であることはいうまでもない」(96ページ)とわざわざ断っているが、「琉球人」、「アイヌ」と呼ぶことに後ろめたさのようなものを感じて躊躇しているかのようで、それもまた、かえって興味深い。
(注2)宝来は2004年に、尾本を含む計8人で、「沖縄人」をはじめとする他の「アジア人集団」との比較で「アイヌの遺伝的起源」を探る共同研究論文を発表している(Tajima et al.)。この研究では、51人のアイヌのmtDNAに加えて、16人のアイヌ男性のY染色体ハプログループを調べてもいる。この研究は、宝来と田島が所属していた総合研究大学院大学の倫理委員会に承認され、文部科学省からの研究助成を一部受けており、そのことには言及されているが、同意の取得に関する明記はない。また、ずらりと並べられた「人骨」保有者への謝辞は述べられているが、アイヌへの言及は見当たらない。
 篠田は、この16人の男性の試料についても、次のように述べている。どのくらいの「もう少し」で十分な例数となるのであろうか。

このアイヌの人たちのデータは全部で一六人分のサンプルから得られた結果ですので、確定的な話ではありません。もう少し例数を増やさないと比較データとしては使えないでしょう。(篠田:194)

(注3)安達は、同記事の中で、「現在の研究が民族の理解なしには進められないとの認識を示した」と引用されている。これは、現在の研究倫理の点からもその通りである。従って、北海道アイヌ協会をはじめ、関係当事者のアイヌが承諾しなければ、アイヌの「人骨」は研究対象にできないことが理解されているのである。
 同記事は、日本人類学会が「全国の大学が保管するアイヌ民族の骨の数や保管状況」を把握して、同年度中に北海道アイヌ協会に報告することを「約束した」と伝えている。数や保管状況の把握だけが調査目的ということも問題視したいが、調査結果とその後の経緯を道新が報じていないようであることも疑問視したい。
(注4)その他にも、斉藤の著書には「アイヌ人」や「沖縄人」を含む「集団」の近縁関係を示す自身と尾本との1997 年の共同研究論文中の図が掲載されている(斉藤:97)。この研究に用いられた遺伝子データの出所にも興味を惹かれる。


参考文献(前号掲載分は省略):
・植木哲也『学問の暴力―アイヌ墓地はなぜあばかれたか』(横浜市、春風社、2008年)
・大橋力(編)『ピグミーの脳、西洋人の脳』(朝日新聞社、1992年)
・「逆転の日本史」編集部(編)『日本人のルーツがわかる本』(洋泉社、1999年)
・篠田謙一『日本人になった祖先たち――DNAから解明するその多元的構造』(日本放送出版協会、2007年)
・R. G. Harvey, R. G. and Brothwell, D. R. "Biosocial Aspects of Ainu Hirsuteness," Journal of Biosocial Science, Vol. 1 (1969), Issue 2.
Steinberg, Arthur G. "Gm and Inv Studies of a Hokkaido Population : Evidence for a Gm2 Allele in the Ainu," American Journal of Human Genetics, Vol. 18, No. 5 (September, 1966).
・Tajima, Atsushi, et al. "Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages," Journal of Human Genetics, Vol. 49 (2004).