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AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

和解

 時々、はてなブログ事務局から、1年前、2年前などの過去の記事を振り返ってみませんかという通知メールが入る。ちょうど区切りの良い過去ではないが、4年近く前に Against the Wind「和解」について書いたことがある。

◎追記9(2012/12/21, 0:00):

■和解

 冒頭のジョン レノンの歌の最後に、"An eye for an eye will make us all blind" (「目には目を」は、私たち皆を盲目にする)というマハトマ ガンディーの言葉が出てくる。紛争や諍いに満ちた世の中。それを乗り越えて、いかに「赦し(緩し)」や「和解」に到達することができるのか。人類社会の大きな課題である。

 「人類社会」などと大きく構えなくとも、個人同士や家族の間でも「和解」は重要な課題である。今ちょうど半分くらいまで読んだ本に、こんな件があった。入力の時間を省くためにも最小限にしたいのだが、やや長くなる。

自分が赦されている、赦し、赦されている、と感じる中で死を迎えることができると、やすらかな死を迎えやすい。自分は赦されていない、恨みの刺(トゲ)の中で死を迎えなければならないと感じる時、やすらかな死となりにくい。生きている時も心のわだかまりはあるけれど、死を前にすると、そのわだかまりがくっきりと浮かんでくる。満潮の時は海水で見えなかった不協和の岩が、干潮の時、その姿を現すのに似ていて、死の時は干潮。憎しみ、怒り、不安の刺ではなくタンポポ綿毛で心が守られているなら、死に向かう人も、その死を見ている人も、ホッと安堵する。包み包まれている、その現象に辿り着く過程を漢語で「和解」と呼ぶらしい。

谷川俊太郎徳永進『詩と死をむすぶもの―詩人と医師の往復書簡』(朝日新聞出版、2008年)、54-55ページ)[強調追加]

 詩人の谷川氏の返信から2つ3つ、引用しよう。

どんな和解も意識下で起こらなければ本物の和解とは言えませんから、これを言葉で言うのは難しいですね。[これ、先々でもう一度引用することになりそうな言葉である。――D. X.][と、書いていた通り、ここで再び引用。]
(略)
 ほんとはね、一番大切なキーワードは愛なんですよね。でもそれを言っちゃあおしまいよというようなところが愛という言葉にはあるから、それは棚に上げます。和解の過程などというものは、個々人の心のもっとも深いところに起こるものですから、言葉でそれを一般化するのは徒労ではないかとすら思います。
(同、66-67ページ)[強調追加]

 上の引用文の先で徳永氏は、「臨床は、ハッピーエンドを求めてはならない」という名言を書いているが、谷川氏は、「でもぼくは自分がどんな死に方をしても、それはハッピーエンディングだと信じています。この感覚はもちろん人間関係からも来ていますが、それ以上に自分と宇宙との関係から来ているのではないかと思っています」と応えている。

 因みに、ここまでで一番引き込まれたのは、臨場感溢れ、「さっきまでは『生きろ、生命現象よ続け』と言っていた自分がほんのわずかな時間差で、『さあ、死よ来たれ、生命現象よ、終われ、死んで』に変わってしまっていた。これでも医者だろうか。」(95ページ)と、徳永氏が揺れ動いた心境変化を告白している「誰だってカメレオン」の章である。

 [略]北大も、タンポポ綿毛でそっと包むような「寛大な」対応ができないものだろうか。タンポポ綿毛に包まれるとちょっと痒そうだけど、真綿で首を絞めるようなやり方よりは良かろう。

 [略]

 今月21日に予定されていた紋別の遺骨返還訴訟の和解が延期されたそうである。それも、「北大の理事会の決済」が間に合わなかったという理由で。「このことは事前にわかっていたはずですが、前日のドタキャンとは、こちらを困らせるためかと疑念を抱きます」と、神に仕える敬虔なブログ管理人に疑念を抱かせるとは、北大の最高意思決定機関は、本当に和解をする気があるのかね。

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