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AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

「集団と個人の自己証明とDNA鑑定」

 ここのところの連載の最後として、『先住民族の10年News』第207号(2014年9月)掲載の「インディアン トライブの自治と市民権剥奪⑦―集団と個人の自己証明とDNA鑑定―」を転載させて戴く。
 著者によれば、題材はアメリカ合衆国であるが、これを書きながら、北海道アイヌ協会とその周囲の動向が頭にあったとのこと。もっとも、ここに登場しているアメリカ先住諸民族は盗掘された遺骨――政策推進作業部会の「議事概要」に載ったことで書きやすくなった――からDNA鑑定を行ったのではなく、「歴史の解明」に(もう一度書こう)盗掘された遺骨を研究材料に差し出すというのは極めて「日本型」の政策であると付記しておく必要があろう。
 今のアイヌ政策関連会議では、この論稿の公刊よりも前に北海道アイヌ協会による遺骨の研究材料化に対する承諾が「議事概要」に記録されていたが、この年(2014年)の8月には北海道アイヌ協会が「人骨」研究者を主なパネリストとして「国際先住民の日」の記念事業を主催しており、また11月には理事会でその承諾を再確認している。この時に「先住民族の権利に関する国連宣言」の第31条を根拠とできる旨発言した理事(?)がおられるが、この濫用(or 屁理屈)が外部の政府の役人や「有識者」の入れ知恵なのか、自分で考え出したものなのかは測りかねる。懸命にその(悪)知恵を絞り出したのだとすれば、入れ知恵された、あるいは言わされたと言うのは失礼であろうから、今のところは、自主的に濫用したものと考えておくことにする。
 歴史的に文化を剥奪された状況の中でのDNA鑑定による「認定」という安易な方法の選択、外部社会の無理解と圧力、それを納得させる必要、「認定」の先に目指しているもの、メディアとの関係、等々、さまざまな要因を比較することができるであろう。

 除籍問題と関連して、アメリカのインディアン領に注目すべき現象が浸透しつつある。まだまだ少数ではあるが、DNA鑑定の結果をトライブやインディアン個人のアイデンティティの 手っ取り早い証明手段として用いるトライブが増えつつある。いくつかの代表的な事例を紹介しながら、それらが孕む問題の概要を論じる。


事例1:ウェスタン モヒガン トライブ
 ニューイングランド地方のウェスタン モヒガン トライブ(Western Mohegan Tribe=WMT)は、歴史的な土地基盤とその域内での物理的および文化的連続性を主張しているが、連邦政府との条約はなく、保留地もない。WMTには系統を証明する文書記録もないため、連邦政府や州政府の承認を得るための、モヒガン人祖先の直系卑属であることを証明する申請書作成で困難に直面した。WMTは、同州の他のトライブや州政府官僚から系統記録を偽造したと非難されていた。連邦と州の政府や近隣トライブがWMTの主張に好意的でないのは、系統の問題というより、天然資源開発、賭博収益、政府からの教育・厚生資金などと絡んだ経済的事情が関係しているのではないかと思われた。しかし、WMTは、近縁トライブとの遺伝的つながりを証明しようと、自分たちのDNA-HLA(ヒト白血球抗原)解析を行った。この試みは成功し、WMT構成員の遺伝的つながりは証明された。しかし、問題は、そこで解決しなかった。
 2000年のヴァーモント州議会にフレッド マスラック(Fred Maslack)議員が、個人の先住アメリカ人としてのアイデンティティを決定する目的で本人の要請と費用でDNA鑑定を行う ための基準と手続きを確立する法案を提出した。法案は、WMTが系統と歴史の文書記録が存在しない他のトライブが連邦政府の承認基準を満たす助けになるようにとの善意で発議していた。
 マスラック議員は、DNA解析を望む個人のための基準作りの権限を同州保健省に付与する意図をもっていただけであったが、委員会過程を通過させるために法案を曖昧な文言で綴っていた。彼にはまた、彼の政敵であり、カジノ建設を恐れてすべてのトライブの承認に反対して いた州知事に対抗するという親トライブの意図もあった。しかし、法案は、文言の曖昧さが原因で、個人がトライブへの帰属を証明するためにDNA解析を課すことを意図していると曲解され、同州の他のトライブが、法案は「ジェノサイド」を可能にするものだとして同議員を非難した。最終的に、同法案は廃案となった。
 この事例を2000年の「エスノバイオロジー国際会議」や2001年の国連の「先住民族レイシズム会議」他で報告した現テキサス大学オースティン校のキンバリー トールベア(Kimberly Tallbear)は、次のように指摘して、マスラック議員とWMTの双方を批判していた。同法案は、成立すればトライブへの帰属を証明する目的のDNA鑑定を一般市民が受容する可能性を増大させる恐れがあり、後の法律がそのような鑑定を要求する可能性を増大させ、彼を非難した人々が恐れていた差別を現実にもたらすということを、同議員は考えていなかった。また彼は、親切な意図にもかかわらず、個人が生物学的にトライブの人々の子孫であることと、トライブやネーションであることの真髄にある文化的・政治的連続性と自己決定の重要性を区別していなかった。彼は、遺伝子の「マーカーは自分がインディアンであるということに対する最終的な言葉」であり、「詐欺をはたらくことはないであろう」と考えていた。WMTの首長もマスラック議員も、アイデンティティを適切な書類を揃えることであったり、決定的なDNA鑑定を行う問題として考えていた。法案は、モヒガンの「生物学的真正」を証明することに関心を置いていたのである。表面的にはインディアンの利益のためにと意図されていたが、法案の内容や同議員と首長の発言は、誰に正統に政治的・文化的権威を主張する権利があるのかを生物学が決定することができるという考えを彼らが受け容れていることを明瞭にしていた。同法案は個人や民族の政治的権利と文化的アイデンティティが生物学的に決められるという前提に基づく将来の法律と政策の先触れかもしれないと、トールベアは警鐘を鳴らしていた。(注1)


事例2:シーコンク ワンパノーグ トライブ

私たちには、400年の書かれた歴史がある。最終的に、これが完了すると、恐らく4万年の歴史が存在するであろう。
  ――マイケル マークリー(SWT評議会議長)

 ほとんどのインディアン トライブが参加を拒否していた2005年に、ジェノグラフィック プロジェクト(GP)(注2)への参加に手を挙げたトライブがあった。今日のロード アイランド州とマサチューセッツ州の地域でかつて繁栄し、1621年に清教徒たちが最初の感謝祭を祝うのを手助けしたシーコンク ワンパノーグ トライブ(Seaconke Wampanoag Tribe=SWT)である。
 SWTは、両州で土地の返還を望んでいたが、連邦政府に承認されていなかったため申請を計画していた。SWTは、1676年の清教徒たちとの戦争でほぼ全滅させられたため口承知識が失われ、口承史が断ち切られた。トライブとしての系統を示す歴史文書類も限られた数しか残っていない上、系統に関する詳細情報の中には1621年に清教徒と出遭った祖先とのつながりを支持する記述は見つかっていなかった。
 トライブの歴史と各構成員の家系を示す文書を補う情報を欲していたSWTは、GPに先住民族の被験者として参加して自分たちのDNAを解析してもらおうと考えて、2005年の夏にGPに接触し、8月下旬にGPの主宰者と研究者たちが SWT 構成員から DNA試料を採取 した。SWTのマイケル マークリー(Michael Markley)評議会議長は、結果に期待を込めて、冒頭に引用した言葉を語っていた。(注3)
 しかし、GPが「先住アメリカ人マーカー」を探すために行うミトコンドリアDNAとY染色体の解析は、構成員の具体的な関係や帰属するトライブ、トライブの最近の歴史などを示しはしない。GPのDNA解析は、SWTの人々にワンパノーグ人としてのアイデンティティを語ることもできない。GPの研究は、SWTの具体的なニーズに対しては技術不適合であった。
 一方、先住民族は遺伝子の「混合」がより少ないという理由でその標本を欲していたGPにとって、SWTの人々は、最近の系統史における明らかな「混合」を考えると、先住民族の遺伝子標本としては良い候補ではなかった。GPのニーズにとっても、SWTは不適合と思われた。
 お互いがミスマッチであったにもかかわらず、SWTとGPの両者は、社会へのPRという点で利益を共有していた。連邦政府の承認と土地の返還には、曖昧ではあっても根本的な、「適度に真正な」先住アメリカ人集団としての「文化的イメージ」が不可欠であった。換言すると、SWTが正統なインディアン トライブであるという広範な社会による認知(あるいは「国民の理解」)の獲得が、SWTには課題として存在していた。個々のDNA解析の結果がどうであれ、SWTは、GPとの協働の全国報道によって先住民族と確認され、「文化的資本」を増やすことに成功した。
 一方、他の先住民族トライブから不評を買っていたGPは、全国報道で米国内のトライブと「協働している」と描かれた。さらに、両者の関係は、マスメディアにとっても、「互恵のプロジェクトで先住民と科学者の仲の良い合体」として格好の物語――「奨励的で、多文化主義的で、自由主義的な政治物語」――を提供した。
 以上もまた、トールベアによる分析であるが、彼女は、いかに限られていようとも、自分たちのアイデンティティに一定の洞察を与えてくれる文書記録と口承史などの、DNA解析に代わって利用可能な他のさまざまな代替策を追求せずにGPに頼ったSWTにとって、「その利益は、先住民族の定義と意味を遺伝学的定義と意味に包摂してしまうという危険を代償に」得られるのだと厳しく指摘していた。(注4)
 カジノをめぐる経済的利益の問題なども絡んで近隣トライブから支持を得られないでいるSWTは、まだ566の連邦政府承認トライブのリストに載っていない。トールベアは、SWTとGPの「協働」のその後を近刊書で論じている。
 2010年にGPの科学者たちがSWTの3人と共著でAmerican Journal of Physical Anthropology(『アメリカ自然人類学誌』)に論文を発表した。「遺伝的遺産とマサチューセッツSWTのネイティヴ アイデンティティ」と題された論文は、「先住アメリカ人アイデンティティと遺伝的祖先との潜在的不適合」を強調していたが、この程度の結論は、ワンパノーグ人だけでなく、同地方のトライブの歴史や系図学の研究者なら誰でも知っているDNA解析を必要としない結論であった。実際、科学者たちの結論は、既存の文書記録による歴史を確認するものであった。
 トールベアは、先住アメリカ人のアイデンティティとその遺伝的系統という二つの異物を合成しない論文のトーンに窺えるGPの科学者たちの態度の変化を歓迎し、「共著の作業と適切な文脈設定」が第一歩として重要であることを認めている。しかし、その上で、「協働出版物だけで は知識生産における積年の権力関係を変えるには不十分」であり、「先住民族が知識生産の真の主体であるためには、他の複数のアプローチが必要である」ことを論じている。(注5)


事例3:チュクチャンシ インディアン
 カリフォルニア州東部に位置する小さなトライブのチュクチャンシ インディアンのピカユーヌ ランチェリア(the Picayune Rancheria of the Chukchansi Indians)は、2011年9月にDNA鑑定条例を票決した。これによって、すべ ての新規の登録申請者は、血統の証明にDNA親子鑑定の結果を提出しなければならなくなった。鑑定は自費で、200~400ドルかかる。
 スペイン、メキシコ、アメリカの侵略による虐殺と排斥を経験したカリフォルニア先住民族の中には、破壊の度合いが酷く、保留地ではなく「ランチェリア」と呼ばれるホームレス インディアンのための小区画の土地に居住するようになった集団がある。「終結政策」を経て1950年代末までに、80エーカーのピカユーヌ ランチェリアには、僅かに数家族しか残っていなかった。1980年代に復興が始まったが、土地に残っていた2家族と長年出て行っていた他の者たちとの間に派閥が形成された。人口は30人 余であったが、競合する憲法がインディアン業務局に提出された。ここでも、構成員の除籍と再登録は、権力の座に就く者次第となった。
 2003年にカジノが開業し、これが30年来の構成員登録をめぐる争いをさらに混乱させ、醜くした。カジノ建設の交渉中の1999年に、評議会議長を含む155人が除籍された。トライブは、 人口が1000人を超えた2003年以降、新規登録を停止しているが、2006年には、さらに363人を除籍処分にした。DNA鑑定を導入した後も、 評議会は多数の除籍者を出している。
 新規登録の停止後も、カジノ収益の配当を目当てに構成員登録申請が殺到していた。登録停止が解かれると、待機者も含めて申請者は全員、DNA鑑定を受けなければならなくなる。賛否両論のあったDNA鑑定導入の決定には、特に、トライブで養育されてきた多くの子どもたちに悲劇的な結果をもたらす可能性や、予期せぬ結果が家族を引き裂く恐れ、結果的に人口増となる可能性、また何よりも何世紀にも及ぶ文化的価値観に深刻な影響をもたらすことが指摘されていた。それでもトライブ評議会は、配当金に集る者たちを正統な有資格者から区別する唯一の方法と確信して決定した。僅かに50年から60年遡るだけで、必然的にさまざまな問題が噴出するであろうと指摘されている。(注6)
 これまでに構成員資格の決定にDNA鑑定を導入しているのは、チュクチャンシだけではない。チュクチャンシが導入する直前に、ホゥチャンクの一人の若い女性に悲劇が起こっていた。


事例4:ホゥチャンク ネーション

DNAが血統を証明しなければならない。
   ――ホゥチャンク ネーション憲法第2条

 古老たちが「大きな声の人々」あるいは「聖なる言語の人々」とその意味を伝えるホゥチャンク人は、歴史的に、現在のウィスコンシンアイオワイリノイネブラスカサウスダコタ、そしてミネソタの諸州に跨って居住してきた。そのホゥチャンク ネーション(Ho-Chunk Nation=HN)――ウィネベイゴゥ(Winnebago) としても知られる――は、2009年5月6日に憲法第2条(構成員資格の要件)を修正し、冒頭の条項を盛り込んだ(同年6月20日に発効)。この項目の前に、構成員の他の二つの要件が明記されている。一つは、ホゥチャンクの血統で、1881年から1912年の間につくられた法に基づく人口調査簿や年金支給名簿に名前が載っているか、または載る権利のある者であること、そしてもう一つが、その名簿などに載っている人物の子孫であって、少なくとも4分の1のホゥチャンクの「血」すなわち血統を有する者であることである。さらに、HNは、2000年1月に追加された同条(d)項において、内務省長官に承認された同年3月以降、他のトライブに登録していた者の登録申請を受け付けないこととし、 この対象には上記の地域から歴史的に強制移住させられた人々の子孫で、今日ネブラスカ州に居住しているウィネベイゴゥ トライブも含まれている(注7)。こうした変更の目的は明らかに人口の抑制であり、構成員登録の決定にDNA鑑定を既に利用していたHNは、それを導入した全米で最初のトライブの一つとなっていた。
 2009年の憲法改正は、DNA鑑定の利用を初めて法制化したものであるが、HNのシーラ コービン(Sheila Corbine)司法長官は、構成員登録の基本は現在も「血の割合」であり、DNA鑑定はこれまでの方法を補足する目的で使われるにすぎない、すなわち、「誰がトライブのメンバーであるか否かについて噂や当てこすりがある」ため、DNA鑑定は「血統を証明」して、「血の割合」と同じ結果に到達するためだけに使われると説明している。彼女はさらに、「DNA鑑定は、構成員資格の争いを解決するのに役立ってきたし、それを行うのに非常に科学的で明快な方法である」とも述べている。
 2011年、2009年の憲法修正が、ホゥチャンクの一人の若い女性に悲劇をもたらすこととなった。当時20歳のダリア M. パウレス(Daria M. Powless)さんは、「生まれて2日目」からHN領内でホゥチャンクの祖母に育てられていた。彼女は、未婚の両親の間に生まれ、養子に出されるところを祖母に引き取られて育てられた。近年、「インディアンらしさ(Indianness)の表現」の一つとされているバスケットボールの選手として高校で頭角を現した彼女は、1部リーグのテキサス南大学にトライブの奨学金を受けて進 学したばかりであった。
 事の発端は、彼女が言う「本当に小さな事」であった。休暇で帰省していた彼女に、ある晩、彼女に妬みを抱いていたと思われる高校のチームメイトの祖母から電話があり、彼女が父親と思っていた男性は実の父親ではないと告げられた。パウレスさんの出生の秘密を知る3人のホゥチャンク構成員が、トライブに帰属する彼女の権利、市民資格に挑戦した。彼女は、進んでDNA試料を提出して父親との関係を証明することで、ホゥチャンクの4分の1の「血」の要件を満たせるものと信じていた。しかし、DNA鑑定の結果は、それまで父親と思ってきた人との生物遺伝学的な繋がりの確率は0.000% というものであった。この結果を理由に、HN総評議会は、彼女の除籍手続きを開始し、2011年9月17日に彼女の除籍を票決した。彼女は、HNにとって「十分にインディアンではない」とDNA鑑定によって判定されたわけである。
 言うまでもなく、パウレスさんが受けた心の傷は深かった。その上に、除籍で彼女にトライブから奨学金が届くことはなく、彼女は、1年分の授業料の借金を背負いながらテキサス南大学を退学しなければならなかった。授業料を完納するまで、彼女は、大学から在学と成績の証明書を発行してもらうこともできず、ウェイトレスとして働き始めた。(注8)
 生後20年間ずっと、先住民の祖母によって祖先の土地で、ホゥチャンク式の家で、ホゥチャンクの文化に浸って育てられ、コミュニティの一員として受け入れられてきたパウレスさんのアイデンティティがたった一つのDNA試験によって否定され、彼女の人生は変えられてしまった。しかし、生まれや血統についてDNA鑑定が望まれない結果をもたらすことは、インディアン領内において珍しいことではない。劣悪な家庭環境の中に生まれてくる幼児を祖母やおばたちが育てることは、よくあることである。また、インディアン社会では伝統的に、文化と養育が血縁と等しく重要視されてきた。「フリードメン」の場合もそうであったが、多くのトライブが部外者を養子として受け容れてきた。この事例は、先住民族社会の一員としてのアイデンティティを生物学的・遺伝的基準によって決めることの課題を浮かび上がらせている。


生物学的基準の危険性
 2010年6月3日には、チェロキー インディアンのイースタン バンド(The Eastern Band of Cherokee Indians)が、新規登録申請者に親子関係を証明するDNA鑑定結果の提出を条例で義務付けた(注9)。また、「フリードメン」として除籍対象とされているチェロキーやセミノールの「ブラック インディアン」の中には、自ら民間のDNA解析会社でDNA鑑定を受けて「インディアンらしさ」を証明しようとした人もいる。その結果自体の興味深い意味合いも含めて、それを論じることは、他日を期すしかない。
 インディアン トライブがトライブや個人のアイデンティティを何に求め、その権利を何に基づかせるのかという根幹の課題が存在する。 DNAという生物学的判定基準は、生物学的基準という点で「血の割合」基準の延長線上にある。「血の割合」あるいは血統による判定は、先住アメリカ人固有の伝統的方法ではなく、支配的社会の「ファンタジー」の適用であった。DNAは、それよりも確実に見える「科学的」方法ではあっても、科学的に究明されていない段階から20-21世紀の「ファンタジー」となりつつある(注10)。今日、DNA鑑定が証明できるのは親子関係までであり、特にそれは、トライブの伝統や文化的遺産との個人のつながりに関する情報は提供できない。DNAという生物学的指標を優先して、共有された文化や歴史の体験を二次的な基準にすることによって、トライブは人種主義的であるとの批判を受けることにもなるであろう。トールベアは、DNAへの過度の依存は、究極的には、トライブの政府自体が守ろうとしているアイデンティティと主権を損なってしまう危険性があると警告している(注11)。


(注 1)Kimberly Tallbear, "DNA, Blood, and Racializing the Tribe," Wicazo Sa Review, Vol. 18, No. 1 (Spring 2003), pp. 85-86. 他は省くが、彼女は、セシトゥン-ワーピトゥン オゥヤーテイ(SissetonWahpeton Oyate)トライブの一員で、科学のインディアンへの影響を研究している。
(注2)GPについては、本誌第184号・185号(2012 年5月・6月)の拙稿を参照されたい。
(注3)Faye Flam, "Sweeping DNA project aims to chart human history," U-T San Diego, Oct. 5, 2005.
(注 4)Kim Tallbear, "Narratives of Race and Indigeneity in the Genographic Project," Journal of Law, Medicine & Ethics, Fall 2007, pp. 419-421.
(注 5)Kim Tallbear, Native American DNA: Tribal Belonging and the False Promise of Genetic Science (Minneapolis, MN: UMP, 2013), pp. 165-168 and 174-176.
(注6)Linda Geddes, "Tribal wars: DNA testing divides American Indians" and "Editorial: DNA and the need to belong," New Scientist, Issue 2817 (15 June 2011); Carmen George, "Disenrollments continue at Chukchansi," The Sierra Star, Aug. 8, 2012; Kevin Taylor, "Bitter Fight to Determine Who Is an American Indian Turns to DNA Testing," ICTMN, Oct. 13, 2011. 他は省略。
(注7)The Constitution of the Ho-Chunk Nation.
(注8)Taylor(前掲); Geddes, "Tribal wars."
(注9)Cherokee Council House, "Ordinance No. 277 (2010)"; "Eastern Band of Cherokee Indians Enrollment Application."
(注10)Ellen Samuels, Fantasies of Identification: Disability, Gender, Race(New York, NY: NYU Press, 2014), esp. ch. 9.
(注11)Geddes, "Tribal wars."

          ~~~The End~~~