AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

「国際生物学事業計画」(International Biological Program)(w/ P.S. 2つ)

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 少し間を飛ばす感じであるが、こちらの続きである。

 こちらで部分的に借用した『先住民族の10年News』第159号(2009年11月)掲載稿の冒頭部分である。

6.有識者懇談会「報告書」(続き)
(3)「歴史的経緯」から除外された歴史への疑問

 「報告書」を前から読んでいくと、早くも最初の「今に至る歴史的経緯」で落胆させられてしまう。この「歴史」は、誰に向けて書かれているのであろうか。どうも中学・高校生レベルに照準を合わせて書いているように思えるが、学校教育でアイヌ民族の歴史を学ぶ機会がなく、それについてほとんど知識のない政治家や官僚に向けて分かりやすく書いているのであろうか。
 この国の学校での歴史教育が、考古学的な時代から始まって、明治・大正時代、あるいは昭和の初期までくると学年が終わり、生徒たちは現代史を学ぶ機会がないままに「歴史教育」を「修了」するという、筆者自身も経験してきた「歴史」授業のあり方そのものである。現代のアイヌ政策史およびアイヌ・「和人」関係史は次の章で扱われているのかと思って読み進むと、そうではない。以降、どこにもないのである。「歴史的経緯」は、昭和の初めで終わっており、その後のアイヌ民族と「和人」の関係史はない。「今に至」っていないのである。明治終盤から大正にかけて「民族意識の高揚」が見られ、昭和に入ると、様々なアイヌ組織が活動を始めたところで「歴史的経緯」は終わる(16-17ページ)。
 「民族意識の高揚」や「活動」は、その後どうなったのであろうか。戦前・戦中の国策は、それにどのような影響を与えたのか。アジア・太平洋戦争での「臣民」としての動員、「すべての植民地」の放棄と新憲法によって皆同じ「国民」となり、「単一民族国家」のイデオロギーの陰でアイヌ民族が消されてしまってきた「歴史」は存在しないのか、また、それを「現時点での知見に基づき」(2ページ)どう評価するのか。その国家観がアイヌ民族の「文化」や「国民の理解」にどのような影響を及ぼしてきたのか。「法的には等しく国民でありながらも差別され」(22ページ:2008年「国会決議」)ていた例として、1970年代まで「旧土人」と記載される戸籍が閲覧可能になっていたり、1997年まで北海道旧土人保護法が存在していたにも拘わらず、その事実と意味についても本文では何も触れられていない。「報告書」を読みながら自然と湧き出てくる数々のこのような疑問を、「有識者」たちは何も懇談しなかったのであろうか。
 昭和、特に戦後のアイヌ民族の歴史は、学校教育でも社会教育でも「国民」には教えないのであろうか。なぜか? これまで多くの有力政治家たちが繰り返してきたように、同化が完了したと見ているからであろうか。昭和についての沈黙の意図と理由は、何であろうか。記述を中途半端な長さにすれば、不十分な記述になることは明らかである。歴史学の成果も無視して、単に「報告書」の後半、すなわち今日のアイヌ政策のあり方への導入のための「経緯」であれば、なぜ権利回復につながる「経緯」にもっと光を当てないのか。

 第25回「政策推進作業部会」で政府のILOへの報告が言及されていたが、戦後、政府の公式見解は「アイヌ民族不在」であった。それを押さえておかないと、野村義一氏が国連「私は決して幽霊ではありません」と演説した歴史的背景を理解することはできない。(こちらも参照されたい。)

 国際的には、1957年にILO 107号条約が採択されていたが(本ブログではここで言及している)、その前提は「先住民集団(indigenous populations)」は産業国家に統合される運命にあり、またそれが幸せなのであるというものであった。
 この時代に、「消えゆく」先住民たちが消えてしまう前に、その生物学的標本を早急に収集してしまおうという国際的プロジェクトが登場した。このところの血液採取の記事で「国際的プロジェクト」と言及してきた「国際生物学事業計画(International Biological Program:IBP)である。リンク先のWikipedia記事にあるように、IBPは「ビッグサイエンス」を環境・生態系の喫緊の課題の研究に応用しようとして、1964-74年の冷戦期に行われた大規模な国際研究プロジェクトであった。
 IBPは7つのプログラム領域から構成され、手遅れになる前に生物圏の貴重な遺伝資源を保存することを主眼としていた。もちろん、これを可能にしたのが、冷凍と輸送の技術の進歩であった*1。その7つの領域のうちの1つに「ヒトの適応能力(Human Adaptability: HA)」というプログラムがあった。これは、7つのプログラム領域のうち、人類(ヒト)を対象とする唯一のものであり、ヒトと環境の関係を当時および将来的に研究するために、「消滅しつつある」ヒト集団の人体組織を保存するという、世界的にコーディネートされた初の試みの一つであった。このIBPは、ヒト生物学、生物人類学、ヒト集団遺伝学において今日まで受け継がれてきた研究のあり方に多大の影響を及ぼしたと評価されている。
 先に紹介したオーストラリアとアメリカの血液標本の事例は、IBPのHAによって収集された先住民集団からの血液の「余生」の物語の一部であった。そして、これまでに言及した尾本惠市氏による「アイヌの遺伝的起源」の研究のためのアイヌからの血液採取も、IBPの一環であった。(過日、読者から送って戴いた引用文による。)

一九六六年に始まった国際生物学事業(IBP)という世界規模のプロジェクトのもとで、文部省の科学研究費の補助によって、日本人の様々な集団の遺伝的多型を検査する機会が与えられたのです。(『分子人類学と日本人の起源』、p. 39)

 開始年は、1964年のはずだが・・・。

実は、昨夜遅く書き上げていたのだが、投稿は見合わせていた。まだ続くかなー?

P.S. #2(06.20, 0:30):『二つの風の谷』
 この記事のP.S. #3で言及していたら、読者のお一人が関連箇所のコピー(pp. 80-99)を送って下さった。ずい分前に読んでいた本であり、また、このブログの別の読者とは何度となく話題に上った本でもある。

 昼間、送って戴いた部分を再読した――深い感慨とある種の悲しみをもって。20年前にこの本を書いた著者さんは、今どこで何をしておられるのやら・・・。偉くなられて、どこか遠くへ行ってしまったと、風が便りを運んでくる。

 高校生の頃、「彼女は、昔の彼女ではない」という英作文問題(あるいは文法問題)があった。She is not what she used to be. 生物学的には、今日のワタシは、もう昨日のワタシではない。著者さんは、細胞の代謝がとても速い、若々しいお方のようである。それに比べて、昔のままの私は、細胞が代謝を止めてしまった――もちろん比喩ではあるが――化石か「古人骨」のような存在か。

 せっかく送って戴いたから、近いうちに関連部分を紹介したいと思う。

*1:こちらこちらを参照されたい。