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AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

「アイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方」(その4)

 アイヌ民族のリーダーのお一人である、北海道アイヌ協会の加藤忠理事長は、「許せても忘れない」事実として、「小学校で血液を採られた」体験、遺伝人類学の「生きた材料」として扱われた体験を政府の公式会議の席で公言された。同氏は、標題の将来のアイヌ遺骨の分子人類学的研究のあり方を決める会議にも出てこられた。後者のラウンドテーブルの「中間まとめ」には、「倫理的検討委員会<仮称>」や「研究倫理的観点からの制度的枠組みの検討」が、今年度以降の検討課題に挙げられている。(昨晩、いわゆるIRB(機関評価委員会)の構成のあり方に関する動画にも出合っていたが、それを貼り込むのは控えておいた。)

 上述のような経緯を眺めていると、いくつもの疑問が湧いてくるのである。
①加藤理事長は、いつ、どこで、どのように血液を採取されたのだろうか。「小学校で」というのは、場所だけでなく、ご自身が小学生の時という意味だろうと解するが、そうすると、戦後のいわゆるアイヌ民族が「滅びゆく民族」と称されていた時期のことだろうと考える。「どのように」という疑問は、お一人で個人的にということではないだろうから、「滅びゆく」集団を対象として、採血がどんなふうに行われたのだろうかという疑問である。
②採血された人たちは、事前に採血と調査・研究の目的を説明されたのだろうか。
③研究によるアイヌ民族およびアイヌの個人への利益と不利益は、明瞭に説明されたのだろうか。
④調査・研究の成果は、アイヌ民族および被採血者に還元されたのだろうか。
⑤収集された血液は、どこに、どのような条件で(匿名化や暗号化されて?)保存されることになるのか説明されたのだろうか。また現在、どこに、どのような形で保存されているのかを知らされているのだろうか。
⑥採血に関する調査記録は、適切に保管されているのだろうか。
⑥将来の別の研究への利用はどのように進められるのか、説明を受けているのだろうか。その場合、各被験者への連絡および同意の取得は、誰がどのように行うことになっているのだろうか。
⑦加藤氏をはじめ、被採血者が死去した場合、保存されている血液と情報の扱いは、どのようになると説明されているのだろうか。
⑧現在または将来、加藤氏および他の被験者の遺族が研究への利用を拒否した場合、当該血液は返還してもらえるのだろうか。

etc., etc.

 実は、これらの疑問というか、課題は、遺骨(遺体)についてはラウンドテーブルでほとんど検討されているようである。同じような目的で収集された血液その他の人体組織についても、せっかくだから一緒にやってはいかがか? それとも、後に出てくるような、「アイヌの人々の起源」を明らかにしようとする研究であれば許せるのだろうか。

 また、前々回の作業部会でだったと思うが、文部科学省の担当者からは、いわゆる「象徴空間」でのアイヌ遺骨の研究材料化は行わないという趣旨の説明がなされていた。だから、アイヌ政策推進会議の決定を変えることができるだろうかということを指摘した記憶がある――あとで時間のある時に関連投稿を探す。それにもかかわらず、II(3)②には、「象徴空間において⼈⾻と副葬品を管理する管理運営主体においては、⼈⾻と副葬品の研究利⽤を⽬的とした持ち出しの適否の判断に当たって、委員会の結論を尊重することが期待される」という項目が挿入されている(p. 7)。「慰霊施設」からの「持ち出し」が考えられているということを明確に示している項目であるが、なるほど、「持ち出し」さえすれば、「象徴空間」で研究するということにはならないよな。頭の良い人の考えることは違う! そして、その「委員会」を構成するのは、アイヌ遺骨の研究材料化を国連の「権利宣言」第31条を濫用して了承させ/している人々ということになれば、この項目は、大きな問題を含んでいるのではないか。

☆2012年の記事(「Japanese “Gene Hunters”」)との関連で、またまたサンチョ パンザ氏が、わざわざ尾本惠市氏の著書、『分子人類学と日本人の起源』から引用する労を取って送ってこられた。(「もうやめる」と言っているのに、暗に「書け、書け」と言われているかのようである。)「2年前からの疑問」で言及した「大御所」というのはこの方なのであるが、同氏の血液採取に関する「成果報告」、「社会への還元」の一部である。

多数の遺伝子の特徴によりアイヌの人々の起源を明らかにしたいと考えたのです。そこで、北海道の日高地方に行き、教育委員会や医師会の許しをえて採血を含む野外調査をさせてもらいました。医師として採血を担当されたのは、当時まだ大学院生だった三沢章吾現筑波大学教授でした。…また、当時札幌におられた埴原和郎先生も、歯の研究のためにこの調査に参加されていました。私は、調査を終えて夕食後に一杯やるときなどに、折にふれて埴原先生と日本人の起源の問題について相当つっこんだ議論をしましたが、そのことは以後の私の研究に大いに役立ちました。

 太字による強調は追加したが、サンチョ パンザ氏も同じ箇所に注目している。

 「中間まとめ」には、学術資料の妥当性について、次のように書かれている。

ⅳ)収集経緯が不明確であるものや、時代性や埋葬地に関する情報を⽋如するものや、資料の正確性を担保する基本的データ(例えば、発掘調査時の実測図、写真、出⼟状態の記載)が⽋如するもの。そのほか、調査⾏為⾃体に研究倫理の観点からみて学術資料として活⽤することに問題を含むもの。(pp. 6-7)

 上記の一連の疑問に続くもう一つの疑問である。
⑨加藤理事長たちから採取された血液標本は、「研究倫理の観点からみて学術資料として活⽤することに問題」はないのであろうか。

 上記の「Japanese “Gene Hunters”」の関連である。
事後説明のみか?――平取町での「説明」
参加同意撤回の権利―ヘルシンキ宣言/尾本惠市「先住民族と人権」

P.S.(06.12, 0:35):ブログをやっていて、時々おもしろいことに出合う。こちらは特に誰を相手にと考えずに書いていることでも、自分へのメッセージと受け取ってしまう読者が時々現れる。熱心に読んでくれてコメントやメールを送ってくれる読者に、そういう傾向が比較的強いみたいである。