AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

アイヌ政策過程におけるマスメディア(新聞)③(w/ P.S. 3つ)

 ②の終盤はもう少し書き足したいのだが、昨夜は、3、4回中断しながら、かろうじて切りのつくところまで辿り着いた。人間、いつどうなるか分からないから、今夜も、一段落つくたびに投稿していくことにする。

③「課題」の矮小化
事例3:「アイヌ政策への期待と課題は」朝日新聞デジタル(土曜「考える」【Opinion北海道】)2016年11月5日

 この特集記事は、アイヌと和人の双方を怒らせたようである――と言っても、どのくらいの割合の人が怒っているのかは分からない。私は、常本氏は何年も前から同じことを言っているのだから改めて怒るというほどの反応はしなかった。しかし、新聞記事を送ってくれたあるアイヌの方は、以前言っていたことと違うと怒っていた。そうか、常本氏は、マスメディアへの寄稿や雑誌の評論で言っていることと何か違うことをアイヌに約束していたのだろうか。じゃあ、アイヌは騙されたということ? 嘘については、これまでに何度も書いて注意を促してきたつもりなのだが・・・。(「甘く小さな嘘」とか、「題なし/台無し」で。「Hearts and Minds(ベトナム戦争ドキュメンタリー映画)」でも「国家権力の嘘」に言及していたが、今見ると、またここの元映像も削除されている!)
 とは言うものの、常本氏が以前に何を約束していたのか具体的には分からないから、私には「嘘」かどうかは明言できない。「常本部会長、何を約束していたのですか?」と、政策推進作業部会で誰かに尋ねて欲しいと思う。

 今週初め、事例3として上に書いた朝日新聞の記事を読んだアイヌの知人が、常本氏の発言に怒って連絡してきた。すると、もう一人別のアイヌの、こちらも古くからの知人が怒って、記事の写真ファイルを送ってきた。私は、その時点でその記事を見てなかったのだが、前に書いたように、ウェブ上で読めるようになっていた。その方は、「朝日新聞をずーっと見てきましたが、今回の記事はがっかりです。こんなものですかね。」というメールもくれた。(「そんなものでしょうね」と返信したかったが、その時はそう書かなかった。後でここに「『朝日新聞よ、おまえもか』と評したくなるような内容」と書いた。)他にも、この記事はひどいという感想が数人から届いている。

 これまでにも、アイヌ政策に関するマスメディア(特に主要新聞)の取り上げ方や記事・社説の内容について批判してきた。個人的には、ある意味で、飽きたところがあって、最近はいちいち取り上げなかった。前回の②で扱った北海道新聞の「サケ漁」の記事もそうだった。だが、この機会にアイヌ政策過程におけるマスメディア、特に主要紙(ここでは問題の性質上、北海道新聞も含める)の現状について考えておく必要があるだろうということで、この連載を書いてきた。この③では、見出しのとおり、朝日新聞の「アイヌ政策への期待と課題は」を取り上げる。

 知人が「常本氏の発言に失望した」ではなく――上述のように、もちろんそれが基本にあるのだが――、リードから「記者の視点」まで含めて記事全体への失望も表明してきたので、その理由を尋ねた。返ってきた答えは、要約すると、常本氏の発言の中央、同氏の名前の上に大きく書かれている「誇り持って選べる社会に」という見出しと内容との不整合、記者の「勉強不足」による人選の拙さへの失望、そしてアイヌ人口の把握に関する視点への怒りであった。これらも踏まえながら、以下、私なりにこの記事の分析を試みることにする。朝日新聞だから、期待も込めて、敢えて書く。

★「バランス」
 焦らすわけではないが、今回はまだまだ前置きが続く。<暫し休憩。>
 <とても喜ばしいビッグニュースが入ってきた! 何だか、そっちを書きたい気分になってきた・・・。>

 もう何十年も前のこと、小学生の頃、運動場のシーソーでよく遊んだ。体重が軽い側も端に乗って、座らずに足で乗って力を入れると、重い相手を持ち上げることもできた。あるいは、重い側が下になったところでポーンと地面を蹴って相手側を急降下させたり、時にはサッと退くと相手側が落下してしこたま尻を打つ。しかし、退き方を誤ると変なところを打ち上げたりして、のたうち回ることにもなる。今、北海道アイヌ協会の「幹部」は、このストーンと落とされたような気持ちなのだろううか――フリーランチを楽しんでいる方は別として。
 相撲もよく取って遊んだ。今の北海道アイヌ協会の「幹部」はフンドシ、いやマワシを・・・と、いや、この話はまたいつか別の時のためにとっておこう。そうそう、バランスの話だった。
 政治学、特に国際政治学や国際関係論を学ぶと、「バランス オヴ パワー(balance of power)」という概念が出てくる。日本語ではそのカタカナ語で出てきたり、「勢力均衡」と訳されたりしている。だが、この両者にはちょっとした感触の違いがある。日本語で「均衡」と言えば、例えばシーソーのような2者間の場合、支点を境に両側が水平になっている状態をイメージするだろう。「バランス」も、本来はそのような状態を意味する。しかし、現実に「力のバランスが崩れる」という風に使う時、決して2者間の力が等しい状態で均衡が取れている状態を指しているとは限らない。そこで、”balance of power”は現状の力の分布状態を指すとも説明される。(何が“power”を構成するかとか、それをどう測定するかというような話には入らない。)すなわち、シーソーが斜め(/)になっている状態でも安定していれば、それを「力の均衡」が取れている状態と呼ぶのである。(普通の人の言葉の感覚ではないと言われるのは分かる。)それは、言い換えると、力の強い側が弱い側を押し付けている場合をも指す。従って、政治家や権力政治学者たちが「力のバランスが崩れる」と言う時、要するに、現状維持とか安定が崩れるということを意味し(かつ危惧し)ている。
 シーソーで3人で遊ぶとき、一人が支点を跨いで立って、あっちに、こっちにと体重をかけてギッコンバッタン――子どもの頃、シーソーをこう呼んでもいた――が止まらずに続くようにする「バランサー」の役を受け持つことがあった。アイヌ民族と日本政府・社会との力関係は、非対称的である。「有識者」に期待をかけたアイヌたちは、彼・彼女たちに、このバランサーの役を期待したのではないだろうか。そして、その期待は、自分たちのことを取り上げて社会に伝えてくれるメディアにも同じくかけられているのではないだろうか。ところが、現実にはそのバランサーが、斜めになったシーソーの重い側ばかりに力をかけて、斜めのままで安定させようとしていることに、知人たちはがっかりし、そして怒ってもいるのだろう。

 こういう話を書いてもつまらないかな。もっとストレートに本題に行けって? 具体的に記事を取り上げながら、明日また続けることにする。今日は前置きばかりで、スミマセン。

★記事の配置、構成、+α
 読者は、この記事(記者の解説、廣野氏のインタビュー、常本氏のインタビュー)のどれから読んだだろうか。アイヌ政策の現状に強い関心を持っている読者なら、最初に常本氏の部分から読んだかもしれない。しかし、一般の読者は、通常、右(ウェブ記事の場合は上)から読むのではないだろうか。(因みに、私は左半分から読んだ――なぜなら、別々の人から写真で送られてきた記事が左半分だけで、ウェブ記事は後で開いたから!)
 右(ウェブでは上)には阿寒アイヌ協会長の廣野洋氏が配置され、アイヌ民族が辿った辛苦の過去を語り、「新法」に切実な期待を寄せる。それに対して、左(下)に配置された「有識者」が応えるという構図である。6月27日の北海道新聞の「月曜討論 アイヌ新法整備 現状と課題は」という特集記事も、同じ構図だった。次回、この配置を逆にしてみてはどうだ。まず右側(上)で「有識者」が発言する。そして、左(下)でアイヌがそれに答える、あるいは批判する。読後の印象が少し変わってくるのではないだろうか。

 北海道アイヌ協会の団体会員である阿寒アイヌ協会長の話であるから、協会本部の見解から大きく逸脱する話は期待できない。言葉の端々に廣野氏の切なる思いはにじみ出ているが、何か、どことなく抑制的である。廣野氏が言及している「何十年も求め続けてき」た「スタート地点に立[つ]・・・ための政策」、「期待して」いるという「アイヌ新法」というのは、上記道新特集で阿部副理事長が述べていた1984年の「アイヌ民族に関する法律(案)」のことであることは明らかである。しかし、その固有の名詞は、この記事の発言の中に一度も出てこない。言わなかったのかどうかは分からないが、左側の常本氏の発言と対比されてはまずいという<廣野氏の自制/長谷川記者の「配慮」/常本氏の指示>などであろうか。その意味では、「先住民族」という言葉も、「権利」という言葉も一度も出てこない。そして、「生活の向上や教育格差の是正」、アイヌへの「特別な施策」に対する理解の得がたさ、「差別の一因」としての「教育格差や困窮」、さらに「もっと普通に文化や伝統を守」ることへの願望・・・これらを否定するわけではないが、どれもがアイヌ政策有識者懇談会の『報告書』で用いられている言葉であり、政策の範囲としてそれを一歩も出ていない。6月27日の道新特集記事の阿部氏の発言と比べると、はるかに穏やかなトーンにダウンしている。そうしたことは、私は個人的には存じ上げないが廣野氏のお人柄からくるものなのかもしれないし、戦略的な考慮かもしれない。実際のところは分からない。しかし、廣野氏ご本人が、今回のインタビュー取材は常本氏から依頼があって応じたと、40人くらいを前にしたある集会で、とても自慢げに語っていたということを聞くと、またずい分と違った絵が見えてくる。
 常本氏から廣野氏への取材依頼が北海道アイヌ協会を通して行ったのかどうかは、分からない。もし、1984年の「アイヌ新法(案)」の骨子6項目や国連の「先住民族の権利」宣言に謳われている「土地の補償など」という「課題」(6月27日道新記事)に言及しそうな北海道アイヌ協会「幹部」たちの「頭越し」に取材依頼が行なわれ、彼らの知らないところでこの朝日新聞のインタビュー記事が出たとすれば、それはそれでまた、協会「幹部」たちにとっては面白くなかったかもしれない。

<続く>

P.S.(23:08):1時間少し前に帰宅して、ラジオを点けた。NHK第一放送が入っていて、香山リカ氏の「心の美容液」が終わるところだった。時々、帰宅途中で耳にする。昨年の年末だったか、田中康夫氏とお友だちらしく、彼に相談をしていた回だけは印象に残っている。アイヌ政策のことでいつか悩み事を書き送ってみるかとか考えていたら、21:55のローカルニュースになった。
 沖縄のアメリカ軍北部訓練場返還のニュースだった。当然、ヘリパッド建設にも言及されていたが、なぜか地名がまったく出てこない。2回ほど「現地」とだけ言っていた。「高江」とラジオで流れると都合でも悪いのか? 聴取者が検索して、あれこれ挙がってくると都合が悪いのかな?
 そして、22:00から東京からのニュース。19:00のニュースでも流れていたが、トップニュースが安倍首相のトランプ氏「詣で」。外交にはプロトコルというものがあるだろうに。ここで書いたように、トランプ氏はまだ一民間人なのだ。選挙人団が本当に逆転させてくれないかな。何もかもが笑い話になる。アメリカ国民よ、それくらいのドラマを見せてくれないかな。

 コメントを戴いた方へ、連載が一段落つくまで返信は致しません。お許しを。代わりに、こちらをどうぞ。(どういうわけか、「命枯れても、夢よ枯れるな~」と間違って記憶していて、返信代わりにちょうど良いと思ったのですが・・・。せっかく探したから、ご鑑賞を。

P.S. #2(11.19, 0:59):去る13日のコタンの会の「第1回学習会」の様子がかなり詳しく報じられている⇒「なぜ掘られたのか」(日高報知新聞 2016/11/18 17:13)。なんだか、今日は連載に入れそうにない。明日までに切りを付けたかったのだけど。

「英彦山 国の史跡に指定へ(福岡県)」⇐動画あり。

福岡県添田町英彦山について、国の文化審議会は新たに史跡に指定するよう答申しました。史跡に指定されるのは、英彦山添田町の部分です。英彦山は古くから霊峰として知られていて、添田町の一帯には修験者が過ごした坊や窟の跡が良好な状態で残っています。国を代表する山岳信仰の山として極めて高い学術的価値があるため、史跡に指定し、保護することになりました。来年の春ごろに正式に指定される見通しです。これにより福岡県内にある国指定の史跡は90件(特別史跡含む)になります。このうち、山で指定されているのは、豊前市などにまたがる求菩提山太宰府市などにまたがる宝満山に続き3件目となります。

 ここ英彦山が登場している。

P.S. #3(11.19, 21:21):上の「なぜ掘られたのか」の記事の一部である。

 意見交換では、遺骨返還訴訟に原告側として携わった市川守弘弁護士が「地元のアイヌ協会か、かつてのコタン(集落)の構成員の子孫で組織する団体があれば返させることができる。実際にコタンの会が主体となって浦河では返還できた」と説明。大学側の謝罪や損害賠償については「裁判で具体的に謝罪や損害賠償を求めることは制度上は無理。一番大事なのは骨を返してもらうことで、世論を作り上げていく中で謝罪や賠償を求めるべきだ」と見解を述べたほか、アイヌ協会と連携する道を模索することも大切との意見も出された。

 1つ目の下線部が文字情報として出るのは初めてではないかと思うが、非常に興味深く読んだ。2つ目の下線部の「意見」は別の人からのものと考えて良さそうだな。

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