AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

もう1つの選挙:「70億人のための1人」(北海道ウタリ協会と次期国連事務総長候補者の微かな接点)

 二十四歳で体験し得ることは全て体験して(それも容易なことではなかったが)、ベロニカは、全てが死で終わると信じていた。だから彼女は自殺を選んだ。ついに自由の身になるために。永遠の忘却だ。(p.15)

 今まで生きてきて、ベロニカは、彼女の知っている多くの人が、他人の人生の恐怖について心配そうに話しながらも、本当は、他人の苦しみを楽しんでいることに気づいてきた。自分たちは幸せで、自分の人生は喜ばしいものだと思えるからだ。彼女はそんな人たちが大嫌いで・・・。(p. 39)

 多量の睡眠薬を飲み、眠りに入るのを待つ間に彼女は、コンピューター関係の雑誌を読み始める。そしてあるジャーナリストの記事が「スロベニアはどこにあるのか?」という質問で始まっていることに馬鹿々々しい怒りを覚え、その雑誌宛てに、本当の理由ではなかったが、「スロベニアを世界に知らしめるために自殺する」(p. 100)という手紙を書き始める。
 意識を失った後、一命を取り留めて目覚めた場所が精神病院のヴィレットで、そこから物語の実質的な部分が始まる。ベロニカの国は、先月24日に独立25周年を迎えたスロベニアであり、彼女が住んでいた街がリュブリャーナである。

 読者は突然何を書こうとしているのだろうと思われたかもしれないが、以前取り上げたことがある『アルケミスト』が面白かったので読んでいて、ちょうど今、半分くらいまで読み終えたパウロ・コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』(角川書店、2003年=文庫版)の話である。*1

 先に投稿しようと考えていたが後回しにすることにした「オカの危機」をめぐる国連外交のエピソードには登場していないけれども、当時、国連の差別防止・少数者保護小委員会(人権小委員会)の委員であり、先住民に関する国連作業部会(UNWGIP)の5人の委員の1人でもあった人物が、私には忘れられない存在として記憶されている。彼は、ダイス議長を支える非常に優秀な――議場での発言から私にはそう思われた――若き委員の一人でもあった。WGIP会合の短い休憩時間中に議場で何度か「アイヌ民族」について話をした――いわゆる「ロビーイング」という活動である*2。もちろん彼の方には私の記憶などまったく残っていないだろうが、もしかしたらアイヌ民族のことは記憶の片隅に、針の先ほどに小さな点かもしれないが、存在しているかもしれない。彼の名は、ダニーロ トュルク(Danilo Turk)*3。これも偶然なのかもしれないが――先に「オカの危機」に関する投稿をしないと「偶然」の意味が薄れるのかもしれないけれど――彼こそ別の方法で「スロベニアを世界に知らしめるために」行動してきた人物と言えるかもしれない。

 トュルク氏は、今年末で任期が切れるパン ギムン国連事務総長の次期候補として立候補している9人の候補者の一人である*4。彼に関するウィキペディアの記事からも分かるだろうが、これまで彼は世界の数多くの国々から尊敬を集め、顕彰されている。この記事を見る限りでは、そのリストの中に日本は載っていない。日本政府とスロベニアとの関係を私は詳しくは知らないが、日本からは、もしかしたら、「スロベニアはどこにあるのか?」という程度の関心対象なのであろうか。

 ユーゴスラヴィアからの人権小委員会委員であった頃(1986年~92年)、トュルク氏はリュブリャーナ大学の国際法の教授だった。彼は、1987年にスロベニアで人権評議会の設立を開始し、92年までその副議長を務めていた。1990-91年にはスロベニア憲法の人権に関する部分の共同起草者でもあった。しかし、ユーゴスラヴィア紛争が彼の人生を大きく変えたようであった。「先住民(族)の国際年」に人権小委員会で彼の姿を見ることはなかった。

 人権小委員会を去った1992年から2000年まで、トュルク氏はニューヨークのスロベニア国連代表部への初代大使を務め、その在任中にスロベニア国連安全保障理事会の理事国への選挙を勝ち取り(1998-99年)、自身も1998年8月と1999年11月に同理事会の議長となった。2000年~2005年には、コフィ アナン事務総長の下で政治問題担当の事務次長補を務めた。

 2005年に彼はスロベニアに戻り、再び教授職に就いた。2006年5月から2007年12月までリュブリャーナ大学法学部の副学部長を務め、この間を含めて、彼には国際法に関する多数の論文や著書がある。

 2007年11月の大統領選の決選投票で勝利を収めたトュルク氏は、同年12月にスロベニア第3代大統領に就任した*5。(こちらも参照されたい。)彼は、2012年に再選を求めたが、落選した。

 さて、国連事務総長選挙に立候補している9人中、東欧からの候補者は7人だそうである。果たして、「70億人のための1人」が誰になるのか。興味は尽きない。

これまで1度も事務総長を輩出していない地域がある。それが東欧グループである。東欧グループは東西冷戦の中で旧共産圏の国々が中心となって作られた地域グループだが、他の地域と比較すると加盟国数が少なく、安保理常任理事国議席も1つしかない。また、東欧地域ではロシアの影響力が強く、ロシアが推薦する候補者に対してアメリカなどが反対するといった状況もあり、事務総長を輩出する機会を得ることがなかった。

しかし、冷戦が終わってから25年以上経ち、多くの国がEUに加盟する状況で、ロシアの影響力も低下し、市場経済や民主主義が根付いてきたこと、また国際機関で活躍する人物が増えてきたことなどから、今回は東欧グループから選出されるということが概ねの了解になっている。そのため、現在候補として挙がっている9人のうち、7人が東欧グループに属する国の出身である。

国連「事務総長選挙」に注目せよ(上)「密室」から「公開」へと脱皮

P.S.(13:59):時々、アクセス記録によって忘れていた過去の記事の存在を思い出させられることがある。今日は、どなたかがこの記事にアクセスしていた。選挙の日だなと思う。
 また1票が死票になるのかと思うと、この暑い中、投票に行くのが億劫になってくる。"Rational Voter"の理論を思い出す。
 当選しないかもしれないが、最下位争いに勝てるように行くとするか。

P.S. #2(23:30):10代は自公に過半数 時事出口
 こんなものだろうと思っていた。何しろ、10年くらい前から共和党と共産党の違いさえ分からない大学生が増えていたくらいだから。

P.S. #3国連における予測というか噂では、次期事務総長は女性だろうということのようだけど、どうなるかな?

P.S. #4(07.14):ドイツとイギリスの首相が女性で、秋にアメリカで女性大統領が誕生し、さらに国連事務総長に女性が選出されるかもしれない。

*1:近頃、送られてくるメールやブログのメッセージに「憂鬱」という言葉が増えている。私自身も、最近ある方に宛てて書いてしまった。同書には、精神病院の院長であるイゴール博士が登場する。彼は、「憂鬱」を引き起こす原因物質として彼が命名したヴィトリオルとその特効薬を発見して歴史に名を残すために研究を続けている(pp. 105-113)。ここから先は、未読である。

*2:いかに日本政府代表が頓珍漢な発言をしているかというような話だったかもしれない。まだ理事長や副理事長が日本政府の懐に深く抱かれて代表団の一員として出席していない時代のことである。

*3:当時私が書いた報告にも、彼の名前――「ダニロ トゥルク」と記載していたと思う――は登場しているはずである。

*4:Cf. 「次期国連事務総長選挙戦、本格化へ」「史上初、次期国連事務総長候補9名との公開面談」

*5:北海道アイヌ協会は、祝辞でも送っただろうか?