AINU POLICY WATCH

――In Light of the U.N. Declaration on the Rights of Indigenous Peoples――

「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関する ラウンドテーブル報告書( 案 )」を読む②

 ここのP.S., P.S. #2, P.S. #7, P.S. #8で書いたことをこの標題シリーズの①として、これを②とする。

 年末年始を狙って「パブリックコメント」を募集している団体もあれば、年末年始に抗議文を送りつけられた気の毒な方もいるようである。東京の方では緊急災害情報の誤報が流れて、元日の朝早くから叩き起こされた人々もいたみたいである。私は、まったく性質の違う出来事で、大晦日に「サイアクのオチ」をつけられた――この言葉は、惜しくも昨年の流行語にはノミネートされなかったようだ。年が明けても、まったくおめでたいという気持ちになれない元日であった。それで、実際は"working hard"というほどのことはないが、何とか気持ちの欠片を寄せ集めながら、20数年前の亡霊たちがまだ跋扈している標題の「報告書(案)」を再読していた。

 先に全体に関わるより大きな問題を論じる方がスッキリするだろうとは思うが、せっかく下に出す作業をしたので、それを無駄にしないように、まず比較的小さな事がらから指摘する。「はじめに」は前に取り上げたので、本文の1から始めることにする。文末注に対応するコメントを入れようとしたが、書式上、注の中で改行ができなかったりするため、本文中で、打消し線を引いてその後ろに青字で訂正案を入れたり、下線を引いて直後に青字でコメントを挿入することにした。

 作業は最後まで済んでいるが、全部を「パブリックコメント」の締め切り日辺りに出そうかと思っていた。そういうことで、3以降(こちらの方が大事なコメントが多い)を出すか出さないか、いつ出すかは決めていないが、取り敢えず、今夜は2までを出しておくことにした。(そもそも、出しても徒労に終わるだろうことは目に見えている。ならば、最終化された報告書を分析する方が、「中間まとめ」を含めて3回もやるよりは省エネの観点からは賢明なのかもしれない。)

1.本ラウンドテーブルが設置された社会的・学術的背景

 世界各地の先住民族の遺骨やそれに伴う副葬品、埋葬儀式に用いる用具は、19世紀から20世紀初頭にかけて行われた人種主義に基づく自然人類学や考古学、民族学の研究の研究関心から、また植民地主義的な政策の影響の下で収集されてきた。研究を目的とした収集作業の結果、現在も数多くの先住民族の遺骨や副葬品を含む歴史文化遺産先住民族の遺骨や副葬品が「歴史文化遺産」として世界各地の主要な博物館や研究機関に保管されている。これらの所蔵資料については、その収集経緯において関係者の同意を得ない収奪や、盗掘のように適正な手続きを踏まずに不正に収集された資料も少なくないが圧倒的に多数である1980 年代からは(⇒間違いである。何を根拠にして1980年代としているのか*1。)先住民族側から本来あるべき場所への返還が求められ、国内や国際的な返還の動きが始まっている。

 我が国の大学・研究機関においても過去の学術研究を目的として調査収集されたアイヌの遺骨や副葬品が数多く保管されていることは、関係者の間で知られてきた。文部科学省による調査では、国内の12 大学や博物館などの施設にアイヌの遺骨が収蔵保管されていることが明らかとなっている。それらが研究資料として収集された過程や、その後の研究機関における長期間にわたる保管・管理状態の中には、アイヌだけでなく和人から見て適切とは言えない(⇒「収集された過程」は和人自らの社会の法律を犯す犯罪的なものではなかったのか?)取り扱いが少なからず見られた。そもそも、アイヌの遺骨を収集する調査自体が、アイヌ独自の世界観や宗教観を十分に配慮したものではなかったことを正しく理解すべきである。(⇒下線部の文言は以下で繰り返される。それにもかかわらず、そして先住民族の権利に関する国連宣言を「尊重」すると言いながらも、返還を主張するのではなく、「研究資料」として利用する議論を入れていることに、ただ呆れるばかりである。)

 現在の研究倫理の観点から見て、研究者は人の死や文化的所産に関わる資料の取り扱いについて十分な配慮(⇒では不十分。)を払うべきである。とりわけ遺骨や副葬品について、直接の当事者であるアイヌと研究を担う研究者の双方が研究の内容について直接意見交換を行い、その取り扱いについて議論する場と機会がこれまでなかったことによって、アイヌ研究に対する強い不信感をアイヌ抱かせる原因となったことを研究者側は深く反省するだけでなく、謝罪する必要がある。(⇒しかし、「研究の内容」と「取り扱い」の前に、研究対象とすること自体、それがアイヌ民族にとって意味のあることであったのかどうかは問わないのか*2。)

 日本人類学会と日本考古学協会は、北海道アイヌ協会とともに、本ラウンドテーブルを通じて、アイヌの遺骨や副葬品が収集された学史的背景を明らかにするとともに、研究をめぐる諸問題を整理し、今後の研究の望むべき姿についての方向性を提言すべく、平成27 年11 月から平成28年9 月まで合計9 回にわたり議論を行ってきた。また、その(⇒とは?)解決策を提言することも本ラウンドテーブルの役割であると考え検討を行った。本議論の「中間まとめ」については、公開後、一般市民への説明と意見聴取(⇒このことの問題については、既に指摘した。)、さらに最新の研究成果の社会への発信を目的とした3 者の共催の公開シンポジウムを平成28年8月6日に札幌において行った。


2.これまでのアイヌの遺骨と副葬品の収集・研究をめぐる問題

 過去に研究目的で収集・研究されてきたアイヌの遺骨とそれに伴う副葬品については、現在アイヌが返還・安置慰霊・再埋葬等を強く求めている。その背景にはアイヌ自身の祖先の遺骨や副葬品に対する思いと、過去に実施されてきた不適切な研究のあり方があり、特に後者については学術界がこれまでの研究を批判的に振り返り、なぜこのような問題が生じたのかについて、その収集経緯やその背後にある当時の研究動向について学史的に説明する義務がある。(⇒これだけでは不明瞭。)


(1)アイヌにとっての遺骨と副葬品の位置付け
 アイヌにとって祖先の遺骨とそれに伴う副葬品は、アイヌの世界観や精神文化を直接反映したものである。また埋葬という行為において遺骨と副葬品は一体としてとらえられ、土地と密接に関係(N.B.)したものである。しかしながら、これまでのアイヌ墓の調査において(⇒考古学調査と墓暴きは区別しなくてよいのか?)、出土した遺骨の多くは人類学者の所属する研究機関に、付属する副葬品は考古学関係機関に分かれて保管・管理されてきた現状がある。このような状況は、遺骨と副葬品とを一体のものとして認識する本来のアイヌの考え方を尊重しているとは言い難い。アイヌにとって遺骨と副葬品に関する諸問題は、過去や現在という時代区分で分けて考えるものではない。死者の問題は、現在に連続し内心にある世界観等にも連関していると理解されている。このような見方は、概ね世界各地の先住民族に共通した観念である。
 研究の本旨は、真理の追求であるが、先住民族であるアイヌにとっては、先住性を確認するためにも、アイヌを含む社会への研究成果の還元(⇒この文言も繰り返し出て来るし、世界考古学会議での加藤理事長の講演にも登場する。北海道アイヌ協会の見解には、非常に物分かり良く、一貫して「社会還元」と主張される。これも別途、取り上げるべき大きな問題であるが、研究対象とするべきでない「聖遺物」(本文書でも一度出ている言葉)があり、また公開されるべきではない「情報」は、今のアイヌ民族にはもうないのか? このラウンドテーブルにアイヌ文化に詳しい文化人類学者や民族学研究者が入っていれば、このことに関する注意書きくらいは書き込んだのではないだろうか。)、研究の成果へのアクセスや公平性の担保が大前提となるものである。
 今日では、広く国際的に人の遺体に関する取り扱いは、研究倫理の観点から特に慎重に扱うべきという認識が共有されている。この認識に立脚しなければ、アイヌの研究に対する強い不信感を取り除くことはできない。


(2) 学術界としてのこれまでの研究者の態度や見解への評価
 従来の研究者の取り組みには、開拓史観や適者生存・優勝劣敗的な古い社会進化論的発想が含まれ、植民地主義同化政策の負の歴史につながるものが見られた。他者の文化を議論しているという意識が欠落し(⇒そうだろうか。劣等なものとして十分に意識しながら行なったとは考えられないのか。)アイヌの声を聞いてこなかった側面が多くあった。またアイヌへの研究成果の還元も十分なされてきたとは言い難く、一部の研究においては、アイヌへの社会的偏見を助長する事例の存在を認めざるを得ない。
 考古学では、アイヌの歴史を日本列島の一地方の問題として捉え、全国的な課題として、また隣接地域との関係から位置づける視点が欠け、人類学においてはアイヌが先住民であるか否か、アイヌ縄文時代人と関係があるかなどの研究が進んだが、両学会とも日本国における先住民族問題、民族差別問題との関わりを意識する視点が欠けていた。
 とりわけ深刻な問題は、過去の研究目的の遺骨と副葬品の収集である。遺骨と副葬品の収集に際して、経緯について不明確のものや、アイヌへの趣旨の十分な事前説明と発掘行為への同意取得がなされず、今日の研究倫理の観点からのみならず発掘当時でも盗掘との判断を免れ得ないような記録が残されている。また、戦前のアイヌの遺骨収集を目的とした墓の発掘調査では、詳細な記録保存がなされておらず、時代性や文化的特性についての情報が欠落している。そのため現在の研究水準から見て、学術資料としての価値が大きく損なわれた。学術界や研究者は、収集経緯について可能な限り明らかにするべきであり、アイヌを含む社会に対して説明する義務がある。
 さらに発掘後の遺骨と副葬品の保管状況については、人の死と関わる深淵かつ繊細な問題である点が十分に配慮されずに、必ずしも誠意ある対応がなされてこなかった。このことについて研究者は深く反省し、今日社会的に批判される状況にあることをしっかりと受けとめるべきである。
 上記のようなこれまでのアイヌの遺骨と副葬品について行われてきた調査研究や保管管理の抱える課題について、学術界と個々の研究者は人権の考え方や先住民族の権利に関する議論や国際的な動向に関心を払い、その趣旨を十分に理解する努力が足りなかったことを反省し、批判を真摯に受けとめ、誠実に行動していくべきである。今後、研究者には、研究の目的と手法をアイヌに対して事前に適正に伝えた上で、記録を披瀝するとともに、自ら検証していくことが求められる。学術界と個々の研究者は、このような検証なくして、自らの研究の意義や正当性を主張する根拠が希薄となることを自覚しなければならない。(⇒奪われた遺骨・副葬品の研究の正当化という文書でなければ、この段落は、概ね良しと評価するのだが。)

*1:例えば、アメリカの考古者、L. J. ズィマーマン(ここの日本考古学協会の方々もよくご存じであろう学者である)は、1997年発刊の本の「人類学と再埋葬問題への反応」と題する章の出だしで、先住諸民族が自分たちの文化に対する知的財産権を主張して、人類学に最初に公けに挑戦したのは「20年より少し前」のことであると書いている。また、Annual Review of AnthropologyのVol. 25(1996)掲載のNAGPRAと遺骨返還に関する論文は、1971年のヨーロッパ系アメリカ人の骨と先住アメリカ人の骨の差別的な取り扱いをめぐる先住アメリカ人と考古学者との対立の事件から始まるが、この事件が例えば、「冒涜に反対するアメリカインディアン」や「ネイティヴ ライツ ファンド」という組織の形成につながったことに言及している。さらに、組織的な返還要求ではない返還要求は、もっと前の時代から存在している。

*2:これについては、別途取り上げたい。