AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

カナダ国名と州・準州名の起源~「北海道150年」の前に

 昨夜、ここに貼り込んだチーフ ドナコナとジャック カルティエに関する2本の映像を再び見ながら、カナダの国名の起源について語られていることに注目した。思えば、私たちの世代はアメリゴ ヴェスプッチとアメリカという名称の関係については学校で習ってきたが、カナダの国名の由来については習った記憶がない。そもそも、カナダについての知識や情報が極めて少なかったし、今も相対的にそうである。

 先日、「米国50州の名称の起源」について書いたので、カナダの国名と州・準州名についても少し書いておく。

 カナダの国名の起源は、上述の2つ目(全体では3つ目)の映像の4:20~4:30あたりで、次のように記されている。

1534年にフランスへ戻る航海の途中、カルティエは、Dom AgayaとTaignoagnyという2人の先住民の息子たちから、スタダコナ(Stadacona)(今日のケベック)の彼らの父親の村が"kanata"(カナタ)と呼ばれていると教わった。カルティエは、恐らくチーフ ドナコナのトライブに属するその土地を記す目的で、その名"Kanata"を彼の海図と地図に書き記した。これが"Canada"の名前、そしてそれによってその国が知られるようになる名前の最初の記録に残る使用であった。

 そして、この話は今日、カナダ政府のサイトの「"Canada"の名称の起源」(Origin of the name "Canada")のページに明記されている。

Aboriginal roots

The name “Canada” likely comes from the Huron-Iroquois word “kanata,” meaning “village” or “settlement.” In 1535, two Aboriginal youths told French explorer Jacques Cartier about the route to kanata; they were actually referring to the village of Stadacona, the site of the present-day City of Québec. For lack of another name, Cartier used the word “Canada” to describe not only the village, but the entire area controlled by its chief, Donnacona.

The name was soon applied to a much larger area; maps in 1547 designated everything north of the St. Lawrence River as Canada. Cartier also called the St. Lawrence River the “rivière du Canada,” a name used until the early 1600s. By 1616, although the entire region was known as New France, the area along the great river of Canada and the Gulf of St. Lawrence was still called Canada.

Soon explorers and fur traders opened up territory to the west and to the south, and the area known as Canada grew. In the early 1700s, the name referred to all French lands in what is now the American Midwest and as far south as present-day Louisiana.

The first use of Canada as an official name came in 1791, when the Province of Quebec was divided into the colonies of Upper Canada and Lower Canada. In 1841, the two colonies were united under one name, the Province of Canada.

 同じページに、「国の命名」として、次のように書かれているのが面白い。

The naming of a nation

Leading up to the proposed confederation, a number of names were suggested for the northern half of the continent of North America, including: Albertsland, Albionora, Borealia, Britannia, Cabotia, Colonia, Efisga, Hochelaga, Norland, Superior, Transatlantia, Tuponia, and Victorialand.

The debate was placed in perspective by Thomas D’Arcy McGee, who declared on February 9, 1865:

“I read in one newspaper not less than a dozen attempts to derive a new name. One individual chooses Tuponia and another Hochelaga as a suitable name for the new nationality. Now I ask any honourable member of this House how he would feel if he woke up some fine morning and found himself instead of a Canadian, a Tuponian or a Hochelagander.

Fortunately for posterity, McGee’s wit and reasoning – along with common sense – prevailed, and on July 1, 1867, the provinces of Canada, Nova Scotia, and New Brunswick became “one Dominion under the name of Canada.”

 さて、ここからアイヌ政策の話につながないといけないだろう。北海道アイヌ協会の加藤理事長が「2度おいしい」と絶賛した特製ランチの記事の追記で、このように書いた。

[松浦武四郎]は「6つの道名候補をあげ」たにすぎない。誰(どの機関)が、どういうプロセスを経て命名の最終決定を行ったのか。それは、アイヌ民族先住民族の権利との関係でどのような意味合いを含んでいるのか。

 実は、正直なところ、私もその名称決定過程の詳細は知らない。和人の植民地行政と政府の高い権威のところで決定され、そこにアイヌの代表は入っていなかっただろうということは推測される。
 それで、明治期の「北海道」の歴史に詳しい方にお尋ねしたのだが、意外や意外、名称決定が開拓使の立ち上げ前だったから詳しい資料が残されていないようで、どの研究者もこの決定過程に言及していないのではないかというお返事を戴いた。
 もちろん、どこかにそのことを研究した人がいるかもしれない。(数日前、6年くらい前に訳出しようかと考えたアメリカ先住民族史関係の文献にもう一度取り掛かろうかと思いながら、その前に、もしかしたらこの国でも一人くらいその歴史文書を取り上げている研究者がいるのではないかと思って検索したら、いたいた、たった一人、東京の某大学の先生が1本だけその文書についての論文を書いていた。だから、命名過程についても、研究した人がどこかにいるかもしれない。)しかし、「北海道150年」だと騒ぎ始めている道知事と道庁のお役人さんたちは、その過程の詳細を把握しているのだろうか。把握しているのであれば、道庁のホームページにでも公表したらどうだろうか。分からないのであれば、2018年になる前に、公文書館図書館で資料を探し出しておく方が良くはないか? それから、もちろん称えるべきは松浦武四郎ではないはずである。

 さて、カナダの州名と準州名についても触れておく。カナダには10の州(province)と3つの準州(territory)があることは、このブログの読者には改めて書く必要はないだろうが、そのうち、その名が先住民族の言葉を由来とする州・準州は、オンタリオケベック、マニトバ、サスカチュワンユーコン、ヌナブトの6つである。(出典:Origin of the names of Canada and its provinces and territories

 フランスの式典から戻った友人に尋ねてみた。カルティエに拉致されて故郷に戻ることなく異国の地で亡くなったチーフ ドナコナと他の同胞たちの遺骨はどうなったのか、今どこにあるのかと。返ってきた答えは、彼らがどこに埋葬されたかの記録がないとのことだった。彼の友人たちも、Wikipediaに出ている情報くらいしかチーフ ドナコナについては分かっていないらしく、「深い調査」をする必要があると、彼は言っている。

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