AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

アイヌ政策過程におけるマスメディア(新聞)②(w/ P.S.)

 ゲートキーピングによって問題が争点とならない事例に加えて、問題がメディアに載ったとしても、争点の内容が歪曲されて提示されることがある。そこには社会の偏見が影響している場合もあるし、また意図的に操作が行われている場合もある。例えば、先住民族の権利に関する国連宣言を参照するとされながら、その中心的な権利が何一つまともに政策課題として議論されていないなかで、マスメディアは、アイヌ政策有識者懇談会の「報告書」に「広義の文化」という言葉が繰り返されているにもかかわらず、「文化」を矮小にかつ表面的に扱い続けていて、その惰性的な関わり方は、テディ ベアにアイヌの民族衣装を着せることを記事にしたり、イベント紹介を年中行事として繰り返すだけの姿勢に典型的に現れている。こうした事例は、ここに枚挙にいとまがないほど保存されている。この現実を前に、後で取り上げるが、「追い風が吹いている」という観察(これは③で取り上げる朝日新聞での常本氏の言であるが、国会決議からアイヌ政策有識者懇談会の設置に至る頃に、市民運動の側にも同じ発言をしていた人もいる)に「抗する」ために、”Against the Wind”を立ち上げ、それ以来、このブログも含めて、「何が争点なのか」を争点にすることが主要目的の一つであったと言える。風上にいる者には追い風でも、風下の人には逆風となる。また、風は回ることもある。今から6年前の「今の風は、どんな風?:『風の歌を聴け』」も、そんな思いで書いていた。(埋め込んだ4曲のうち、3曲が消えている!)

②「検問所」通過後の争点の設定(issue definition)と封じ込め(issue containment)

事例1:「河川でのサケ漁、新法で容認を 道アイヌ協会など要望」という2016年10月2日付の北海道新聞(朝刊)の記事および同日の「<解説>先住権尊重 焦点に*アイヌ新法*サケ漁容認要望」

 北海道大学から返還されたアイヌ遺骨の再埋葬の前日、2016年7月16日に北海道浦河町杵臼生活館で開かれた「語り合う会」の場で、市川守弘弁護士が「次はね、集団が持っているサケを捕る権利。これをやっていきたいの。」と抱負を述べた*1。率直に言って、このタイミング、この場所での発言に驚いた。それから2週間後(2016年7月30日)には、北大開示文書研究会、コタンの会、日本平和学会北海道・東北地区研究会の3団体が主催し、在札幌米国総領事館が後援する「先住民にサケを獲る権利はあるか?」と題されたチャールズ ウィルキンソン氏(コロラド大学法科大学院教授)の講演会が行なわれた。そして、2016年8月23日の毎日新聞(地方版)には、札幌の豊平川河川敷で行なわれる第35回アシリチェプノミ(「新しいサケを迎える儀式」)に合わせて、平田剛士氏の「『アシリチェプノミ』への思い」という寄稿が載った。
 こうして「サケを捕る権利」が話題として浮上しつつあるところへ、2016年10月2日の北海道新聞朝刊全道版に「河川でのサケ漁、新法で容認を 道アイヌ協会など要望」という記事に加え、「<解説>先住権尊重 焦点に/アイヌ新法/サケ漁容認要望」が掲載された。
 上の7月からの流れの中で突然のように「[北海]道アイヌ協会などが要望」と出て来たことに、私だけでなく、多くの人が驚いたようであった。当時、遺骨の「返還」を持って行かれた上、政府との「交渉」の場でも手詰まり状態に陥ってきた北海道アイヌ協会の「幹部」が、「サケ漁」という課題を「新法」の要求に取り込んだのではないか、あるいは、アイヌ協会が要望し、それに政府の会議が応えるという形で、そこまでは「新法」で対処されるという事前合意ができているのではないかという印象をもった。(このことについては、③で少し補足する。)しかし、これは、10月6日に開催されながら、今なお(11月16日未明)「議事概要」が未公開の第27回政策推進作業部会に向けて、アイヌ協会が「書かせた」記事だったのではないかと感じている。しかし、徳永記者(?)は、おそらく「有識者」の有力者や政策室にも取材して、「サケを捕る権利」に消極的と読める記事を書いたのではないかと推測する――そう、すべては推測の域を出ないことを告白しておく。
 地元で徳永記者を知っているということもあるのだろうが、一部のアイヌの間では、この記事を好意的に受け止めたようである。それは、普段マスメディアの話題に上ることがないサケ漁が道新に大きく取り上げられたということへの好意的受容であったかのようである。しかし、一部には、以下に書くような批判的意見をもって読んだアイヌと非アイヌの読者もいた。
 私自身、この記事と解説を何回か読み直した。しかし、頭が悪くて老化もしつつあるから仕方ないが、読めば読むほど理解が難しくなった。そして暫定的に、この記事と解説は、総体的に、立場的には北海道アイヌ協会の主張とアプローチに好意的な理解を示すかのようでありながら、先住民族の権利に関する議論を封じ込めて争点の拡散を防ぎたい政府と「有識者」の有力者による制約、そして和人社会が広く内面化した偏見が忍び込んでいる解説となっていると言わざるを得ないと結論した。このことを示すために、「国民の理解」のための教育的目的での利用として、記事と解説の全文を引用して検討することにする。煩雑かもしれないが、各下線の前に番号を付す。

河川でのサケ漁、新法で容認を 道アイヌ協会など要望

 政府が検討しているアイヌ民族の生活・教育支援を目的とした新法の策定を巡り、北海道アイヌ協会などが、かつてアイヌ民族が主食用などの目的で日常的に行っていた河川でのサケ漁を認める制度を盛り込むよう、求めていることが分かった。アイヌ民族にとってサケは重要な食料であると同時に神が与える「恵みの象徴」だったが、明治期以降の同化政策などによって文化伝承の目的以外の捕獲は禁止されてきた。政府は新法の検討課題の一つとして、有識者らによる作業部会で議論する方針だ。

 要望しているのは道アイヌ協会のほか、東京のアイヌ民族団体など。サケ漁が広く認められれば、アイヌ民族「先住権」を尊重する政策の一つともなる。

 かつてアイヌ民族はコタン(集落)近くの河川にそれぞれ個人のイオル(漁場)を持ち、サケ漁をしていた。祭事でサケを「カムイチェップ(神の魚)」、日常会話で「シペ(本当の食べ物)」と呼び、主食として頻繁に食べ、固く丈夫なサケの皮は靴や衣服にも利用してきた。

 アイヌ民族には漁業権という習慣や制度はなく、15世紀以降、和人に土地などを収奪され、1878年(明治11年)に明治政府がアイヌ民族の呼称を「旧土人」に統一した際、アイヌ民族によるサケ漁は禁止された。その後、サケの減少もあって、1951年の水産資源保護法、55年の道条例で和人やアイヌ民族にかかわらず、河川でのサケ捕獲は原則的に禁止された。


<解説>先住権尊重 焦点に*アイヌ新法*サケ漁容認要望

 <解説>北海道アイヌ協会などが伝統のサケ漁を広く実施できる制度をアイヌ民族の生活・教育支援を目的とした新法に盛り込むよう求めた背景には、2008年に国会がアイヌ民族先住民族とすることを求める決議をした後も、土地所有権など権利回復の議論が進んでいないことがある。サケ漁実施が盛り込まれるかどうかは、新法が生活・教育支援の施策にとどまるか、「先住権」の尊重に大きく踏み込むか、重要な論点の一つとなる。(1面参照)

 07年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」には、先住民族が収奪された土地・資源の原状回復や補償を受ける権利などが盛り込まれた。民族の立場を尊重し、権利を認めることは国際社会の流れだ。

 アイヌ民族に関しては、1997年に「アイヌ文化振興法」が成立したが、アイヌ文化・言語の復興に限定された。08年の国会決議後、国は胆振管内白老町に整備する民族共生象徴空間の計画を具体化したが、立法の動きは長く停滞。今年5月、政府のアイヌ政策推進会議が新法を検討する方針を決めたことを受け、7月から生活向上などに向けた施策の論議が始まった

 今回要望のあったアイヌ民族によるサケ漁は新法の検討課題に挙げられたが、実現となると課題も多い。そもそも河川でのサケ漁禁止は資源保護が目的で、自由なサケ漁の許可はその流れに逆行する。どの程度の人数を対象に、どの河川で自由なサケ漁を認めるか、基準づくりが難航する可能性もある。仮に実施が認められた場合も、アイヌ民族と偽ってサケ漁をする人が出てくる恐れがある。今でも密漁者はいるが、それが禁止を正当化するのか?

 政府関係者は「難しい面もあるが、まずはアイヌ民族側が求めていることをしっかりと聞く作業が重要だ」と話す。新法論議の過程で忘れてはならないのは、生活の中心だったサケ漁を奪われたというアイヌ民族の歴史的事実だ。先住権の尊重につながる結果を期待したい。(徳永仁)

 この記事にはいくつも仕掛けが組み込まれている。まず、②の「アイヌ民族には漁業権という習慣や制度はな」かったと断言できるのか。そして、1878年に禁止されるまでの間に独自の取り決めなどは持ってなかったのだろうか。
 ILO国連による「先住民族の権利」の議論の過程において、「所有(own/nership)」という言葉を用いることに抵抗を感じる先住民族の代表者もいた。先住民族には伝統的に「所有」という観念はなかったと主張する人もいれば、一方で、西洋近代的な「所有」概念とは異なる「所有」の制度や慣習が存在していたと議論する人もいた。例えば、富を共有する社会システムを有するコースト セイリッシュの伝統法では、西洋近代法の意味での「所有権」とは異なる財産権が存在することが意味されていた*2
 ここは歴史研究者や文化人類学者に委ねたいが、アイヌ民族についてはどうなのか。仮に「なかった」ということが定説となっているとしても、それは先住民族の視点からの見直しが必要かもしれない。
 また、一つ述べておきたいのは、もし日本が植民地化されていたら――「たら、れば」の話はするなと言われるかもしれないが、それに、日本は植民地化した側でもあるから余計に考えたくないのかもしれないが――仮の植民地国は、日本にはそもそも明治時代に"right"という言葉が導入されて、それに「権利」という訳語が当てられるまで「権利」という概念も制度もなかったと言って、権利の承認を否定することであろう。この議論は受け入れられるのだろうか。そもそも徳永記者には、この記事と解説を書く上で、未割譲アイヌモシリの植民地化という前提はおありなのだろうか。
 さらに、ここで注目したいのは、「漁業権という慣習や制度」はなかったがゆえに、「先住民族の権利」としてのサケ漁の「権利」を要求するのではなく、③の「伝統のサケ漁を広く実施できる制度をアイヌ民族の生活・教育支援」、⑤の「生活向上」施策の一部として新法に含ませるという、権利の明記はしないが、いわば実を取るという一つのアプローチ、方法論を北海道アイヌ協会が、自らなのか、「有識者」の有力者に説得されてなのかはわからないが、採っているということであろう。もしこういう形でサケ漁の実施が盛り込まれるとしても、それが真の意味での「先住民族の権利」の「尊重に大きく踏み込む」(④)ことになるのかは疑問である。
 解説の最後の2段落は、政府and/or「有識者」の有力者による「知恵」――知恵にもいろいろあります――ではないか。

 何にせよ、未だに(17日未明現在)第27回の「議事概要」が非公開なことである。今週中には出ないのではないだろうか。19日前に出ては都合が悪い、隠したままにしておかないといけないことがあるのかもしれない。(ここまで言われて出さないとなると、相当にたちが悪い。)
 第27回政策推進作業部会で何があったのか不明だが、「リーク記事」も出ないということは、結局のところ、「サケを捕る権利」は「新法」の範囲に入らなかったのではないか。そこで常本氏が朝日新聞を使って、11月5日に、大したことはできないから期待しないでねという非常に消極的な見解を載せたのかもしれない。

 以下、下線部⑥~⑨と①に関してコメントする。
 「そもそも河川でのサケ漁禁止は資源保護が目的で、自由なサケ漁の許可はその流れに逆行する。」――上の解釈(生活支援策の一部としてのサケ漁)が当たっていれば、それは「自由なサケ漁」となるのか? 北海道アイヌ協会は、それを要求しているのか? 森林の共同管理のように昨今広がりつつある選択肢だってあるだろう。そもそも、これは、アイヌに「自由なサケ漁」を認めれば、無制限に捕ってしまう、アイヌには資源保護ができないという偏見が見え隠れする。記事にも、資源保護目的による禁止の前にアイヌのサケ漁を禁止したと書いているではないか。資源保護が必要となったのはアイヌ民族のせいか!? 資源保護が必要となった背景に、どのような社会構造が存在してきたのか。「先住民族の権利」を「尊重」するというのであれば、そこの検証が必要ではないのか。それを禁止したことがいかに現在のアイヌ民族の状況につながっているのか*3アイヌ政策有識者懇談会から現在の政策関連会議に至るまで、十分に検討してきたと言えるのか。何年も費やしていながら、「どの程度の人数を対象に、どの河川で自由なサケ漁を認めるか、基準づくりが難航する可能性もある」などと、「難航する可能性」、つまり面倒くさいから認められないとするのか。
 ピースミール アプローチはより「現実的」で良いかもしれないが、そしてそれもアイヌ協会の見解なのかどうか分からないが、すべての権利は自決権から流れ出る(flow)という基本原則が忘れられている。政策室や「有識者」の有力者が「認める」かどうかの性質のものではないのだ。だから、「先住民族の権利」の「尊重」と言いながらも、何か別物を見せられている感じがしてしまう。
 昨今、「尊重」という言葉が非常に軽く使われている。「尊重」して、「聞く作業」だけはする――官僚の常套句だ――が、難航してややこしいから「認める」わけにはいかないというのだろう。これまで10年近く、まだ何も聞いて来なかったのだろう。

 ①多くの人が面倒なことは嫌いだから仕方ないか。「先住民族の権利」を「先住権」としてしまうことも似たようなものだ。「先住権」という言葉が運動側にもすっかり定着してしまった感じである。国連の「先住民族の権利」宣言作成過程で”indigenous rights”から”the rights of indigenous peoples”になったことや、「(先住)民族の権利」であることを訴えたこともあったが、もはや虚しさを感じてしまう。

 いずれにせよ、先住民族アイヌの漁業権という争点は、まだ社会的な、公衆の議題(public agenda)となり得ておらず、政治制度上の議題(political agenda)になるにも多くの障害が存在している。思い出されるのは、E. E. シャットシュナイダーのこの一節である。

In view of this analysis, the most obvious thing in the world is the fact that an issue does not become an issue merely because someone says it is. The stakes in making an issue are incalculably great. Millions of attempts are made, but an issue is produced only when the battle is joined.
Why do some movements succeed and others fail? Why do some ideas gain currency and acceptance while others do not? Why do some conflicts become dominant while others attract no support?
Dominance is related to intensity and visibility, the capacity to blot out other issues. . . . (p. 74)

 この分析の観点から、世界で最も明白なことは、ある争点は単に誰かがそれが争点だと言ったからといって争点にはならないという事実である。争点化することにかかる代償は、とてつもなく大きい。何百万もの試みがなされるが、一つの争点は、戦いが交えられる時にのみ、生み出される。
 なぜ一部の運動は成功し、そして他の運動は失敗するのか。他がそうならないのに、なぜ一部の考えは、通用し、受容されるのか。他の紛争/対立がまったく支持を引き付けないのに、なぜ一部の紛争/対立は優勢になるのか。
 優勢は、強度と可視性、他の争点を覆い隠す能力に関係している。

その意味では、誰かがブログに書いたところで*4、社会的・政治的争点とはならないとも言える。

P.S.(11.19, 22:10):シャットシュナイダーの引用部分に翻訳を入れた。

*1:『コカヌエネ こえを、きこう。』(アイヌ遺骨返還訴訟ニューズレター)No. 14(2016年7月30日)、6ページ。

*2:ラッスル L. バーシュ「伝統的な持続可能利用」『ウレシパ・チャランケ』No. 51(2016年2月28日)

*3:ここで書いたことだが、「もしアイヌ民族が北海道を領有していた場合に、例えば明治以来でも、第二次大戦後でも、アイヌ民族に蓄積されていたであろう資産、あるいは日本国家と社会が略奪してきた資産の総計を試算をする経済学者は、なぜいないのだろう。」

*4: Against the Wind: Indigenous Issues Untold or Underreported in Japanの検索窓に「漁業」と入れてみて戴きたい。

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