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AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

諸外国へ持ち出されたアイヌの「祖先」の帰還先について(w/ 6 postscripts)

アイヌ遺骨返還 遺骨・文化遺品の国際返還 諸外国の遺骨返還運動 北米先住民族 「民族共生の象徴空間」

 10月25日の毎日新聞(東京朝刊)に「アイヌ遺骨 学者間で『流通』か 英独露、多様な『人種』収集 日本もネットワークの一部」という記事が載っていた。
 このブログで既に何度か取り上げてきたが、欧州にあるアイヌ遺骨をめぐる動きを見ていると、何か変であり、そのアプローチ自体が特殊日本型であるという感じを受ける。そのことを敷衍する記事を書きかけていたのだが、まだ確認できないことが出て来たため保留にした。それぞれのアクターの動きがもう少しはっきり見えてから書くことにしたのであるが、この新聞記事の終わりの方の次の1段落に対して二言三言書いておきたい。

 遺骨返還について、内閣官房アイヌ総合政策室は収蔵先が判明し、収集過程の資料がそろうドイツの遺骨の調査を進める方針だ。既に在独日本大使館を通じて調査を実施。「2020年に北海道内に慰霊施設が建設されることをめどに返還交渉を進めたい」としている。

 なぜ2020年をめどにする? 北海道は、「北海道150年」に間に合わせよと言わないのか? どちらにせよ、諸外国に返還を求めるアイヌ遺骨が「慰霊施設」に帰還するべきだと、いつ、誰が、どこで決めたのだ!? 「集約」のための、「慰霊施設」正当化のための海外からのアイヌ遺骨返還なのか!? 国内の状況が思わしくない時に国民の目を国外に向けるというのは政府や権力者がよく使う手段だが、政策室は、何の議論から目を逸らさせようとしているのだろうか。

 「北海道アイヌ協会の加藤忠理事長も調査の必要性を強調している」とも書かれているが、どうして「主体的に」動かずに政府任せにしているのだろう。本気度が疑われても仕方あるまい。

 「人骨流通ネットワーク」の解明と、存在が明らかになっているアイヌ遺骨の返還は、区別して取り組むことができるはずである。遺骨のすべてが「ネットワーク」を通して持ち出されたとも限るまい。

Cf. こちらは、現代の「血液流通ネットワーク」とでも言える実態を描いたノンフィクション:

P.S.先住民族の遺骨・文化財の交換と売買

ヨーロッパの貿易商、人類学者、科学者、探検家、軍隊、収集家、等々が合衆国の建国の前にも後にも先住アメリカ人コミュニティじゅうを広範に旅行して、旅の最中に物品や「祖先たち」を奪った。加えて、19世紀と20世紀の博物館の専門家たちの間の博物館収蔵物の幅と深みを増したいという欲望が、先住アメリカ人「祖先たち」と文化財の国境を超えた交換と売買の実践へとつながった。しばしば、ここ合衆国では、これらの収集物の多くは、残っている広範な文書記録とともに、「行方不明」とか「交換済」と記録されてきたが、その一方で、諸外国の収蔵物の中に現在ある「祖先たち」や文化的物品自体は「未確認」とか「不明」と分類されている。この出所と文書記録の情報を諸外国と私的な収集物の中の「祖先たち」と文化財とを再結合することは、国際返還請求権を強固にする助けとなり、そして「祖先たち」と文化財を郷里に戻す助けとなる。

P.S. #2海外のアイヌ「祖先」の帰還のための二国間協定

 3年半前に「アメリカインディアン問題協会(AAIA)と遺骨・遺品の国際的返還」を書いた。その中の「連邦政府への要請」の一項目に、「先住民族の遺骨と文化財の返還に関する二国間協定を結ぶ」というのがある。

 アイヌ総合政策室は、既にドイツでの「調査を実施」と上の記事には書いているが、「実施」とは、もう済んだという意味であろうか。どのような「返還交渉を進め」ようとしているのだろう。これにアイヌ民族は、どう関わるのだろうか。

 2000年にオーストラリアと英国の両首相が、博物館に所蔵されているアボリジニの遺骨の返還を実現するための協力を支持する協定を結んだ。この合意が、その後の両国間の遺骨返還の成功へとつながった。オーストラリアは、先住民族の遺骨の国際返還に関しては先進国の一つであり、国際返還に取り組む先住民族を支援する国内政策を有している。さて、日本政府は?

 2014年11月、フランスのフランソワ オランド大統領とオーストラリアのトニー アボット首相の間で先住民族の遺骨返還に関する協定が結ばれて、フランスの文化省と国立自然史博物館、オーストラリアの芸術省と国際返還のための助言委員会によって、アボリジニの遺骨を確認するための合同専門委員会が設立された。さて、日本政府は?

P.S. #3(2016.11.06):☆返す気があれば早い

 博物館の側から率先して遺骨の返還を申し出た事例もある。英国のバーミンガム大学の医学部は、独自の収蔵遺骨に関係するいくつかの集団に連絡を取ろうと努力した。この事例では、同医学部がトライブに最初に接触してから返還完了まで、およそ1年しかかからなかった。この短さは、"Ka Hoʻina: Going Home"(後に取り上げる予定)で紹介されている事例の23年という時間とは対照的である。
 この事例では、2012年5月に同医学部の教授が自分で、7体の先住アメリカ人の「祖先たち」を飛行機で運んで、カリフォルニア州のサリナン トライブに返還した。書類作業は大学が行い、返還のための資金も大学が賄った。「祖先たち」は、人類学による検証によって確認され、DNA鑑定も他の鑑定も行われなかった。
 サリナン トライブの精神的指導者のジョン バーチ氏が、再埋葬の儀式を執り行った。2012年5月20日のThe LA Timesによれば、バーチ氏は、次のように述べたそうである。「彼・彼女たちは率先して米国から出て行ったのではない。彼・彼女たちは、拉致され、そして今、帰郷したのだ。」

P.S. #4(11.08)☆ひたむきな「祖先」返還への取り組み

 1989年に弁護士でありフイ マラマ(Hui Mālama)の代表であるエドワード ハレアロハ アヤウ(Edward Halealoha Ayau)氏は、ハワイイのビショップ博物館の職員にマウイ島のホノカフアの砂丘から掘り出されたイヴィ クプナ(iwi kūpuna=祖先の遺骸)の所在について尋ねた。博物館は彼に、クプナは英国のケントにある民族学博物館へ渡されたが、その後、同博物館は閉館となっていると伝えた。このことがきっかけで、モオモミの祖先(Moʻomomi kūpuna)を帰還させるアヤウ氏の23年間の旅が始まった。アヤウ氏は、先住ハワイイ人の祖先たちについて尋ねる同文の手紙を書き、ハワイイの土地・天然資源省の長官が署名をして、世界中の200の機関に送った。間もなく、英国自然史博物館から2段落の手紙が届いた。そこには、同博物館が140個のハワイイからの登録収蔵物件(ほとんどが頭蓋骨)を有していて、「誠実な科学者」にのみ収蔵物に関する情報を提供すると述べられていた。

 1、2年後、アヤウ氏のクム(kumu)、すなわち文化に関する師であるエドワード カナヘレ(Edward Kanahele)氏が、ロンドンに旅行に行く1人の短大生に同博物館を訪問して、クプナを探すように依頼した。友人の助けを借りて、その学生は、クプナに当てはまる記録を見つけ出し、なんとか登録簿を複写した。その記録は、同博物館が149のハワイイ人の「標本」を保有していることを示していた。

 その情報を基に、アヤウ氏は同博物館に、人体は――死体でも――他者によって所有することはできないと結論する法律を引用する手紙を書いた。自然史博物館は、要請を拒否して、1963年の大英博物館法によってその所蔵物の返還から除外されていると記していた。(もっとも、同法の下では、収蔵物が「保持するには不適合」であって、収蔵物から外すことが研究の利益を害さない場合、博物館職員はそれを収蔵物から外すことが可能である。)

 何年もの間、アヤウ氏は、書簡、電子メール、そして少なくとも4つの主要提案を含めて、6か月から8カ月ごとに同博物館に返還要請を書き送ることになった。その間、彼は、英国首相、英国外相、ワシントンD.C.の英国大使館文化部にも手紙を書いた。ダニエル イノウエ上院議員が、明確に遺骨の返還を支持する手紙を書いた。1999年、アヤウ氏は、フイ マラマの代表のクーナニ ニヒパリ(Kūnani Nihipali)氏と彼の妻のイポー(Ipō)さんと共に博物館へ行った。一行は博物館の幹部職員と会い、博物館側は、クプナに関するいかなる研究も止めて、フイ マラマがクプナを訪問することができるように博物館規則を改正すると述べた。一行がその時にクプナを見ることは許可されなかったが、博物館職員の助けで、クプナの方向のドアを見つけ、プレ(pule)、祈りを捧げた。

 最終的に、フイ マラマは、英国人骨作業部会(British Working Group for Human Remains)に対して証言を行い、フイ マラマの報告が2004年の人体組織法(Human Tissues Act)の成立に直接つながった。同法は、ロンドンの自然史博物館を含む具体的な機関に対して、「いかなる理由であってもそうすることが適切に見える場合、博物館の収蔵物から人骨を移転すること」を可能としている。この後、自然史博物館はついに、ビショップ博物館に由来する収蔵物のいくつかを保有していることを確認する記録文書の調査結果をアヤウ氏に送った。

 同博物館の評議員会は最終的に、2012年11月の返還のために145のイヴィ クプナの恒久的権利放棄を正式認可した。クプナは2013年8月に帰郷し、モロカイ島のモオモミを最初に、それぞれの出身の島に再埋葬された。"Ka Hoina: Going Home"は、この国際返還を記録したドキュメンタリー映画である。

出典は、最後にまとめて記すつもりである。

P.S. #5(11.09, 14:30):英独仏の遺骨返還規則

 英独仏の3カ国は、欧州にある先住民族の遺骨を最も多く保有している。この3カ国の返還規則と最近の動向である。

 イギリス:先住民族の遺骨返還に関係する法律としては、1963年の大英博物館法(British Museum Act of 1963)と2004年の人体組織法(Human Tissue Act)がしばしば引き合いに出される。前者は、前出のとおり、大英博物館評議員会はその収蔵物を正式認可された保管場所に保たなければならないと規定している。しかし、評議員会は、もしそれが「同博物館の収蔵物の中に保持されるには不適合」であれば、収蔵物から外してもよいことになっている。後者については、6年前に既に取り上げたとおりである(⇒ここ)。同法の下では、遺骨返還は博物館の管理者の裁量に委ねられているが、博物館側は、過去に多くの博物館が行ってきたように、1963年の法律を引き合いに出して返還をしないということはできない。それでも、これまでの返還の実績はさまざまである。

 フランス:フランス遺産法(French Heritage Code)は、政府からの許可なしに博物館がその収蔵物を処分することを禁じている。同法は、博物館が何か収蔵物を他所に売却したい場合、それが可能となる前にまず最初に政府に申し出ることを義務付けている。これが理由で、フランスの博物館にある収蔵物の返還を得ることは難しい。19世紀にケージの中に展示されていた女性の遺骨を2002年に南アフリカに返還する際にも、2011-2012年にニュージーランドに16人のマオリの頭部を返還する際にも、それぞれ個別の法律が必要であった。(最終的に20人分となったマオリの頭部の返還は、ここで取り上げた。)

 ドイツ:ドイツには博物館が収蔵物から遺骨や物品を移転することを制限する連邦法はない。しかし、州の中には、返還の前に州政府からの許可を義務付けている州がある。ドイツ全土の博物館は、収蔵物の中に人骨を保有することの倫理的課題をますます認識しつつあり、ドイツ博物館協会は最近、その問題に関する倫理指針を公表した。2013年にベルリン医学史博物館(Museum of Medical History in Berlin)が、33体の遺骨をオーストラリアへ、そしてオーストラリア北部とパプア ニューギニアのトライブへ返還した。

P.S. #6(11.10, 23:02):最後に、アヤウ氏の経験に基づく国際返還へのアプローチの原則をいくつか並べようと考えていたのだが、今のところ国際返還に取り組むアイヌ団体もなさそうなので、ここまでにしておく。主な団体は既に、アメリカインディアン問題協会「国際返還の手引き――コミュニティでイニシアティヴを開始する」を入手しているのであろう。必要な方は、メッセージをお入れ下さい。