AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

随想

 北海道の人から「暑いですね」とメールが来ると、やや戸惑って、「そうですね」というより「そうですか」と返しそうになる。でも、最近は北海道や東北でも暑くなっているようだし、人の体には慣れというものもあることだから、素直に「暑いですね」と返そう。

 昨日(27日)のニュースに、「クウェートで気温54度=東半球の最高か、WMO調査」時事通信)というのが出ていた。私が体験した最高気温は中東と太平洋の2か所で40℃というもので、50℃超など完全に想像を絶する。

 ということで、先日取り上げたコエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』の中から2件取り上げようとしていたのだが、1つ目がちょうどつながることになった。

 ベロニカが廊下の壁にかかっている昔の写真に気づいて考える場面である(pp. 114-115)。不要かもしれないが、やや長めに引用する。強調は、追加。

 一九一〇年の夏。子供も孫もすでに死んでいる人たちがそこにいて、人生のある瞬間に止まっていた。女たちは大きく広がったドレスを着て、男たちはみな、帽子とジャケットとゲートルとネクタイ(狂人たちにとっては、ただの色のついた布だが)を身につけて、片手に傘を持っていた。
 その時はどれくらい暑かったんだろう? 気温は、現在の夏とそんなに変わらなかっただろう。日陰で三五度ってところか。もしイギリス人が、その暑さにより適した服装――バミューダ・パンツと半袖シャツ――で立っていたら、その人たちはどう思っただろう?
「あの人、おかしいんじゃないの」

 彼女はイゴール博士の言ったことを完全に理解していた。いつでも愛され、守られているとは感じていたけど、その愛をありがたいものに変えるために一つだけ欠けていたものがあることを理解したように。彼女はもっと狂人になるべきだった。

 背広とネクタイにまつわる個人的なエピソードはいくつもあるが、ここではそれを語るのが目的ではなく、大英帝国の世界への影響の深さを考える一つの材料として取り上げておきたい。必ずしも押しつけられたものというより、(意識的、無意識的に、)服装文化を導入した側の動機や考慮を考えてみるのも面白いだろう。(ずっと昔に読んだInstitutional Racism in Americaでは、うしろの方でracismとヘアスタイルや服装との関係が論じられていたと記憶している。)

 上の部分を読んで少し後、ここで「スーツで農業 若者のプライド」という『河北新報』の記事を読んだ。まだそれほど日は経っていないが、今はもう存在していないので探したら、こちら(「<道しるべ探して>スーツ農業 貫く自分流」)で、まだ読むことができる。

 常に着用ということではなく、田植えや稲刈りの時だけのようだから、「何か考えがあってのこと。思い立ったらやってみるのが若者の特権さ」ということで、農業復興に頑張っている若者にエールを送っておこうと思うが、近ごろは8月に稲刈りを済ませてしまっているところも多い九州とか、四国や沖縄などの南の地方では、若いうちはいいかもしれないが、農作業中にバタバタと倒れる人が出てくるかもしれない。それに、機能的にもどうなのかな。カッコ良さは時代と文化を超えて異なるが、都会の人間の価値観に沿った「格好いいイメージ」を追い求めて同化することもないだろう、田舎には田舎の風土に合ったカッコよさがあるとも思うのだが、まぁそこは「若者の特権」として試してみるのも良いだろう。Do as you like.

 『ベロニカは・・・・』からの2つめは――こちらがこの投稿のメインの話題につながるのであるが――読みながら、いつかどこかで取り上げたことがあると思った映画である。
 前に取り上げた弁護士のマリーは、「官僚主義や訴訟と戦うのに疲れていて、自分たちが生み出したわけでもない問題を解決しようと一生涯がんばってきた人たちを救うことはできずにいた」(p. 139)と考えていて、「退屈で際限のない弁護士の仕事を辞めて、残された人生を、どこかの人道的な機関で働いて過ごしたいと思っていた」(p. 138)。その彼女は、「エル・サルバドルの貧困を描いたフィルム」を映画館で見ている最中にパニック症状に襲われ、それがきっかけでヴィレットに入ることになったのだが、それによって職も夫も失うことになった。
 ヴィレットを出ていくことを決心したマリーとイゴール博士のやり取りである。

「きみはどうするのかね?」
「エル・サルバドルへ行って、そこの子供たちと一緒に働くわ」
そんなに遠くまで行かなくてもいいんだ。サラエボはここから二〇〇キロしか離れてないよ。戦争は終わったかもしれないけど、まだ問題は続いてるから」
「なら、サラエボへ行くわ」
(p. 209)

 マリーが観た映画は、O. ストーン監督の"Salvador"だろう。この映画が作られる前、1980年代の前半、私は受け持っていた授業の中でアメリカ人の学生たちとアメリカ政府の中米政策を議論し合っていた。学生は、ROTCの1年生や2年生から60代のベトナム退役軍人まで多彩だった。
「人民の名において――エル サルバドルの内戦」へ。

続き。

P.S.(07.29):通常、金曜日はアクセスが比較的少ないのだが、今日はup! 多分、1つ前の安室さんの曲のおかげだろう。

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