AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

上の写真:ジュネーヴのサン-ピエール大聖堂からレマン湖を望む。

比較検討せよ。/紋別への遺骨返還、和解成立(w/ P.S. 3つ)

 ある方が、先の朝日新聞での常本氏の発言は、この本で言っていることと全然違うと言っておられた。常本氏の20年前の発言である。出典は、萱野茂、他『アイヌ語が国会に響く 萱野茂アイヌ文化講座』(草風館、1997年)150-154ページ。ここでの発言のことかどうかは分からないが、あまり多くのページを載せるのも面倒だし、ここで重要なことを述べているから良いだろう。(P.S.:よくなさそうなコメントが来たけれども、このような形で全文を掲載するには長すぎる。関心がおありの方は、同書90-108ページの常本照樹「アイヌ新法制定への法的課題」を参照されたい。)1ページずつにすると縦長になってしまうので、見開きページを1つにして載せたけれど、読めるかな。クリックすると、少し大きくなるようだ。最後のページは、ついでだから最後まで入れることにした。
f:id:Don_Xuixote:20161125230804p:plain
f:id:Don_Xuixote:20161125230359p:plain
f:id:Don_Xuixote:20161125231107p:plain

 今から7年前、2009年7月29日のアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会(第10回)での常本氏の発言。(強制移住と土地・資源(16)で取り上げたことがある。)

 私は、先住民族の法的地位というようなことについて勉強してきましたが、そのような勉強の成果を実際の政策形成に生かす非常に貴重な機会をお与えいただいた、これは社会科学者として極めて幸せなことであったと思っています。
 もちろん、実際これまでの理論を現実の中でどう生かすことができるかということを考える際には、やはり現実とのずれ、難しさということを思わされることもありました。その都度思い出したことは、13年前の懇談会の座長も務めた伊藤正己先生が最高裁の判事を退かれてからお書きになった「裁判官と学者の間」というご著書です。その中で、伊藤先生も東京大学英米法憲法の研究者として考えておられたことと、実際に最高裁の裁判官として現実の問題に直面されて考えたこととでは、どうしても違いが出てくるということについてのご苦労や悩み等を書いておられました。先生と比べるべくもないことはいうまでもありませんが、先生のお気持ちがほんの少しだけ分かったような気がします。
 ただ、やはり何といっても社会科学の場合には、理論は現実の中で鍛えられることが重要だということも今回改めて学んだ気がしています。そのようなことも含めて、大変貴重な機会をお与えいただいたことについて心からお礼を申し上げたいと思います。

 次は、5年前、2011年の常本照樹「アイヌ民族と『日本型』先住民族政策」『学術の動向』(2011年9月)における発言である。腹立たしいことに、過去の記事にリンクしていた同雑誌の特集号(「特集2◆今、アイヌであること ― 共に生きるための政策をめざして―」)が内閣府掲載先から消えている!

政策の基盤と二つの先住民族概念


 国際社会においては、先住民族とは、国連宣言が掲げているような自決権や土地に対する権利を中心とした特別の実体的権利を享有する民族であると考えられることが多い。ここではこれを実体的先住民族概念と呼ぶことにしたい。しかし、このように権利に基づいて先住民族をとらえる実体的先住民族概念については、アイヌ民族が日本の実情に適合しないという問題が生ずる恐れがある。例えば権利主体の問題である。すなわち権利享有主体としてのアイヌは誰か、誰がどのような基準に基づいて決定するのか、これは容易な問題ではない。権利を実現するために行われる何らかの給付の受給権者としてのアイヌを定める場合に、自認のみで決定することは困難であろう。集団的権利の問題もある。土地の権利や言語権など、国連宣言に含まれている先住民族固有の権利の中には、民族が権利主体となるものが少なくないが、欧米の法体系を継受した日本では権利主体は原則として個人とされている。
 これに対して懇談会報告書は、先住民族とは事実としての先住性を有する少数民族であり、その少数民族に対して国がその同意を得ることなく、結果としてであれ打撃を加えた場合に、それによる損害を回復する強い責務を国が負うという考え方を採った。これは民族の権利というより、国が負う責務の強さとその理由(民族側の同意の欠如)に着目する考え方であり、手続的先住民族概念と呼ぶことができよう。
 それでは、手続的先住民族概念をとった場合、国がその責務によって回復すべき民族の利益とは何か。懇談会報告書において、回復すべき利益とされたのが文化であった。
 ただ、文化というと、言葉や歌、舞踊、工芸などに限られると思われるかもしれない。実際、1997年に制定されたアイヌ文化振興法は、様々な困難な問題を回避するため、あえてこのような狭い意味の文化に限定してその振興を図っている。しかし、本来の文化とは、「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ科学 ・技術 ・学問 ・芸術 ・道徳 ・宗教 ・政治など生活形成の様式と内容とを含む。」(広辞苑第六版)のである。報告書が回復すべきとしている文化は、この広い意味での文化であることに留意する必要がある。また、報告書は、伝統的な文化だけでなく、未来に向けて新しい文化を創り出せるような環境が必要であると指摘している。
 このような広い意味でのアイヌ文化を復興・発展させ、アイヌとしてのアイデンティティをもって生きる心のより所とするために、山、海、川を備えた豊かな自然のなかに博物館を含むアイヌ文化教育研究施設や文化伝承施設、民族交流施設などを持つ広大な自然公園の整備、アイヌ研究の推進、アイヌ文化の継承・振興、アイヌによる土地・資源の利活用の促進、産業の振興、教育水準の向上、国民の理解促進などの政策を進めるよう懇談会報告書は提言している。
 懇談会の政策の基本に関わるもう一つの柱は、これらのアイヌ政策の根拠を憲法に求めたと言うことである。日本国憲法にはアイヌ民族の存在を前提とする規定は設けられておらず、かえって憲法個人主義を基本としていると考えられている。しかし、懇談会は、「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定する憲法 13条に着目した。

 出典およびこの前後は、こちら

 最後に、今月5日朝日新聞デジタルの「アイヌ政策への期待と課題は」での発言である。

■誇り持って選べる社会に


 アイヌ政策には今、追い風が吹いています。政府は東京五輪パラリンピックの2020年に「民族共生象徴空間」を白老町に整備します。アイヌへの理解と共生を進める「扇の要」になる施設です。世界が注目する五輪開催国が先住民族への対応をおろそかにしているようでは国の信用が失われます。アイヌ政策を進めるチャンスです。

 2008年、国会がアイヌ先住民族として認めるよう政府に求める決議をしました。政府がこれを受け、有識者懇談会が報告書をまとめ、その具体化が続いています。

 米国や豪州などで語られる「土地の返還」「政治的な自決権」といった先住民族の権利実現を直ちに目指すのは、今のアイヌと日本の現実になじむでしょうか。自らをアイヌと考える人が幸せに生きられる社会を作ることが目的なら、まず社会の現実と向き合う必要があります。

 アイヌの人たちは生活格差の中にいます。根底には社会的な差別がありますが、「私は差別していない」と考える人が多いでしょう。私たちが生まれながらに日本文化に接してアイデンティティを育てるのと同じ事がアイヌの人たちにはできません。それを放置していることも差別なのです。アイヌの人たちが誇りを持ってアイヌを選択して生きられる社会の実現をまず目指す。そこで初めて今後を議論できます。

 法律的な観点も欠かせません。日本国憲法は「法の下の平等」を規定し、特別な扱いを原則禁止していますが、憲法13条では「個人の尊重」を定めている。自由に生き方を選択でき、国はそれを尊重する。差別などが続く社会ではアイヌとして生きていく選択肢が閉ざされています。国には選択できるように問題を解消する責務があるのです。

 「貧困や差別はアイヌだけのことではない」との意見もあるでしょう。でもアイヌは立場が違います。近代化を急ぎ、アイヌの文化に深刻な打撃を与え、自主・自立的に生きていくことを困難にしたのは国です。だから国には、そこから生じた問題を解消する強い責務があるのです。

 政府は立法措置を含む総合的な施策で対応する方針です。生活向上などを目指す立法に期待する声がありますが法整備には時間がかかります。個人給付にはアイヌであることの証明や平等問題、生活実態把握など課題が多い。熱が冷めても政府を逃がさないことがさしあたり法律の最大の役割ではないでしょうか。まず先住民族としてのアイヌの地位確立などを冷静に考えるべきかもしれません。

 いかがでしたか。以上、ご参考まで。

★おまけ3年半前の落合氏の発言。

 もっとも、有識者懇談会や推進会議のメンバーでない人々が、国連宣言に権利が明記されたことをもって、アイヌ民族にも同様の権利がある、と主張するのは自由である。たしかに、憲法が成立してから、国内において、国民のみに適用されるにすぎない「憲法の保障する権利」によって、普遍的な人権、あるいは先住民族の権利をめぐる国際的な議論が拘束されるべきいわれはない。


落合研一「『民族共生の象徴となる空間』構想の憲法的意義」『国際人権ひろば』No.108 (2013年3月発行号)

ここにP.S. #4を追加した。

 重なってしまったんだな。アイヌの遺骨はコタンの土へ 歴史的な再埋葬を語る集いアイヌ詩曲舞踊団<モシリ> 札幌ライブコンサート

P.S.:これも大統領選関係の投稿に入れても良いのだが、読者には面倒であろう。

 アジェンダ設定⇒沈黙の螺旋悪魔の代弁者(devil's advocate)と考えていて、久しぶりに『悪魔の辞典』を引っ張り出してみた。過去に2回言及している(ここここ)。

 "presidency"(大統領職):「アメリカ政治の野外競技で球の役割をする油を塗った豚。」
 すぐ横に、"president"(大統領)がある。「国中のおびただしい数に及ぶ人間がそのうちの誰一人として大統領に選びたいとは思っていないことが明白に知られている――これはこうした連中についてだけ言えるのだが――少数グループの指導的人物。(後略)」(296ページ)
 どちらも言い得て妙である――殊にトランプ氏に関しては。

 ついでだから、"liar"(嘘つき)には、こうある。「勝手気ままにうろつき回り、掠めとる職業に従事する法律家。」(220ページ)

P.S. #2「アイヌ遺骨 返還和解 札幌地裁 北大の4体 紋別へ」北海道新聞電子版 11/25 16:00

 北大が紋別市アイヌ民族の遺骨を保管し続け、祖先の霊を供養する行為が妨害されたとして、紋別アイヌ協会会長の畠山敏(はたけやまさとし)さん(75)が北大に遺骨返還と慰謝料計300万円を求めた訴訟は25日、札幌地裁(岡山忠広裁判長)で和解が成立した。北大は遺骨を返還する一方、原告は慰謝料請求を放棄する。司法手続きによる返還は今年7月の日高管内浦河町の事例に続き2度目で、来年7月以降に実現する見通し。

 合意した和解条項によると、返還対象は北大が1941年(昭和16年)9月に第三者から寄託された遺骨4体。北大は来年7月以降、紋別アイヌ協会に運送費を負担して返還する。原告側によると、同協会が墓地に再埋葬し、維持管理も担う意向。埋葬費については、遺骨を北大に寄託したと原告がみている紋別市に負担させる方向で検討しているという。

 十勝管内浦幌町アイヌ民族が遺骨返還を求めた訴訟も札幌地裁で係争中で、原告側は同様の枠組みで和解の成立を目指す。

P.S. #3(11.27, 23:40):上の「おまけ」の落合氏の言葉は、2014年6月8日のこの投稿――知らぬ間に誰かがブックマークを付けている――からの再掲であるが、アジア・太平洋人権センターの「国際人権ひろば」というニュースレターは、「アジア・太平洋地域の人権に関する専門情報誌」と謳っている。

 初めてこの論稿を読んだ時、「国際人権ひろば」に乗り込んで――か、招かれてかは知らないが――こういうことを書くというのは、まさに「国際人権法」を専門としている人たちへの殴り込みというか、果たし状みたいなものだろうと思った。ところが、どうも同「ひろば」の定期購読者も掲載団体も、誰も相手にしてこなかったみたいである。

 この引用段落の2段落上では、このように述べている。

 このような理解からすれば、国連宣言に記された権利は、①それが民族的属性に基づいて認められるものならば、憲法の保障する権利の固有性と、②先住民族あるいは先住民だけに保障されるものならば、同権利の普遍性と、③先住民族という集団をも権利主体とするものならば、同権利の享有主体が個人のみであることと矛盾することになる。

 どなたか「国際人権」を生業としている方、反論をお願い致します。

 ところで、道新20日の記事で識者が指摘している「落合氏のような認識」というのは、どこまでの広がり(スコープ)をもっているのだろうか。とても興味があるところである。

P.S. #4(12.03):落合氏の「国際人権ひろば」稿に既に反論が出ているか、これから出るようでしたら、お知らせ願います。