AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

ホーシャラガ ロックとマギル大学、そしてチーフ ドナコナとジャック カルティエ(w/ 3 postscripts)

 9月22日にガナワーゲのモゥホーク評議会からプレスリリースが届いた。その日のうちにここで紹介しようと思ったのだが、最近取り上げて来たトピックスの方を優先した。(とうとう8本連続で海外情報を投稿するというブログタイトルからの「脱線」となってしまった。読者がどちらの情報をより必要としているのか分からないが、かつてはAgainst the Windの方がアクセス数が多かったと思う。)

 プレスリリースの内容は、現地の22日にホーシャラガ ロック(Hochelaga Rock)をモントリオールマギル大学(McGill Univ.)キャンパスの新しい場所に移動する式典が行われ、それにグランド チーフたちが出席するというものであり、さらに、ガナワーゲのコミュニティ向けにホーシャラガ ロック(以下、ロックと略す)に関する短い解説が付け加えられていた。

 ロックは、カナダの国立公園管理機関であるパークス カナダ(Parks Canada)によって、現在マギル大学が存在している土地に存在していたイロクォイ人の村を記念して、1925年に建立された。ロックには、その旨が記された銘板が付いている(下の映像を参照)。
 ロックが元あった場所は交通量が少なく、それが持つ教育と記念という目的を果たすには不適切だという声が挙がっていた。最初の移転が2012年に提案されたが、資金や法的な問題(公園管理当局に所有権)を理由に進展していなかった*1。ロックは、この度、大学の正門近くに移動された。
 「私たちは、私たちの歴史を知っている。この場所への移動で、現在と未来の学生たちがはるかに高い確率で立ち止まって、 Tiohtià:ke(イロクォイの言葉で「モントリオール」の意味)の歴史的現実の認識を得ることになる。」

 映像を貼り込んでおく。9月28日の公開で、まだ56回の視聴である。
Hochelaga Rock commemoration ceremony by McGill University posted by KahnawakeTV

 まだかなり長くなりそうなので、後日に続ける。12日までには終えたい理由がある。

P.S.:ここまで書いて投稿した直後に、モゥホークの親友からメッセージが届いた!「カナセターケ:270年の抵抗」で感動的なスピーチをしていた(当時は若かった)エレン ゲイブリエルさんが素晴らしいスピーチを行ったけれど、上の映像には収められていないそうである。その地はハゥデノショーニの土地であるが、現行のインディアン法では評議会によって請求できないことになっていると述べたからではないかと、友は推測している。恐らく近いうちにどこかに映像が出るだろう。

 最後に書こうと思っていたのだが、ついでだから今書いておく。前にも書いたことがある。北海道大学の所在地には、アイヌ民族のコタンはなかったのだろうか。

 この投稿の行きつくところも先に書いておく。

 来る10月12日には、フランスでチーフ ドナコナを慰霊する式典が行われる。チーフ ドナコナは、フランス人探検家のジャック カルティエに拉致されてフランスへ連れ帰られた。チーフは帰還することなく、3年後に死亡した。
Jacques Cartier - Mini Biography posted by BIO

The Expeditions of Jacques Cartier posted by Omar Al-khayyam Andes

P.S. #2(10.08):
 マギル大学モントリオール先住民族社会の関係者が集った式典では、先住民族研究と先住民族教育に関するプロヴォスト(Provost:学務担当副総長)のタスクフォース(TF)の始動が公式に発表された。TFは、マギル大学の学生と教職員の中に先住民の存在を拡大し、地元およびカナダ中の先住民社会との関係を拡張するという、プロヴォストのクリストファー マンフレディ氏の長期目標の一部である。先住民族の「存在」拡大の一環として、大学の創設者、ジェイムズ マギルの像の真向かいにロックは移転された。

 TF設置の構想は、カナダの「真実と和解諮問委員会」の行動要請に鼓舞されて、またTFは、それを超える使命をもっている。TFは、2つの中核となるテーマをもっている。すなわち、先住民族の歴史、今日の存在、そして知り・学ぶ方法の承認、そしてもう一つは、具体的には不正義の歴史的遺産に取り組み、先住諸民族との関係を回復することを目的とする教育的・制度的努力による和解である。マンフレディ副総長はTFが焦点を絞って取り組む5つの課題の概要を述べているが、省略する。(北大の何とかセンターの教職員と学生には参考になるかもしれない。)TFはこれから報告書を作成し、最終報告は2017年秋に一般に公開される。

 ロックの銘板には、次のように刻まれている。「ここの近くに、1535年にジャック カルティエによって訪問され、1600年より前に放棄されたホーシャラガの要塞化された町の所在地があった。そこには、1軒に耕作と漁業によって暮らす数家族が居住する50軒の大きな家屋があった。」ホーシャラガは、推定3,000人のイロクォイ人の郷里であったが、その実際の所在は不明のままである。

 ロックの移動の提案者で、ソーシャルワーク学部の教員で最近退職したガナワーゲのモゥホーク社会の一員でもあるマイケル ロフト氏(上の映像に登場している)は、この日が訪れたことが信じられない述べた。ロフト氏は、銘板に刻まれていない歴史の教訓を短く語る中で、カルティエと彼の部下たちに食料と住まいを提供し、大西洋の長い航海中に病気を患った人々の治療を手伝ったりして、カルティエたちがカナダでの最初の過酷な冬を生き延びることをイロクォイ人が助けた際の努力について語った。彼は、古き時代の出会いを認めることで、その当時に存在した「受容と親善のより大きな物語を強調している」のであると述べた。彼は、「真実と和解の委員会」の観点から見て、ほぼ5世紀前のこの運命的な出会いは、誰もが将来に辿るべき青写真であるべきだと述べた。「物語の大きな部分は、当時の先住民たちが行ったこと、あの親切な行為である。私たちは、その物語を忘れてはならない。」「それは、癒しの物語である。」

 アーティストで人権活動家でもあるエレン ゲイブリエルさんは、マギル大学の最近の積極的行動を称賛しながらも、将来に困難なことが生じても今日の親善が維持されなければならないと注意を促した。上から3つ目の写真の下のキャプションに記されているが、彼女は、「真の和解が存在するには、そしてマギルがその和解の一部となり得るには、返還・賠償(restitution)が存在する必要があり、援助と理解と思いやりが存在する必要がある」とも述べた。(上述のように、モゥホークの土地や資源に言及したものと思われる。)
 さらに彼女は、次のように述べた。「先住民族の教授法と方法論がいかなる先住民族研究にも、あるいはいかなる種類のタスクフォースにも組み入れられる必要があります。それは、この大学とマギルに存在するすべての学部にわたって振り撒かれるべきです。なぜなら、私たちの方法論は土地に基づいていて、私たちの方法論は、私たちのアイデンティティのように、土地に基づいているからです。大学のこの部分がここがロングハウスの民(the People of the Longhouse、イロクォイ人の意)の土地であると承認するのを見るのは素晴らしいことです。ここは、私たちの土地です。私たちは、今日そうし続けているように、多くの他の民族・国々をこの素晴らしい島に歓迎しました。」

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エレン ゲイブリエルさん。向かって一番右の紫色の旗は、ハゥデノショーニ(イロクォイ連邦)の旗。(写真は、下の3つ目の記事より。)

参照記事:
Professor Michael Loft’s campaign to move the Hochelaga Rock
McGill to launch Task Force on Indigenous Studies and Education
McGill Reporterの9月26日記事:Community helps launch Indigenous task force

P.S. #3(10.08):
 カナダの小学校の教材(Cartier and Donnacona)にあるカルティエとドナコナについての解説。

In the summer of 1534, Jacques Cartier, sailing under the flag of France, explored Canada's eastern coasts in search of a north west passage to the precious riches of Asia. He travelled up the Gulf of the St. Lawrence and, at what's now called Baie des Chaleurs, met the Micmac with whom he traded objects for furs. Cartier continued his journey, and took possession of the territory in the name of France. He planted a cross at Gaspé, which angered the Iroquois chief Donnacona. Donnacona nevertheless allowed Cartier to continue the journey, the explorer taking Donnacona's two sons, whom he took back to France for the winter of 1534-35.


Donnacona's sons told Cartier about a river leading into the territory he had been exploring. Cartier organized a second expedition in 1535, during which he went to Stadacona (Quebec) to revisit Donnacona. He then made his way towards Hochelaga (Montreal) where he met other Iroquois. Cartier returned to Stadacona to spend the winter in a small fort built by his men. The harsh winter took a terrible toll. Most of Cartier's 110 men came down with scurvy, and 25 of them died. Donnacona's sons prepared a tea made from cedar bark, restoring the men to health.


In the spring of 1536, Cartier returned to France. He took Donnacona and nine other members of his tribe, promising the people of Stadacona he'd bring their chief back within 12 moons. Donnacona made a huge sensation in France, where he recounted the marvels of a mythical country, the Saguenay. But Cartier couldn't keep his promise. Without sufficient funding, he didn't return to Canada until 1541 - and then, without the Iroquois chief, who had died in France.